前世と来世


私たち、将来の話をしてもいいと思うの

ガヤガヤと人の声が渦巻くカフェで、彼にだけ届く声でそう呟くと、彼は手に持っていたボールペンをぽろりと落とし、車の下に隠れる猫のような顔でこちらを見た。
「将来、って」
「まさに来るべき時…ってやつ。どう、話してみる?」
「そ、そうだな。やっぱりアレか、家はどんな大きさがいいとか、子供は何人欲しいとか、そういうアレだよな」
「ちがうよ」
べキッ。
そんな音がして、気がつけば机の上のボールペンが粉々になっていた。
「ひぇ……」
「紛らわしい言い方すんな!俺はてっきり、その、お前とけっ、籍を入れた時の話だと思ったじゃねぇか……」
彼が握りしめた手はわなわなと震え、顔には焦りと照れと怒りが入り混じるも、結局怒りが全面に出た表情が浮かんでいた。
「ごめん……そんな怒らなくてもいいじゃん……」
私は手元のプリントを眼前に持ち、彼の怒りの炎にバリアを張った。当然意味のないことだとは知っているが。
「この前ね、授業でやったの。人が死んだ後に行くところは前世の行いで決まってるんだって」
「あ?ああ、お前はそういうの好きだったよな」
若干言葉に怒りが滲み出ながらも彼は話を促した。
「うん。海堂は人が死んだらどこに行くと思う?」
「死んだら……?別に、どこに行くわけでもねぇだろ。墓の下でお終いだ」
「海堂らしくていい答えだと思うよ」
「馬鹿にしてんのか?」
「してない、してない。いい加減落ち着いてください」
戯れに彼の頬を指でひっぱると、「やめろ〜」と軽い抵抗の後に手をはたかれた。
「で、お前は人が死んだらどこに行くって言うんだ?」
「人による、ですね」
「はあ?」
彼の頓狂な声にうんうんと頷くと、私は話を続ける。
「例えば、ここに大罪人がいるとします。この人は地獄で十人の王に裁かれた後、どこの地獄に落とされるかを言い渡されて、罪に適した地獄に行きます」
「王って、閻魔大王とかそういうやつか」
「そうそう。じゃあ今度はここにまっさらな善人がいるとします。この人も大罪人と同じように裁かれるんだけど、行き先は地獄じゃなくて天国の蓮の上。これが極楽往生ってやつ」
海堂は腕を組み、分かったような、分かっていないような顔をしている。
「地獄の他にも行くところはあって、畜生道、餓鬼道、天道とか。これらを合わせて『六道』って呼ぶのね。極楽往生する人以外は、指定された場所に転生することになってるんだ」
「それで『どこへ行くかは人による』、ってことなんだな」
「そういうこと」
言いながら私は、紙の上に死後の世界の道順を書いた。
「私はきっと天国には行けないなあ」
「何でだよ」
「んー、なんとなく」
「何だ、そりゃ」
私は答える代わりに苦笑いをした。
不意についた頬杖によって、ようやくその存在に気がついたかのようにカップを口元まで運び、飲むにはまだ尚早な液体をごクリと飲み込んだ。分かってはいたが、舌がじんわりと火傷するのを感じる。何処かの席からは、クシュンとかわいいくしゃみが聞こえた。
桜はそろそろ満開になるだろうか。
「海堂は天国に行けるよ」
「そんなもん死ぬまで分からねえよ」
「確かに」
私は、自分の前に運ばれてきたケーキをそっと彼の前に差し出した。
ケーキの上には猫の顔を象ったクッキーが乗っている。
「死んでも一緒がいい、って思ってるとしたら、引く?」
「重いとは思う」
「嫌?」
「嫌じゃねぇ」
私は満足げな顔目掛けて再びカップを持つ。彼は恥ずかしげに唇を尖らせながら、差し出されたケーキの写真を撮った。
「あ、そうだ」
「まだ何かあるのか」
「うん、これは前世とかにも関わる話なんだけど」
一度手に持ったカップを皿の上に戻し、大真面目な顔で告げる。彼の手のフォークは今まさに、ケーキに入れられようとしていた。
「前世で縁が深かった人間は、死んだ後も一緒なんだって。前世で契りを交わした夫婦は、来世でも必ず出会える、とか」
「そうなのか」
「さっき海堂が結婚の話と勘違いしたのは間違いじゃ無いよ。今世で結ばれれば、私たち来世でも出会えるから」
私はうっとりと自分の手を顔の横で重ねたが、海堂はムッとした顔をしていた。
「どうしたの?もしかしてまだ怒ってる?」
「いや。ただまあ、俺はお前の好きなものを否定するわけじゃねぇけどよ、お前はもうちょっと自分に自信を持てねぇのか」
「ん、え?」
「来世とか前世とか、記憶のないものよりも今の俺との時間を見ても、いいんじゃねぇのか」
「あ、ああ……。そ、そうだね」
意表を突かれた。全くの想定外だ。
今まで私がこの類の話をする度に「そういうものか」と曖昧な返事を返していた彼は、海堂薫という男は、初めて私の願いにメスを入れた。
私はあまりの唐突さに「あ」だの「う」だのとしか言えず、かえって冷静な顔をしながらケーキを食べている彼を見ることしかできなかった。
「あはは、まさか海堂にそんなこと言われるなんてね」
「意趣返し、ってやつだな」
得意そうな彼に、何か一言でも言い返してやりたかったが、それよりも嬉しさが勝っている。これが「絆される」ということなのだろうか。むず痒いような、少し悔しいような。こんなもどかしい感情を君はいつも受けていたのか。
私はしばらく無言によって白旗を揚げ、口を開くと同時に宣戦布告を行なった。
「いや、やっぱり私は来世も前世も頼りにするよ」
「まだ言うか」
「もちろん。来世でも海堂と幸せになりたいからね。だから、今世でも目一杯幸せにしてやる。覚悟しとけよ」
「いつにも増して攻撃的だな」
「いやだなあ、愛に溢れてるって言ってよ。私は平和主義者だよ」
「言ってろ」
彼はそれ以上、何も返してこなかった。