———数時間後、訓練場の片隅。
紙皿の上には、無惨な姿になったマシュマロがいくつも積み上がっていた。
表面だけ真っ黒に焦げたもの。
半分だけ焼けて、もう半分は真っ白なままのもの。
火が途中で消えてしまい、ほんの少しだけ表面が溶けたもの。
そして———その山から少し離れたところに、ようやく一つだけ。
ほんのりと、きつね色に焼けたマシュマロが転がっている。
琉音
「·····一個」
額の汗を拭って、ぽつりと呟く。
琉音
「一個だけ、成功·····」
本来なら喜ぶべきなのだろう。
昨日までは、炎を自分の意思で灯すことすらできなかった。
·····今は、小さな火なら出せる。
保てる時間も、少しずつ長くなっている。
何度も焦がして、何度も消して———
ようやく一つ、ちゃんと焼けた。
·····それなのに。
体育祭までは、あと十四日しかない。
琉音
「·····全然、嬉しくないなあ」
紙皿の上に積み上がった失敗作を見下ろしながら、琉音は小さく息を吐く。
オールマイトはしばらく訓練を見届けたあと、職員室から呼び出しを受け、すでにこの場をあとにしていた。
「今日は無理をしないように!」
·····そう言い残して。
だから今、この訓練場には琉音一人しかいない。
静かな空間。
焦げた砂糖の匂い。
まだ掌に残る、わずかな熱。
琉音
「·····駄目だ、集中持たなくなってきた·····」
「ちょっとだけ、休憩しよっかな·····」
琉音はそう呟くと、鞄からスマートフォンを取り出す。
気分転換に、好きな曲を一曲だけ聞こうと思っただけだった。
本当に———それだけだった。
何気なく動画アプリを起動すると、トップに並んだおすすめ動画の中に———
見慣れた金色があった。
琉音
「·····あ」
指が、止まる。
雄英体育祭が近いせいなのか、最近は歴代の雄英出身のヒーローを振り返る動画がやたらとおすすめ欄に並んでいた。
有名なプロヒーローの体育祭当時の動画や、その後に活躍を振り返る解説動画が、スクロールする度に流れてくる。
『スパークリエイターの雷撃!普通科からヒーロー科に転向するきっかけとは』
『グリッタースパークルが魅せる!!大技まとめ』
『裏方だってヒーロー☆サポート科活躍シーン集めてみた!』
様々なタイトル、色とりどりのサムネイルの中に流れてきた一本の動画。
その動画に、琉音の目は釘付けになった。
『懐かしの名救助——ヒーロー“フェニックス”が見せた神業救助』
何年も前の映像。
何度も見たことのある動画。
子どもの頃、テレビの前で目を輝かせながら見ていた———
父親の·····治人の姿だった。
ほんの少しだけ迷って。
それでも琉音は、画面をタップした。
『僕が来たから、もう大丈夫ですよ!!』
―――画面の中で、父はそう笑っていた。
崩れかけた建物の前。
泣きじゃくる子どもを片腕に抱き、もう片方の手を伸ばす。
次の瞬間———彼の髪色と同じ、淡い金色の炎がふわりと広がった。
瓦礫の隙間を縫うように。
救助者の身体を避けるように。
炎は形を変えながら、崩れ落ちようとしていた瓦礫だけを押し返していく。
琉音
「·····」
———幼いころから何度も見てきた、フェニックスの活躍シーン。
昔は、ただ綺麗だと思っていた。
金色の炎がきらきらしていて。
お父さんが笑っていて。
怖がっていた人たちが、みんな安心した顔になって。
———だから、格好いいと思っていた。
·····けれど今は———違う。
琉音
「·····なんで·····」
思わず、震えた声が零れる。
炎はあれだけ大きく広がっているのに、抱きかかえられた子どもの服は焦げていない。
瓦礫を押し退ける瞬間だけ火力が上がり、人のそばを通る時には、まるで撫でるように弱くなる。
広がって。
縮んで。
強くなって。
弱くなって。
———その全部を。
画面の中の父は、当たり前みたいな顔でやっている。
琉音
「·····こんなの、どうやって·····」
スマホを持つ指に、少しだけ力が入る。
再生される映像の中で、フェニックスは救助した子どもを地面へ下ろすと、その頭を優しく撫でていた。
『·····ほら、もう大丈夫です』
『よく頑張りましたね』
———炎は、まだ燃えている。
けれど。
誰も、怖がっていない。
琉音
「·····」
そこで琉音は、ゆっくりとスマートフォンから視線を外した。
目に入ったのは———
紙皿の上に積み上がった、焦げたマシュマロ。
真っ黒になったもの。
半分しか焼けなかったもの。
火が消えて、ほとんど温まらなかったもの。
———そして。
その端に、たった一つだけ置かれた——きつね色の成功作。
琉音
「·····私·····」
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
琉音
「一個焼くだけで·····こんなに失敗してるのに·····」
もう一度、画面を見る。
父は笑っている。
大勢の人を守りながら。
———あれほどの炎を、ほんの少しも暴れさせずに。
·····分かってはいる。
父からブレイジング・ラブを受け継いでから、炎なんて一度も出せなかった。
USJでのあの暴走が———琉音にとって初めて、炎として表に現れた“覚醒”だった。
一朝一夕でそれを使いこなせるはずがないことくらい、
琉音は痛いほどに、身をもって理解していた。
———でも、それでも。
琉音
「·····お父さんみたいに·····」
声が、掠れる。
琉音
「·····お父さんみたいに、なれっこないよ·····」
ぽつりと落ちた言葉に答える者は、誰もいない。
画面の中では変わらず——
完成されたヒーロー“フェニックス”が、笑っていた。
・
・
・
———しばらくして。
スマートフォンの画面は、とっくに暗くなっていた。
·····それでも琉音は、しばらくその場から動けずにいた。
紙皿の上には、焦げたマシュマロ。
掌には——もう、炎はない。
琉音
「·····帰ろうかな」
上を向き、ぽつりと呟く。
今日はもう、集中力も気力も残っていない。
オールマイトにも、無理をするなと言われている。
·····これ以上続けても、また失敗するだけだ。
———そう思った。
琉音
「·····でも、少しだけ身体を動かしてからにしよ」
·····何もしないまま帰るのが、なんとなく悔しかった。
琉音はスマートフォンを鞄へしまうと、ゆっくりと立ち上がる。
そして、深く息を吸って——
自分の身体へ、生体エネルギーを巡らせた。
琉音
「はぁ·····」
腕に、脚に、筋肉に·····じわりと力が満ちる。
炎とは違う、昔から慣れ親しんだ感覚。
これは——父から受け取った者じゃない。
自分が、ずっと使ってきた
琉音
「·····こっちは自由に使えるのになあ」
苦笑しながら、軽く助走をつける。
床を蹴る。
いつもより少しだけ強く———跳ぶ。
·····その瞬間。
ボッ!!
琉音
「———え?」
足元で、淡いピンク色の炎が———身体強化で膨れ上がった足の力を追いかけるように、軽い破裂音と共に弾けた。
次の瞬間。
身体が———想像していたよりも、ずっと高く浮いた。
琉音
「えっ」
「ちょっ」
「た、高———!?」
視界が一気に持ち上がる。
———床が、遠い。
琉音
「·····うそぉぉぉ!?」
そして当然。
———着地のことなど、何も考えていなかった。
ドサッ!!
琉音
「いったぁ·····!!」
琉音は見事に尻もちをつく。
そのまま、痛みでしばらく動けない。
琉音
「·····なに、今の·····?」
恐る恐る、足元を見る。
焦げ跡は——ない。
火傷もしていない。
———ただ。
ほんのわずかに、足元へ残った熱だけがあった。
琉音
「·····炎、なの·····?」
もう一度、さっきの感覚を思い返す。
脚に力を込めた。
踏み切った。
その瞬間———身体を押し上げるように、炎が噴いた。
琉音
「·····飛んだ?」
琉音は顎に手を当て、さっきの一瞬を頭の中で思い起こした。
琉音
「いや、違う·····」
飛んだのではなく·····跳んだ。
———炎に、押してもらって。
琉音
「もう一回、出来るかなぁ·····」
·····今度は、少しだけ慎重に。
脚へ再び、身体強化を巡らせる。
踏み切る直前、さっきマシュマロを焼いた時の———小さな火を思い浮かべる。
琉音
「ちょっとだけ·····燃やさない、焦がさない·····」
そしてそのまま———床を蹴る。
ボッ。
今度は、さっきより小さな炎。
———ふわっ、と。
身体が、いつもより高く浮く。
琉音
「·····!」
そして———今度は、ちゃんと両足で着地した。
琉音
「·····でき、た·····?」
そのまま琉音は呆然と、自分の足を見る。
もう一度、同じように跳ぶ。
ボッ。
少し高く。
もう一度。
ボッ。
今度は、少し前へ。
琉音
「·····これ、って·····」
———胸が、少しだけ高鳴る。
画面の中の父は、こんな使い方をしていなかった。
少なくとも———琉音の知っている“フェニックス”は。
琉音
「·····お父さんと、違う」
その言葉を口にして·····一瞬だけ、胸が痛んだ。
けれど。
琉音
「でも、火傷してない·····体操服も、燃えてない·····」
「·····とりあえずは·····違っても、いいのかな」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
掌ではなく。
今度は足元に———淡いピンク色の、小さな炎が灯った。
父親と同じではない。
———けれどこれは、間違いなく琉音自身が見つけた火の使い方だった。