時計が11時を回ることにも小牧は店に現れなかった。マスターのもくろみははずれたらしい。
そろそろ帰ろうか…、と菜月が腰をあげたところで店の奥にいたマスターが菜月のほうへ小走り気味に近づいてきた。


「あ、マスター。今日は俺、帰ります。」
「あの…小牧さんからのお電話で…中川さんに、って」
「小牧さんから?」

マスターからスマホを受け取ると、小牧は開口一番に「魔法はとけた?シンデレラさん」と冗談まじりに声をかけた。

「おかげさまで…」
「あら。ほんとに言ったんだ。君って案外、負けず嫌い?顔に似合わず、結構やるんだね。俺絶対言わないかと思ってたのに」

からかうような口調に前回あったときはむっとすることもできたけれど、実際昨日の利弥にやられた出来事を思い出すと、小牧が言っていた言葉をもっと真剣にきいていれば…と思う節もあるのだ。


「あら、だんまり?なに、酷いことされちゃったの?だから言ったよね、俺。
利弥に近づくなってさ。ほらね、近づかないほうがよかったでしょ。人の言うことはきちんと聞くもんよ?なんてね。それにしても、初めてだね。君から連絡したの。俺になんのよう?」

「ずうずうしいかもしれないけど…教えてほしくて。利弥さんのこと。その利弥さんがいう復讐のことを。
小牧さんに教えられた言葉をいったら、利弥さんは俺に復讐だって言っていました。でも、俺そんな復讐されるような覚えなくて…。貴方なら知っているんじゃないかと思って電話しました」
「知っている。けど、君が直接利弥に聞けばいいんじゃないの?なに、怖いの?」
「それは…」
「あ…ごめん。今日ちょっと忙しいんだよね。俺、手が放せない案件が入っていてさ。そうだな…明日、またあおうか?君に聞く勇気があるなら、話してあげるよ。ちょっとヘビーなくらーいはなしをね。マスターの店で待ってるから。ま、来たくなかったらこなくてもいいけどね」


ぷつり、と一方的に言われて、電話は切られた。

(聞く勇気…か。そんな勇気が必要な、覚悟がいる話なのかな)
マスターに別れを告げ、利弥がいる部屋へと戻った。
戻っていいものか…と悩んだものの、他に帰る場所もない。
それに、あの出来事はなにかの間違いだったのではないか…と期待する自分もいた。
痛みであれがけして夢ではないとはわかっているものの、一夜たってあれは嘘だよと言ってくれる、そんな利弥を期待していた。

菜月が家に戻ると、利弥はすでに家におり、酒を飲んでいた。見慣れないブランデーが、机の上にところせましと並んでいる。

菜月の姿に一瞬、利弥は大きく目を見開き、帰ってきたのか…と驚愕した表情で呟いた。


「かえってきたよ…ただいま」
「お前は馬鹿か?」
吐き捨てられた言葉が冷たい。

「あんな風にされたのに…それとも、ああいうのがお前は好きだったのか?だったら失敗したな。お前を傷つけるために抱いたのに」

わざと傷つけるようにかけられた言葉。

「ちがいます」
「違わないだろう?俺の家なんかに戻ってきているんだから」
「だって…、それは…」

粗野っぽく言葉を返す利弥は、昨日までの菜月が知る利弥とはまったく別人のようだ。
まるで全く知らない人と話しをしているようで、本当にこの人は自分が好きになった人なのだろうか…実は全く別人が入れ替わったりしてないんだろうか…などと、そんな仮説を考えてしまう。

「本当に利弥さんなんだよね…?嘘じゃなくて…。偽物とかじゃなくて」
「嘘じゃない。どちらかといえば、今までの俺が偽物だ。作った俺だ…」
「俺、なんていうんだね。いつもは私なのに」
「お前が見ていたのは偽物の俺。そういう風に演じたら、お前が騙されてくれると思ったからな。現にお前は俺をすきになっただろう?優しい俺を」
「……」
優しいから好きになった。
甘やかしてくれたから好きになった。
(あれ…、俺は…)

「俺は、利弥さんが…」
「逃げたかと思ったあいつと一緒で」
「あいつ…?」
訊ねる言葉を封じるように、腕を引かれ粗々しく口づけられる。

「ん…っは…んん…、や…」

なぜ、キスをされているんだろう?
嫌われているはずなのに、どうしてこんなに心ごと持っていかれそうなキスをされるんだろう?


「利弥さん…」
「本当は、もっとお前が、俺に惚れてから種明かしするつもりだったんだ。お前が、もっともっと俺に惚れてから
本当に愛していた人から裏切られるのが一番の復讐になると思ったから。捨てられることが、一番傷つくと思ったから。
だから、お前を引き取った」

唇を外した利弥は静かに、そう告げた。
傷つけ捨てるためだけに、引き取った。
惚れさせるためだけに、やさしくした。

「そこまでして俺に復讐したいわけってなんなの?
俺は、どうしてここまでされなきゃいけないんだよ…」
悲痛じみた菜月の叫びに、利弥は薄く笑うと
「俺自身の復讐。そして、つぐないのためだよ」と呟いた。

「つぐない…?」
「そうだ…。しゃべるのは得意じゃない…。いやなら出ていけ。俺はどんなに逃げようとお前に復讐する。どこまで逃げても、絶対に。地獄の底までお前をおいかけて…俺は…」

おまえに、復讐してやる。
言葉とともに、また唇が奪われる。
甘いキスは毒のようであった。



  
百万回の愛してるを君に