地下に刻む永遠

 お茶会と云う名の逢瀬はこれで幾度目のことだろうか。俺は視界の端に捉えた角砂糖の入った鬱陶しい小瓶と歯車の装飾が施されたトングを手で払い退け、漂う蝋燭を横目にカップを口元へ運んだ。この異常な光景に慣れたのは、甘すぎる紅茶に舌が順応してからだった。目の前で優雅に紅茶を飲みつつ読書をする半人魚が、ふと、顔を上げる。
「ねぇ、そんなに難しい顔してると早く老けるわよ」
「化け物は老けることがないから羨ましいな」
 優等生の皮を被るのはもう辞めた。研究室兼自室と云うこの場所で、今宵も始まるスリザリンの継承者と古代ルーン文字学教授のティーパーティー。ネルの語る秘密の部屋への侵入経路は水中人でもなければ到底不可能なものであり、尚且つあの部屋を「秘密基地」と呼んでいるくらいだから、所詮こんなものは退屈凌ぎでしかないのだ。俺にとっても、目の前の半人魚にとっても。
 今でこそダンブルドアによって監視を余儀なくされ、満足に動くことも出来なくなったが、教授の一人を懐柔したとなれば再び開くことも容易いだろう。秘密と云うものを共有すれば誰もが親近感を抱く。そしてその、秘密と云うものが互いを縛るのだ。どこかに漏れれば都合が悪い。だからこそ、人知れず育まれるものもある。
「化け物って……伝説上の生物に対して失礼だと思わないの?」
 脚を組み直しながらこちらを一瞥したネルは、浮遊魔法のかけられたティーポットに紅茶のおかわりを要求し、満足そうに口元に弧を描いた。その仕草が、得意気な表情が、筆記試験の点数を自慢する学友と重なり、「伝説上の生物」よりも「化け物」表現の方が気に入った、という証明でもあった。
 先程告げた言葉は、厭味でもなくただの本心だ。開心術を使う必要性など感じさせない程、この半人魚は愚直だった。ただの言葉遊び。それ以上でも以下でもない。

 蝋燭が自由に空中を漂うこの空間で、水音だけがやけに響いていた。背の高すぎる本棚と、真後ろの歯車がいくつもついた蒸気機関装置は音を発さず煙だけを吹き出している。カップをソーサーに置く音はそれほどでもない。一滴、一滴と床に滴る湖から染み出た水音だけがやけに響く。しかしその音がどこから来るものなのか、いつも分からなかった。
「……卒業したら、ホグワーツで働きたいと思っているんだが」
 計画は進行中である。今回の件もそれの一部だ。教師陣からの信頼も厚い優等生ならば、是非教授にと推薦されることもあるだろう。けれどそれを確実なものとするためにも、仲間は多い方がいい。幸いなことにこの半人魚は現校長が入学してきた時既に教鞭を振るっていたそうだ。これを化け物と言わずなんと呼ぶのか。
「人生相談なら他を当たって。私、そこまで貴方に興味ないの」
「お茶会仲間が減ったとして、ネル、お前の退屈凌ぎは何になる?」
「研究と、……研究かしら?」
 これ程までに永い時を生きると、衰退の一途を辿るだろう。この女のことは噂程度でしか聴いたことが無い。本人の口から発されるのはいつだって「お茶会」と「研究」についてであり、これらはほぼ本人の意思ではなく義務なのだ。暇を持て余した半人魚の退屈凌ぎ。健全性は不在だ。
「賢者の石は、研究で作れるのか?」
「フラメルが作ったじゃない。何を今更」
「ネルは一体いつまでこの人生を繰り返すんだ?」
「さぁね。死ぬまでじゃないかしら?」
 繰り返す、と云う言葉にすら訂正を加えない。それ程まで寿命を持て余す半人魚。死と云う概念が存在しないのか、それとも単純に恐怖心がないだけなのか。
「はっきり言いなさい。歯切れの悪い男は嫌いなの」
 響く水音が心底鬱陶しいと思った。一滴、一滴とこの場で主張を続ける水音の正体が何であろうとも、俺には到底窺い知ることなどないであろう。
 蝋燭の炎はコバルトブルーに燃え上がり、眼前の化け物を取り巻く彼らが一様に警告を発する。溶けかけの蜜蝋が白いテーブルクロスを汚した。けれど、ネルは言葉の続きを促すようなゆっくりとした動作で口元に弧を描く。
「人魚の肉を喰うと不老不死になる……そう文献には書かれていた。だとしたら半人魚の場合はどうなる?」
「それは質問? それとも被検体になりたいって云う志願かしら」
 人魚の肉を食すと永遠の命を手に入れられると云う伝説。不吉の象徴と云われ、マグル界では多くの者に恐れられ、それと同時に多くのコレクターに高値で取引される生きる伝説。その為に人魚たちは乱獲され、魔法界からもマグル界からも追われる身となった。そしてその血を引く半人魚もまた、ホグワーツ城の湖で快適な幽閉生活を送るのだ。
 生徒を唆し、非道徳的な遊び相手を獲得し退屈凌ぎに付き合わせる。被検体として扱い、己の研究の成果をその目に焼き付ける。人魚は不吉の象徴であり、その歌声は多くの者を魅了する。
「恐れはないのか?」
「何を恐れる必要があるの? 可愛い生徒の知的好奇心を潰すなんて馬鹿げているわ」
 漂うランタンがゆっくりと化け物に近付き、撫でてほしそうに擦り寄った。ランタンの炎は未だ警告など発さず、橙色に揺らめく。白く細い腕がランタンの上部に優しく触れた時だけ、紫の炎を燃え上がらせた。
「けど、その前に質問。ねぇ、トム」
 弧を描いた唇が、ゆっくりと開かれた。ネルの言葉を反芻する。――不老不死になったとしたら、何がしたい?
 その問い掛けには、どうやら答えられそうにもない。初めて名前を呼んでくれた日に、初めて訂正を加えた。袖の中に隠した杖がその存在を主張する。杖を向ければ、この女は抵抗を見せるだろうか。
 滴る水音が床を打つ。新たな名が歴史を刻むように、一滴、一滴と響き渡った。飲み干した紅茶はやはり甘くて、舌には馴染むが好ましくはない。