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古い木製の建物は歩くたびに板が軋み、静かな廊下に靴音を響かせる。目は前を見据えながらも、頭のなかではぼんやりとこの数年の自身の姿が浮かんでいた。永遠に続くように感じた厳しい訓練の日々は、全身の筋肉を大きく成長させ、随分と体力もついた。入団初期は頻繁に起こしていた貧血も、いつの間にか起こさなくなっていた。

「…強くなった、大丈夫。」

厚くなった手の皮の感触を確かめるように、手を握る。視線を前に戻せば、同期生が教官室から出てきた。その顔は緊張か、安堵か、よくわからない表情。こちらに気づき、本人は笑顔になったつもりのようだが、目と口元がちぐはぐな、微妙な笑顔だ。

「僕の次は君だったんだね、なまえ」
「ええ。…随分緊張していたのね。」

なまえの指摘に、男の微妙な顔が、さらにおかしな表情になった。図星をつかれたことの恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをし、すれ違いざまにそっと肩に触れる。

「なまえも、もちろん駐屯兵団だよな。」
「…」

離れていく姿に振り向くことも、返事をすることもなく、前を見つめる深い湖の様な色の瞳には緊張も、焦りも、恐怖心もない。あるのは喜びか、怒りか。心から湧き上がる気持ちを抑え、口元は静かに微笑む。

「なまえ•みょうじです。」

室内からの返答の声を確認し、扉を開き素早く入室し素早く敬礼する。訓練の賜物だ。

「ああ、楽にしてくれ。」

にっこりと微笑みながらも、いつも通りの鋭い視線には昼から続く面談の疲れは微塵も感じさせない。長髪を一つにまとめ、全てを見透かされそうな眼光をわずかに和らげてくれているであろう眼鏡を掛けた初老の女性、教官長は楽しそうに手元の資料をめくる。

「さて、なまえ。訓令兵団解散後の希望所属先とその理由を聞きたい。君の最終試験の結果は21番目だ。わかっていると思うが、選べる先は2つに限られる。」
「はい、教官長。私は調査兵団への入団を希望します。」
「ほう、調査兵団か。今期の女性訓練兵で希望したのは君が初だよ。理由は?」

調査兵団出身の教官長は意外そうな表情を浮かべながら、目を細めた。

「私は、巨人を見たことがありません。なので、実際に見てみたいという気持ちもありますし、巨人という存在に興味があります。なぜ存在するのかを知りたいです。」
「知は力なり、か。度を越した探求心は身を滅ぼすぞ?」
「知的探求の先に破滅があるなら、それも運命なのでしょうか。退屈な日々を過ごすよりはいいかもしれません。」
「君はもっとつまらない人間かと思っていたが、何だ、本性はそれか?」

鋭い目元に僅かに驚きが浮かんだ。それに向かうは、窓から差す眩しさに目を細めながらも妖艶さも感じさせる美しい笑顔。ああ、この笑顔を見た男はじっとしていられないだろうな。

「調査兵団には巨人をただ憎んでいる者も多い。…うまく立ち回れ。」
「はい。目立たないように立ち回ることは得意ですので。」

背もたれに体重を掛け足を組み直す、椅子が軋む音が響く。

「ハハハ、そのようだね。万年人不足の兵団だ、人手は多いに越したことはない。ただ、爪を隠しすぎるのも考えものだ。簡単に死ぬなよ?」

次はなまえの目に驚きの色が浮かんだ。
教官長は楽しそうにその表情の変化を観察する。

「…試験の結果は私の実力です。」
「まあいいさ、この件を深堀するつもりはない。“公に心臓を捧げる“という大義を全うしてくれ。面談は以上だ、君の健闘を祈る」
「ハッ!」

強く叩いた心臓の鼓動は早い。
力を付けつつも、目立たない順位に着地するようそれなりに注意を払って調整していたつもりだ。静かに人を観察する教官だとは思っていたが、そんなに見られていたとは。

「次からは、うまく立ち回らないと」

教官室の扉の外で、目を閉じ、深呼吸しながら先程の言葉を反芻する。次に面談を行う同期生が廊下の端にある階段を上がってくる足音が聞こえる。避けるように、なまえは反対側にある階段へ足を進める。

誰も寄せ付けない、感情が見えない表情だが、その瞳には強い意思を携え、誰もいない廊下を歩く。


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