平穏アイロニー

 紅離にとってはレジスタンスのメンバーは生まれたときからともにいるものが大半だった。
 母親は世界帝の支配に早くから反抗して、父親と共に紅離を宿した身重の状態でこのレジスタンスに参加していたのだと聞いた。母親は特殊な人だったようで、マスターとなり、古銃たちを貴銃士として呼び覚まし彼らと共に戦った。それは、決して使役ではなくあくまでも彼らと共に戦う共闘者として、一人の母として自らの力で呼び覚ました彼らへの自愛の象徴だった。
 父はそんな母に大層心配していたが、誰も母を止められなかったのだ。貴銃士たちですら母を止められず、何度も戦場に行ったという話を聞かされる。考えてみれば、確かに紅離も母によく似ているのだろう。作戦指揮や治療だけではなく、自ら戦場に出て飛び出して行ってしまう。タバティエールやラップなど多くの貴銃士たちが彼女が戦場に出ることに良い顔はしない。

「ははは、Jrは本当にマスターに似ているな」

 軽快な口調でそう語るのはカールである。カール五世が愛用していたホイールロック式二連拳銃である彼は前マスターである母がよくそばに置いていた銃だった。母は代わる代わる、拳銃たちを傍に置いて、それなりに身辺に気を使っていたらしく、カール五世は母が二番目に召銃した銃であったこともあってか、付き合いも長い。自分が子供の頃から知っている彼は――人間ではないから当然ではあるが、以前から外見が何一つ変わっていない。
「そんなに似てる? 外見的には父さんだって言われるんだけど」
「うん、確かに彼にも似ているかな」
 カールは紅茶のカップへ手を伸ばして、いつものように笑ってみせた。父はガタイの良い傭兵だったようで、紅離は小柄で、華奢だったという母にはあまり似ていない。女性にしては背も高く、筋肉も付きやすかった。顔立ちはどことなく母の面影があるような気がしなくもないが、それでも目鼻立ちがはっきりとしているのでどちらかと言えば父に似ているような気がする。――いつだったか、母は女の子は父親に似たほうが幸せになれる、とかなんとか言っていたような気がするが、紅離がふと思ったのは父親に似すぎたせいで、こんな男勝りになったのではないだろうか。などと、考えていて、カールがあっさりと釘を刺した。
「言っておくが、君のその活動的なところはマスター似だ。君の父親は歴戦の傭兵ではあったが――実に慎重で、人当たりのよい男だった。少し、顔は厳つい感じだったが」
 無謀と勇敢を履き違えるような行動力を持っていたからな、と少し遠くを見るようにしていうカールに紅離はうむ、と指を組んで考えるための姿勢になる。組んだ手の上に顎を乗せる。腰に下げられている刀は母の唯一の形見だ。その隣につけられているホルスターに下げられている銃は父の愛用品だ。二人がなくなった時に、二人のものは大半処分してしまったが、二人の魂とも言える武器だけは捨てることができずに連れている。
 この無銘の銃こそ、紅離にとっての自分の懐に忍ばせている銃と言える。どんなピストルたちも傍にはおかず、この銃だけが紅離の最後の砦としてそばにいた。貴銃士にすらなれない銃をカールは眺めて、笑ってみせた。
 カールの記憶が正しければ、紅離の幼い頃にはサングラスはなかった。
 いつからか、サングラスを掛けていなければ、紅離は貴銃士たちと目を合わせられなくなっていた。タバティエールが来る、ずっと前の話だ。貴銃士と話をしようとして、過呼吸になってしまった彼女は暫く部屋から出てこれなくなってしまった。皆が心配し、声をかけようと部屋の前を訪れ、ノックをし、声をかけたり、食事の差し入れをしようとしたが彼女は頑なに心を閉ざした。今、カールとこんなふうに紅茶を飲みながら、雑談ができるようになったのも本当につい最近になってから。こうした時間を過ごせることに、カールは懐かしさを感じるのだ。


 紅離は紅茶を飲んだ後、夜も更けてきたからそろそろ休むといい、そうカールに言われて食堂から自室もある衛星室に向かってゆったりとした足取りで歩いていた。紅離が小さい頃はこの基地ではなかった。もっとちゃんと基地らしい体裁を保っていたが、あの日、世界帝軍に基地が見つかって襲撃を受けた。

 ――燃えていた。
『マスター! 何をしているのです!』
 退避を、と叫ぶのはラップの声だった。紅離はカールに手を引かれていた。待ってくれ、という声は彼には届かなかった。足を止めようとして、振り返りざまに母の姿が見えた。燃えるような夕日色の髪をなびかせた母はいつもの愛用の刀を握りしめて笑っていた。最期まで、笑顔の絶えない人だった。何てことのない、ただの日常の一部であるかのような笑顔。また、あっさりと帰ってきて、ただいま、と言ってくれるようなそんな気がしてならなかった。
『母さんっ!』
 叫んだ声に返事はなかった。
 母の唇がバイバイ、と小さく動くのを見たのを最期に、カールたちに連れられて紅離は戦場から離脱した。それからは今の基地に着くまで、ずっと姿を隠しながら、世界帝軍に見つからないように毎日必死だった。
 その道中で、紅離の手の甲に痣が出現した。
 その薔薇の痣は貴銃士たちを従えるマスターの証。母のものと形が少し違うが、紅離は自身の中に今までとは違う何かが流れ込んだことを察した。貴銃士たちの治療をすることができるその特殊な力が流れ込んできたことは――母が死んだことを意味していた。受け入れがたく、紅離は何度もその手の痣を傷つけ、消そうとした。違う、違うんだ、この痣は違う。貴銃士たちを治すためのものじゃない、偶然戦いで傷がついただけなんだ。戻って母を探すのだと必死に貴銃士たちに訴えたが、誰一人として紅離にそうはさせてくれなかった。本当は彼らだって母を探したいはずだった。だって、彼らにとってのマスターは母一人だけだったから。紅離はマスターじゃない。
 今の基地に移って、すぐに貴銃士たちは母の捜索を始めた。だが、母の遺体は見つからず、焼け落ちた母の服の一部や、刀が落ちていただけ。そこに、折れた一挺の古銃もあった。

 それからだ。
 紅離がサングラスなしでは、貴銃士たちと話しができなくなった。

 彼らにそんなつもりはないはずだ。ただの紅離の被害妄想だった。
 我々のマスターは、君の母以外にはいない。
 彼らと目を合わせる度にそんなことを言われている気分になって、自分を心配してくれたブラウン・ベスの手をはねのけてしまった。自分を心配してくれた彼の手を払い除けてしまったことがショックで、目の前が真っ暗になった。彼らの声が遠くに聞こえる。
 いっそ、誰かに責められたかったのかもしれない。
 お前のせいだと、いっそ言われてしまったほうが楽だったのかもしれない。貴銃士たちは誰一人として紅離を責めようとはしなかった。皆が心配してくれることが心の負担になってしまった。誰も悪くない。悪いのは受け入れられない自分の弱さだった。部屋の外へ出ることを拒んだ。食事を拒んだ。誰かと接することを拒んだ。
 その時に、父の遺品だったサングラスを見つけたのだ。
 彼らと目が合わないようにすればいい、そう思ってサングラスを掛け始めた。少しでも、自分を強く見せたかったのかもしれない。弱い自分を隠したかったのかもしれない。サングラスをかけて、髪を三つ編みにした。背筋を伸ばして、凛としているように見せる努力をした。そうして、彼らの前へ一歩踏み出した。
『今日から、俺が、あなたたちの治療と指揮をする。でも、あなたたちのマスターは母一人だけでいい』
 誰のマスターにも自分はなれない。なれるはずがない。
 彼らの指揮もとる、彼らの治療もする。痣が出ているものとしての責任は果たすことは決めた。けれども、彼らにマスターと呼ばれる資格だけは自分にはない。皆が何かを言いたげに、自分を見ていたことは知っている。それでも彼らはそれを受け入れてくれた。
 ――そして、紅離は、タバティエールを召銃した。

「マスターちゃん」

 自分を唯一マスターと呼ぶその貴銃士の声が聞こえてきて、紅離は振り返った。彼はうっすらとタバコの匂いをまとっていてもしかしたら、先程まで吸っていたのかもしれない。
「整備士のおっさんたちと話してたらマスターちゃんを見かけてさ。……散歩なら、付き合うぜ?」
 さり気なく、肩にショールを掛けられる。確かに気づけば寒さを感じるような気がする。こういった気遣いできるところがこの男のいいところだろうか。紅離はうっすらと笑って、サングラスを外す。琥珀のようなアンバーアイがゆっくりとまばたきの後に、タバティエールを映した。琥珀の瞳をゆっくりと空へと映すと昏い空にぽつぽつと煌く星がよく見えた。
「ちょっとだけ、散歩に付き合ってくれるか?」
「もちろん」
 紅離は静かに歩き出した。タバティエールは困ったように笑ってその後ろをついていく。あんまり、暗いところに行っちゃだめだよ、というタバティエールの声に紅離はゆっくりと振り返りながら笑った。
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