———雄英体育祭まで、あと二週間。
その残り時間を、琉音は何度も頭の中でなぞる。
·····たった十四日。
それは今の琉音にとって———あまりにも短い時間だった。
この短い猶予の中で———あの炎を“使えるもの”にしなければならない。
琉音
「·····二週間で、どうにかしろってことだよね·····」
琉音は体育祭の案内プリントを見下ろしながら、誰もいない訓練場で苦笑い混じりにそう呟いた。
·····思い出すのは、あの日の炎。
出久を守るために燃えて———そのまま、自分まで焼き焦がした炎。
琉音
「·····ほんと、扱いづらいなあ」
ぽつりと呟いたその言葉は、広い訓練場に溶けるように消えた。
そして琉音は、自分の掌を見つめた。
腕の包帯はすでに外れていたが、ところどころにまだ治りきっていない火傷跡が残っている。
あの時の炎は皮膚の深くまで琉音を焼き焦がし、時間が経ってしまった火傷跡は琉音自身の個性でも完全に治しきれなかった。
琉音
「·····でも、頑張らなきゃ」
———そう言うと、琉音はゆっくりと息を吸った。
大きく燃やすんじゃない。
ただ、ほんの少しだけ———掌に。
あの時の感覚を恐る恐るなぞりながら、琉音は指先に意識を集める。
胸の奥にある、まだ名前の付けきれない熱。
それを無理やり引きずり出すのではなく、細い糸を手繰り寄せるように———少しずつ、少しずつ。
その一瞬、指先がふわりと温かくなる。
琉音
「·····っ!」
反射的に肩が強張る。
———あの日の熱が、皮膚を焼いた痛みが·····ほんのわずかに蘇る。
けれど、今度は爆ぜることはなく·····強く燃え上がることもなかった。
ただ、親指の先ほどの小さな火が———琉音の掌の上に灯っていた。
·····琉音の髪色と同じ、淡いピンク色の小さな炎。
琉音は、思わず瞬きを繰り返す。
消えない。
———本当に、消えない。
ライターの火よりも少し頼りなくて、風が吹けばすぐ消えてしまいそうなほど弱い。
———それでも。
琉音
「·····でき、た·····?」
琉音の声が震える。
だが、炎は消えずにゆらゆらと揺れながら琉音の掌の上で確かに灯り続けている。
·····熱い。
だが、焼けるほどではない。
痛くもない。
ただ·····掌の上に小さな命があるみたいに、温かい。
琉音
「·····これなら」
そう言うと、琉音はそっと息を吐く。
火は少し揺れたが、消えなかった。
琉音
「これなら、私を焼かない」
そう言いかけて———琉音は、小さく首を振る。
·····違う。
それだけじゃ、意味が無い。
自分を焼かないだけでは、足りない。
誰かを守るために。
誰かを傷つけないために。
そして、勝つために。
———この火を、ちゃんと自分のものにしなければならない。
琉音
「·····まずは、ライターくらい」
小さな炎を見つめながら、琉音は苦笑した。
琉音
「いきなり使いこなせるわけないんだから·····これくらいから、だよね」
掌の上で、淡いピンク色の火が揺れる。
弱くて、小さくて、頼りない。
けれどそれは確かに———
琉音が初めて、自分の意思で灯した炎だった。
ブレイジング・ラブの、最初の炎だった。
·····その炎を見つめていると———ふと、琉音の記憶の奥にある光景が蘇った。
テレビの画面越しに見た、父親———フェニックスの姿。
瓦礫の中で泣いていた子どもを抱き上げ、
淡い金色の炎を背負いながら、父は笑っていた。
その炎は、何かを焼くためではなく———
誰かを安心させるために、そこにあった。
フェニックス
『大丈夫、僕が来たからもう怖くありませんよ』
画面越しでも分かるくらい、優しい声だった。
幼い琉音は、その姿を食い入るように見つめていた。
父の炎が、どうしてこんなにも温かく見えるのか分からなかった。
———けれど今なら、少しだけ分かる気がする。
琉音
「·····お父さんは、これをちゃんと使えてたんだよね」
掌の上の淡いピンク色の火が、ゆらりと揺れる。
父の金色の炎とは違う。
まだ弱くて、頼りなくて、すぐ消えてしまいそうな火。
それでも———確かに、同じものを受け取っている。
琉音
「·····私も、できるかな」
問いかけるように呟いた声は、誰もいない訓練場に小さく落ちた。
答える声は、もちろんない。
けれど———掌の上の小さな火だけが、消えずに揺れていた。
「——訓練は順調かな、久智付少女!」
突然かけられた声に、琉音の肩がびくりと跳ねる。
手のひらに灯っていた炎が、驚いたようにふっと揺れ———そのまま静かに消えた。
琉音
「·····お、オールマイト!?」
オールマイト
「すまない、驚かせてしまったね」
琉音
「い、いえ……大丈夫です」
オールマイトは訓練場の入口から、ひょいと顔を覗かせていた。
その片手には———やけに大きく膨らんだレジ袋。
琉音
「·····それ、何ですか?」
オールマイト
「差し入れ兼、教材だ」
琉音
「教材·····?」
オールマイトは真面目な顔で袋を掲げる。
そこには、キャンプ用と書かれた大粒のマシュマロがぎっしり詰まっていた。
琉音
「·····マシュマロ?」
オールマイト
「うむ。しかもキャンプ用の特大サイズだ!」
琉音
「なんで!?」
思わず素で返してしまった琉音に、オールマイトは少しだけ咳払いをする。
オールマイト
「ブレイジング・ラブの制御訓練に、ちょうどいいかと思ってね」
琉音は、きょとんとした顔でマシュマロの袋とオールマイトを交互に見る。
琉音
「·····炎の制御に、マシュマロですか·····?」
オールマイト
「·····ああ。ただしブレイジング・ラブはワン・フォー・オールとは個性系統が違う。」
「あくまで参考程度の話だが——」
そう前置きして、オールマイトは袋から一つ、真っ白でふわふわした大きなマシュマロを取り出した。
オールマイト
「——マシュマロを焼くのに、ちょうどいい火加減を考えるといい」
琉音
「·····ちょうどいい、火加減?」
オールマイト
「あぁ。マッチの火では、マシュマロはうまく焼けない」
「·····逆に、火事の火では一瞬で消し炭だ」
「必要なのは、その中間」
「·····じっくり熱を通せる、焚き火くらいの火だ」
琉音は、自分の掌を見る。
さっきまでそこにあった淡いピンク色の火を思い出す。
オールマイト
「君の炎は、想いに反応する。」
「強く守りたいと思えば、それだけ強く燃えるだろう」
「·····だが、大きければいいわけではない。」
「大きすぎる火は、守る前に全部焼いてしまう」
その言葉に、琉音の視線がわずかに落ちる。
琉音
「·····」
その様子を見たオールマイトは、少しだけ声を柔らかくしてこう続けた。
オールマイト
「だが——先ほど、君が灯していた炎は小さいが、安定していた」
琉音
「·····見てたんですか?」
オールマイト
「·····む、すまない·····声をかける前に見てしまってね·····」
「·····だが、あれは君が初めて”自分の意思“で灯した火なんだろう?」
琉音は少しだけ目を見開き———やがて、小さく頷いた。
琉音
「·····はい」
オールマイト
「ならば、既に最初の一歩は踏み出している」
「次は、その火を焦らず育てていけばいい」
「·····だから、まずは焦がさない火を覚えるんだ。」
「消えないように、けれど、燃えすぎないように。」
「必要なのは、消さないことだけではない」
「——加減することだ」
琉音
「·····加減」
オールマイト
「そう」
オールマイトはそう言うと、マシュマロを軽く指先でつまんでみせる。
オールマイト
「相手を焼きたいわけじゃない」
「守りたいものを、焦がさずに温める火を目指すんだ」
琉音
「焦がさずに·····温める火·····」
オールマイト
「うむ。まずは、このマシュマロを焦がさずに焼くところから始めよう」
「体育祭で勝とうとするのは、その後だ」
琉音
「·····お父さんも、マシュマロ焼いてたんですか?」
オールマイト
「あぁ。彼も最初は火加減がものすごく極端でね」
「·····弱すぎて何も焼けないか、強すぎて全部焦がすかだった」
琉音はしばらく真剣にマシュマロを見つめた後、ぽつりと呟いた。
琉音
「·····失敗したら、食べるんですか?」
オールマイト
「もちろんだ」
琉音
「焦げても?」
オールマイト
「もちろんだ」
琉音
「·····本当に?」
オールマイト
「うむ。昔もそうだった」
その言葉に、琉音が瞬きをする。
琉音
「昔·····?」
オールマイトは少しだけ、懐かしむように目を細めた。
オールマイト
「君の父も、最初はよく焦がしていたよ」
琉音
「·····お父さんが?」
オールマイト
「ああ、焼いたマシュマロは二人で食べていたんだが·····彼は焦げたマシュマロを私に押し付けようとしてね」
「·····正確には、私が焦げたものを彼に戻したら怒られた」
琉音
「戻したんですか」
オールマイト
「治人が焼いたものだからね」
琉音は、思わず小さく笑った。
琉音
「·····ふふっ」
オールマイト
「その時、彼はこう言っていた」
「『おい!焦げたやつばっか僕に押し付けるなよ!』とね」
琉音は一瞬だけきょとんとして———次の瞬間、ふっと笑った。
オールマイト
「だが、焦がしたのは彼だ」
「私は悪くないから、容赦なく焦げたやつは治人に返していった」
琉音
「ふっ、ふふっ·····!」
·····久しぶりに、少しだけ肩の力が抜けたような笑いだった。
オールマイトはその表情を見て、静かに頷く。
オールマイト
「——久智付少女」
その声に、琉音が顔を上げる。
オールマイト
「君は、ブレイジング・ラブが覚醒したばかりだ」
「·····そのうえ、二週間後には体育祭が控えている」
「自分の力がどこまで使えるのか、使いこなせるのか」
「人前で戦えるのか、そもそも戦えるほどに持っていけるのか」
「きっと今は、考えなければならないことが多すぎて——混乱していると思う」
琉音は何も答えなかった。
———ただ、図星を突かれたように少し視線を落とし、指輪がある胸元に手を当てる。
オールマイト
「だが——焦ってはいけない」
静かだが、はっきりした声だった。
オールマイト
「焦って大きな火を出そうとすれば、また君自身が焼かれる」
「それでは、扱えるようになったとは言えない」
そう言って、オールマイトはマシュマロの袋を開け、手にした大きなマシュマロを琉音の前へ差し出した。
オールマイト
「いきなり誰かを守れるほどの炎を目指さなくていい」
「まずは——このマシュマロを焦がさない火からだ」
「小さくても構わない」
「君が自分の意思で灯して、自分の意思で保ち、自分の意思で消せる火を覚えるんだ」
琉音
「·····自分の、意思で·····」
オールマイト
「ああ、体育祭で勝つためにも、まず必要なのは強い炎ではない」
「·····君自身が扱える、ちょうどいい火加減だ」
琉音
「·····はい、やってみます」
その言葉に、オールマイトは静かに頷く。
·····その日の雄英第一訓練場では、マシュマロを焦がさないためだけの不思議な特訓が始まった。