10
名ばかりのテスト勉強が終わり、花蓮ちゃんと相良先生の家に向かう。
相良先生は、パジャマ姿で僕らを出迎えてくれた。
眠そうに目を瞬かせながら、寝ぐせがばっちりついた状態で玄関に現れた先生を見止めた瞬間、花蓮ちゃんのお説教スイッチがオンになった。
「お父さん…、お休みの日でも服くらいはちゃんとしなさいっていつも言っているでしょ!!」
「ごめん…花蓮。今日は眠くって…。」
「言い訳無用。そんなこと言ってたら、ずっと1日中お父さんパジャマのままじゃない」
花蓮ちゃんは、眉を吊り上げて先生に説教をし始める。
こうなると話が長いんだよなぁ。
どっちが親なんだかわからない光景にクスリと笑っていると、僕を見つけた先生は助け船が見つかったといわんばかりに
「あ、宮沢さんもいらっしゃい。珈琲淹れるから」といって強引に僕を家へ招き入れる。
「いえ、お構いなく。
今日は会社からお中元を渡しにきただけなので」
「え、いいのに。わざわざありがとうね…」
小脇に抱えていた包みを渡し、僕の今日の任務は終了だ。
邪魔にならないうちに、さっさと帰ろうと思っていたんだけど、話したいことがあるからゆっくりしてほしいと先生に引き止めたため、もう少しお邪魔することになった。
ついでに、先生と花蓮ちゃんの二人分の夕飯作りも頼まれ、夕飯を一緒にいただくことになった。
「はい、お待たせしました。お口にあうかわかりませんが…」
「…大丈夫だよ!だって宮沢さん料理上手だもん」
食卓に並んだ、お味噌汁と魚の煮付けとサラダと肉じゃがを見て先生は目を輝かせる。
「普通レベルですって…」
謙遜するものの、褒められればやっぱり嬉しい。
花蓮ちゃんと先生は僕の作った手料理をいつも残さず食べてくれる。
一人で作る料理も、食べる人がいれば作り甲斐も出てくる。
今日も二人は文句ひとつ言うことなく、僕が作った夕食を完食してくれた。
花蓮ちゃんは夕食が終わると早々に、テスト勉強があるからと自室へと戻っていった。
広いリビングには、僕と先生の二人きり。
何時頃お暇しようかな、なんて考えていると…、先生が「宮沢さん」とためらいがちに、僕の名を呼んだ。
「新作、行き詰まっているんだ」
どうやら、先生が僕に残って欲しい理由はこれだったらしい。
「なんだか頭が空っぽで何も出てこないんだ…。
書こう書こうと思っても思い浮かべられなくて…」
「はぁ…」
「いつものことだってわかっているんだけど、どうしても、ダメで…」
先生はよく、スランプに陥る。
元々、落ち込みやすい性格もあるけど、僕ら出版社の前に契約を交わしていた出版社とトラブルになったこともあり、一度スランプに陥るとズブズブとはまってしまう。
前の出版社は気が弱い先生に対して、無理難題をふっかけて困らせていたこともあり、ストレスで何度も倒れてしまったらしい。
「ね、宮沢さん。僕が書けなくなったら、養ってくれる?」
「そんなこと言わないでくださいよ、先生。
先生は書けなくなりませんから。
それに、僕は養えるだけのお金はありません。
他をあたってください」
「ほかなんて無理だよ…。
僕が大丈夫なのは、宮沢さんだけだもの。君以外には身体が緊張して震えてしまうし、怖くて喋ることもできないから…」
しょんぼりと肩を落とす先生に、思わずキュン…とする。
先生は僕より年上だけど、中性的な人で、伏し目がちに俯いたときとか、髪をかきあげる仕草は色気垂れ流し状態なのだ。
肩まで伸ばした髪とか、陶器のように透き通る肌とか…。濡れた瞳とか…。
男なのに綺麗なその雰囲気にドキドキするのは、なにも僕だけじゃないはずだ。先生は年齢を感じさせない、妖精みたいな生き物なのだ。
「先生は、好きな人とかいないんですか…?」
「好きな人…」
先生は少し考えた後、いないかな…と答えた。
そう答えた先生の表情は、少し切ない表情をしていた。
「昔はいたんだよ…。凄く好きな人。
側にいるだけで心が震えてしまうくらい、大好きな人がいたんだ。
だけど、次第に相手のこと、信じられなくなってしまってね。
好きだったけど、怖くなって…。近寄れなくなっちゃったんだ。信じるって言ったくせに。僕は嘘をついて逃げ出しちゃったんだ」
「別れちゃったんですか?」
「別れたっていうか…、そういうのとは違うかも。
僕が一方的に相手を好きなだけだっただけだったから。
それが、相手にとっては迷惑だったのかもしれないね」
でなければ…、と先生は口にしかけて、すぐにまた口を閉じた。
「先生?」
「ごめん。ちょっとしんみりしちゃった。
自分ではとっくのとうに吹っ切れているつもりになっていたんだけど、まだダメみたいだね…。全然だめだな…」
先生は溜息をつき、視線を落として震える指先を見つめた。
先生の指先は小刻みに小さく震えている。
手の平に爪を食い込ませるほどきつく手を握ると、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「話しているだけで、もうこんなんだ…。好きなぶんだけ、震えてしまう」
「先生…」
「いい機会だし話しちゃおうかな。
あのね、宮沢さん僕は男の人が好きなんだ」
唐突な先生のカミングアウト。
突然の告白に少し驚きはしたものの、すんなりと受け止められる。
先生みたいな綺麗な人だと、女の人も気おくれしてしまうだろうな…と思っていた。
女の人を守り家庭を築くよりも、男の人に守られていたほうがしっくりくる。
「でも、先生って対人恐怖症で…女の人より男の人が苦手で、身体震えちゃうんですよね?」
「そうなんだよね。おかしいよね。男好きなのに、男の人が怖いなんて。自分でもおかしいとわかっているのにダメなんだ。震えが止まらなくて…。
花蓮はそんな僕を知っているから、僕をなるべく人と会わせないようにしてくれているんだ…」
先生の男の人に対するトラブルは一度や二度じゃないらしい。
花蓮ちゃんも、元々は男嫌いというわけでもないらしい。
先生の対人恐怖症が元で男が嫌いになったようだった。
「宮沢さんが平気なのは、きっと宮沢さんが優しくて…、僕に危害を加えそうにないからかもしれない。
あと、君に想い人がいるのを知っているから。僕は宮沢さんが近くにいても、平気なんだと思う」
「想い人がいるから?」
「君はきっと、僕を好きにならないから。
だから、凄く安心するんだと思うな。
その…僕は色々あって、誰かに恋愛感情を抱かれることに凄く臆病になっているから…」
誰かを想われることに怖くなっている、か。
やっぱりモテる人の悩みは違う。
愛が重いと捨てられたり飽きられたりする立場からしてみれば、必要とされることは凄く羨ましいことだと思うんだけど…。
人それぞれ悩みは違うってことだなぁ。
「そんな先生をずっと花蓮ちゃんは支えてくれたんですね」
「自慢の娘だよ。僕の一番の宝物なんだ。
きっと花蓮がいなければ、今の僕はなかったと思う。
花蓮がいなければ、駄目になったとき、立ち直ることができなかった」
先生は少し寂し気な顔で、だけど…と言葉を続ける。
「いつか娘は、親から離れるものだろう。
いや、離れないにしても僕がこんな対人恐怖症を持っているから、花蓮もいつまでたっても親離れできないと思うんだ。
花蓮は優しいから、こんな親でも見捨てず側にいてくれる。
きっと僕が自立するまで…。花蓮は自分を犠牲にしてでも僕を見てくれると思うんだ。
今はまだいいかもしれない。
でも、このまま何年もこのままだったら?
何年もまともに家から出ることもできず、引きこもったままだったら?
僕はそれが怖いんだ。
花蓮にずっと僕の面倒を見るのを優先して、自分の恋まであきらめてしまうんじゃないか…って。それが、不安で…。
花蓮の人生を親の僕が台無しにしてしまうんじゃないかって。
しっかりしようとすればするほど、余計に何も書けなくなって、空回りしてね…」
どうやったら僕は花蓮から自立できるんだろう…。
どうして、僕はこんなに弱い人間なんだろう。
先生は頼りなげな声で呟くと、暗い顔をしたまま手元に視線を落とした。
「いつまでもこのままじゃダメなのに焦れば焦るほど空回りするんだ…。自分の足で立つこともできなくて、座り込んでしまう」
「先生…。あ、あの…」
泣き出してしまいそうな先生の表情に、何か言わなくてはと戸惑うんだけど、言葉がでない。
こんな時、夏目君だったらなんて元気づけるんだろう。
なんていえば、先生の気持ちは軽くなるんだろう?
落ち込んでいる先生をなんとか勇気づけたくて、考えた挙句、鞄にしまっていた椎名先生の本を取り出し先生に差し出した。
差し出された本に、先生はきょとんとしている。
「これは…?」
「先生、椎名先生って知ってますか?
うちの出版社でも書いている先生なんですけど…」
「知ってるよ。
前勤めていた会社の時、知人に何冊か借してもらったことがあるよ。僕自身も何冊か買っていたし」
「これ、最新作なんです、椎名先生の。
ダメなサラリーマンが段々成長していくってやつなんですけど、ありきたりな話だけど凄く面白いんです。
なんか悩んでいるときなんかこれ読んでいると、すぐ忘れちゃうっていうか…」
「そうなんだ…。椎名先生は相変わらず凄いな。」
「先生も、椎名先生に負けていませんよ…!」
先生を励まして、手渡した椎名先生の作品のあらすじを語る。
「気分転換も必要ですよ、先生」
「気分転換かぁ…」
「先生、家から出られないでしょう?
だから、本でも読んですっきりしてください」
「ありがとう…宮沢さん。それで…いつ頃返せばいい?」
「僕は一度読んだので、先生の好きなタイミングでいいですよ」
「そんなこといって、ずっと借りちゃうかもしれないよ」
「はは、そうやってとられちゃうのは慣れっこですから。
それに、椎名先生のファンが増えるのはファンとして嬉しいことですから」
「宮沢さん椎名先生のファンなの?」
妬けちゃうな、なんて先生が可愛いことを呟くから、「僕の一番は先生ですよ」と返す。
「…本当に、君の1番になれたらよかったのに…。僕も…」
「ん?先生、なにか言いましたか?」
「なんでもないよ。本もお歳暮もありがとうね」
「いえいえ、これも担当としての仕事ですからね!」
僕が胸を張って言うと先生は頼もしいよ、と笑った。
■□
「宮沢さん…!」
先生の家から自宅へ帰宅する途中。
最寄駅で、ばったりと夏目君に出くわした。
「夏目くん…どうして…?」
「俺は、椎名先生の家の帰りです。
宮沢さんは相良先生ですか?」
「うん」
「待ち合わせもしていないのに、こんな偶然あるんですね。
途中まで一緒に帰りませんか?」
夏目くんのお誘いに二つ返事で頷き、夏目くんの隣を歩く。
「今日もお仕事ですか?」
「いや…。
今日は仕事じゃなくてプラーベートで椎名先生から呼び出されまして…」
頼られるのはいいですけど…頻度が多いとちょっと、と椎名先生への愚痴を零した。
「椎名先生、やっぱり忙しいんですか?」
「そうですね。ほどほどには。
新作出したばかりだし、映画化される作品もありますからね。
なんか色々と大変みたいですよ。
だからって、俺をマネージャー代わりに呼ぶのは勘弁して欲しいんですけどね。
八つ当たり係ですよ、俺は。先生、友達が少ないですから。愚痴れる相手、俺くらいしかいないんです」
「夏目くんが頼もしいから、椎名先生はつい呼び出しちゃうんですよ」
「そう言われると、光栄ですね」
ニッコリと、夏目くんは僕に視線を合わせて笑う。
久しぶりに見た笑顔に、カァ…と顔が熱くなる。
恋なんてしないんだ…と心に誓ったばかりなのに、夏目くんの笑顔を前にするとそんな決意も崩れ去ってしまいそうだ。
離れていて落ち込んでいた気持ちは、夏目くんにあっただけで簡単に浮上する。
「椎名先生って、どんな人ですか?」
「どんな…ですか?
そうですね、とっても面白い人ですよ。
かなり手のかかる子供みたいな…」
「子供みたいな人?」
「ええ、だから贔屓しているわけじゃないんですけど、ついつい椎名先生には厳しいことを言ったりプライベートでも色々と相談に乗ってしまうんですよね。仕事以外のこともおせっかい妬いてますよ」
「プライベートも…」
それって、椎名先生が夏目君にとってそれだけ特別な人なんだろうか…。
「あの人あれでいて、凄く内面が弱い人なので。
俺の知り合いに似て、なんとかしてあげなくちゃ…と思うんです」
「知り合い…?」
「ええ。子供っぽい人でした。
椎名先生みたいに自己主張激しい人ではありませんでしたが、とにかく目が離せない人でしたよ。何もないところで転ぶし、すぐ迷子になるし…。ドがつくほどのお人好しで…。あの人の笑顔で何度も救われましたよ…。俺の初恋の人です」
初恋の人。
それって、今でも好きな人?
「その…初恋の人って…いうのはーー」
僕の問いかけに、夏目くんは小さく口元に笑みを受けべ「今はもう会えないんです」と呟いた。
「会えない?」
「会う資格がないんです。俺はあの人が困っている時に助けることができなかった。
勝手に、あの人は凄く強い人だと錯覚していたんです。
どれだけ傷つけられても笑っていられるような、まるで聖母のような心の広い人だと。
ひどいことをされても、子供を諭すように許してくれると。
あの人の笑顔が段々と陰っていたのを気づいていたのに、俺はあの人の大丈夫という言葉を鵜呑みにして助けてあげられなかった。
あの時の俺は、自分の感情を受け止めるのに必死で、初恋の人が出しているSOSに気づいてあげられなかったんです。
そうしてあの人からは少しずつ笑顔が消えて…
あの人は、俺の前から消えてしまいました。何も告げずにね。
苦い初恋の思い出です。青春時代にありがちな…」
「苦い思い出、ですか…」
「あの日の出来事があって…、好きな人には頼ってもらえる人間になりたいと思いました。
助けを求められたら、すぐに飛んでいって手を差し伸べてあげることができる、そんな男になりたいと思ったんです。
好きな人には甘えてほしいし、俺を頼りにして欲しい。
俺がいないと生きていけない…って、そんな風に好きな人には思って欲しいですかね」
なんて、改めて言うと恥ずかしいですね…、と夏目くんは照れ臭そうにほおをかく。
「甘えられるタイプ…」
夏目くんは、甘えてくるような子が好き。
僕は他人に甘えるようなタイプでもないし、どちらかといえば世話好きでなんでもしたがるタイプで、好きな人に甘えられるような可愛らしい性格はしていない。
「宮沢さん…?」
ずーんと落ち込んで無口になった僕を訝しみ、夏目くんが僕の顔をのぞきこんだ。
「僕も…です」
「え?」
「僕も、夏目くんみたいに人の世話をするのが好きなんです。
特に好きな人のことはあれこれ世話をしたがるタイプなんです」
「好きな人の…」
「はい。夏目くんと同じタイプかもしれませんね。
好きな人にならなんでもやってあげたくなるんです。
思う存分、甘えられたいっていうか…。
我儘も言うよりも好きな人にはどんどん頼られていたいタイプで…」
仕事でドジばっかしてるけど、家事は得意なんですよ…そう微笑むと夏目くんは顔を赤らめさせて、視線を彷徨わせる。
「…なつめくん?」
「いや…ちょっと…。き、気にしないでください。
そ、それじゃあ…また…」
そういうと、夏目くんは僕に背をむけて駆け出していった。
それから、数日後。
椎名先生の映画のキャスティングがついに決まった。
キャスティングは今流行りの若手俳優が主演に決まり、脇役に小田切勝彦、ヒロインに本城寧々子という、豪華キャストだった。
映画化される作品は椎名先生の思い入れのある作品らしくて、製作会社も先生がよく知る監督さんのところらしい。
夏目くんに色々と映画のことを尋ねると、「詳しいことは椎名先生とか映画の製作会社の話になるからよくわからない」と言っていた。担当といっても、マネージャーのような役割はしていないようだ。
相変わらず夏目くんは忙しそうにしていたのだが、時々僕を飲みに誘ってくれた。
夏目くんと一緒に夜道を歩く瞬間が、僕の密かな楽しみになっていて。
「月が綺麗ですね…宮沢さん」
そう、はにかんで笑う夏目くんに僕は毎度、年甲斐もなくときめいていた。