まぐろ
美人は三日で飽きるっていうけどさー、男同士の場合、マグロは三日で飽きるよな。
どんな美人でも、ずっとマグロはねぇよ。
後ろの穴処女なら仕方ないかなっても思うけどさ。もう何回もしてんだぜ?
何も動かないで奉仕されてるのって、何様って感じだよなぁ。
女じゃないんだから。
得意気に言いはなった人間と、それを笑いたてる人たち。それに、呆然とする俺。
最悪なタイミング。タイミングが悪いね…とよく言われる俺だけどあの日のこのはそんなタイミング悪い俺のワースト3に入るくらいのタイミング悪い出来事だった。
数年たった今でもあの時のことは覚えている。
放課後。薄日が入り橙色に教室を染め上げる時刻。
いつもの俺だったら、下賤な世間話など立ち聞きなんかせずにそのままスルーした。
下賤な話にそれほどの価値を見いだせないし時間の無駄だと思うタチだから。そんな話を聞くくらいだったら、参考書でも開いていた方が幾分有意義だと感じるくらいだ。
でも、その時話していたのは当時の俺の彼氏だったから、ついつい廊下に立ち止まり下世話な話に耳を傾けてしまった。
どうして、悪口っていうのは聞きたくなくても聞いてしまうのだろう。
自然と耳に入ってしまうのだろう。
聞いた瞬間、後悔した。
俺の事を言っているんだ…、と気づいた瞬間、顔から一気に血の気が引いた。
(マグロでねだることだけは一丁前の淫乱の、ユキちゃん。)
げらげらと笑われて、ぞっとした。
同時に俺の存在は、そんな笑われるような存在だったのか…と悔しくもあった。
俺が聞いているのもしらないで、元彼は得意気に俺についての話を続ける。
男のマグロはキモいだけだよな…。
いつまでも硬直したまま動かないんだぜ。
やってって誘ったのはそっちなのによ。
前はビンビンに感じるくせに、後ろ触るととたん硬直してやんの。女じゃないっつーのに。
男なんて性欲処理なのにさ。ちゃんと動けっつうの。
周囲の真ん中で笑いながらまるで王様のように得意げに語るのは…俺の当時の彼氏だった。
当時の彼は、サッカー部のレギュラーで学校でも目立つ男だった。
外見も、茶髪で襟足がかくれるほどの長い髪の毛をしており、すこしチャラついた軽薄な男だったと記憶している。
口は達者だが、その実言葉は非常に軽く自分の言った言葉に責任を持たない。そんな男だったと思う。
『顔だけで選んだっつうのによ。全然慣れてないし、なんもしないんだぜ、あいつ。
酷くね?小悪魔ちっくなあんな顔しといて…詐欺ジャン。』
『あの顔は…なぁ…、詐欺だな。』
『だろ?あの顔だったら、もっと百戦錬磨かと思うわけじゃん。
色々奉仕してくれるって期待するわけじゃん』
嫌な笑い声。
ぐわんぐわんと、頭の中で響く。
…今までの彼への恋心は一気に覚め、ああ、もうあいつとは終わりだな、とほんの少し芽生えた恋心にふたをした。
そこまで、当時の彼に思い入れがあった訳じゃない。
好きであっても、ベクトルが違っていた。
彼とずっと一緒にいたいと思うほど、俺は彼を想ったりはしていなかった。
男子校で、その時から男同士の恋愛に興味があったにしろ、そこまで俺は彼に依存はしていなかった。
別に付き合うなら付き合ってもいいか…と思うくらいの軽い気持ちだったと思う。
本気の愛を知った今なら、あの時の恋愛が、おままごとを楽しむようなものだった、といえる。
恋に恋したい、年頃だったのだ。
少女漫画を夢見る乙女のように、ただその体験をしたかっただけ。
好きと言われれば、流されるように俺も好きかも、と言ってしまえるくらいのそんなちっぽけな愛情だった。
付き合ったのも、彼が好きだ好きだと何度も俺に告白してその熱意に負けた感じであった。
好きと言った事もあるし、ねだったこともある。このままこいつとずっといるのかな…なんていま思うと馬鹿らしい乙女チックなことすら、考えたものだ。
いま考えるとぞっとする。
でも、やつのたった一言で悪い魔法はとけて、簡単にその気持ちが吹き飛んだ。その程度の気持ちだった。馬鹿にされたらすぐに切れるほどのあっさりとした細い線のような関係だったのだ。
だから、その日のうちに俺はやつにお別れのメールを送った。
マグロでごめん。別れようよ≠チて。
可笑しな事に、あんなに友人の前で俺の事を笑っていた彼氏だったが、別れを切り出した俺に、別れたくない、どうして別れるんだ、あれは誤解だ等と未練がましくすがってきた。
俺は、それを全て無視したけれど。
別れてから彼は俺につきまとい、かるくストーカーのようになってしまい、卒業するまで俺のやることなすことを干渉してきた。
最後の方はノイローゼにかかってしまい、友人に助けてもらったくらいだ。
そいつと別れてから、何人か付き合ってみたけれど、どうも長続きはしなかった。
昔の彼氏の言葉は、まるで重く十字架のように、俺の心に伸し掛かった。
マグロの、テクなし。
俺は…反論できないくらい、彼が呆れるくらいの…、マグロだったから。
ベッドの上ではテクも何もない、ただの、動けない冷凍マグロちゃんであったから。
どうしても、仲が進展して、いざベッドへ…、となると、足がすくんで動けなかった。
『マグロのゆきちゃん』
あの時の、彼の言葉が、今も俺の胸に染みついている。
ーマグロでも構いませんかー
そろそろ春の訪れが見え始めた、冬の終わり。
俺、深津幸人(ふかつゆきと)は、恋人との逢瀬前に一人頭を抱えていた。
久しぶりの恋人との逢瀬。久しぶりにメールのやりとりではなく、じかに会うことができる。体温を感じあい、抱き合うことができる。
普通の恋人同士だったら、久しぶりの逢瀬なんて喜ぶべきことのはずであるのに。
俺の心は最近、彼と会う前にずっしりと重くなっていた。
会いたいという思いも強いのに、自然に笑顔が作れない。
ついつい強ばった顔になってしまう。
最近はため息も多くなったかもしれない。
好きなのに、どうして俺はこうなんだろう…。
本当に大好きなのに…どうして。
こんな自分が嫌になる。
きっと彼もこんな俺の変化を気づいているだろう。
気遣うような視線が時々何か言いたげに揺れていた。
それでも、俺から言わない限りは気づかない振りをしてくれている。
優しい人、だから。
恋人との久しぶりの逢瀬は、休日の土曜日。
繁忙期もすぎて、久しぶりに休みが重なったのだ。
ずっと楽しみにしていて、携帯のカレンダー機能にもしっかりと登録している。
大人な彼は、本当に忙しい人。
俺たち二人の休日がかちあうのは、少ない。
俺も彼も土日休みの仕事についてはいるんだけど、平日は彼が残業続きのせいか会えたためしがなかった。休日出勤だってここ最近の繁忙期じゃ当たり前のことになっているし、代わりに平日が休みになることも多々ある。
お互いが身体を尊重し休息をとれ…といっているので、連日仕事が続き、たまの休みも疲れていればあうことはできない。
それでも久しぶりに会えれば凄く嬉しいし、彼と付き合えてよかったと思える。
彼に微笑まれれば、俺も嬉しくなるし、彼が何か悩んでいれば、俺まで辛くなる。
会う日数が少なくても、彼自身には全然不満はない。
少しさみしいけれど、ね。
昨日は久しぶりにあえるということで、彼の好きなものをデパートで買いあさった。
大人な彼は、辛いものやお酒が好きだから。
普段の俺だったらあまり買ったことのない食材を冷蔵庫に入れて、彼との休日に思いを馳せる。
わくわくしている気持ちと、でも、このままでいいんだろうかという気持ちと。
彼と会う前はいつも二つの気持ちがせめぎ合い、どこか情緒不安定になる。
早く、会いたい。抱きしめて貰いたい。
だけど…だけど。
それ以上が、怖くなる。それ以上の関係に進むのが。
俺がマグロだとしって、今までの彼氏のようにいなくなってしまうのが。
どうして、俺は…テクもなにもない、マグロなんだろう。
動きもサービスも出来ない人間なんだろう。
もうまぐろといわれた年頃から随分たっているというのに。
これが、魚のマグロ≠フように極上な身体だったらいいかもしれないけど。
もし、俺が女の子だったら、うぶなマグロでもいいかもしれないけれど。
生憎俺は、男で。
しかも、どうにも、俺は誘っているような、色気のあるエロい顔をしているらしい。
友人や元彼が、しきりに俺の顔はエロい…、と褒めていた。
エロいっていっても、俺的に極々普通だと思うんだけど。
ちょっと自分でも、エロいかなぁ、って思うのは目元にある泣きぼくろくらい。
後は、背だって普通だし、髪だって極々普通の黒いセミロングの髪型だし…普通だと思う。
抱かれるの怖いわっていう感じの儚い可愛い感じの男でもないし。
あ、性格はちょっとおっとりしているかもしれない。
人見知りだし、あまり早い会話についていけなかったりする。
ぼーっとしていたら、憂いているだとか、俺たちみたいな子供っぽい会話にあいつは興味ないんだよ、っとか好き勝手言われた。
人から見たら俺はクールな美人キャラらしい。全然違うのに。
クールで、男も沢山いて、スッゴイテクニックを持った小悪魔キャラ、みたい。
全然違うのにな。
本当は、ちょっとぽけぽけしていて、男も毎回イメージと違うからって振られているか、愛想つかれて浮気されるまぐろなのに。
どうして、みんな俺を小悪魔だとか思うんだろう…。
そんなイメージいらないのに。
可愛いイメージだったら、良かったのにな。
そしたら、思う存分甘えることができるのに。
彼も、俺にそんなイメージを持っているのだろうか。
俺を小悪魔ちっくな男と思っているんだろうか。
「はぁ」
人知れず、ため息を零す。
そっと視線をあげると、彼の部屋の中に置かれた彼が映った写真たてが目に入った。
彼の姿を見るだけで、写真なのに、胸がきゅんとする。
恋する乙女じゃないんだから…とは思うけど、止められない。
写真の中のその人は、俺の隣で俺を見て愛しげに笑っている。
本当にかっこいい。素敵すぎるひと。
俺に久しぶりにできた恋人は、俺をデロデロに甘やかしてくれる、優しい大人の恋人だった。
「剛さん…」
俺の恋人・野々宮剛は、俺より4つ年上の28歳。
某企業で働いている、エリートサラリーマンである。
いつも忙しそうに働いていて、一緒にいられる休日なんて稀だ。
大手企業のホープらしい。
黒い堅そうな髪に、真面目そうなストイックな、顔。
いつもきりりとした面持ちで、俺を見てくれる、優しい人。
普段は無口なんだけど、俺と二人っきりになると甘い言葉をくれたりする。
そんな極上の人。
初対面では、無駄口も叩かずただ相槌を打つだけだっただけなのに。
真面目過ぎて、俺みたいなエロい顔の人間なんて嫌いかな、っと思ったのに、剛さんはこんな俺にも親切で優しかった。
俺の、大好きな恋人。一番好きな、人。
多分、剛さん以上の人なんて、これから先俺の前には現れないだろう。
俺を愛してくれるのも、俺が愛するのも。
剛さんが、最初で最後だと思う。
なんて、剛さんに言ったら重いって言われるかな。
剛さんとは、元々友人の紹介で出会ったんだけど、俺は一目見て剛さんに惚れてしまった。
剛さんも剛さんで、俺に一目ぼれしたらしく…。
お互い、意外に小心者だから、探り探りであっていく間に、剛さんの方から告白してくれて…今に至る。
付き合って、三か月。
キスもした。それ以上の軽いボディートークもした。
ボディトークっていっても、上半身を触ったくらい。あと、触れたというくらい軽くペニスを手で握られたくらい。
軽すぎるボディトークだ。
…俺はまだ剛さんに抱かれたことはない。
剛さんは、俺を抱きたいとは言わなかったし、一緒に同じ布団に入っても寝るだけだ。
恋人同士、普通同じ布団に入ったら、セックスしたくなるものなんじゃないだろうか。
俺の魅力がないからだろうか。
でも、抱かれたら抱かれたで、またまぐろのテクなしって事で、失望されたら…?
抱かれたい。でも、抱かれたくない。
失望されるくらいだったら、このままでいい。
プラトニックなままでいい。
剛さんが、俺に飽きて捨てられるまでは。
その日が来るまでは…、このままがいい。
一緒にいられるだけで、いいんだ。
捨てられるその日まで。
「頑張ろ…、」
呟いて、パンッと頬を叩き気合を入れる。
気合を入れ過ぎた頬は赤くなって少し痛かった。
「剛さん…、」
「ゆき…、」
ピンポン、とインターフォンの音が鳴ったと同時に玄関に走る。
ドアを開けたと同時に、ドアの前に立っている剛さんに勢いよく抱きついた。
剛さんは、一瞬、ふらっと体制を崩したが、俺をしっかりと受け止めてくれた。
ぼさっと、剛さんが持っていたカバンが地面に落ちる。
「剛さん、」
ぎゅっと、剛さんの胸元のシャツを握る。
剛さんは剛さんで、俺の背に手を回してくれて、やんわりと俺を抱きしめてくれる。
「ゆき、寂しかったか…?」
「うん、」
寂しかった。
剛さんに会いたかった。
今までの恋人は、けして俺に寂しい≠ニいう言葉を言わせてくれなかった。
どうせ、他の男がゆきにはいるんだろ…って。
いつも、いない恋人について詰られた。
俺だけじゃないんだろ?って。
俺は、付き合ったら、その人しか見えないのに。
もしかしたら、剛さんも、他に俺が男いるとか、考えたことあるのかな。
甘えているのはただのポーズとか考えたりするのかなぁ。
尋ねられたことは、ないけど。
「剛さん…、」
剛さん、俺は、剛さんだけだよ。
身体…まだあげられないけれど…。
俺には、剛さん、だけ、だよ。
想いをこめて、剛さんを見上げる。
すると、剛さんは、かぁっと顔を赤らめて、
「ゆき、キスしたいんだが…、部屋の中にいかないか…、」と、言った。
剛さんは、常識のある大人だ。
こんなマンションの外でキスをするのは…と思っているんだろう。
うん、と頷き、剛さんを家へと招き入れる。
「ゆき…っ」
「つよ…んっ…、」
家へ招き入れた途端、剛さんは俺の背に手を回し、今まで離れた分を補うかのように、激しい口づけをした。
口内をあらすような、激しい口づけ。
ぎゅ、と腰に回された腕を引き寄せられる。
回された腕は、力強く、俺を包むようだ。
俺を離さず、その腕に閉じ込めてくれる。
それが嬉しくて、俺は、すりすりと猫のように剛さんの胸に顔を押し付けた。
「剛さん…好き…、大好き」
俺が小さく呟いて甘えた瞬間、剛さんは、ピク、と硬直した。
「剛さん…?」
「…い、いや…」
おずおず、と身体を引きされる。
なにか…何か、まずい事でもしただろうか…。
なんだか、先ほどまでの嬉しそうな顔から一転、気まずそうな顔をしている剛さんに、不安になる。
「いや、だった?」
「…いや…そうじゃない…。その…、俺の忍耐の問題だから、ゆきは気にしなくていい」
「忍耐?修行しているの…?」
俺の問いに、ますます、剛さんの顔は苦々しくなり、
「そうだ…。すまない…。トイレを借りる」
そういって、急いでトイレへと向かった。
トイレ…我慢していたのかな…。
俺は、地面に落とされた剛さんの鞄を持ち、部屋に向かう。
剛さんの忍耐≠フ言葉の意味を理解しないまま。