自己と歌の考察
大したものは必要なかった。
少量の具のないスープ。カーテン越しの陽射し。そして、直ぐに眠りに落としてくれる薬。
それらを贅沢だと言う人もいたけれど、私は気にはしなかった。起きていれば得られたであろう物を私は全て放棄したのだから。
「あの人も昔は違ったのにね」
近所のおば様がそんなふうに私を評したと、友人が言っていた。でも、もういいの。
私は何も無くしてはいないけれど、何もかもどうでも良くなってしまった。
食事の量は少しずつ減り、少しばかりの陽射しを取り入れていたカーテンを開ける時間は短くなる。そして、起きている事も少なくなった。
現実を手放したかった。
仕事があり、父がいて、母がいて、兄が、姉が、友が、必要な物と人が揃っていても。
私は私を不要と判断する。
理由なんてない。生きる為に生きている人がたくさんいるのだから、私が私を不要とするのに理由なんて必要ないと思うの。
肋が浮いた身体を、大切な人が泣きながら撫でてくれても、私はもう『こちら』には戻ってこないだろう。
動物が第一に置くのは生命の存続だ。
ならば、私は生き物として欠陥があり淘汰されるべき存在なのだろう。
でもできれば、淘汰を潔く受け入れるだけの穏やかな存在だなんて、思ってはくれないだろうか。
なんてね。
2020/11/10
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