一話

 追い詰められた獣のごとき咆哮が村に響いていた。
 それだけではない。村人たちの怒号や叫び声、泣き声があちらこちらから聞こえてくる。

 見上げた空が赤い。
 覆い被さるようにして『彼』がわたしを抱きしめている。
 彼が身を起こそうとすると、わたしたちを下敷きにしていた材木ががらごろと音を立てて横へと逸れた。

 熱風に混じって飛んできた木片が頬を掠めて、赤く血が伝う。

「――六花」

 呼ばれる名と共に耳元で彼の苦しげな吐息が漏れる。

「――」

 口は開くのに声はでなくて――ああ、これは夢だと理解する。
 あの日のままに、わたしは行動を辿る。
 わたしを庇うあなたの背に触れる。その手をゆっくりと持ち上げてあなたの肩越しに見れば、それは燃えるような空と同じ色をしていた。

「十夜!」

 音にならぬ声で、わたしは必死に彼を呼んだ。
 彼はわらって、わたしの頬の傷をやさしく撫でる。

「俺の――大切な六花」

 ああ、もう何千回とこのやりとりは見た。

 いや、いやだ。
 頑是ない子どものように何度もあなたの名前を呼んで、そして訪れるであろう別れを拒もうとした。

「俺は、お前がいとしいよ」

 いつも項で結えられていたあなたの黒髪がほどけて、わたしの頬を撫でる。それはやわらかく、水に触れれば溶けてしまいそうな細い糸のようだった。
 掠れる声。わたしの手を染めていくあなたの血。
 彼は両手をわたしの顔の両側に置き、そしてしっかりと目を見て――告げる。

「――お前は俺の後を追ったりするな」

 どこか苦笑めいた口調だった。
 何も言わなければわたしがそうすることを、あなたは知っていたのだろう。

「苦しいかもしれない。死にたくなるかもしれない。それなら――」

 すう、と彼が息を吸い込むのがわかった。

「俺に。俺の言葉に縛られて――生きろ」

 その言葉はあなたの優しさだった。
 だってそう言われてしまえば、わたしは死ぬことができなくなってしまう。

 あなたは本当に、わたしをよく理解していた。

 こうしてわたしが生きてしまうことを、あなたは知っていたのだから。





 差し込む朝日と心配そうな声音に揺り起こされて、わたしは目を覚ました。

「六花!」
「無名……」

 昨日たどり着いた宿が一部屋しか空いておらず、一緒の部屋で寝たことを忘れていた。とは言っても彼は気を遣ってわたしが寝入るまでどこかで時間を潰し、朝は早々に目覚めていたようだった。

 彼の色味の薄い髪が朝日に透かされて淡く輝く。白群の瞳はひどく気遣わしげに私を見つめている。

 ――明るく、あたたかい色。

 彼は異国の血からくるこの色を「生きにくい」として嫌っていたが、まるで終わらない夜から連れ戻してくれるようで、わたしはひどく救われた気持ちになった。

「うなされていましたよ。大丈夫ですか?」
「うん。心配かけてごめん」

 微笑んで答えると彼はなにか言いたげにしていたが、わたしと同じように微笑む。

「無理はしないでください」
「ありがとう。あの、ごめんね。あなたほとんどこの部屋にいなかったじゃない。気遣ってくれるのは嬉しいけど、ちゃんと休めたか心配で」
「大丈夫ですよ。私もちゃんと休みましたから」

 涼しげな顔には疲労の色は見えない。

「汗をかいていますね。ほら、風邪をひきますよ――失礼」

 わたしの頬を伝う汗を彼が手拭いでそっと押さえる。
 その手はわたしの肌に触れないように、ひどく慎重なようだった。
 頬に僅かに震えが伝わる。まるで壊れ物を扱うかのようなその触れ方。

 無名はいつもそうだった。そしてそこに秘められた意図に――わたしも戸惑いを隠せない。

「ありがとう。自分で拭けるから」

 手拭いを受け取ると無名はどこか困ったように笑った。
 自分の不器用な触れ方を誤魔化すかのように。
  
 無名とは故郷の村にいたときから、親しい友だった。
 それは――いなくなってしまった十夜も含めて。

 わたしたちは三人でいることが多かった。

 わたしは父の香木売りを手伝い、無名は――本人曰く医者の『真似事』をしていた。そして十夜は化粧師だった。
 普通に生き、仕事をして、恋をして。ただそうして過ごしていただけだったのに。

 ――わたしたちは、普通ではなかった。
 
 だから村は燃え、十夜は死んだ。

 そしてわたしは生きている。あの人の言葉に縋って。

「支度を済ませるね。今日のうちに雪の降る町へ着くはずだから」
「はい。羽織るものを用意しておきましょう。こんなに暑いのに変な気分ではありますが。下で待っていますね」

 そう言って彼は部屋を出る。
 訪れた静寂は、ふたたびあの悪夢を揺り動かした。

「――十夜」

 からっぽの身体を抱きしめても、わたしはもうあの人のぬくもりを思い出せなかった。

 ――わたしはまだ、生きているのに。





 雪の降る日鳴と呼ばれる町はずいぶんとひどい状態だった。
 季節外れの雪を恐れて商人が訪れず、作物は冷害で駄目になってしまったそうだ。
 なにもわかっていないのだろう――子どもたちは雪にはしゃいで走り回り、大人たちは青い顔をして立ち尽くしている。
 何人かで固まり、今後について話し合っている人たちもいた。

「旅人かい?残念だけど、引き返した方がいい」

 青い顔で話しかけてきた男に、無名が問う。

「まあ……旅人ですが、話があります。この町の長は?」
「長は外出しておりまして。代理の方ならおりますが……」
「ならそこに案内してほしい――私は祓えを生業にしています。何か役に立てることがあるかもしれない」

 無名がそう告げると、彼らは慌てて長代理の元へと案内してくれる。
 あまり愛想の良くない無名のやりとりを若干はらはらしながら聞いていたが、町民は気分を害した様子はなさそうだった。

「ご案内致します。旅の方――どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」

 わたしは礼を言うと、無名と共に町民の後に従った。

 その最中に町並みを見れば、真夏の降雪という異常事態はあるものの垣間見える普段の暮らしぶりは悪くなさそうだった。人々は簡素ではあるもののしっかりとした生地の着物をきていたし、健康そうだ。ほとんどの家屋がしっかりとした造りで、広さもありそうである。この町はたいへん豊かなようだった。
 だからこそ、今回の出来事に恐れ慄いているのだろう。

「長代理の方は、こちらにいらっしゃいます」
「これはこれは――美しい神社ですね」

 愛想が良いとは言えない無名がそう口にだしてしまうほど、案内された神社は美しかった。

「我らが神の御座す、明乃神社でございます」

 町民はどこか誇らしげに名を教えてくれた。
 
 鳥居は鮮やかな朱色で中央に太陽の意匠が彫られている。参道はまっすぐ東に向かうように設計されており、淡く雪の降り積もった白い石が敷き詰められていた。
 おそらく太陽がでてれば光を反射してきらきらと輝くのだろう。拝殿とその奥にある本殿も太陽が登る東向きに配置されている。

「こちらはどなたを祀られているのですか?」
「太陽神の豊玉明乃陽澄様です」
「そうなんですね」

 わたしが会話する隣で聞き慣れない名だな、と無名がぼそりと呟く。

「それに太陽神なのに『豊玉』とは……」

 無名は何が疑問があるようだが、そういった方面に明るくないわたしには何が問題なのわからない。

「とよたまのあけのひずみ……」

 響きの良い名だが、確かに聞き覚えのないものでもあった。
 しかし八百万の神というくらいなのだから、特に不思議ではないのでないだろうか。
 そんな風に私が物思いに耽っていると「あ、」と町人が声をあげる。

「――茜様」

 大きく拓けた拝殿の前には、巫女装束に身を包んだ美しい女性がいた。

「あら、そちらの方々は――お客さまかしら?」

 優しげな声が問う。
 歳の頃はわたしより少し上――二十歳くらいだろうか。
 淡雪のような白肌に、青みがかった黒い瞳。肩口で切り揃えた髪の一房を筒状の髪飾りで結えている。

 わたしはその巫女が、この雪空の下で裸足に草履であることに気づいた。

「茜様、この方たちは――」

 町人が彼女に説明をしている間も目を離すことができなかった。

「――そう、わかりました。あとはわたくしが引き受けます」

 説明を受けて彼女は町民に礼を言って帰るように促す。男は何度も茜に頭を下げると、その場を立ち去った。

「さて」

 くるりと彼女が振り返る。そしてそっとと近寄ると、ほわりと暖かい空気がわたしたちを包んだ。
 あたたかい。そして彼女が歩いた場所は、雪が溶けている。

「これは……」

 無名が明らかに警戒する様子を見せた。わたしも思わず息をのむ。しかし彼女は意に介さずににっこりと微笑んだ。

「此処ではお寒いでしょう?わたくしの住まいでよければすぐそこですので、まずはお休みになってくださいな。お話はそこで致しましょう」





 茜が案内してくれた彼女の自宅は、神社の裏手にある日本家屋だった。
 町民たちの暮らすそれとは一線を画す、天井も高さのある美しい建物だ。

「お寒かったでしょう。火鉢ではなかなか暖まりませんもの。お嫌でなければわたくしの側にいらしてください。少しは違うと思いますので」

 温かい茶を出しながら、彼女はそんな風に微笑んだ。
 そんな彼女が側にくると温石を抱きしめているかのように、空気が柔らかく温まっていくのを感じる。

「――餌人の寵愛か」

 茜に近寄ろうとせずに無名は呟く。その瞳には強い警戒心が宿っているのが見てとれた。
 その言葉に茜は瞳を歪ませて微笑む。

「ええ。『えさびと』。そんな風にも呼ばれますね。でもそれは貴方もそうなのでしょう?異国のお方」
「私はこんな『なり』ですが、この国の生まれですよ。まぁ、血は混ざっているでしょうから否定はしません。親のことなぞ知りませんし」

 肩をすくめてうんざりとした様子で答える無名に茜は言葉を続けた。

「それは――失礼致しました。でも餌人に国は関係ありませんものね。お二人はどちらから?同じ里の生まれなのですか?」
「はい、そうです」

 生まれを聞かれたくない無名の代わりにわたしが答える。
 同じ村にいたのは本当だ。
 無名が定住したのは村で生まれたわたしよりも随分と後だけれど。

「では守護者のいる『餌人の村』でしたの?」
「はい。今はもう、ありませんが」
「では――無名さま、とおっしゃいましたね。貴方を餌として喰らっている『鬼』は村を守護していた存在ですか?」

 茜の瞳は無名の向こう側を透かしたように見つめている。
 無名は感情の読めない声音で答えた。

「その通りです。私の中にいる『鬼』の名は鞘の夜と書いて『さや』と言う。村が人外に襲われているというのに、私が鞘夜の継承に手間取った。だから村は滅んだ」

 ――そして十夜は死んだ。
 淡々とそう続きそうな言葉で無名は告げる。
 
 村には守護者がいた。背の高い、美しい女性で彼女は自身を『餌』として鬼と――鞘夜と契約しその力で村を守っていた。
 そしてその後継に無名を指名していた。しかし時期が悪かったのだ。
 無名は悪くない。あれは事故のようなものだった。
 それでも彼はずっと自分を責めている。

「私たち餌人は、人外の力を増幅させる。それゆえ、狙われやすく守護を必要とする。茜――お前は何に守護されている?」

 無名の言葉に茜は「わかっているでしょう」と微笑んだ。
 彼女は壺に生けられた名も知らぬ花に手を伸ばした。白く大きな蕾は膨らんでいて、咲いた時にすぐに愛でられるように側に置かれたのだろう。
 しかし、

「――ヒズ」

 彼女がそう囁くと白い蕾には淡い光が灯る。そして重たげな花弁を振るわせ、うつくしく花開いた。

「やはり豊玉明乃陽澄か」

 無名が顔を顰める。

 とよたまのあけのひずみ。略してヒズ。
 神格の名を、茜は実に素直にそう呼んだ。深く畏れ、敬うのともまた違う。
 それどころか幼子をそっと呼び寄せるような、そんな素朴さすら伴う声音だった。

 なかなか暖まらぬ部屋でも無名は茶に手を付けず、そして視線を落としてぎゅうと膝の上で両の拳を握った。

「神格をそのまま身に降ろせば、餌として直ぐに尽きていくことになるだろう」
「ええ、存じております」

 茜は茶で喉を潤しながらにこりと微笑む。
 それに対して無名は言う。

「私の『鬼』は――鞘夜は、代々の守護者を餌として食らい尽くさない為に、鬼に身を落とした。神格のままでは我らは餌としての消費が激しすぎる。しかしそれは異色の気遣い。貴方の『ヒズ』とやらがその証拠だ」

 茜は湯呑みをことりと折敷の上へ置いた。そして

「神格は――」

 と、これまでのやわらかな声音から一転。わずかに低く、感情の薄れたような声音で告げた。

「神格は常に人など見ていない。見たいものだけをみて、愛したいものだけを寵愛する。それは貴方も知っているんでしょう?」

 巫女は花弁が突如舞うようにふっと無名の前に移動し、彼のおとがいをその白い指でやわく掴んだ。

「無名さま。わたくしとこの町のことは放っておいてくださいませんか」
「――それはできない」

 美しい巫女に見つめられたまま、無名も目を逸らさずに告げる。

「私はもう二度と、失敗したりはしない。利己的な理由でもいい。それが私にとっての償いになると信じている」
「ヒズの――神格の付くわたくしに、鬼となり神に劣るあなたの鞘夜が勝てると思うのですか?」
「それでもだ。――見て見ぬふりはできない」

 無名はずっと村の壊滅と十夜の死に責任を感じている。
 そうして苦しんできた姿をわたしは見てきた。

「では、六花さま。あなたは?」

 無名から手を放すと茜はこちらに向き直る。

「わたしは――」

 わたしはどうなんだろう。
 十夜を亡くして――それでも彼の言葉でまだなお、生かされている。
 無名が人外を斬ることで償いを感じているように、わたしはただ生きることが償いであると信じている。

「六花さま。ひとつ助言を差し上げましょう」

 今度はその白い指が、わたしに触れる。
 あたたかい。やわらかい。そして――優しい香り。

「亡者の言葉は現世を生きるものには重すぎるでしょう」

 また、だ。
 彼女にはいま目の前にあるもの以外のものが見えているらしい。

「荷を捨てろとは申しません。しかし、少しばかり他人様に預けてはいかがでしょうか――あなたには無名さまもご一緒ですし」
「これは、わたしのものだから――」

 十夜がわたしにすべてくれたものだった。でも、死なないことと生きることはきっと違った。だからわたしはそれを、考えあぐねいている。
 手放せ?預けろ?それもまた正しいのかもしれない。
 
 しかしそれらの言葉がわたしにはひどく遠く、重く感じた。

「そうしてひとりで、背負っていくというのですか?」

 ちりん、と彼女の鈴の耳飾りが音を立てた。茜の青みのある黒い瞳がこちらを見ている。まるで鏡かのように。

「あなたも、わたくしのように――」
「――その辺にしてやってくれませんかね」

 茜に呑まれかけていた空気を、無名の言葉が引き戻した。
 わたしはかたまりのようになった呼吸を、ゆっくりとひとずつ吐き出した。
 嫌な汗が滲む。
 思わず咳き込むと、生理的な涙が滲んだ。
 それでもあの日からわたしは『泣けない』ままだ。

(――十夜)

 あなたはわたしをよくしっていた。

(だから、わたしは生きている)

「六花、大丈夫ですか?ゆっくりと呼吸をしてください」

 俯くわたしに声をかけながら、無名は茜に言う。

「まったく。六花が何を抱えていようと、お前には関係のない話だ」
「あら――でしたら、無名さま。あなたにとって、わたくしの事も関係ないですよね?そのままお返し致しますよ」

 にこにことしながら言う茜にうんざりとしたように無名はため息を吐いた。
 そしてようやく、出された茶に手をつける。

「話をきかせて欲しい。最初から言いたいのはそれだけだ」
「ふふ。不器用な方――」

 出された茶が美味しかったらしい。無名のその青い瞳はほんの少しやわらかに細められ、しかし他にも何か考えているようでもある。

「茜――茶の礼は言っておく。寒いので、ありがたい」

 そう言われた茜は嬉しそうに笑う。
 その微笑みは超然とした巫女のものではなく、年若い素朴な女性のものだった。

そんな彼女に問われた言葉が、私の頭をぐるぐると巡る。

(わたしの償い。わたしが生きている、理由)

 言葉にすれば陳腐なものでも、抱えていればひどく重く感じる。

 無名に逸らされ、そして守られたわたしの中の十夜については、未だ――語れないままだ。


2025/03/19

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