二話
茜の言葉からはいくつかの事実が確認できた。
この異常気象は彼女の意志であるということ――そして彼女を寵愛する豊玉明乃陽澄がそれを支持しているということ。
そして茜がこの町を『凍結』させたことには、当然何か意味があるということ。
六花と茜の元から離れ、私は戸口で月の見えない雪空を眺めていた。
そして、裡に問う。
『鞘夜――お前はどう見る?』
その答えは、直接脳内に響いた。
それは低く、波紋の生じえぬ水面のような動じぬ声音であった。
『神格の道理は人の道理に当てはめるとこは能わず。例え巫女の意志が人の道に外れるものであっても、神格はそれをあっさりと受け入れてしまうだろう』
『……その通りだ』
『巫女と対話する他あるまい』
――それが一番難しく、しかし確実な方法か
私がそう思考すれば、鞘夜もそれを読み取り応える。
『そうだ。対話で済めば、それが一番良いのだと我は思う』
『貴方って案外、平和主義ですよね』
『百年の間、里を護っていればいろんなことがあったものだ。そういえば水葵が――先代守護者が口先で小妖を追い返したこともあったな。あれは口が達者だった』
どこか寂しげに、そして懐かしそうに彼は言う。
『――名無しの』
彼は私をそう呼んだ。
私と同化している今、彼は私のすべてを把握している。それでも私が名を所有することを厭うているのを気遣い、名を呼ばぬのだ。
『餌人を守ることは我らの償いになると思うか?』
『それはわからない。ただそうであればと思う』
村が壊滅したあの日。私たちは餌人を喰らう人外を屠るのだと決めた。
村人を、守護者を、そして十夜を失ったのならば――この力をもう一度護るために使いたい。
『それも我らの道理だ』
何が正しいかなど、きっと誰にもわからないだろう。
そしてそれは、あの太陽神の巫女にとっても同じことなのだ。
*
翌日も雪は降ったままであった。
私と六花は雪かきの手伝いを申し出た。
何も知らない幼子たちは相変わらず雪にはしゃいで走り回り、境内の雪かきをしていた茜にじゃれついてまわる。
「茜様ー!」
「あらあら。そんなに走ると転びますよ。ほら、襟巻きが緩んでいます。直して差し上げましょう」
彼女は少女の襟巻きを弛まないように結んでやる。すると少女はおもむろに茜に抱きついた。
「ふふ、茜様の側ってあったかい!」
それを見ていたらしい少女の母親が慌てて彼女を引き剥がした。
「こら!なんてことをするの!茜様、申し訳ございません!娘がとんだご無礼を」
「いいえ、お気になさらなくて結構です。わたくしは偉くもなんともないのですから、そう畏まらずに」
「そういうわけにはいきません。この町が栄えたのは茜様のお陰ですから――」
女性は畏敬と崇高の念に満ちた顔で茜を見つめる。
「茜様が巫女になってからと言うもの、この町は作物は豊かに育ち、病は消え、まるで人々の道を照らす太陽のよう――それは貴女様が豊玉明乃陽澄様の化身であられ、最もご寵愛を受けた巫女であるからに他なりません」
「……」
その言葉に対して、茜は黙ったままだった。
少女の母親は言葉を続ける。
「この雪も、茜様ならばなんとかしてくださると信じています」
「ええ……」
「では、失礼致します。ほら、梓いくわよ」
母親は深々と礼をすると、娘の手を引いて去っていった。
「無名さま、六花さま。この辺りの雪かきはもう大丈夫です。ありがとうございます」
とりあえず雪かきを手伝っていた私と六花には筒抜けの会話だった。
やりとりをしていた茜の表情は暗い。
私は頃合いだと思い、声をかけた。
「そろそろ、何があったか聞かせてもらえませんか」
「そうですね……。では、ついてきてください。見て頂くのが、一番早いので」
そう微笑む茜の言葉は躊躇いはなく、それでいて暗さを孕んでいた。
*
茜の住まう家屋の裏には深い竹藪が覆い茂っていた。
「こちらにいらしてください、道がありますので。町のものは此処には立ち入らないので、荒れてはおりますが」
小道があるようだが、私たちにはわからなかった。深く雪が降り積もっているからだ。
「少しお待ちくださいね」
茜が手をかざすと光が満ち、積もった雪は跡形もなく消え去った。まるで初めからそこになかったかのように。
(分かってはいたが……この量の雪を跡形もなく消し去っている。本来であれば、人手での雪かきなど不要だろう)
「茜……」
何かを言おうとして、しかしそれが言葉に成ることはなく消えた。
私たちは先程まで、自ら境内の雪かきをしている茜の姿を見ている。
そしてそれが彼女本来の姿なような気がしてならなかったのだ。
「こちらです――足元にお気をつけて」
促す茜の後に続く。
「六花、そこに大きな石があります。躓かないように気をつけてください」
「うん。ありがとう」
「お二人は――本当に仲が良いのですね」
振り返らぬまま、茜が言う。
私は何と答えて良いのかわからず無言を貫くが、六花はいつもの調子で答えた。
「わたしたちは同じ故郷ですし、友人ですから。小さな村だったし、みんなで助け合いながら生きてきたんです」
「餌人の里なれば、さぞ妖の襲撃も多かったことでしょう。六花さまも怖い想いをされたのでは?」
「ええ。でも、代々の守護者が――いつも村を護ってくれました。だからわたしたちはあの里が大好きでした」
「それは想い人を亡くしても――ですか?」
奥まった地点で茜は足を止めて振り返る。
その足元には盛り上がった土と、小さな石が置かれていた。
そこだけは常に雪が積もっていた形跡がない。
「六花さま、お答えください。それでも――なお、無き村を愛しているのですか?」
餌人ゆえに妖に襲われ続け、
守護者の不手際ゆえに壊滅した。
そして最も愛するものを手にかけられた呪いの場。
それを愛しているのかと、茜は問う。
「――ええ、わたしはあの村が大好きでした」
それに迷いなく答えるのが、いつもの六花だった。彼女は自分の中の愛情を隠さずに、しっかりと表にだせるひとだった。
ゆえに眩しく、そして私や茜のように後暗いところがある人間には――ひどく痛い。
「わたしくしも、貴女のような素直さが欲しかった」
膝を折り、茜は盛り上がった土に優しく手を這わせる。汚れることすら愛おしいとでも言うように、優しくそれを撫で続けた。
「この方はね、貴時というんです」
懐かしそうに微笑むその瞳は、諦めと静かな怒りに満ちていた。
「数年前にこの町に越してきた方で、あまりこの町のことをわかっておりませんでした」
「町のこと……」
「――太陽神を据える、豊かな町。わたしくはその巫女。彼にとってはその程度の認識だったのでしょう。この町で生まれ育った者にはありえないことだったと思います」
「貴時さんとやらに――何があったんです?」
「――なにがあったと思います?」
逆に問うた茜は、幽鬼のようにのろのろと顔を上げた。前髪の合間から、凶兆を帯びた瞋恚の眼差しが覗く。
「もしかして……」
答えようとする六花の声は、かすかに震えていた。
「ええ。町の者に――殺められました」
瞬間、冷気が一気に強まった。
すくと茜は立ち上がる、その刹那、バキバキバキン――!と彼女を中心にして氷が這う。
その冷気は抗い難い圧があった。冷たいだけではない――足を張らねば膝から崩れ落ちてしまいそうな重さ。
(これは――)
私は咄嗟に六花を背に庇う。
しかし茜はそれを意に介することはなかった。
土に汚れた手をぎゅうと握りしめて、彼女は語り始める。
「わたくしは――」
*
わたくしは――いつも独りだった。
二年ほど前の出来事だ。
葉月は奉納や舞といった用事で忙しい明乃神社はいつもより人が多かった。町民たちは丹念に神社の隅々まで磨き上げ、細々とした道具を運んでくれていたが、境内で大きな荷物を運ぶ男とぶつかってしまった。
「あ――!」
「茜様!危ない!」
「っ!」
咄嗟のことだったのであっけなく地面に叩きつけられ、受け身も取ることができなかった。
箱から落ちた神楽鈴が派手な音を立ててあちこちに転がる。
「茜様、申し訳ございません!大丈夫ですか?」
ぶつかった男が青い顔をして手を差し出そうとする。しかし、周囲にいた町民たちが声高に叫んだ。
「巫女様に触れてはならん!奉納の前だ。精進を行っていない者が触れると、巫女様に穢れが移る!」
「精進をしていた者はいるか?」
「いや、宮司様と巫女様以外は――」
本来は精進食など人の決めた『清さ』。神々にとっては実にどうでも良いこと。
しかしそんな意味のないことを、町の人は、世界は、守り続けるのだ。
そしてそれでいいのだろう――無知とは価値だ。
「心配いりません。わたくしは何ともありませんよ」
にっこりと微笑む。
足首は赤く、熱を帯びている。しかし、痛みは顔に出してはいない。
痛みを無視してなんとか立ちあがろうとするが、力が入らない。
町民たちはおろおろと見ているだけ。
しかしそれでいい。
それ故にわたくしが痛がろうと、独り蹲ろうと、それが正しいことなのだ。
だが――
(――痛い)
なんでこんなことのために、という気持ちがわたくしの中にはいつもあった。
俯くな。笑え。そう頭は命じても、心が言うことを聞かない。
しかし、俯くわたくしの前に影が差した。
「巫女様――大丈夫ですか?」
ひとりの青年がそう声をかけてくれた。
彼は傍で膝を折ると、心配そうに顔を覗き込む。そしてわたくしの足首にそっと触れた。
「足首ですか?かなり痛そうですね。俺がご自宅までお運びしましょう」
「え――」
「おい、新入り!その方に触れるな!」
「そうだ!我々の穢れが移ることがあってはならん!」
轟々と非難する町民たちに青年は――貴時は声を荒ららげた。
「目の前で痛がってる人間を放置して、何が穢れだ!馬鹿馬鹿しい。神様だって巫女様を助けた方が喜んでくれるに決まってる!」
しかしはっきりと言い返した貴時は、振り返って優しげに微笑む。
「巫女様――手をどうぞ」
太陽を背に微笑む彼は、とても眩しかった。
きっと光に目が眩んだのだろう。拒むべきだったのに、わたくしはその手を掴んでしまった。
「――ありがとう、ございます」
差し出された手とはあんなにも抗い難いものなのだと。
繋いだ手はあんなにも温かいものなのだと――わたくしは初めて知った。
そう、知ってしまったのだ。
禍つ身であることを、すっかりと忘れて。
2025/08/04
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