過日にて待つきみとぼく
あるピアニストがいた。彼はピアニストでありながら、歌も歌うシンガーソングライターでもあった。
本業は――ピアニスト。その表現はおかしいかもしれないが、ともかく主として活動しているのはピアノの演奏であって、詩作や作曲はサブの活動であった。
ある日、彼が八年間飼っていた猫が死んだ。
売れず、大成せず、ぼろぼろの中古ピアノを使いながら暮らしていた時から一緒にいた相棒だった。生活の何もかもを切り詰めてまで一緒にいる事を願った大事な猫だった。
理由はふたつ。
彼は猫が大好きだった。
そして、寂しかったからだ。
やがてピアニストとしてもシンガーソングライターとしても評価されるようになった彼は仕事で家を空ける事が多くなった。本心としては猫を連れていきたかったけれど、そうもいくまい。ペットホテルや同じく猫好きの友人に相棒を頼んで、彼は方々で演奏をした。
長い間離れていると、猫は「おや、いったいこれは誰だったかな」とでも言わんばかりの素っ気なさだった。拗ねているのか忘れているのかはわからない。でも猫とはそんな気まぐれな生き物だし、そこがまた堪らない。触れ合えなかった分、彼は存分に猫を抱き締め、甘やかした。
それでも猫は死んだ。
幸い――というべきなのか。休暇中だったので、彼は猫を看取る事ができた。
彼の愛猫は腎不全だったらしい。そして猫にはとても多い病気なのだそうだ。飼い主が気づかずにすぐに弱り、短い時間で死んでしまう事も多々あるらしい。
彼は泣いた。
泣いて泣いて、食も細り、何度も猫を預かってくれた友人も心配して何度か訪ねてきてくれた。
ふと、彼は思いつく。
自分は音楽家だ。だからこの子の事を、音楽で形に残せるだろう。そうすれば、自分の記憶にも誰かの記憶にも残るだろう。たくさん、たくさん。
ただのピアノ曲よりは、歌詞があったほうがいいだろう。
彼はペンを取り、歌詞を書いて曲をつけた。音楽家の彼には容易い作業だった。
結果から言えば、その曲は売れた。
ネットでの評価を見る。ぼんやりとした暗闇のなかで光るスマホには「泣いた」「良い曲だ」「好きになった」などと書かれていた。
批判ももちろんある。けれど大成した音楽家である彼は批判など気にしなかった。何を弾いても、曲を書いても、そんな批判はいつもあったからだ。
やがて、猫のいない日々にも慣れてきた。泣く日もほとんどなくなった。
でも、自分が猫を大事にしていた事実を確認したくて、不安になって、そんな時は、自分が書いたあの曲の評価を見る。
自分はあの子を愛していたはずだ。
みんな「泣いた」と言ってくれた。「良い曲だ」と言ってくれた。それが誇らしかった。
しかしある日、こんな一文を見つける。
『――こんなに想われてこの猫は幸せだな』
その短い感想を読んで、彼は涙を流した。
ちがう。
しあわせだったのは自分だよ。
ちがう。
しあわせだったかどうか決めるのはあの子だ。
自分がどんな曲を書いたって、どんなに評価されたって、あの子が幸せだったかどうかなんてわからないじゃないか。
自分が不安だっただけじゃないか。自分が猫好きの優しい人間だって人に知ってもらって、満足したかっただけじゃないか。自己満足じゃないか。
自分はあんな曲を書いて、あの子を汚した。
なんども思い出す。
あのつやっとした少しだけ長い毛並み。
猫のくせににゃあと鳴くのが下手くそな、低いだみ声。
素っ気なく、優しいあの相棒。
自分は愛した音楽で、愛したあの子を汚した。
もしこれが音楽を愛する自分への呪いならば、幸福なのだろうか。
自分はピアノを弾くたびに、曲を書くたびに、歌うたびに、あの子を思い出し、汚した事を思い出すのだから。
『――こんなに想われてこの猫は幸せだな』
君が幸せだったかどうか、僕は知らない。
でもぼくは、しあわせだった。
しあわせだった。
20180608
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