「利弥は俺を頻繁に抱いて、総一郎で飢えた俺の身体を慰めていた。
けして、塞がらない傷を、2人で見ないふりして抱き合って。
このまま、ずっと、こんな暮らしをしていくんだと思ってた。
君に会うまでは…。君があいつの前に現れるまでは」

二人にあるのは愛じゃない。
抱き合う事で、お互いの傷が、広がらないように哀しみ、哀し合っていた。
そこに、愛なんてなかった。


「なんでなくの?」
菜月は小牧の話にはらはらと、涙を零していた。
小牧は、『泣き虫だなぁ』といいながら笑おうとするも、失敗してくしゃりと顔が歪んだ。


「俺も、きっと離れることになったら辛いと思うから
だから…小牧さんも辛かった…でしょ」
「うん…。そうだね。」

小牧は一瞬言葉につまり…。

「うん…、好きだった。あいつを、総一郎を愛していた」

そういって、顔を伏せた。
ぽたり、と小牧の前のテーブルに涙が落ちる。
それは、菜月が初めて見る小牧の涙だった。

ぽたり…。
ぽたり、と、涙は止まることなく、頬を滑っていく。

「…バカみたいだよね。君にも、利弥なんてやめとけなんていいながらさ。
俺自身が昔の初恋を忘れずにいるなんてさ。
利弥も、俺も、菜月君も、ただ一人だけをこんなに好きなんて。
この世界にはいっぱい人がいるのにさ。なんで、忘れられないんだろうね。忘れたふりして、過去をすてたふりしていたのに、まだ想ってた。
…もう何年も泣くことなんてなかったのに…」

君のせいだよ…、と小牧は顔をあげて、目元を指の腹で拭った。
しばらく、小牧は流れる涙をそのままに、静かに泣き続けた。



「ねぇ菜月君」
「はい?」
「本当に利弥がいいの?勘違いしているんじゃない?」
「勘違い…?」
「優しくて、利弥に似た人なら利弥じゃなくてもいいんじゃないか。
無理に君がなく必要なんかないんじゃないか、辛い恋なんか、わざわざしないほうがよくない?俺みたいに、深い傷になる前に、いなくなったほうがいい。俺や利弥みたいに、自分勝手に動いて暴走して相手を傷つけるだけの恋になんかしたくないだろう?」
「それは…」

菜月が口を開いた瞬間、ピルルルル、と小牧の携帯が鳴った

「ごめん…」

小牧はそういって席をたつ。
そして…

「ごめん、急患だって。俺いかなくちゃ…」

すまなそうな顔をして、勘定をとった。

「俺が壊したパズル、もしかしたら、それが解けたら利弥と君のなかもどうにかなるかもね。
諦めなければ、君ならば…
冷たく凍ってしまった利弥の心も、雪解けのように溶かすことができるかもしれないよ…」

小牧はそう一言いうと、店から出て行った。

(雪解け…)

『いつか、必ず、春がくる。
季節は廻って春になるって…。
表情が氷のように固まった俺に教えてくれたのは、お前なんだ。
俺の存在を気づかせてくれたのは、お前だった』

思い出すのは、香月の言葉。
そういって笑った香月のあの言葉は、本当だったのか。嘘だったのか。

(いつか、利弥さんと本当の関係が築けたら。かっちゃんが本当はなにを思って俺に近づいたのか…。わかったら、きっと前に進めるよね)
決意も新たに、伝票をとり、菜月も店を出た。


 *
「ただいま…、利弥さん」
声をかけて、リビングに入る。
酒臭い部屋。
もうこの匂いにも慣れてしまった。
利弥は焼酎片手にソファーに座り、テレビ観覧していた。
テレビに映っているのは、野球である。
ソファーの特等席には、うさこさんはいない。
そういえば、まだ小牧から返してもらっていなかった。

(うさこさん…そういえば、うさこさんがいなくなってからだな。利弥さんとこんな関係になったのは。うさこさんも、利弥さんが本性を明かすようになったのに、なにか関係あるのかな)

「こっちへこい、菜月」
「はい…」

利弥に命令されて、自然に口から肯定の返事が出る。
言われた通り、利弥の横へ腰かけた。
利弥は隣に腰かけた菜月の首筋にキスをし、腰を引き寄せる。

「俺今帰ったばっかだから、汗臭いよ…」
「どうでもいい…」
「でも…」
「やらせろよ…、菜月」
情欲をこめた声で耳元で呟かれる。
途端、菜月の身体はゾクリ、と疼いた。

(馬鹿な利弥さん…)
復讐だと言って、抱く利弥。
復讐したいと思っていたというわりに、その顔は暗い。

それに、菜月にとって、一番悲しいのは利弥に無理やり抱かれることじゃなかった。
小牧と話していて、今日、改めて痛感した。
菜月にとって、ショックなこと。
それは、利弥が菜月の前から消える事だった。
小牧の思い人ように、なにも告げずいなくなられたら、もう会えない彼を思いずっと泣いてしまいそうである。
憎まれても、今はその身体に触れ合うことができる。
彼が傍にいて、言葉をくれる。
目の前から消えてしまえば、もう二度と関係は修復できないけれど、傍にいるならば、関係を改善できる可能性だってある。
たとえ疎まれていても、隣にいてくれるならば、ぬくもりだって感じることができるのだ。

(俺も、馬鹿…だな…)
たいがい、馬鹿である。

菜月も…利弥も。


「利弥さん…抱いて下さい」
「菜月」
「利弥さん…」

利弥は、にやりと口角をあげて、菜月をソファーに押し倒した。
ギシリ、と、軋むソファー。
重なる、二つの影。

「菜月…、辛いか…」
「辛くなんか…ないです…」
「嘘つけ」
「ほんと…だよ」

菜月の、利弥へのこの気持ちは…好きという感情ではない。
この壊れそうなほど切なく苦しい気持ちは、好き、なんかじゃない。

そう、好き、ではなくて…。

ただ、せつないほどに、愛している、だった。



  
百万回の愛してるを君に