ジェノスさんに見送られて、部屋に戻る。



ドアががチャリと音を立てて閉まった瞬間に、膝から崩れて廊下に突っ伏してしまう。

涙をこらえることが出来なかった。
あげくジェノスさんに嘘をついてしまった。






わたくしは、今日を最後にお2人に別れを告げる。
ヒーロー協会へ、出頭することにしたのだ。


きっともうここへは戻ってこれないだろう。お2人にももう会えない。
サイタマさんと近所のスーパーへお買い物へ行って、体を寄せると恥ずかしがって離れていくサイタマさんも、わたくしを手伝って甘やかして下さるジェノスさんにも、もう会えない。

涙が止まらない。わたくしはそれほどまでにこの場所へ依存していたのですね。

黙っていなくなることを許してください、最後だけは楽しく過ごしたかったんです、きっとお2人はわたくしを引き止めるから、黙ってここを離れます。今まで本当にありがとうございました、お2人に会えてわたくしは幸せでした。

強くて、いつもどこかとぼけていて、でもしっかりとした芯のあるサイタマさんが大好きでした。

優しくて、人の気持ちを汲み取って下さるジェノスさんが大好きでした。


嘘をついてごめんなさい。友人が亡くなったなんて嘘なんです。そうでも言わなきゃ、ジェノスさんはきっと信じてくださらないから...嘘を見抜くのがとても上手いですものね。

溢れてくる涙を止められず、嗚咽が漏れないように両手で口を抑える。この部屋の景色も、もう終わり。

職場には嘘をついて退職願いを出した。
不動産屋にも連絡をして、引越し業者や退去費用は後日に、とお願いもした。

必要な物をまとめて、このまま寝ずに、朝を待とう。日が登ったら家を出て、ヒーロー協会の本部へと向かおう。




さようなら、サイタマさん

貴方に会って、わたくしは過去の悲しい出来事も精算出来るくらいに幸せな日々を過ごしました。長く続くであろう時間に光を見出すことが出来ました。

貴方のことは忘れません。
本当に、ありがとう。


永遠に、さようならです。

貴方がいたから、わたくしは。




うっすらと空にオレンジが差した。わたくしは必要最低限の物を持って、それをボストンバッグへ詰めるとそっと家を出た。
朝特有の、ほこりも舞っていない澄み切った空気が頬を撫ぜて、わたくしの心に沈んでいる、おふたりへの名残惜しさを払拭して、前に進ませた。

さようなら、サイタマさん、ジェノスさん。



さようなら。







































「ふわぁあ...、あれ?俺寝てたのか...。」


明け方、5時半。

昨日は久しぶりの酒も少しだけ飲んで、うまい飯を食って寝落ちしたみたいだった。さすが弟子、俺を布団の上に移動させてくれたみたいだ。ありがとな。

ジェノスは隣に敷いた布団に寝転がってくうくう寝息を立てている。

昨日の痕跡は何一つ無くて、きっと俺が寝た後に○○とジェノスが片付けてくれたんだろう、と思った。昨日そのまま寝てしまったからか口内が気持ち悪くて、ジェノスを起こさないように洗面所へと向かい歯磨きをする。少し外の空気が吸いたくなって、ベランダに出る。

今日は天気が良さそうだ。
青々とした空からは、日が昇ったのかオレンジの朝焼けが溶け込んでいる。

○○にも後でお礼言わなくちゃなあ。


あ、サボテンの花が咲いてる。
なんか、今日はいい日だな。



































ヒーロー協会の本部がある街へは初めて来た。

近くの喫茶店に入って、なにか食べる気にはなれなかったから、コーヒーを注文して、ヒーロー協会本部が開く時間まで待つ。

少し離れたその店の窓からも、重厚な建物が見える。黒々としていて、まるで何かの要塞のよう。窓も一つもない。

今からわたくしは、あそこへ行くんだ。
少し怖くなって、気を紛らわせようとスマートフォンにイヤホンを繋いで音楽を聴く。2、3曲目のところで、目の前の椅子に誰かが座り、俯いていた顔をあげた。



「え...。」

「しょげた顔をしているな、○○。」

「...ソニック、さん。」



目の前には、黒いTシャツに黒いカーゴパンツといった全身真っ黒なソニックさんが居た。ソニックさんはコーヒーを頼むと、頬杖をつきながら窓の向こうを見やる。ヒーロー協会本部を見ているのだ。



「あの時に言ったはずだ、俺はお前が拒絶するものからお前を守るとな。自ら死にに行くようなバカとは思わなかったが、無理矢理に引き止めることはしない。」

「ッ......。」

「別に止めはしないが、あいつらもそれなりに調べがついているだろう。あんなおかしな誤魔化し方は無い。

お前の存在はもう認識しているだろうし、お前がどういう性格かも理解してあれをやった筈だ。お前の存在をおとぎ話に仕立てあげて、ヒーロー協会でイェルクヴェインの血を管理するつもりだろう。...自ら籠の鳥になるというのか?」



ソニックさんは注文したコーヒーをブラックのまま一口飲むと、バサッと週刊誌をテーブルへ投げた。開けたページには、

【ヒーロー協会、例の不老不死は事実無根と主張。出回っている話は実はガセ?】

【噂の女子高生にインタビュー!「女の人は見かけたけど、口移しは嘘」衝撃の発言】


と書いてある。どうやら、ヒーロー協会が発言者の女子高生2人を買収したようだ。街からは件の噂も無くなり始め、いつもの日常が戻ってきつつあった。



「...年々怪人の数は増えている、同じくヒーローの数も増えてはいるが、本当の実力者なんてのはごく僅かだ。そのヒーローを、ヒーロー協会も逃がしたくはないんだろう。その為に、○○、お前のその不老不死の力が欲しいんだ。」


「...ですが、それが結果的に平和に繋がるのであれば、わたくしは、いいんです。」

「.........。」

「こんな力があるのに、逃げ回って、隠れて、目の前で苦しんでいる人を見て見ぬふりして...。そんなの、きっとよくありませんもの。...いいんです。きっと、誰かを救うために、神様がこの力を下さったのですから。」

「...そうか。」



ソニックさんは不服そうであったが、それ以上何も口を挟んでは来なかった。
お互いに、今は話す雰囲気では無い、と感じ取って、ただ黙ってコーヒーを啜っていた。
ただ1つ違うのは、ソニックさんがテーブルに置いたわたくしの手を、空いた手で優しく握ってくれていたこと。ただそれだけで、わたくしはもう何も怖くありませんよ。

お互いにカップがカラになった時には、時刻は朝の7:30を差していた。

街にはスーツ姿の人がちらほら増え始めて、街が目を覚ましたんだと気付き、合図するようにソニックさんの手をぎゅっと握る。



「...行きますね。」

「.........。」

「ありがとうございました。ソニックさんが居てくれなきゃ、きっと怖くなって逃げ出していました。」

「...まともな生き方はできない。空すら見えない鳥かごだぞ。いや、もっと地獄を見るかもしれん。それでも行くか?」


「...ええ、地獄なら、とうに見ましたから。」

「...わかった。」



ソニックさんは黙り込んで、会計シートをくしゃっと掴んでわたくしのぶんも払って下さると、わたくしの腕を引いて、ビルの奥の、人気のないところへと進む。
早足のそれに、身長差が幾分もあるわたくしは小走りでついていく。
ヒーロー協会の裏手のビルにある立体駐車場に入ると、そこには車は停まっておらず、誰もいなかった。

ソニックさんは、わたくしを柱へと追いやって、唇を噛み締めて俯いている。



「...ソニックさん、」
「......。」

「ありがとうございます、こんなわたくしに、優しくして下さって...。でも、決めたんです。わたくしも、誰にも知られなくていい、誰かのヒーローになりたいって。

...だから、行きます。」



(がばっ!)
「わっ...!」

「お前のそれは、もはや呪いだ!なぜ周りの人間に頼らんのだ?!匿ってくれる人間がいるだろう!!」

「そ、そにっく、さ」

「俺は既に調べがついている!!お前は、巨大な水槽に沈められ、いくつもの管に繋がれてそこからもう2度と出ることは出来ない!!!」

「!!」

「それでも行くというのか?お前は、誰にも知られること無く、この先その何千年という余生が終わるまで、血の呪いに縛られて、朽ちていくんだぞ...!!」



突然に抱きしめられて、腕からボストンバッグがするりと抜けて、コンクリートに鈍い音を響かせる。ソニックさんの腕は少し痛いくらいに締め付けてくる。

そうでしたね、ソニックさんは暗殺や密偵が主な職務内容でした。
ソニックさんは、それを知っても尚、わたくしの意思を最後まで尊重して下さったのですね。わたくしが、自分で逃げるまで、待ってくださった。
...そっかぁ、わたくしはやっぱり、もう目を覚ます事などなく、ずっと、繋がれ続けるのですね...。




「ソニックさん。」
「なんだ。」

「...わたくしは、人間で言う8歳頃の時、家族を殺されましたわ。」

「...知っている。俺をナメるな。」

「わたくしは、祖先が契約をしたヴァンパイアによって保護され、そこでも、辛い思いを沢山しました。」

「...ああ。」

「ですが、誰も憎むことはしなかったのです。死に際、お父様が仰ったのです。」



【人を、憎んではいけないよ】



「わたくしは、あの言葉をいつも胸に置いてあります。それがあったから、今の自分があるのだと思っています。だから、サイタマさんや、ジェノスさんや、ソニックさんに出会えて、こうして、ソニックさんに心配して頂けるのだと思っています。」

「馬鹿め。」

「わたくしは誰かに今までの恩を返したいのです。きっと神様が、誰かを救うためにこの力を授けて下さったのだと思っています。」

「はっ、大馬鹿めが。」

「わたくしは、充分な幸せを頂きました。もう、いいんです。ありがとうございます、ソニックさん。」

「........気持ちは揺るがん、か。...いいだろう、だが、契約は続行だ。お前が拒絶するものからは、お前を、守り続けてやる。...必ずだ。」



ソニックさんは、諦めたように唇を結ぶことをやめ、代わりに、わたくしを抱きしめていた腕を解いて、両手をズボンのポケットに突っ込むと、外にあるヒーロー協会本部を睨む。

わたくしは落ちたバッグを拾って、肩にかけ直す。



「○○。」

「? はい。」
「...死ぬなよ。」

「......はい、ん、むっ!」


「ッククク、色気のない奴だ。」



ソニックさんに呼び止められて、振り返る。ソニックさんはいつにもなく真剣な表情でわたくしを見つめた。ソニックさんの問いかけに返事をすると、唇に柔らかいものが押し付けられて、すぐに離れたそれに驚いて目を瞬かせると、そこには口に手を当てて笑いを堪えるソニックさんがいた。



「も、もう!ソニックさ......あれ?」



言い返そうとした時には、既にソニックさんの姿はそこになかった。さすがは音速のソニックさんですわね。

...引き止めて下さったのに、その気持ちを蔑ろにしてしまい、すみません。わたくしは、今のわたくしのお知り合いがみんな大好きです。だから、今のわたくしの大好きな人たちを守れるのであれば、何も迷うことなど無いのです。

きっと、ヒーロー協会がわたくしのことを知っているのであれば、ヒーローを誰か派遣して、わたくしを捕らえに来るでしょう。それならば、わたくしから向かいます。たとえ、この先 光を見ることがなかったとしても。自分の呪いで、誰かを救えるなら。







ヒーロー協会本部への、長い長い階段を登っていく。

出社する人たちはもうみんな建物へ入ったのか、その広大な敷地にあるこの登り階段には、わたくししかいない。

最上段まで登り、ふと後ろを振り返る。
街が一望出来るくらいまで登ってきたようだ。

わたくしは、見えはしないけれど、Z市の方向を見つめて、大好きなお2人の姿を思い浮かべてから、巨大な自動ドアを潜った。






サイタマさん
ジェノスさん
ソニックさん






さようなら。