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そんな地味で平凡で無気力気味な乙女なゲイである僕の、些細な幸せ。
それは、同じ部署で出世頭と噂されている、夏目君をこっそりと見つめることだった。
夏目漱次《なつめそうじ》
27歳。独身。身長は185センチ。現在彼女なし。
会社の独身寮暮らし。
これが、僕が知る夏目君の大まかなデータだ。
彼、夏目くんのことを説明すると、とにかくスマートで落ち着きのある男である。
まだ27歳と若いのに、どんな仕事も予想以上の出来で仕上げていたし、同時期に入社した誰よりも抜きん出た成績でいた。
どんなに無理難題を言っても、彼はどこ吹く風で結果を出す。
年齢以上に落ち着いていて、ハプニングに陥っても淡々と乗り切ってしまう。
彼はなんでも必要以上にこなしてしまう、出木杉くんのような人だった。
夏目くんは成績だけじゃなくて、容姿も非常に良かった。
俳優のように爽やかなマスクに、ずっと聞いていたくなるような美声。
180を越す高い身長に、無駄のない筋肉。
サラサラとした癖のない黒髪に、爽やかで優しそうな笑みを浮かべれば、女の子は簡単に目がハートになる。
夏目君におねだりされれば、強情なマダムもいちころで夏目君に原稿を差し出すらしい。
そんな風に周りがチヤホヤしていたら、調子に乗りそうなものだけれど、夏目くんは、入社から数年たって謙虚だ。
驕慢な態度を一切見せることはなく、誰にでも優しく、誰にでも平等な態度だった。
天は二物も三物も与えるんだな、と感心してしまうほどだ。
僕は、もともと面食いで惚れっぽいタチではあるが、夏目くんみたいな好みドンピシャな人はなかなかいない。
僕の好みは夏目くんみたいな、いかにも優しそうな真面目な好青年だった。
「ちょっと、原稿貰いにいってきます」
朝の朝礼が終わった後、会社鞄を片手に上司の笹井さんに声をかける。
僕の斜め前の席に座っていた笹井さんは、僕の言葉にパソコンから視線をあげて「相良先生のところか?」と尋ねた。
「はい。
メールである程度はやり取りしたんですが、細かな打ち合わせはやはりお会いして直接がいいかなと思いまして」
「それがいいな。
また無理して、バタンキューなんて洒落にならないしな。
見た目どおりの、繊細すぎる人だから。
しかし行くなら、狂犬に気を付けろよ」
「狂犬…」
「番犬か、あれは…」
笹井さんは口にしながら、苦々しい表情を浮かべた。
相良先生の家には、犬はいない。
狂犬とは、あくまでたとえだ。
笹井さんが言っているのは、僕が担当する作家の先生…相良《さがら》先生の頼もしい娘、花蓮ちゃんのことだった。
花蓮ちゃんは相良先生の一人娘で、まだ高校生なのに年齢よりも落ち着きがあって凄くしっかりしている女の子だ。
ただしっかりしている子なんだけれど、ちょっと難点もあって…。
「この間、お前がいないとき相良先生にどうしても校正箇所で、伝えなきゃいけないところがあって、相良先生の家に電話したら、番犬が出てよ。
父親の仕事相手になんて言ったと思う?」
「なんて言ったんです?」
「聞こえないので切らせていただきます、って。
電話の不調かと思って、もう一度かけると留守電に繋がってよ」
「はぁ…」
「俺が散々かけても一向に繋がらなかったのに、田中ちゃんがかけたら一発で出たんだよな、これが…」
田中ちゃんというのは、同じ部署の女の子である。
しっかり者の花蓮ちゃんの難点はコレ。極度の男嫌いなのだ。
僕の担当作家の相良先生は人見知りが激しく、また対人恐怖症を患っている。
同じ部屋にいただけで、緊張で気を失って倒れたり過呼吸になったりするらしい。
その対人恐怖症のせいか、相良先生は必要最低限は家から出ない引きこもり生活を送っており、そんな先生を娘の花蓮ちゃんはサポートしているのだ。
先生が対人恐怖症なら、花蓮ちゃん自身も大の男嫌いのようで、今まで追い返してきた担当は数知れず。男とは話す価値もないと豪語してしまうくらいの、大の男嫌いだった。
笹井さんの電話の件はまだいいほうで、職場でも花蓮ちゃんに辛辣な対応をされた人間は両手の指では足りないくらいだ。
トラウマになるほどの罵詈雑言を浴びせられた人もいるらしい。
女子高生相手にトラウマなんて大袈裟な…と思うんだけど、実際、花蓮ちゃんは凄く頭も切れるし、雰囲気は女子高生というよりかは、仕事がバリバリできるキャリアウーマンのようなのだ。年上の男相手にも怯むことはない、女王様みたいな性格である。
社内の偉い人や美形と称される人間が挨拶に行っても、花蓮ちゃんの態度は変わることなく。むしろ、顔がよければいいぶんだけ、花蓮ちゃんの態度は頑なになり、より敵視していた。
美人で男嫌いな強気な女の子、それが花蓮ちゃんだった。