始まりません、終わるまでは

 私は佐登暮という。
 開明学園に通う二年生で、普通の女子高校生と言うには少し以上地味で、取り柄がない。クラスの中では一人でいる事が多くて、部活は文芸部という地味なもの。
 髪の毛で仏頂面の顔を隠して、眼鏡をして、制服のスカートは膝下。背は高い方だけど、猫背気味。成績は中の上ぐらいで、別に良くもなく悪くもなく。運動は苦手で、体育はできればサボりたいけどそんな勇気のない品行方正を装った度胸なし。少し太っていて、決して美人とかではないから男子からの評価も「地味でダサい女子」一択だろうと思っている。
 でも、少女漫画の主人公とか、少年漫画のヒロインとは違って「平穏」な学校生活を送ることができると思っている。ちょっとだけ空気を読んで周りに少しだけあわせて、頼まれたことを断らず、でも自己主張をしておくようにさえすればきっと普通の学校生活が送れる。友達も少しでいい。付き合いを広くするとめんどくさいし。要領がいい方ではないから、少しでも自分が楽できるように考えよう。

 どうせ。
 どうせ私はラブコメとか、そういう女の子のときめくような恋とは無縁だ。


 って。高校二年の秋までは思っていた。
 夕暮れ。二人きりの下駄箱の前。呼び止められた時、少しだけ時間が止まったような錯覚がした。同じクラスの男子だった。でも、あまり接点が多いわけじゃない。
 彼は安形惣司郎という。
 この開明学園の生徒会執行部の庶務だ。正直生徒会に属してるなんて思えないくらいちゃらんぽらんらしいが、これまで学則や校則で縛られていたこの学校を校則にたいしてとても緩やかな姿勢を取れるように変えていった立役者で、来期の生徒会長は彼しかいないともっぱらの噂だった。
 顔立ちは男前で、学校の成績も優秀。スポーツの話はあまり聞いたことはないが、なんでもそつなくこなしそうなイメージがある。風貌はいかにも不真面目そうな、シャツのボタンは一番上を開け放ち、ネクタイは本当に建前でつけているだけと言わんばかりのゆるさだった。これまでの校則であれば真っ先に減点を食らったであろうその服装を生徒会が率先して行うのはいかがなものか、と思いつつ安形に向き直った。正直、この手の男は顔が好みでも積極的には関わりたくない。遠巻きで眺めているだけで、満足になれる男だ。
 この男の隣に立つ自分は想像できない。

 部活も委員会も――違う安形とは殆ど接点がない。
「安形くん、何か用?」
 生徒会に呼び止められるなんて、とこれまでの校則に厳しい雰囲気ならそう思っただろう。しかし、私は校則違反なんて何もしていない。強いて言うなら顔を隠すような髪型だが、これはあまり教師に咎められたこともない。アクセサリーもスカートの丈も、指定のソックスだって完璧だったのだ。
「いや、大した用じゃねえんだけどよ」
 接点もない女子に大した用もないのに話しかける度胸は素晴らしいな、と思った。さすが、校則がきついなんて声を大にしていうだけはある、と感心していると少しだけ離れたところにいた安形が近づいてきた。
「佐登ってよ、彼氏とかいんのか?」
 何を言っているんだろう、この人は、と口に出しそうになってなんとか引っ込めた。手に持っていた外靴はタイルの床に置いて、私は首を横に振った。居るわけがない。いつだって、男子からは「地味」と言われ続けて、彼女にしたいなんて誰も思わないだろう。
「ふぅん」
「……それが、何?」
 安形は少しだけ楽しそうに笑って、私へ向き直った。


「なぁ、佐登。俺と付き合わねえか」


 彼はいつでも輪の中心に居る。めんどくさい、とかよく口にするくせに誰かを惹きつけて話さなくて、生徒会メンバーには慕われていて。なんだかんだと彼の周りには人が集まっていることが多い。
(すごいなぁ)
 私は遠くから、そんな彼と彼の周りの人を見つめるだけ――だった。
「付き合う、って」
 声が震えた。職員室に付き合ってくれ、とか、そんなちょっとついてきてくれ的な付き合ってくれだって一瞬でも考えた。そもそも、彼が自分に告白してくるような理由がまるでないだろう。ああ、そうか、罰ゲームかな。結構たちの悪いことに巻き込まれてるんじゃないかな、と私が思いながら彼を見上げた。
「恋人になってくんねーかって」
「…………は?」
 なんだ。
 このラブコメ展開は。



* * *




 地味な女子高校生が、学校一の秀才でイケメンの生徒会長に告白されるとかどこのラブコメだよ。

 逃げ出すようにマンションまで帰ってくると幼馴染が隣の家の鍵を開けたところと出くわした。慌てて階段を駆け登ってきて息が上がっている私を見て、彼は一言。
「おかえり、暮」
 赤い帽子をかぶって、ゴーグルをつけた少し変わった風貌の幼馴染は藤崎佑助という。
「……ただいま。佑ちゃんもおかえり」
「なあ、おばさんまだ帰ってないんだたら、うちでゲームしねぇ?」
「いいね。着替えて行く」
「おう」
 この家に引っ越してきたときからの幼馴染である彼とは長い付き合いだ。互いにゲームとかおもちゃとかの趣味が合うのか子供の頃から何かと遊ぶことが多くて、昔は一つ年上だったこともあって、お姉ちゃんぶって彼と彼の妹の面倒を見ようとしていたし今でも彼らの姉代わりになって面倒を見たりする。クラスメイトよりもずっと気楽にいられる、そういう人だった。
 ゲームをつけて互いにテレビに向き合うと、彼から一言。
「今日、学校でなんかあったの」
「え?」
「慌てて階段上がってきたじゃん」
 興味なさそうだった割にはちゃんと見てるんだな、と少しドキリとした。
「いやー……別に」
「本当かよー。暮さー、何かあっても言わないこと多いしなぁ」
 否定はしない。大抵のことは一人で解決しようとして失敗するタイプだ。自覚はある。コントローラーを操作して車に乗るキャラクターたちを操作する。
「佑ちゃんはさー、私が告白されるとか、思う?」
「うえ、なにそれ、告白されたの!?」
「い、いや!! たとえ!! 例え話ね!?」
 慌てて弁明しつつ、佑ちゃんの様子を覗う。佑ちゃんはうーんと考え込み、返事にはすごく時間がかかった。
「暮に告白とかなんの罰ゲームだよって感じ」
「よぉし、お前喧嘩売ってんな」
 本当にデリカシーのない男だが、今日ばかりは私も賛同だった。

(だって、安形と私……全然接点ないじゃん)

 確か、前に一度会話しただけだった。その時は自己紹介なんてしてないから、本当にお互いに一方的に名前を知っているだけの関係で、よく知らない同級生。それ以下でもそれ以上でもないはずだった。
 親友にメールを送ってみた。彼女には素直に、安形に告白された旨を伝えると、返事はどうしたの、と返ってきて、していないことを思い出した。これはまずいのではないか、と送れば、頑張れと一言。どうやら、助けてくれる気のない友人にどうしたものか、と思いつつ、ああ、もうどうにでもなれ、と携帯電話を投げ出した。

「返事、聞いてねえよな」

 同じ時間。同じ場所。――待ち伏せでもされてるのかな、とか思ったのは内緒だ。罰ゲームにしては本当に質が悪いなと思う。暇なのか、そうか、暇なのか。
「……安形は、」
「うん?」
「……何でもない。うん、いいよ」
「本当か!?」
 驚いたように目を見開いた安形がいた。いや、自分から告白してきたんだろう、お前。安形の言葉に頷くと、よろしくな、と握手された。それを握り返して、楽しそうに笑っている安形を見て、不意に視線をそらした。
(どうせ、少しの間だ)
 罰ゲームに付き合わされるかわいそうな安形に少しだけ付き合ってあげることにした。短い間の彼氏と彼女関係だ。


(……可哀想だね)
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