ごちゃ倉庫
◎卒業
2016-3-16 12:22
卒業
ーあの頃の思いとは、随分前に卒業した筈だった。
ちゃんと。卒業したと、思い込ませていた。
けたたましく、ざあざあと降る雨が窓淵に当たる。
春の長雨…ではないが、ここのところ太陽の姿を見ていない。いつも雲か雨だ。
うっとうしくなるくらいの厚い雲が、今日も夜空を覆い月を隠している。
(春は嫌いだ)
湿った煙草のフィルターを加え、ひっそりと思案する。
辺りには、雄の欲望の匂いが立ち込め、情事の後を色濃く残していた。
気だるい空気も辺りに充満している。
ぐしゃぐしゃに乱れたシーツと、ベッドの隅にあるティッシュが沢山入ったごみ箱。
もう何度も見馴れた光景に、うんざりとしてしまう。
生嶋陽斗(いくしまはると)は、火をつけていない煙草を口に加えたまま、下半身だけシーツをかけた状態で、ベッドでぼんやりとしていた。
その瞳には何の色も見出せない。
ぼんやりと、ただ何も考えずに雨音を聞いている風でもあった。
同じように陽斗の隣、昨夜散々抱き合ったベッドにいる男は上半身を起こし、ぼんやりとしている昨夜激しくむつみあった陽斗を見る。
下半身だけシーツを纏い、憂いを帯びた顔でぼんやりとしている陽斗は、どこか消え入りそうな色気を帯びていた。
こんなに近くにいるのに手の伸ばせば、すっと消え入りそうなくらい、その姿は頼りなく。
ふと、消えてしまいそうで。
男は思わず陽斗の腕を取り、陽斗の顔を伺った。
「どうした?」
「ん…?何が?」
「なんか感傷に浸ってんなーと思って」
「…そうか?」
陽斗は男の問いに、ふ、と力なく右端だけ口端をあげて笑う。
「そんな事もない…」
そしてまた、隣にいる男の事など気にもせずにぼんやりと視線を宙にやった。
どこか遠くを見るように。
まだ夜更けなのに眠らずにどこか心ここにあらず、別の場所を見ている。
何を思っているのかわからない。
誰を思っているかもわからない。
普段クールな陽斗は、いつもよくわからない。
「なぁ…」
男は陽斗に近づき片腕で陽斗の腰をよせ、後ろから抱きつくようにすっぽりと陽斗を抱きしめた。
陽斗は一瞬、嫌そうに眉を潜めたが、男はそんな陽斗の反応など無視し、陽斗の耳元に口を寄せる。
「もう1ラウンド、やろうぜ?」
「けだものが…」
「仕方ねえだろ?やっとお前が捕まったんだ。一回くらいじゃ、たんねー」
「……」
男はそう言うと、陽斗の首筋に噛み付き、赤い朱を落としていく。
くっきりと残る鬱血。陽斗の肌は元々白いので、よくその赤が映える。
ちゅ、ちゅ、っとわざとらしい、音。
どこかいつもクールな陽斗への意趣返しだろうか…。
嫌がって抵抗する陽斗の反応に楽しんでいる風でもあった。
「痕…やめろって……」
「やだね…。あんた、どうせまた、何人もあの店で男と寝るじゃないか…。
俺のもんだって…マーキングしとかねーと…」
「はぁ?俺を物扱いするんじゃねーよ…」
陽斗はぎゅっと腰に回った男の手を抓り、加えていた煙草を近くの机に置いた。
ようやく空いた、陽斗の口。
男はすぐさま、待っていたかのように素早く陽斗の腰に手を回し、身体を引き寄せ空いた唇にキスを落とす。
くちゅ…と音を立てる激しいキス。
口内を激しく犯す、舌。
ねっとりと、歯列までなぞられれば、陽斗の身体はゾクリ、と欲に煽られる。
唇を離す頃には、銀色の糸が二人を繋いでいた。
「どうして今日俺と寝る気になった」
「は?」
「いつも断っていた癖に」
「それはお前がタイプじゃないから…」
男と陽斗が出会ったのは、男同士が一夜の相手を探す事が出来るような、隠れたゲイバーだった。
とても雰囲気がよく、普通のバーとして通う客も数多くいたけれど。
陽斗はそこの常連であり、またそこのクイーンだった。そこは、陽斗を誘う場所であったといってもいい。
皆、若くて綺麗な女王様のような陽斗と寝たがった。クールで、そこはかとない色気を漂わせた陽斗と。
陽斗は、毎夜、一晩だけの相手を探す。
たった一晩だけ。
二度はない。
一度だけの関係を。
恋愛相手を探している様はない。本当にただ、寝るだけの、欲を解消できる割り切れる相手を探しているようだった。
特に陽斗は、優男や甘い顔をした男とよく寝ていた。
昨夜陽斗を散々抱いた男…名前を吹雪新之助というのだが、吹雪もまた、たまたま入ったゲイバーで陽斗に一目惚れした一人だった。
吹雪自身、陽斗と出会ったバーに入ったのも偶然で、それまではどちらかといえば女の方が好きなバイだった。
なかなかの美丈夫だったので、今まではそう寝る相手に不自由はしなかった。
いつもいつも可愛い女の子(たまに男)が吹雪に奉仕していたし、時には寝ている間に寝込みを襲われたこともある。
吹雪自身、寝る相手など吐いているし、今まではそう固執しなかった。
のだが、何をどうしたか吹雪は陽斗を一目で気に入ってしまい、以降バーで会った日には毎日のように口説いている。
それは普段、誘わなくても相手が誘ってくる吹雪にとっては初めての行為だった。
他の陽斗を狙う視線も沢山あるのだがそれに奥する事なく、吹雪は日課のように陽斗にアタックし続けた。
でも…
「いつもお前はそう言っていたよな。俺がタイプじゃねーからって。
ならなんで今日は誘いに乗ってきやがった?」
吹雪は陽斗の唇を啄みながら、低く掠れた甘さを含んだ声で問う。
陽斗が寝てきた男達は、確かにガッチリとした雄の気配の吹雪と違い、優男風な男が多かった。
いい意味でいえば王子様。悪く言えばあまり筋肉ついてなさそうな優男と。
吹雪は吹雪で、粗野っぽい、野性味的な男だったので陽斗の寝るタイプとは外れていたんだろう。
吹雪と陽斗が出会って早半年。今日まで陽斗は頑なに吹雪のことを断っていた。
吹雪も吹雪で、普段相手に不自由したことのない自分の始めての敗北からか、陽斗を口説くのに命がけになっていた。
ここ最近はもっぱら右手がパートナーだ。
同じくバーにいた猫側の人間は、度々そんな一途な吹雪に抱かれたいと陽斗の変わりにどう?と声をかけていたけれど。
あいにく、吹雪は陽斗しか見えなかった。
吹雪自身今まで知らなかったのだが、実は吹雪は思い立ったらずっと一途だったのだ。
昔、一直線馬鹿と友達に吹雪はからかわれたが、こういう意味だったのかとここにきて気付いたほどだ。
「なんで、今日になってokした?」
「別に……ただ……」
躊躇うように、一瞬、陽斗の視線が左右に揺れた。
陽斗の一瞬の異変も気付いた吹雪は怪訝そうに眉を寄せる
「ただ、今だに引きずっている自分を汚したくなっただけ…」
「は?」
「卒業、できない自分に…」
ポツリ、っと陽斗は零した。
それはよくよく聞いていなかったら雨音に掻き消されるくらい小さな小さな声だった。
耳を凝らして聞いていた吹雪だから聞けた声だ。
未だに、雨はざあざあと降っている。
この分じゃ、数時間先もきっと雨だろう。
今満開の桜も、きっと散ってしまうに違いない。
せっかく、綺麗に咲いているのに。
きっと、次の日には、あんなに綺麗に咲いていた桜も地に落ちる。
「これから話す事は…ただの昔話だ。興味ないならすぐに忘れてくれて構わない」
唐突に、陽斗はそう切り出すと、昔話でもするかのように目を閉じる。
吹雪も、特に何も言わずに静かに陽斗の言葉に耳を傾けた。
ざあざあと、雨音が二人の耳に大きく響く。
「あるところに、どうしようもなく先輩が好きな後輩がいたんだ。それはそれは、言い表せないくらい、どうしようもなく好きで好きでたまらない、先輩が。
後輩は先輩のことが好きだった。
普段クールと称されるその後輩が寝ても覚めてもその先輩一色になるくらい。それは初めて後輩が自覚した恋心だった。
その先輩ってのは、実は男で後輩も男で、この恋は一般的には知られてはいけない禁忌の恋だった。男同士、なんて、学生時代はすぐ割り切れないだろ…?
でもさ、後輩はこの恋心をしまっておけなくて。ある日先輩に告げたんだ。先輩が好きですって。愚かだよな、周りのこと考えずに」
「それで…?」
吹雪は否定も肯定もせずに、静かに先を促す。
「先輩は少し困った顔していたよ。そりゃ、先輩がゲイって噂聞いてなかったし、雰囲気がげいっぽくなかったからさ。
ああ駄目かなと思ったよ。でも、優しかった先輩は言ってくれたんだ。
『じゃあ試しに卒業するまで付き合おうか』って。愚かな後輩は先輩の残酷な優しさに気付かなかったんだ。気付かないで、付き合って、ますます恋におぼれた。
あの日振られていたほうがまだ、マシだったのかもしれない。偽りの恋を知らないまま、初恋を終われたから。
今でも、覚えている。桜が舞い散る日。
先輩が卒業する日、後輩はあっさりと別れを告げられた。もう卒業するといって。後輩からも卒業するといった」
つぃ…と陽斗は瞳だけ、吹雪に動かす。かちりと合わさる視線。
その泣き出しそうな瞳で、吹雪はわかってしまった。
今の話の後輩は陽斗℃ゥ身のことだったと。
「優しかった先輩は、とても慕っていた後輩に嫌われるのが嫌だったんだろうな。勘違いするくらい、優しかった。優しくて残酷で。そして、一人卒業していった。
恋焦がれた後輩を置き去りにしたまま。
初めての恋がああだったからさ。
なんとかして新しい恋をとか思っても、どこか怖くてさ。でも、先輩がいたら前に進めなくて。だから俺…後輩は必死に恋に溺れるふりをして。先輩に卒業したふりをして
最近、ようやく、忘れたと思ったのに」
「……」
「先輩、結婚するんだって。葉書送られてきたんだ。
優しくて残酷な恋を教えてくれた先輩が。未だに春の季節になると、思ってやまない先輩が。
そんな先輩が、今度結婚するんだ…。
やっと、忘れられると思ったのに…。やっと、忘れようと思ったのに」
残酷だよ…。
つぅ、っと一筋、陽斗の瞳から涙が零れ落ちた。
陽斗は自分が泣いていることすら、気付かないのかそのまま淡々とした口調で言葉を続ける。
「俺だけ、いつまで建っても卒業できない。あの頃のまま、先輩に」
恨むような、悲しむような、寂しがるような不思議な口調。
「先輩はとっくに卒業しているのに。俺だけ前に勧めない。俺はっ…今でも先輩が…」
叫ぶ、陽斗。
泪を零しながら、まるで自虐するかのように叫んでいる陽斗は痛々しい。
普段、男を手玉に取る女王様の姿はない。
そこには、昔の恋を忘れられずに一心に泣く、か弱い恋に臆病になった男しか…。
卒業できないと嘆く、恋に破れた可愛そうな男しかいない。
吹雪は咄嗟に何も言わずに片手で陽斗の目元を覆い、肩を抱き寄せる。
「お前…」
「黙れ」
吹雪はぴしりとそういうと、そう以上言葉はいらないとばかりに、陽斗の首筋や耳元にキスを落とす。
吹雪の広い胸板に、陽斗の身体は寄りかかる状態になっている。
「泣け」
「……」
「なくだけ泣いて、早く卒業しろ。そして俺を永遠に好きになれ」
なんという、言い草だろうか。
「俺を好きになったら、一生俺から卒業なんかさせないから」
「……なに…それ……」
「まんまの意味だ。覚悟、しろ…」
陽斗の目元を隠していた手を外し、代わりに陽斗の顎を掴む。
そして、
「俺は一生お前を離さない」
吹雪はそういうと、噛み付くように陽斗にキスをした。

