1章
今宵、君と月を。
恋は盲目。
誰が最初に考えたかしらないけれど、僕はこの例えがすごく好きだった。
恋をすると、恋した相手に目が奪われる。
対局する磁石のように吸い寄せられ、瞳が恋した相手を捉えようと動いてしまう。
見ようと意識していなくても自然に、目が恋した相手の姿を追う。
ピントを合わせ続けるカメラのように、周りの景色はぼやけてしまって、想い人にだけが、はっきりと視界に映る。
想い人だけを映し、
想い人だけを、捉え続ける。
意識せずとも、自然と想い人のことを追ってしまう。
そういう自分でも制御できない感情こそ、恋なのではないかと思う。
周りなんて色あせて、冷静な気持ちじゃいられない…それが僕の理想の恋だった。
その理想の恋を夢見るように、僕はいつも恋した相手に盲目になっていた。
今も、また。
夜空に輝く月のように、彼は絶えず僕の視線の先にいた。
夢見がちな恋に敗れ恋なんて…、といつしか嫌気を感じていたのに、静止する心とは裏腹に彼を追ってしまう視線は、到底止めることなどできなくて。
盲目的な恋から始まった恋は、いつだってラストは後味の悪いものだって、いい加減学習すべきだというのに。
気づいたらまた、自分では静止できそうにない恋が始まっていた。
恋をする予定なんて、これっぽっちもなかったのに。
自分ではどうしようもない、恋はいつの間にか、また僕の中で始まっていた。
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駅から徒歩10分ほど歩いた、オシャレなカフェが立ち並ぶ通りに面した高層ビルの4Fフロア。
そこが僕の勤める出版社が借りているフロアで、僕の勤務先である。
沢山の会社が入っている高層30F立てのビルは、毎日たくさんの人が行き来している。
ピシッとしたオーダメイドのスーツをきたサラリーマン、仕事ができそうなキャリアウーマン、靴先まで気を配っている敏腕商業マン…。
皆、毎朝一分の時間さえも惜しいと玄関フロアを足早に歩いていた。
教芸出版。
そこが、僕が務める会社である。
古くからある出版者で、OLが好きそうな雑誌から、ご年配が読んでいるような趣味の本まで幅広く手がけている出版社だ。
僕はそこの文芸部署の1つに配属されていた。
僕の仕事は主に、小説家の先生から原稿を貰いにいったり、出版社がどんな題材を求めているかを作家さんと相談し、完成までをアシスタントする役目がある。
簡単に言ってしまえば出版社と、作家の先生のブレーンのような役割をしていた。
作家の先生の仕事がスムーズにいくように、原稿を締め切りまでに貰えるように。
出版社が売れると判断した作品を、作家さんに書いてもらえるように。
他にも色々と雑務があるけれど、僕の主な仕事はその2つだ。
いかに作家の先生から期限までに小説を貰えるか。
売れる作品を担当の先生に書いてもらえるか。
簡単そうに聞こえるけど、実際これが凄く難しい。
すんなりと原稿は貰えることは滅多にないし、作家の先生と出版社側の思惑違いで、ギリギリで原稿を落とすこともある。
僕ら出版社と契約している小説家の先生の多くは曲者ぞろいだ。
偏屈をいって原稿を伸ばしてくる先生もいれば、突然貴方のところでは書きません!なんてへそを曲げる先生もいる。
怒鳴られたり、厄介な作家さんには殴られたり難癖をつけられたりしたことも過去あった。
パワハラなんじゃないか…と悩むことも1度や2度じゃない。
もう辞めようか…と何度辞表を懐に忍ばせたことだろう。
さすがに、この仕事に務めて10年にもなったので、少しくらいなら偏屈な先生だったらあしらえるようにはなりはしたけれど、それでもまだ胸を張れるほど仕事ができているとは言えなかった。
誰よりも早く憧れの先生の作品が読めるという嬉しさもある反面、それ以上に大変なことも沢山あって、毎日ついていくのでやっとだ。
こんな性格も災いして、出世コースからも、大きく逸脱している。
担当につく作家さんも、ちょっと性格に難がある人や、厄介な人にあたることも多かった。
新人でもないし、気も強いわけでもない僕は、厄介な作家さんを押し付けやすいのだろう。
昔から地味で、目立つこともなくて、気が弱い僕。
それは社会人になっても、残念ながら、変わることはなかった。
社会人になったら、気弱な自分を卒業する。
そう思い立ったこともあったのに、結局本質は変えられず、出世街道からも外れて、理想の自分とは程遠い人生を歩んでしまっている。
今の仕事を始めて10年。
仕事が嫌いな訳ではないのだが、時折、漠然とした不安にさいなまれる時がある。
何故、この仕事を選んだのか。
このまま自分のような能力がない男が、会社に残れるのか…なんて。
そんな消化不良な気持ちを抱きながら、毎日会社に行って、仕事をこなしている。
務めたばかりの情熱は、どこに行ってしまったのかと疑問に感じるくらい、最近では仕事に対する熱意は薄れてしまった気がする。
朝、颯爽と高層ビルのフロアを歩く出来るサラリーマンを横目に、知らず知らずのうちに負い目を感じて背中が丸くなってしまう。
いっそやめてしまえば楽に慣れるのかな…なんて辞める勇気もないくせに、そんな後ろ向きなことばかり考えて、眠れぬまま夜を過ごす。
流されるままに、与えられる仕事をこなす、平凡で変わらない毎日。
仕事だけでなく、プライベートも最近は随分と寂しい。
今年で32になったのだが、もう3年ほど恋人らしい恋人はいなかった。
内気な性格が相まって、交友関係も狭い。
極め付きは、僕は女子高生もドン引きするほどの乙女至高なゲイであった。
恋愛対象は男であり、更にいうなら僕は男に抱かれたいと思っている猫側のゲイであった。