声が聞こえないの

 帝都ペンドラゴン―インバル宮。
 皇帝を守護する最強の十二騎士―例外を含めると十三騎士が日頃の拠点として使われているのがこのインバル宮であった。
 十四年前にあった血の紋章事件からラウンズの数は激減した。
 生き残ったラウンズは三名。
 一人はかつてのナイトオブファイブ―現在はナイトオブワンであるビスマルク・ヴァルトシュタイン。
 もうひとりは、皇帝の腹違いの兄にして、シュヘンベルグ大公爵、クロス・シュヘン・アリア・クラウン―当時はまだ、クロス・アリア・ブリタニアの方が、通りが良かった。
 最後の一人は、すでに亡くなってしまわれたが第五皇妃となった、ナイトオブシックス、閃光とまで称された騎士、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアである。
 マリアンヌは皇帝妃となり、ラウンズからその名前を消して、二年前の事件でその短くも鮮烈な人生を終えた。
 クロスは存命ではあるものの、その地位を早々に娘に明け渡し、今は軍のオブザーバー的な立ち位置となり、未だ宮廷の中でも強い発言力を持ち、シュナイゼルやコーネリアといった有力な皇子・皇女のスポンサーを務めている。
 故に、ほんの数年前まで、ラウンズとして権力を有していたのはビスマルクだけであった。
 アスナもラウンズではあるものの、その立ち位置は特例中の特例であるのが通例。
 クロスのように、ビスマルク、マリアンヌとともに皇帝を守護していたほうが例外だったのだ。
 その空席が僅かに埋まり始めている。
 皇帝直下の十二騎士は早めに揃っていたほうがいいと、クロスがシャルルに進言したことから始まったことであるが、アスナは基本的に本国を離れ、他国侵略のための準備を整えていることが多かったため、それを知ったのは約半年ぶりに本国の土を踏んだ時のことであった。
 インバル宮へ足を踏み入れると、双子の弟の姿が見えた。
 「よ、」と非常に軽く片手を上げた双子の弟とじっくり顔を突き合わせたのは実に二年ぶりぐらいのことだった。
 日本侵攻戦が終わってからもアスナの仕事が終わることはなく、シュナイゼルの親衛隊に属していたラーズとはめっきり顔を合わせることが減っていたのだ。
「殿下はどうされた」
 久しぶりに弟と対面したというのに、アスナの口調はひどく厳しいものであった。
 ラーズは肩をすくめる。
 眼の前で赤い髪を揺らす姉の服装はラウンズの正装ではなく、リバリーズであった。
 古来、騎士及び地方豪族の臣下たちが着ることが許された特別な制服がリバリーズである。
 近代のブリタニアにおいてリバリーズは皇族の専任騎士の特権となり、その数と種類は激減した。
 基調とする色には重要な意味があり、高貴とされるのが金色、赤色。続いて、白、青、紫などだ。
 門閥派閥を含めて、その皇族の帝国内での権威を知るには、専任騎士のリバリーズをみればわかると言われるほど。
 つまり、より高貴な色を纏っている騎士の主君こそ帝国内でより強い権力を持っている。
 ――が、シュヘンベルグ家とラウンズはこれの例外である。
 陛下のラウンズは基本的に、タキシード系のスーツ(改良はいくらでも加えていいので、すでに原型がないものもいるが)で、インナーにはブリタニアの権威の象徴たる、皇族の紋章が刻まれている。
 シュヘンベルグ家に関わる騎士とナイトオブサーティーンはラウンズとしての衣装の他にその権威を象徴したリバリーズの着用が許可され―その色は黒と決められていた。
 黒は高貴な色とは外れて考えられており、不吉の象徴などとも言われているため、騎士たちはこれを纏うことを嫌うことが多かったが、シュヘンベルグ家はこれを好んで着用した。
 自分たちこそ―皇族の影である誇り。
 白の美しい皇族たちの影となり、お守りする。
 その誇りの現れなのだと、アスナは語った。
 ラーズもラウンズの制服は本来白であるはずなのに―黒いものを着用し、アスナと同じ濃紅のマントを羽織っていた。
「今日付けで、ラウンズに任命された」
「親衛隊であったお前が?」
 アスナは顔をしかめた。
 シュナイゼルは宰相として手駒は多かったし、多くの騎士団や正規軍を配下に収めてはいたが、親衛隊というか側近にはラーズぐらいしか置いていなかった。
 「お前が殿下をお守りするからこそ、俺はここでやっていたのに」と言わんばかりに顔をしかめて、ラーズを睨みつけたアスナはその隣を通り抜けようと足を勧めた。
 どういう形であり、シュヘンベルグ家が騎士として有力なのは昔からのことで、ナイトオブサーティーン以外にもラウンズとして選出された例はいくらでもある。
 ―まあ、双子でラウンズというのは初かもしれないが。
「席次は」
「ナイトオブツー」
 ラウンズには、一応席次が用意され、ナイトオブワンがトップであるとされているが、実質それ以降の数字で大きく優劣がつくものでもなく、上下関係は存在しない。
 とは言っても、出身や戦での功績なども十分に考慮されてその席次は決定されるため、シュヘンベルグ家の当主の弟であり、シュナイゼルの親衛隊の隊長を務め、戦果を上げてきたラーズには妥当といえる場所だっただろう。
 元々ツーの地位についていたミケーレ・マンフレディは今、ユーロ・ブリタニアの一員となっていたし、その次に任命されていたベアトリス・ファランクスは、皇室の警護全般を担当する帝国特務局の特務総監であり、皇帝の主席秘書だ。
「シュナイゼル殿下はお許しになられたのか」
「……俺、元々、シュナイゼル殿下の専任騎士じゃないから」
 ラーズは力なく笑った。
 そう。
 シュナイゼルの専任騎士ではなく、周りが親衛隊として呼んではいたが、実際には親衛隊とは専任騎士を中心に組織されるものなので、ラーズはあくまでも、シュナイゼルの私兵というだけのこと。
 その中のひとりが、皇帝のラウンズの召し上げられることにシュナイゼルは特段の抵抗感も示さず、ラーズの栄進を送り出したのだろう。
 執着のないシュナイゼル殿下らしいな、とアスナは弟の隣をすり抜けて歩き出した。
「それに、殿下に頼まれたから」
 ラーズがそれに追随した。
「―アスナを助けてやってくれって」
 シュナイゼルの手には未だ、アスナに渡すはずだった専任騎士の証―騎士章がある。
 ラーズがあれほど傍で守りながらも、それが渡されることがなかったのは、シュナイゼルの中にアスナへの未練が残っていたからだろう。
「殿下が……?」
「うん。それにこれは俺の意思でもある。カーリオン騎士団とコーンウォールを俺とアスナの連名の親衛隊にしてもいいって陛下から直接許可をもらってきた」
 アスナは顔をしかめる。
 カーリオン騎士団はラウンズの一人が持つにはあまりにも強大な騎士団となり、一部の皇族や貴族から危険視されていたのは耳に入っていた。
 コーンウォールはラウンズに許される特権―独自のKMFの開発機関として、カーリオン騎士団の内部組織としてアスナが運用していた。
 ―ラーズとアスナが連名でそれを運用するのは確かにアスナとしては権力の集中とか、強大な戦力を持ち過ぎという周りの懸念を遠ざけることができる。
 双子である二人がこうして共同戦線を結ぶことは何もおかしいことではないのだから。
「それは一向に構わん。どうせ、お前のことだ、騎士団長と筆頭騎士を兼任している俺を案じていたのだろう」
「筆頭騎士は俺が引き受けるよ。現場にも俺が行く」
「……なるほど、指揮官席で座っていろということか」
 アスナは弟の意図に笑ってみせた。
「まあ、止めても無駄か」
 気さくに、少しだけ肩から力を抜いたアスナはラーズの肩に手をおいた。
「ありがとう」
「どーいたしまして」
 姉の気の抜いた顔なんて、久しぶりに見たな、と思ったラーズはこの後、ラウンズの控室へと足を運んで起こる事態にすぐにその安心した気分をかき消されてしまった。


「どういうことですか、ヴァルトシュタイン卿!」
 アスナの怒声に、新参だったナイトオブナイン、ノネット・エニアグラムは肩を震わせた。
 彼女はアスナにとっては士官学校時代の先輩に当たるがコーネリアやベアトリスとは違って比較的縁の薄い先輩だった。
「何事だ……?」
 ノネットは正直な話、アスナのことは士官学校でもあまり会わなかったこともあってか、テレビの中のアスナしか知らない。
 世にも美しいとされるブリタニアの白薔薇、第二皇子シュナイゼルの護衛に入っていた少女騎士が、皇帝のラウンズとなり、その国外での活躍は言うまでもなく、今となっては彼女を英雄視し、その活躍がテレビで流れないことはない。
 ――インバル宮で会った時に、接点のない先輩であったノネットを覚えていたアスナに感動したものだ。
 アスナとしては、コーネリアがよく彼女のことを話していたのを覚えていて、それなりに人となりを知っていたというだけのことだったが。
 ノネットの疑問に答えたのはラーズだった。
「ああ、何でも、アスナが担当することになっていたプランをそのまま第二皇子殿下が持っていくことになったらしくて」
 アスナが担当していたのは、エリア12方面軍の統括と、領地拡大のための侵略軍の指揮である。
 これはエリア11侵略後から、アスナが着々と準備を進めていたもので、カーリオン騎士団を始め、シュヘンベルグ家の私兵も動かしての大掛かりのプランで、後は数日後の出兵式を待つばかり―という状況だったのだ。
 それが、ここに来て、皇帝陛下からの勅令。
 ――この第十二方面軍は之を以て、軍機構統括に当たる宰相、シュナイゼル・エル・ブリタニアの指揮下とし、現在之にあたっているナイトオブサーティーン、アスナ・シュヘン・ガル・クラウンはしばらくの間本国待機を命ず。
 それを伝えられたアスナは相当激怒した。
 別に手柄が取られるとかそういう問題ではない。
 手柄などいまさら気にしないし、準備に相当の手間がかかっていたこの計画をごっそりとシュナイゼルに持っていかれたことも気にしてない。
 ――問題だったのは。
「殿下が戦場で直接指揮を取られるというのに、どうして私が―私が、戦線から外されているのですか!」
 厳密にはアスナだけではない。
 カーリオン騎士団ごと、アスナは、ラーズとともに戦線から遠ざけられてしまったのだ。
 まあ、元々、ラウンズが戦場に何度も何度も駆り出されているというのも軍部としては体面がなかったのだ。
 アスナとしても察してはいたが、動き出されるのはまだまだ先だと高をくくっていた。
 ブリタニアはまだまだ他国を占領するための力を必要としており、自分はその力を有している。
 現実、ここに来るまでにいくつのエリアを作ってみせたことだろうか。
 その功績を全て無視しての采配。
 事もあろうに、それを行ったのが―第二皇子シュナイゼルだったという事実がアスナの心に漣を立てた。
「詳しいことは宰相府に赴き、殿下に聞かれよ。我らは間違いなく皇帝陛下の剣ではあるが、陛下は軍部を現在、宰相閣下にお預けになれているのだからな」
「……私は軍機構からも、ラウンズからも外れた存在だと思っておりましたが」
 苦虫を噛み潰したような顔をして、アスナはぎりぎりと歯ぎしりをした。
 まさか、シュナイゼル殿下に、自身を否定されるとは。
 あの方が誰かに祀り上げられて、自分を排したなどとアスナには考えられなかったので、おそらくこれは、シュナイゼルが自分自身の意思で行ったのだ。
「ヴァルトシュタイン卿に話しても無駄だということだけはわかりました。―私はこれにて失礼する」
 アスナは存外あっさりとここでは剣を収めて、くるりと踵を返した。
 ラーズはそんな姉にかける声もなく見送り、ため息を付いた。
(――やり方が、ずるいんだってシュナイゼル)
 何をやろうとしているのか、察していると言わんばかりの表情でラーズはため息をつくと、これからの姉とシュナイゼルの間に起きるだろう冷戦を思って、憂鬱になった。

 ブリタニアではいくら皇帝の権力が絶対であるとはいえど、今後の対策などを考えるときには会議が開かれる。
 最終的な決議を出すのは皇帝であり、それが有する国璽の印がなくては不可能だが、今日催されている会議には第一皇子オデュッセウスを始めとして、成人し、国政や軍事にすでに深い関わりを持っている皇族は当然のように集められていた。
 シュナイゼルは数日後の出兵式を控えていたという事もあって、呼び出されている。
 元々アスナが担当していたプランだ。
 無理もなく、大きな不備など当然のように見つけられず、戦場におけるアスナの多彩さにはさすがのシュナイゼルも手放しで称賛したが、今回ばかりは彼女の才能が憎かった。
 こういった存在でなければ、彼女はここまで登用されなかった。
 アスナの心の深淵を覗いてしまったシュナイゼルはただただ、その才能が悲しい。
 戦うことを余儀なくされる環境が苦しい。
 あの日から、アスナは本国にいる間は毎日のようにシュナイゼルの元で眠った。
 手をつなぎ、涙を流し、シュナイゼルの存在がなくては眠れなかった。
 時に慰めるように抱くことだってある。
 ますます、アスナは自分の離宮から足が遠ざかっていたが、誰もアスナがシュナイゼルの離宮に出入りしているということを、その離宮の人間以外は知らなかった。
 これで、しばらくシュナイゼルは戦場にかかりきりになるためにアスナの元で眠れなくなってしまうが――それも仕方のないことだった。
 アスナが戦場にゆくよりはずっといい。
 もう、二度とあんな顔を見なくて済むのなら。
 会議も終盤に差し掛かってくると、皇帝が臨席していても空気が少しばかり和んでくる。
 話題といえば、シュナイゼルが戦場で実際に指揮を執るということだったが、シュナイゼルはそれに笑顔で応じていた。
 ――すると、ドアの外が少しばかり騒がしい。
「しゅ、シュヘンベルグ卿! お待ちくださいませ!」
「離せ、私はシュナイゼル殿下に用事があるだけだ」
「まだ中では会議が開かれております……もうしばらく」
「駄目だ、私はこの後急用が入っている。殿下はこちらにおられるのだろう」
 外の兵ではもはや止められなかったのだろう、重厚なドアが勢いよく開かれると、リバリーズに身を包んだアスナが黒のインナーガウンのたっぷりとしたフィッシュテール状のフリルを揺らして現れた。
「…………御前失礼致します、陛下」
 アスナは上座に皇帝がいることだけはちゃんとわかっているのだろう、一度膝をついて礼をする。
 会議への乱入は本来あってはならないことだったが、彼女なりにそこは譲歩したのだろう。
「……殿下」
 アスナがそう呼ぶのは―シュナイゼルだけだ。
「何かな」
 何の話をしに来たか知りながらシュナイゼルは敢えて知らないふりをした。
 その態度に気付いたのだろう、アスナは柳眉をしかめた。
「なぜです」
「だから、何が、かな」
 二人の間にただならぬ緊張が走ったのを感じたのだろう、全員がぐと押し黙った。
「なぜ、あなたが直接指揮をされる戦場で私が除外されているのですか」
 ――正直、シュナイゼルも面を食らった。
 アスナが怒りに来たとするなら、シュナイゼルがアスナの長い期間をかけて準備してきたプランを横取りした挙げ句、それを数日前に勅令として出したことだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「君が怒っているのはそちらなのかい? てっきり、君は手柄を取られたと怒るのかと――」
「そんなもの、どうでもよろしい。殿下の手柄になるのなら喜んで捧げましょう」
 シュナイゼルの言葉をピシャリと否定したアスナはシュナイゼルの声を辿って、シュナイゼルの座る席の近くまでやってきた。
「元々は私が立てたプラン。当然、私が戦力にいることを前提としております。私ならば、殿下のお役に立つことができます。――どうか、どうか殿下。改めて、私を殿下の指揮の元で計画に携わらせて頂きたく……」
 アスナは膝をついて懇願した。
 確かに、シュナイゼルもプランを見直して思ったが、アスナがいることを前提としている作戦が使われていたし、アスナも指揮官の立場など早々にユイフェイに投げ出して、自分はとっとと戦場に出るつもりだったのだろう。
 丁度、新型の試作機が開発されたのだとも聞いている。
 戦場を駆ける彼女は美しいと――思っていたが。
「駄目だ」
 シュナイゼルがここまでアスナを突っぱねたのを、会議に臨席していたコーネリアは初めて見た。
 なんだかんだと、シュナイゼルはアスナに甘かったので大抵のことは許したのだ。
 シュナイゼルの明確な拒絶にアスナは顔を跳ね上げた。
 その瞳は大きく見開かれて、まさか突っぱねられるとは思っていなかったらしく驚きが表情を支配していたが、次第に指先が震えた。
「……それは、如何なる理由でしょう。わ、私は―殿下の勘気に触れるようなことをいたしましたか。成果ならば十分に上げております、なぜ、私が、殿下のお傍で戦えないのですか」
 声は震えていた。
 それは哀れだと思えるくらいに震えた声でシュナイゼルに訴えかけた。
 短気を起こしたアスナを追ってやってきたビスマルクとラーズがそこにたどり着いて、その光景である。
 ラーズは頭を抱えたくなった。
 姉が――ある意味、痛烈なコンプレックスとして感じているところを、今までは表層化していなかったそれにシュナイゼルは思い切り触れた。
「もう、十分じゃないか、アスナ」
 そういうシュナイゼルはアスナを見ることができなかった。
 恐らく、見てしまうとほだされてしまう気がしたのだ。
 アスナの涙に押し負けて、自分のもとで戦うことを許可してしまいそうな気がした。
 だから、声が震えているのを知りながら視線は向けなかった。
「君はもう十分戦ったよ」
 シュナイゼルはそれだけしか言わなかった。
「殿下、殿下、私は、ブリタニアの剣です。ナイトオブサーティーンは、皇族の、皆様の盾であり、剣であり、影でございます」
 アスナはシュナイゼルの椅子の肘置きに手を添えた。
 その顔は――すでに騎士の仮面は外れていた。
「そうだ、君は剣だ。――だが、君が振るわれなければならない時期は過ぎた。君は皇帝陛下を守護するという名目で本国に残り、君がいると各国に思わせるのが仕事になる」
「それは……それは、私に飾り物の剣になれと! そうおっしゃるのですか!」
 アスナは必死にシュナイゼルに言い募った。
 ただ、置いていかれることに怯える表情をしていて。
「そうだ。それの何が悪いと言うんだい?」
 シュナイゼルは努めて冷静になろう、と声を出していた。
「抑止力というものは必要だ。だが、その抑止力が直接介入するような場面は今後減っていく、ただそれだけのことじゃないか」
「私は、戦いしかできません。私には、戦うことが全てです。私は、飾り物になどなれるわけがございません。それを、それを否定されてしまったら、私は――」
 その言葉は、完全にシュナイゼルの触れてはならない部分に触れてしまった、とラーズは思った。
 アスナが「戦いしかできない」などと言ってはならなかったし、シュナイゼルはずっとそれを否定し続けてきたのに。
 シュナイゼルにとっては――アスナはそれ以上の存在だったというのに。
「くどい!」
 会議場に響いたその声に、その場の全員が凍りついた。
 いつも優しい微笑を浮かべているシュナイゼルの姿はなく、荒らげられた声は恐らく兄妹であっても、それくらい長い付き合いのあるアスナでも初めて聞いた。
 ――ラーズだけは、一度、アスナがいなくなったことに勘気を起こしたシュナイゼルから聞いたことがあったので、黙って立っていたが。
 アスナが完全に凍りついてしまったことに、シュナイゼルは漸く気付いたのだろう。
 声を荒げてしまった自分の顔を隠すようにして、手を添えた。
「……戻りなさい、シュヘンベルグ卿」
 今日ははじめてのことばかり起こったな、とラーズだけが冷静に考えていた。
 シュナイゼルがどういう形であれ、アスナを「騎士」という形で取り扱った。
 シュヘンベルグ卿と呼ばれたアスナは、それを望んでいたはずなのに――ひどく傷ついた顔をした。
「この際だ、はっきりと言っておこう」
 もう、ここまで来たら、何を言ってもアスナを傷つけることはわかっていたがシュナイゼルにも譲れないことがあった。
「私は、私のいる戦場で君を使うつもりは微塵もない。今後、君は皇帝陛下の元で運用されることになるだろうが――その役割も次第とコーネリアへと移ってゆくだろう。いい機会だ、休暇を取るといい。長らく、失明しているのに酷使しているというのがおかしい状態だったのだから」
 多分、その言葉は半分も耳に入っていないだろう。
 アスナにとって、最もショックだったのはシュナイゼルに使うつもりがないと言われたことだった。
 ――アスナは皇帝の剣だが、心はシュナイゼルの騎士だった。
 あの日の約束に、アスナは生きている。
 恐らく、この場に六年前、アスナがどういった思いであの地獄を抜けてきた知っているものがいたとするなら、全員がアスナへの死の勧告に等しいと思っただろう。
 間違いなく、アスナは今、泣くのをこらえていた。
「…………私は、私は……」
 ――許されないのですね、と小さく呟いた。
 その声は恐らく誰の耳にも届かず、シュナイゼルも普段なら聞き逃さなかったのかもしれないが自分がアスナに声を荒げてしまったショックから耳には入っていなかった。
 アスナはすく、と立ち上がった。
 表情はわからなかった。
 紅く、長い髪がアスナの顔を覆い隠してしまう。
 だが、わずかに覗き見えた唇が震えている。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした。――これにて失礼いたします」
 足取りも確かなままアスナは会議室から出ていったが、その出入り口ですれ違ったラーズとビスマルクは見てしまう。
 シュナイゼルの前だからと必死にこらえようとしていた涙が、早歩きになる勢いのままにこぼれ落ちてしまっているのを。
「――殿下、泣いていたよ」
 ラーズが小さくつぶやくように告げると、その肩がわずかに震えて、そして、長い前髪をかきあげるようにしたシュナイゼルは弱々しく首を横に振った。
「これでいいんだ。――これで……」
 ラーズは別にシュナイゼルの味方ではないから、シュナイゼルを応援するつもりもない。
 アスナとシュナイゼルがくっつくなんて、昔は大層嫌で何回邪魔をしに行ってやろうかと思っていたくらいだ。
 今だって、基本的には変わらない。
 だが。
 今回の件は流石にまずいのではないかと思った。
 アスナを戦場から遠ざけようとしてくれるのはうれしい。
 ラーズだってアスナに戦ってほしいと思ったことは一度もなかったし、アスナが傷つくばかりなのを見ているのはもう辛かった。
 ラーズではアスナを戦場から遠ざけることはできない。
 だから、ラーズはアスナと同じ位置に立とうとした。
 せめて、火の粉の盾になれるようにと。
「ラーズ、アスナを頼んでもいいかな」
「……わかった」
 本来なら不敬ものだが、イエス・ユア・ハイネスは使わなかった。
 だって、今の彼は皇子として言ったわけではないから。
 ラーズはシュナイゼルに背を向けて、アスナを追った。
 双子がいなくなり、シュナイゼルは漸く息を吐き出した。
 まさか、声を荒げてしまった自分に驚かざるを得ない。
 周りの視線が痛くてたまらない。
「シュナイゼルよ」
 父王に呼ばれ、シュナイゼルは顔を上げた。
 それの表情からは何を考えているかは読み取れなかったが、シュナイゼルはアスナが戻ってきた日の伯父の姿を思い出した。
 力なく、憔悴した彼を見たのは後にも先にも今のところはあれ一度だけであった。
 よく見れば、二人の顔立ちは似ていないこともない。
 当たり前だ。
 母親が違うとはいえ、先代ブリタニア皇帝の息子であった伯父と父が似ていない理由がないのだ。
 ―恨むな、と伯父には言われた。
 ―恨みなど、抱きようもない。
 だが、彼がアスナを戦場に駆り立てているのは確かだった。
「あれを人とみなすか」
 その言葉に、シュナイゼルはわずかながら苛立ちを感じて柳眉をしかめた。
 アスナを何だと思っているのか。
 都合よく動く駒などではない。
 いや――一人の軍略家として考えるのなら、アスナは戦場で最も華々しく駆け抜けるナイトだ。
 だが、その裏でどれほどアスナが傷つき、嘆き、絶望しているのかと思えば、シュナイゼルはアスナをチェスの駒のように単純に動かすことはできない。
「それが逆にあれを追い込むこともあり得るぞ」
「……それは、いかなる意味ですか、父上」
 一人で苦悩して、戦いに打ち震えるアスナを知らないからそういう事を言うのではないか。
 こればかりは父の真意を測りかねた。
 シュナイゼルが意図を読みかねていることがわかったのか、それとも単純に会議が終わったが故なのか、シャルルは立ち上がる。
 それが会議の終了の合図となり、一人、また一人と会議室を後にしていく。
 ―最も多忙であるはずのシュナイゼルが唯一人、会議室に留まり続けていた。
 ただ、言いようもない気持ちは消化しきれなかった。
ALICE+