セバスチャンは優雅に笑う
【セバスチャンは優雅に笑う】
あんなやつ、大嫌いだ。
ずっと、そう思っていた。
僕の家に仕える執事、セバスは、徐に僕の首にかかったタイを外した。
シュルっと音を立てて、シャツから滑り落ちる様は漫画の1コマのようであった。
セバスは楽しそうに僕の様子を観察しながら、ゆっくりと頬に手を伸ばした。
冷たい指先が、頬を包みこんだ。
「怖いのですか?
ハウル様…私が…」
感情の籠ってない声で、ハウルは尋ねる。
「怖く…なんか…、」
まるで僕のことをすべて見透かされているような視線に、逃げ出したいくらいの恐怖を抱く。
唇はハウルを前に震えていたが、平常心を装って手を握り、身体に力を込めた。
怖がる素振りを見ていたら、主人であるのに執事に侮られる、そう思ったから…。
侮られたくない一心で、セバスが僕の服を脱がしても逃げることなくセバスを見据えた。
「僕は、お前の主だ」
「ほぅ…」
セバスのかけている眼鏡が、キラリと反射し光った。
眼鏡の奥にある瞳はどこか嗜虐的に輝いていた…。
まるで、獲物を見つけた獣のように、楽し気に。
“どうしてこうも、面白い玩具なんだろう。”
そんな声が聞こえてきそうなくらい、楽しそうに笑っている。
こんなヤツ、嫌いだー
…僕を見下した瞳でみるヤツなんか…
僕の思い通りにならない執事なんか…。
この執事、セバス…セバスチャン・クリオネードがきたのは今から一ヶ月前に遡る。
その日がきたのは、極々普通でなんの変哲もない日だった。
「ハウル、彼が新しい執事、セバスチャン・クリオネードだ。
今日からお前の面倒を見てくれるお前専属の執事だ。お前のこれからをサポートしてくれる」
「はじめまして、ハウル様」
抑揚一つない声。感情のなさそうな、冷たい瞳。
皺一つない黒いスーツに着こなし、父さんに紹介された男は、綺麗に90度腰を曲げて深々と頭を下げた。
能面な顔をした冷たそうな男。
人がどんなに困っていても泣いていても、取り乱したり感情を露にしない。
どこまでも冷静そうな男。
それが、執事のセバス…セバスチャン・クリオネードの第一印象だった。
銀のメタルフレームに、一分の乱れもない着衣。
烏(からす)のように黒い髪は、きっちりと左右固め後ろに流していた。
顔の筋肉はぴくりとも動かず、無表情。
その顔は近寄り堅く、 融通が利かない堅苦しい印象を受けた。
ピン、と針がねが入っているかのように、真っ直ぐに背筋を伸ばして、表情のない顔でこちらをじっ、と見つめる様は…まるでロボットのようでもあった。
顔が異様に整い過ぎているのも、生気が感じない原因かもしれない。
スーツの着こなしや、黒々しい髪、皺のない顔からみるに、年代は20代くらいだろう、と推測できる。
これから仕えていく主人を前に、ニコリとも笑わず、まるでこちらを値踏みするかのように観察する視線で見据えるセバスに、僕はいいようのない苛立ちを抱いた。
執事であるはずなのに、主人に媚びへつらうことなく、じっと見つめている視線は自分が下につく人間かを品定めされているように思えた。
執事なら主人のご機嫌くらい、伺うべきなんじゃないだろうか?
僕を前にしても、かしづくこともせず、ただ様子をうかがっているその瞳が初めてあったときから気に食わなかった。
まるで僕の弱い部分も、すべてを見透かされているようにみえたから。
僕が主人に相応しくないと、その瞳はいっているように思えたから。
「なに、また新しい犬を飼ったの?無駄なのに。
どうせ、すぐやめてくのにね。そんなに、僕の監視が必要なの?」
「ハウル」
「執事なんていらない
ぼくは…僕は父さんの後なんて継がないんだからっ。
どんな犬を寄越そうと、僕はあんたの言いなりになんかならないよ」
「ハウル…おまえ…」
部屋を振動させるほど、大声で父さんが僕を叱りつけた。
怒鳴ればなんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。
僕は父さんの会社の人間じゃないんだから、どれだけ怒られたってどうとも思わない。
どうせ、数年後には僕はここを出ていくのだから。
これ以上、父さんの顔を見ていたくなくて、呼び出されていた部屋を出た。
父さんと顔をあわすと、いつも会話にならない。
話がいつも一方的すぎるのだ。
僕の父さんは、息子の僕がいうのもなんだけど、強欲で身勝手な人間である。
自分第一主義で、人のことなんて二の次
僕の母もそんな父の犠牲者であった。
父は有名貴族の出であり、会社もいくつも経営していた。
そんな母と父はかけおち同然で結ばれたらしい。
元々、母は平民の子で、大富豪の父とは結ばれる身分ではなかった。
しかし、今の仕事人間の父さんからは考えられないのだが、大恋愛の末に父さんは母さんと結婚し、母さんは僕を産んだらしい。
そんな大恋愛で結婚した二人だが、僕がしるかぎり父さんは母に優しくしていた覚えがない。いつも怒鳴るかうざったそうに蔑ろにしていた。
死んだ母はそんな父に愛想をつかすこともなく、いつも父の帰りを健気に待っていた。
きっと父さんは、どこぞの若い女とよろしくしていたのだろう。
久しぶりに帰ってきたと思ったら、大抵は女ものの香水の匂いを纏わせていた。
母がいるというのに、父さんは……。
幼い頃から、そんな父さんが嫌でいつも悪口を言っていたんだけどそれを母は笑いながら窘めた。
ただ、不器用なだけなのよ、っといって。
『あの人は、ただ不器用なだけだから。私はずっと、待つの』
病弱だった母は、床に伏せても父さんの帰りを待ち、父さんを信じていた。
自分が死ぬ、その瞬間まで。
父を信じていた母。
信じていた母を裏切った父。
誰よりも美しく優しかった母を、愛してくれなかった父。
母が死んでから、僕の父嫌いは加速していった。
同時に、それまで家庭を顧みなかった父なのに僕のことを干渉するようになった。
専属の執事をつけるのも、そのころから始まった。
きっと父は僕を父の後継者としたいのだろう。
母が死んで自分の死を考え始めたんだろう。
父さんの跡を継ぐなんて冗談じゃなかった。
僕は父さんのようにはなりたくなかった。
母を蔑ろにした父さんの会社なんて潰れればいい。
嫌いな父さんが連れてきた執事を僕の近くに置くなんて、考えられない。
息が詰まってしまう。
父につけられる執事という首輪なんてまっぴらだ。
父の部屋から出て行った僕の部屋に、数分後、セバスが一人で現れた。
改めて僕にあいさつを、ということらしい。
ベッドに座った僕に、セバスはまた頭を下げてこれからよろしくお願いします、と僕に言った。
「セバスチャン……だっけ?」
不機嫌を隠そうともしない口調でいう。
「はい、ハウル様」
年下の僕の不躾な態度に、セバスは表情をピクリとも変えず返事を返した。
ポーカーフェイスなヤツ。
父さんもいままで僕が辞めさせてきた執事から学んだのか、今までの執事達とは全く違うタイプの執事を用意したらしい。
何を言われても、反応しなそうな鉄仮面を被っているようなやつを。
「僕は父の犬はいらない。
せいぜい、父のご機嫌取りでもしていろよ
世話なんていらないから。だからあんたも黙ってろ。これは命令だから」
「命令…ですか…」
「そう…。ああ、犬に拒否権なんかないから。だから…」
「ハウル様」
僕の言葉はセバスの低い声にかき消された。
低い威圧感のある声に、ピクリ、と思わず背が跳ね上がった。
セバスの声は威圧的というか…名前を呼ばれれば、落ち着きがなくなる。
何故…。
こんな無表情の執事なのに……
セバスは、困惑する僕のひざ元にかしづき、頭を垂れる。
「坊ちゃん、…私は、旦那様の犬ではありません。
坊ちゃんであるハウル様の…貴方様の犬なのです」
「え…」
「私のご主人様は、貴方様なのです、愛しのマイロード」
そういって、セバスは僕の手に、触れるだけの口づけを落とした。
中世の騎手がお姫様にするような、軽い口づけ。
ビリリ、っとセバスが口づけたところから、甘い電流が走った気がした。
マイロード。
ー私のご主人様。
「貴方に忠誠を。貴方だけに、忠誠を…マイロード」
「セバス…」
「なんなりと御命令下さい。私は貴方の犬なのですから…
貴方だけの犬なのです。」
僕の、犬。
僕の言うことだけを聞く優秀な、犬……。
甘美なその言葉に、心が一瞬揺れた。
しかし、そういって、多くの裏切っていた従者たちを知っている。甘い言葉に騙されてはいけない。
「…お前は僕専用の犬じゃない。
お前は…父さんが寄越した忌まわしい犬だ」
「ハウル様」
「僕は…僕はお前を信じない!」
僕だけの執事という言葉には揺れた。
でも…絶対、その言葉はいつだって偽り。
いつだって、父が連れてきた執事は父のいいなりなんだ。
執事は父の操り人形で、僕の監視役なのだ。
「出てけよ。あんたの顔なんて見たくない」
「ハウル様…」
「出てけ」
もう一度、出てけといえばセバスは表情を変えず部屋を出て行った。最後に一言、「今後よろしくお願いします、私の愛しのご主人様、」と呟いて。
*
セバスはけして僕の思い通りにならない。
僕の犬だといいながら、僕の言うことを聞かない。
なんでも命令は聞く。
なんだってやる。
でもいつも淡々としていて、機械的であった。
何の表情も映さない
なんの感情も見せない。
それが気に食わない。
とても気に食わなかった。
その冷たい瞳が気に食わない。
なにをしても、動じないのが気に入らない。
嫌がりもせずに、僕のいうことをきく。
僕の命令とあらば、なんでも言うことをきき涼しい顔でやり遂げてしまうのも。
ー全てが、
全てが気に食わない。
どうすれば。
どうすればセバスは、僕に表情を見せるのか。
どうすれば僕の思い通りになってくれるのか。
どうしたら父の差し金ではなく僕の駒になってくれるか。
嫌いなはずであるのに、いつしか僕の頭はセバスでいっぱいになっていた。
冷静な執事を僕の虜にしたい、そう思うようになった。
どうすれば、僕のものになる?
本当に僕の犬になってくれる?
日に日に、そう考えることが多くなっていった。
「身体…身体を差し出せば僕のモノになるかな…」
今までの執事の何人かは、僕を襲ってやめたものもいる。
自慢ではないが、美しかった母同様、僕の顔は綺麗だ。
色白で華奢で…女に見られ、女のように男に欲情されたこともある。
昔、男しかいない寄宿舎では、僕は女のように欲の対象とされ、抱かれた。
抱かれるのはあまり好きではなかったが、僕を抱いた男がみるみる僕に堕落していくのはみていて気持ちが良かった。
僕の身体の具合はいいらしく、一度寝れば、まるで何かに憑かれたように僕以外見えなくなるらしい。
まるで麻薬のように、僕を欲しくなるそうだ。
セバスも身体を与えれば僕に依存してくれるだろうか。
僕だけを欲し、僕だけに狂う犬に。
あの冷静な彼が僕に対し必死になってくれるだろうか。
セバスの部屋の前。
誘いををかけようと部屋をノックする為拳を作る。
が、僕がノックをする前に、キィ…っと部屋のドアが開いた。
ドアを開けたのは、もちろん、セバスだった。
「坊ちゃん?こんな夜中にいかがされましたか?」
こんな夜中、といいながら相変わらずセバスはきっちりと執事服を身に着けている。
僕は…といえばパジャマなんだけど。
「お前と」
ゆっくりと唇を開く。
いつもみたいに傲慢に。
なんでもない、って顔をして。
でも、何故か今日に限って声が少し震えた。
セバスが前にいるからだろうか…?
セバスだから、いつもより心が騒めいているんだろうか。
湧きたつ心を抑え、いかにも馴れた誘う視線をセバスに向ける
「お前と、SEXしにきた」
「ほう…」
セバスは僕の言葉に、ただ少し、ほんの少しだけ、瞳の奥をチラリと欲を見せた。
そして…
「…あ…」
強引に腰に手を回され、抱き寄せられる。
密着する、身体。
着やせする体質なのか、その胸板は僕が思ったより厚い。
今まで感じたことのないセバスの男らしい身体に、ドキリ、と胸が跳ねた。
「それは、楽しみです」
セバス…
セバスチャンは、優雅に笑った。