黒猫の日々

山本武



「お前、全然我慢できねえな」
「リボーン」

自室で宿題をしていた依都の部屋に音もなく現れた赤ん坊、リボーンに依都は声を出す。綱吉の家の隣の家に住む依都の部屋は、綱吉の部屋と窓で出入り出来る構造になっているため、リボーンも簡単に入ってこれたのだろう。

「……私、やっぱりツナを守りたい。動かないなんて、出来ない」
「いいゾ」
「え」
「獄寺で分かっただろ。これから集めていくツナのファミリーは、ツナの為に動く。まあ、ツナの為じゃねえ奴もいるだろうが、ちゃんとしたツナの仲間だ、ファミリーだ」

息を飲む。
依都は、綱吉を守るのは自分一人だと思っていた。たった一人、ひとりぼっちでこれからずっと綱吉を守る。友人となった雲雀の大切なものは並盛で、綱吉が光で生きる意味だったのは依都だけだった。だから、側に綱吉が生きて笑ってくれているならそれだけで、構わないと思ってきた。だから、周りは背景だった。けれども、背景から飛び出してきたのが、獄寺だ。

「そして、依都、お前の仲間でもある」

仲間なんて言葉は、今まで何度も聞いた。同じボンゴレファミリーの仲間だと。それでも、一番守りたいものが真に仕える主人が違っていたから、心に響いたことなんて一度もなかった。けれど、今回は違う。
綱吉を10代目と慕うと決めた獄寺は、紛れもなく、依都と同じ、綱吉を一番に守り綱吉に仕える者だ。

「よかったな、仲間が出来たぞ」
「……なかま」
「そうだ。ずっとツナに着いてきたお前だから、ツナが部下にした奴は、お前の仲間になる」

綱吉は部下を増やすつもりなんてなく、出来れば友人くらいの距離感がいいと思ってはいるがそれをリボーンは決して口には出さずに、よかったな、なんてニヒルに笑う。
依都の視界が滲むのが自分でもわかった。
脳の処理がうまくいかない。けれども、たったひとつだけ依都にも分かったことがある。
獄寺は綱吉の味方であり、自分の仲間である、と。
リボーンは、たった一人の中学生の幼い少女に、ひとりぼっちを辞めさせようとしていたのだ。それは少女のためなのか、それとも今後のボンゴレファミリーのためなのか、綱吉のためなのか、それを知るのはリボーン一人だけだろう。
それでもこの日、依都はたしかに、嬉しく思って、綱吉に着いていくと決めた日のことを思い出した。



あの日の天気も依都は知らない。
病室にいたからだ。
ボンゴレファミリーの医療班が用意した窓もない病室で、たった一人生き残った依都はベッドの上に寝かされていた。
依都の両親はボンゴレのマフィアだった。仕事でイタリアに赴いていて、依都とまだ幼かった弟も一緒にイタリアにいたのだ。何の用事だったのか、何故子供を連れてイタリアに向かったのかは依都は知らない。だが、その滞在先のホテルで、依都以外の全員が殺された。敵対ファミリーの強襲だった。全員が死んで、殺されて、たった一人で生き残った依都は血の海の中でただ座り込んでいたところをボンゴレに発見された。
世間的には、というか綱吉や奈々には強盗に襲われて依都だけが生き残り、ショックを受けて入院している、と知らされていたから、心配をしてだろう、ショックで言葉も話さなくなった依都の元に綱吉がやってきたのは。

「依都」

ベッドの横にきた綱吉の、幼いふにふにした紅葉の手が依都の手を握る。温もりに何も知らずに遊んでいた頃が、幸福な日々が頭をよぎった。もう、あの頃には戻れない。

「おれ、ずっと依都にあいたかったよ。たいいんできたら、あそぼうね」

にこりと、何も知らないはずなのに、会いたかったと、依都の生を綱吉はいとも簡単に肯定した。目を見ればお世辞だとか、思ってないことくらいわかるけれど、綱吉の瞳はまっすぐで、全てを痛みも幸福も包んでくれるようで、それが、なによりたった一人生き残ってしまった依都には、暖かかったのだ。

「……つ、な、」

喉が焼けるようにすら思えた。口を数度ぱくぱくと動かして、喉からは声を出そうとすると、暫く動かしてなかった喉は機能を忘れたみたいにうまくいかない。なんとか捻り出した言葉は、しゃがれていて、だというのに綱吉は幸福を抱き締めたように笑うものだから、依都にとって綱吉はこの世の全てになった。涙が洪水のように溢れ始めて、それを慌てたように拭いながら自分まで泣き出してしまった綱吉を見て、この人のために生きていこうと、幼いながらに誓ったのだ。それが例え依存だとしても、不健全だとしても、依都にはもう、綱吉しか心の拠り所がなかった。
二人の子どもが泣き喚く光景に、綱吉の母である奈々はニコニコとしていて、あわてていたのは綱吉の父である家光だった。多分、家光はもう依都が駄目だと思っていたのだろう。それが、息子との再会でいきなり心を取り戻したように泣くものだから大慌てで医者を呼びに行った。そうして順調に依都はさまざまな検査を受けリハビリをしたあと、退院してから綱吉の血族を知って、戦うことを決めたのだ。


さて、なぜこんなことまで語るかといえば、綱吉のクラスメイトである山本武が、屋上で自殺まがいのことをしようとしているからである。それを見て、依都は自分の過去を重ねたのだ。大事な家族を失って、生きる意味がなかったかに思えた自分と、大好きな野球が上手くいかなくなって肩を壊した山本。山本も、心が傷付いただろう、と。

「止めにきたならムダだぜ。おまえならオレの気持ちがわかるはずだ」
「え?」
「ダメツナってよばれてるおまえなら、何やってもうまくいかなくて死んじまったほーがマシだって気持ちわかるだろ?」

そういう山本の顔はいつもの活発さはない。綱吉は気まずそうに、それでも言葉を零す。

「いや…、山本とオレはちがうから…」
「さすが最近活躍めざましいツナ様だぜ。オレとはちがって優等生ってわけだ」
「えっ!ち、ちっ、ちがうんだ!ダメな奴だからだよ!!」

いじけたような、期待していたものに裏切られたような山本に、その解釈を否定する綱吉の言葉は驚きを与えている。依都は、山本の皮肉のような言葉に今は食ってかかれない。……それは、なにより、今山本に必要なのは綱吉の言葉で、綱吉のこれからに必要なのは綱吉自身の気持ちだと理解したからだ。ただ、守るだけではいけない。ただ守るだけならば、獄寺は綱吉の部下にはならなかった。綱吉の、優しさが獄寺を綱吉の部下にしたのだ。

「オレ、山本みたいに何かに一生懸命打ち込んだことないんだ…。努力とか調子のいいこと言ったけど、本当はなにもしてないんだ」

中学生だ。見栄だって張りたい年頃だろうに、綱吉は正直を話す。

「……昨日のはウソだったんだ……ごめん!」

そうやって謝れる人間がどれほどいるだろうか。その得難い感性は、依都が綱吉を好きな理由の一つだ。山本からも、皮肉めいた表情はもう消えていた。

「だからオレは、山本とはちがって死ぬほどくやしいとか、挫折して死にたいとか…そんなすごいこと思ったことなくて…。むしろ死ぬ時になって後悔しちまうような情けない奴なんだ…………、どーせ死ぬんだったら死ぬ気になってやっておけばよかったって。こんなことで死ぬの、もったいないなって…………」

周りの、山本を案じて上がっていた声もいつのまにか止まっている。ただ、みんな綱吉の言葉を聞いていた。嘲笑っているわけでもなく、ただ、唖然と。
その人々の波の後ろに、依都はいる。
そうだ、それを、自分も、綱吉も許していた。悲しい思いをしてほしくなかった、自分を情けないと客観視させてしまったのは、依都の盲目さも原因だったのかもしれない。もしかしたら、リボーンはそれも指摘していたのだろうか。

「まてよ、ツナ」

決して、その袖口を掴んだ手は悪さをしようとしたり、綱吉を責めるものではなかった。けれどもタイミングが悪かったのか、足を滑らせた綱吉はそのまま後ろに引かれるままにフェンスに背中があたる。ガシャッと音を立てた老朽化していたフェンスは、音を立てて千切れ、落ちる。
そう、そのまま、山本と綱吉は、宙を浮いて、重力のまま落下する。
悲鳴が響く。
だめだ、嫌だ。依都は走り出す。片手に持つ傘と崩れたフェンスから飛び降りようとして、そしてやめた。

「空中リ・ボーン!!!死ぬ気で山本を助ける!!!」

ああ、なんてーーー、なんて、強く、優しい人なんだろう。
綱吉の優しさは、強いところは、こういう時にこそ真価を魅せるのかもしれない。あれが、あれこそが、自分のボスなのだ。
助かった二人をフェンスに近づいて見て、驚きつつもドッキリかと去る同級生の群れすら依都には気にならない。ただ一人を除いて。

「ツナくんって、……本当にただものじゃないって感じだね」

そういって、少女のような顔をする京子には、もしかすると同じものが見えているのかもしれないと依都は思う。だから、頬を緩めて彼女へと笑みを浮かべた。へたくそな笑顔だったかもしれない。

「うん、ツナは、……とっても、ただものじゃないんだ」

prev
Back to main nobel