融解した見解の相違
地中深くに引き籠る半人魚が、妖艶な微笑みを携えて淡々と言い放った。
真夏だというのに地上世界とは隔離されたこの研究室はやけに涼しく、季節感を狂わせる。そしてこの半人魚は遠慮と云うものを持ち合わせていない。それらを掛け合わせたところで生み出されるものは混沌とした情景であり、魔法界屈指の不可思議な光景でもあった。
「ねぇトム。貴方、マグルの文化に詳しいでしょう?」
これがこの女からの発言でなければ、舌打ち程度で済ますことは出来なかっただろう。
蝋燭の橙色の炎に熱せられた灰褐色の液体が、丸底フラスコの中でコポコポと音をたてる。蓋はゴム栓とそれに付けられた細い硝子製の管で、その管の繋がる先はその隣の新緑色の液体の入った別の丸底フラスコだった。
目の前の半人魚は歯車をいくつも付けた大きなゴーグルをかけ、マグルの実験器具を興味深そうに見守っている。
「よかったな。お前じゃなければ呪いをかけていたところだ」
「特別扱いしてくれるの? なら、もう少し調子に乗った方がいいかしら?」
「せめて感謝くらいしてからにしろ」
何の生産性もない他愛のないやりとりと、生産性など考慮されていない個人的実験、生産性よりも僅かな可能性を信じ続ける得体の知れない研究者。地下深いこの半人魚の研究室で生み出された数々の魔法具は、陽の光を浴びることなくその存在を消されるのだ。更なる進化と、更なる発展のために、何度も何度も古代の文字を刻み込まれる。半人魚の気が済むまで、半永久的に。
それは薬草や魔法具たちにとって拷問に近いものかもしれない。小刀で切り刻まれ、押し潰され、液体を絞り取られ、鍋で煮られ、純度の高い液体を抽出するための蒸留装置に掛けられ、そして葬られるのだ。数値を計るためだけに、記録として残すためだけに、この異形生物である半人魚の執着心を満たすのだ。
この不可思議な化け物が生み出す魔法は、趣味嗜好に偏ったものばかりで実用性など皆無である。
「お前がお茶の時間よりも大切にしているものがあるだなんて初めて知ったよ」
「まさか? あなたの時計が刻む時間と私の懐中時計の刻む時間に齟齬があるのは当然でしょ。定刻通り、お茶の時間はお茶の時間にやってくるわ」
女は作業台に置かれていた難解な魔法の掛けられた懐中時計を指さしただけで、時間を確認することもなく平然と言ってのけた。
一魔法使いの刻む時間と、永い時を生きる半人魚の刻む時間は、多少の接点があったとしても、永遠に寄り添い続けることなど出来ないのだ。ただの魔法使いと、異形生物の寿命には大きな差が生じる。ただの魔法使いにとって永遠の命とも思える人魚の寿命は、暗い湖底に住まう半人魚にとっても半ば永遠のものであった。
「その研究は、そんなに大事なものなのか?」
「えぇ。とっても」
「ゴミを量産しているとしか思えな……」
溜め息交じりで呟きかけた時、頭上から破裂音に似た爆発音がこの研究室内に響いた。振動する空気の波が鼓膜を震わせ、脳内に反響する。作業台の実験器具たちは微かに揺れ、爆発の衝撃で背の高すぎる本棚から零れ出た本たちは研究室内の床に落ちる寸前のところで、浮遊魔法により本の海が出来上がった。
そして俺の周りを取り囲う蝋燭たちは皆コバルトブルーの炎を纏い、恨めしそうに蜜蝋を滴らせる。
「……そのランタン、私のこと好きすぎるみたいなの。御免なさいね、悪気があるわけじゃないと思うから」
化け物が指で元真鍮製のランタンだと思われる物体を呼び寄せた。相変わらず歯車のいくつも付いたゴーグルを掛けたままだが、今回の爆発に関しては多少なりとも驚いているらしい。その証拠に、二本の脚は美しい鱗に覆われた人魚の鰭に戻っている。
「……失敗作もここまでいくと清々しいな」
「どう考えても大成功でしょう。予期せぬ発見が発明の鍵を握るのよ。この子の仕組みは……解明の余地があるのが嬉しいくらいだわ」
そう言うと半人魚は作業台に広げていた実験器具を端の方に押しやって、元真鍮製のランタンを空いたスペースに載せた。嫌な焦げ臭さと共に、ランタンに接触している箇所は次第に焦げ目をつくり、溶解した黄銅は未だ俺に向かって攻撃の意を示す。
「……解明の前に処理をしろ。話はそれからだ」
「……処理じゃなくて修復よ。何年この子を連れ添ってると思ってるのよ。半世紀ぶりの見事な爆発だったわ」
無言の防御呪文をランタンの周囲に掛けていたおかげか、こちらにその熱が伝わってくることはなかった。作業台が犠牲になったにせよ、被害は最小限に抑えられている。
半人魚は笑いながら「たまにね、この子爆発しちゃうのよ」と言ってから「部屋中に防御呪文掛けておいて正解だったわね!」と嬉しそうに周囲を見回した。一見のんびりしているようで忙しなく働く気球型のシャンデリアは、爆発に巻き込まれた漂う本たちを本棚に押し戻している。俺の周囲で警告を発していた蝋燭たちもまた、彼女の振るう指先に示され本を戻す作業へと戻った。
「……そろそろお茶の時間ね。準備しないと」
真鍮製の懐中時計を覗き込んだ女が、指先をくるくると回した。
永い時を生きる人魚にとっては半世紀ぶりの爆発でさえ、それ程大きな問題ではないらしい。この半人魚の生きる世界は、研究とお茶の時間によって構成されているのだ。
研究室内に浮かぶ数々の本と蝋燭の間を縫うように飛んできたティーカップが、女の手中に収まった。鰭は脚に戻ることもなく、女は人魚の姿のまま紅茶を堪能している。何を言うわけでもなく、時折目を細め、愛おし気な表情で元真鍮製のランタンを見て紅茶を嗜むのだ。
後述になるが、あのランタンに古代の文字は刻まれていない。ただ複雑な、難解な闇の魔法が掛けられているという。
あのランタンは女がホグワーツへやって来た時から女の周囲を浮かんでいたらしい。ホグワーツ城に住まうゴーストに訊いた話ではあるが、噂程度で放っておけるものではない。
永遠の命と云うものがもしもあるとすれば、意思を持つ再生可能な物体こそ、不老不死と呼べるのではないだろうか。もしかするとあのランタンこそが俺の探し求めていたモノに一番近いような気がして、半人魚の研究内容とこれまでのあの化け物の行動を反芻した。
永久機関と、いにしえの魔法と、意思を持つ魔法道具の生成。そして魔法とルーンの相互研究作用。
あの半人魚が作り上げた魔法具に練り込まれているであろう物質は、生贄と呼ぶべきか否か。答えはまだ出なかった。