黄の類似

<世界樹>での研究は多岐に渡る。いくらレイが病弱だとしても、仕事をしなくて許される理由にはならない。長いプラチナブロンドをシニョンにして、白衣を着ればいつもの弱々しい自分など消えてしまう。所詮、ワーカホリックなのだ。
 彼女の仕事部屋は通称<テレビボックス>と呼ばれている。壁一面にホログラムが映し出されていて、常に最新の情報と資料が流れている。ちかちかと点滅する光と、パソコン。傍らには開発に取り掛かっている<作業用義体>通称ワーカロイドが何体も作業台に横たわっている。
 レイが主に関わっているのはこれらのAIの開発だ。
「ワーカロイドAIA+1221型の評判はどう?」
「はい、先生。ええっと此処に企業からの報告書があるっす」
 助手の青年が端末を弄るとレイの目前にホロ画像が出現する。近視用の眼鏡をかけて彼女は企業からの報告書を凝視した。
「ここの企業には試験的に接客業に特化したタイプを配置したわね」
「はい。AIAタイプは清楚な外見と、有名女優からサンプリングした声紋で方々の男性に人気だそうですよ。お客の声のトーンから行動パターンを変化させる半自立的な思考回路は評判が良いそうです」
「擬人型……主に人の女性に似せた外見のほうが受けがいいものね……」
「男は単純ですからねえ」
 助手は無精ひげをなでながら笑う。
「可愛くて、おっぱいがあればいう事なしっす」
 レイは頬杖をついて、溜息を吐く。
「結局人の心理ってそんなものなのね。いちいちワーカロイドなんて使わなくても人間の女性を使えばいいのに……」
 ワーカロイドが市場の主流になってきたとはいえ、維持費はかかる。人件費のほうが安いくらいだ。
「でも、人間の女にできないことがこいつらにはできるんですよ」
 機械は病気にはならない。休みもいらない。力仕事だって任せられるだろう。思う存分酷使できる。ある程度の金とメンテナンスを惜しまなければ。
「とりあえず、思考パターンに問題がないか様子を見て。良好なら市場にも流せるでしょう」
「大丈夫ですよお。AIAは元々、掃除とかのハウスメーカーに特化してましたからね。半自立型人口知能のテストとはいえ、接客はどうかと心配だったんですけど。あれなら、俺も接客して欲しいですもん」
「……はあ」
 レイは机に突っ伏したくなった。
「男の人ってみんなそうかなあ」
「レイさん?」
「兄さんも、そうなのかしら」
 オーカを可愛がっている(というのも奇妙な表現だが)兄を思い出す。
 機械たちが人と変わらないようになれば――あるいは、人以上の存在になれば、共存を望むのだろうか。この助手のように。
 単純な男性のように。



 その晩、仕事を終えて帰ると兄が夕食を準備していた。キッチンの床の埃が少し気になる。この調子だと他の部屋も汚いだろう。週末には掃除をしなければ。
 二人で暮らすには広すぎる屋敷も、ワーカロイドがいれば手入れが楽なんだろうという自分の思考をレイは未だに拒み続けている。
「兄さん、ただいま……」
「おかえり」
 ふりかえり微笑む兄の顔をみるとほっとする。研究室に居る時の自分とはちがう、素の自分になれる。きびきびと振舞う事も、指示を出すこともしなくていい。甘えた妹になれる。
「今日はエンリケに新しいレシピを教えてもらったんだ」
 アーサーはうきうきとプライパンをうごかしている。眼鏡越しのグリーンアイズは子どものようにきらきらしている。28とは思えない無邪気な笑みである。
 兄の親友であるあのスペイン人は料理が好きだと聞いている。何回か顔を会わせたことがある。太陽のように明るい良いひとだ。
「美味しいと思うよ」
「兄さん、手伝うわ」
「いいよ」
 早くに両親を亡くしたせいか、アーサーはとてもレイに優しい――否、甘い。
 いくら戦争成金で資産があろうが、両親のいない生活は楽ではなかった。入れ替わり立ち代り、世話をしてくれるひとは変わったし、一時期は保育用のワーカロイドがいたときもあった。
 そしてどんな大人たちよりも、そのワーカロイドは優しかった。
 SSLAB自立型人工知能搭載、保育専用機<エミリア>。ありふれた型番の、ありふれた人工知能。しかし『彼女』は確かにアーサーとレイの母だった。
 編んで垂らした濃紺の人工毛も、子供達の体温すら見透かす優しい黒い瞳も、眠くないとぐずるふたりをあやすあの、冷たいてのひらの優しさすら。今も、まだ、鮮明に覚えている。
「エミリアがいたら、」
 そう呟くと兄の動きがぴたりと止まった。
「この屋敷はまだ明るかったかな」
 じゅうじゅうとフライパンからする音だけが響く。
「私は仕事に行く以外寝たきりだし」
 病弱なこの身体を恨む事は多い。彼女は<エミリア>のように重いものを動かすこともできなかったし、パワフルに動くこともできない。それでいて、他人を第一に考えることなど――もっとできない。
 ある意味、ワーカロイドたちはとても一途な存在なのだ。
 自身をかえりみず、他人に尽くすことを『知って』いる。
 それはかつてイエス・キリストが教えた『アガペー』というものにとても近いのではないかと、レイは思う。
「エミリアの話はやめよう」
 そうとだけ兄は呟いた。
 エミリアが居たこと。エミリアがいないこと。その両方が彼にとってはまだ傷なのだろう。
『彼女』はまだ彼の過去になれていない。
「兄さん、焦げるわよ」
「わ、やばっ」
 アーサーは慌ててプライパンを掻き回した。
「お前は休んでなよ。食事は兄さんに任せておいて」
「兄さん」
 貴方は気づいていないんでしょうね、その優しさが私にとってどんなに毒か。どんなにどんなに甘美な、ものか。
「ええっと、次なんだっけ……オーカ!レシピの続き!」
 アーサーが呼ぶとすぐに端末が反応する。
『はい、アーサー。具材が炒め終わりましたらトマトソースと一緒に煮込んで……』
 喋り始めたオーカを遮って、レイは笑った。
「いいわ、オーカ。お疲れ様。あとは私が手伝うから」
『わかりました。レイ』
 レイの知識と心を――MOTHERをインストールしていない兄を助けるのはいつだってこのオーカだ。
 携帯端末を変えるたび、バックアップをとったオーカをインストールして『彼女』はいつもアーサーの傍に控えている。
 オーカはレイが初めて造った人工知能を備えた秘書型ソフトだ。対人インターフェイス用のホログラフは搭載していない。好みでできないことはないが、兄は音声のみを利用している。
「ええ、とレシピはこれね」
 オーカが用意してくれたレシピを読み上げる。
「悪いな、疲れてるのに手伝ってもらって」
 唇が弧を描いた。兄さん、貴方なにも知らないのね。
「好きな事だもの、手伝うわ」
 とても好き。
 料理をすることが。話すことが。手伝うことが。
 にいさん、
 あなたと、いることが。

 とても、すきよ。


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