sigh
「だから、なんでわたしにそないなこと報告してくるん?」
「報告やちゃう!教えたってるんやろが」
「教えてとか言うてないし、わたし」
「へそ曲げてへんで素直になりや」
「うっさい、余計なお世話や」
目の前でやいやいとうるさく吠える男を見やりながら、わたしはわざとらしく悪態をついた。なんべんもしつこいねん。しつこいからモテへんのちゃうの。などと喉まで出かかった言葉を我慢しつつ、わたしは会話を拒否すると言う意図で力強く腕組みをした。茶番に付き合うてる暇はないねん。こっちは昼飯がかかっとるんよ。
「わたし食堂行きたいねんけど。もうええ?」
「呑気か!元カノやろ。心配ちゃうんか」
「心配して南の怪我が治るん?」
「心の傷は治るかもしれへん」
「心に傷つくるほど繊細な奴ちゃうやん、図太いやろ南は。岸本と同じで」
「せやせや…って、地味に俺をディスんな!」
廊下を行き交う同級生の姿を見ながら、購買は既に混んでるんやろなあ、と呑気なことを考える。思考が明後日の方向を向いているわたしを見下ろす目の前の男は相変わらずギャアギャアと煩いままだし、だんだん苛立ちが増してくるのも仕方がない。その辺にしとき、と同じクラスの岩田が目の前の男を嗜めると、彼は渋々と言ったようにわたしの机から離れていった。
「友達思いやな、岸本は」
「お互い傷心中のくせに」
「傷心してへんわ」
「はよ仲直りしてや。南の機嫌悪くてかなわんわ」
「知らん」
もじゃもじゃの頭を苛立ったように掻き回した彼は、わたしの意に解さない姿を見るとじろりと鋭い視線を向けてきた。そんな彼の隣でやれやれと言ったように肩をすくめる岩田も岩田で一体何を考えているかわからない。どうしてバスケ部にやいのやいの言われなければならないのだと思いながらも鋭い視線を適当に流す。
スクールバッグから財布を取ると、わたしは食堂へ向かうため1人クラスを後にした。
「なんやねん、わたしが悪者なん?」
ぶつぶつと一人ごちながら渡り廊下を歩いていると、やんわりと涼しい風が頬を撫でた。なんとなく喧騒から遠のき、向っ腹も徐々に落ち着いてくる。ガミガミうるさい岸本を思い出すと腹立ちが蘇りそうになったけれど、食堂のメニューをぼんやりと脳内に思い出して思考を振り払った。あいつらの顔なんて思い出したくもない。
そもそも、こんな面倒な事になった発端は約数週間前の出来事まで遡る。
わたしの元彼はバスケ部の部長でエースで、名前を南烈と言う。烈と書いてつよしと読むけれど、わたしは名前を呼びにくいと常々感じているため今までずっと名字でしか読んだことはない。
そんな元彼の幼馴染みでありチームメイトなのが先ほどわたしの教室まで凸してきた喧しい岸本で、わたしと同じクラスなのがあいつよりはまだ話が通じる岩田だ。
南とは、今年で丁度付き合って2年目に入ったところだった。高校3年に上がり、クラスは離れたものの特に不便は感じる事なく、むしろ丁度良い距離感だと思っていた。お互いベタベタしたいタイプでもなかったし、周りにも知られている仲だけれどお互い淡白な付き合いを好んでいたから、茶化されることも冷やかされることもほとんどなく、わたしたちの中には何の問題もなかった。
とは言え比較的淡白な付き合いを好むわたしたちだったけれど、わたしは記念日や誕生日は結構大事にしたいタイプだった。普段そういったことに無頓着だからこそ、ここぞというお祝い事のときはそこそこちゃんと祝ってあげたかったのだ。去年、南は誕生日を祝ってくれたしわたしもお祝いした。それについては全く問題なかった。お互い喜んだし、良い思い出にもなった。
しかし。今年に入ってすぐわたしにとって見過ごせない出来事があったのだ。
「ちょお待って、忘れとったって何やねん」
「いや、すまん。すっかり頭から抜けとった」
「ほぉん。1年ですっぽり頭から抜けるん」
付き合ってからちょうど2年目に入る日に、わたしは南にサプライズとしてちょっとしたプレゼントと手紙を用意した。南から何かそういうのがあるとは思っていなかったし、わたしがやりたいからやったことなので全く期待もしていなかった。そもそも南が記念日を祝うタイプかもわからないのでわたしが一方的に、勝手に始めたことなのは間違いない。
だけれど意気込んでサプライズとしてプレゼントを渡したとき、南は明をまん丸にした。あの時の表情は良く覚えているし、顔には、「なんや、今日何かあったっけ」とはっきり書かれていた。
わたしが今日は付き合うて丸1年の記念日やろ、と言うと、彼から発せられた言葉は、「せや、すっかり忘れとった」だった。
流石にそれくらいは覚えていると思っていた。何もしないにしても、記念日くらいは覚えていてもおかしくないと考えていた。そんなわたしの予想は悪い意味で裏切られることとなった。
あの時のわたしが短気だったと言われたら確かにそうだ。もう少し大目に見てあげることはできなかったのかと言われたら確かにそれも一理ある。でもわたしはどうしても納得できなかったのだ。忘れていたのはまあ良いとして、人間なら誰だって忘れることはある。わたしだって友人の誕生日をなかなか覚えられなかったり、人に言われたことを3歩歩いて忘れることだってたまにある。わたしの導火線が短すぎるというのももちろんある。せやけど。
「何も今、忘れとったって馬鹿正直に言う必要ある!?」
その一言を言わずに、そういえば今日やったな、ありがとうで全て円満に終わっていた出来事だったと思う。だけれどわたしは彼の言葉にも態度にも全てに何かが引っかかってしまって、南の「すっかり忘れとった」という何気ない言葉に酷く心をぐさぐさ刺されたのだ。
「南なんて知らんわ、もう」
「は…?」
「別れる!!!最後に受け取ってや!!」
苛立ちと悲しみが入り乱れながらも、わっと頭に血が昇ったわたしは記念日のことをすっかり忘れていた南に用意したプレゼントを行き掛けの駄賃とばかりに押し付け、その場を後にした。一方的に別れを告げて。南はすぐわたしを追いかけてきたけれど、わたしは絶対に今捕まったら逆ギレされそうだったので全速力で逃げた。これが火事場の馬鹿力か、というくらいには早いスピードで走れたと思う。
それが2週間ほど前の出来事だ。3年に上がって新学期早々ろくなことがなかったのでわたしはそこそこ落ち込んだし、一方的に別れて南を元彼扱いすることにちょっとした抵抗もあった。だけれど腹立ちはやっぱり収まってくれなかったので、結局今に至ると言うわけだ。
岸本とは南と結構仲が良かったし、お互い冗談を言い合えるくらいの共通の友達ではある。今日わたしの教室に凸してきたのは、南が怪我をしたと言うことをわざわざわたしに伝えるためだったようだ。その前にも、喧嘩したなら仲直りしろと説教しにきたこともある。その度に鬱陶しくてわたしは追い返してきたけれど、とうの本人の南はあれ以来接触してこない。謝ってくる様子もなければ復縁を迫られることもないので、わたしはついにこの恋は呆気なく終わったのだと思い毎日をぼんやり過ごしていた。
ただ、わたしだけがそれだけの存在だったということだし、南はバスケを愛しているし部活が一番大事なのは知っているから、その事実に少し寂しさを感じながらもどうにかしたいとは思わなかった。
今日も岸本は接触したけれど、正直元彼が怪我したからと言って、わたしが心配してどうにかなるわけでもないし、むしろ烏滸がましいくらいだろうと思う。今更どの立場で心配すると言うのだろう。
南と別れたと言うことを知ったわたしの友人達も、絶対に仲直りすべきだとみんなに口を揃えて言われたし、実際岸本にも復縁するべきだと言われたことは何度かある。とは言え実際それをするのはわたしたちなわけだし、わたしはもう愛想を尽かしてしまったのだから仕方がない。記念日を忘れるような男だ。別れても後悔はない。と、自分では思っている。
悶々とした気持ちを抱えながら食堂につくと、やはり売店と食券の辺りは混み合っていて、わたしは列に並んで親子丼の食券を買った。
ぼんやりとしながらカウンター越しのおばちゃんからおぼんを受け取り、空いている席に座る。
ほんの少し意地になっている部分もあるけれど、わたしは何も愛想を尽かしただけで悪いことをしたわけではないし、そもそも余計な一言を言ったのはあちらだ。
「いただきます」
思い出したらだんだんと腹が立ってきて、わたしは黙々と親子丼を食べ始める。岸本も岸本だ。わたしたちの話に首を突っ込んでくるのは良い加減やめてほしい。わたしがいなくたって南に何か問題があるわけではないのだから。
そんな思いで咀嚼を続けていると、ふと目の前の空席に誰かが座った。気にせず食事を続けつつ、水を飲むついでにちらりと前を見ると、そこにはつい先ほど話題に上がっていた南が姿勢良く座っていた。
「え、なに」
咄嗟に思ったことが口から出てしまった。
目の前の彼と目が合うと、相変わらずの無表情で南は僅かに目を細めた。
「いっしょに食ってええ?」
「…もう座ってるやん」
そういうのは座る前に聞くもんやろ、と内心思いつつも、好きにすれば?と言う意味を込めて視線を投げつける。つい先ほど名前が挙がっていた相手だけに遣りにくさを感じる。そもそも南とまともに顔を合わせるのは南にプレゼントをぶん投げたあの日以来だから、約2週間ぶりになる。
今更接触してくるなと少しピリついた気持ちを抱きながらも気にせず食事を続けていると、目の前の彼は徐にわたしに声をかけた。
「まだ怒っとるんか」
「許したように見えるん?」
「見えへんよ」
「そか。ほんならそういうこと」
南はどうやらカツ丼を頼んだらしく、男子向けに大きく揚げられたカツ丼がデカデカと器に盛り付けられている。なんとなく視界に入った手元は、左手の方に包帯が巻きつけてあった。そういえば怪我したとかなんとか岸本が言っていたな、と思い出しながら怪我をしたのはたぶん手だろうと見当がついた。
顔色を変えずにわたしに怒っているか聞く割に、纏う彼の雰囲気はどことなくしおらしく思えた。
「別れるとか言うなや」
「元彼が何言うてんの」
「まだ元ちゃうわ」
「もう元や」
南は別に、特別女子に優しいこともない。喧嘩っ早いし短気やし、それに怒ると怖い。だけれど今は怒ってる風でもなくて、かと言って落ちこんでるようにも見えなくて、わたしは内心首を傾けながら彼に目を向けた。
「復縁の話しにきたん?」
「復縁ちゃう。仲直りや」
それだけ言うと、南は黙々と白米を口に入れた。その食べっぷりには圧倒されるものがあったけれど、彼としてはまだ別れていないつもりらしい。確かにわたしが一方的に別れを告げただけで、南が実際にそれにイエスと答えていないと言われればそうだけれど、そんなの屁理屈だ。断固として復縁とは認めない様子のめんどくさい南に呆れつつ、今度はわたしが口を開いた。
「じゃあ今言う。わたしと別れて」
「嫌」
「何やねん元彼のくせに。こっちが丁寧に言うとるのに」
「せやから元彼とちゃうわ。まだ付き合うとる」
なんやねんこのめんどくさいやり取り。内心悪態をつきつつ、やはり南は別れることには否定しているらしい。それならそれで良いのだけれど、否定するくらいならもっと前に引き留めにこれば良かっただろうとも思う。あれからもう2週間経っているのに、今更言われたって元彼以外の扱いの仕様がないと言うものだ。わたしの気持ちも少しは察してほしい。
「どうしたら許してくれるん」
ふと、そんな言葉が降ってきたので自然と顔をあげると、意外にも真剣な顔で南はわたしをじっと見つめていた。その視線に驚き、思わず手の動きを止める。
「どうしたら、って…言われてもなあ」
「俺のこと嫌いになったん」
「なってへんけど」
「せやったら別れるなや。記念日は忘れとってすまんかった。俺が悪いし、全部俺のせいやけど…1人で別れるとか決めるなや」
そう言った南の表情はどことなく困り果てているように見えた。珍しく物々しい彼の雰囲気に圧倒されつつ黙って彼の言い分を聞いていると、次第になんだかわたしが意地を張って彼を無理やり遠ざけているような気持ちになってきて、今度は違う意味で複雑な感情になってきた。
これじゃあまるでわたしが南をいじめているみたいや。小さなことでいつまでも起こり続けるめんどくさい女みたいな構図になっとるやん。そう思うとなんだか途端に自分が恥ずかしく思えてきて、わたしは思わず俯いた。
「いつまでも拗ねて面倒とか思っとる?」
「別にそうは思てへんけど。少し意地になっとるんやろなってことはお前の性格知っとるし、なんとなく想像ついたわ」
「なんやねん、わかってるように言わんといて」
南は別に、女子に優しいわけじゃない。だけどたまに2人でいるとき、わたしだけに優しい目を向ける時があって、南のそういう良くわからないところが好きだった。口も悪いし、短気やし、すぐ怒るし意地悪やけど、わたしには結構優しく接してくれていた。だけどそれをいつもの淡白さでわからないようにしていて、そんなもどかしい感じもわたしは好きだった。
わたしが少し悪態をつくと、ふっと彼はゆるく笑う。そんな様子に絆されそうになりつつ、わたしはまた先ほどの岸本との会話のように力強く腕を組んだ。せめてもの抵抗である。
「…簡単に許すとか思われたら困るねん」
「思てへんて。俺は別れたくないねん。記念日を祝いたいタイプって知らへんかったし、今度は一緒に祝えばええよ。お詫びに好きなとこどこでも付き合うたるから」
「南はずるい」
「何がや」
忘れた頃にやってくるのは卑怯だ。わたしの怒りが新鮮な間には顔を見せなかったくせに、収まって怒りが緩んだ頃にやってくる。その頃合いはわたしが絆されやすい時だし、わたしが意地になっている時だから。それを見計らったのか、それともただ偶然話す機会ができたのかはわからないけれど、これじゃああんまりにも狡いと思った。
「はあ…もう、ええわ。ええよ。別れるとか言うてごめん。プレゼントも…ぶん投げてごめん」
「俺の方こそ悪かった。無神経やった。プレゼントありがとうな」
とうとう折れてわたしが前言撤回を試みると、彼は拗ねた子供を見るような目つきでこちらを見るものだから、わたしは恥ずかしくなって顔を逸らした。
「あんな、岸本がちょおうるさかった。迷惑や」
「お節介やねん、アイツ。せやけどもう心配ないな。仲直りしたし」
「わたしの短気は誰に似たんやろ…」
「俺やな」
「なんでやねん」
机の下で彼の膝を小突くと、南はおかしそうに笑った。その笑顔がやっぱり好きで、嫌いになれなくて、わたしは恥ずかしさを飲み込むようにスプーンを奥歯で噛んだ。
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