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利弥から貰ったパズルを小牧がバラバラにしてから数ヶ月。
小牧に壊されたパズルは、毎日少しずつ組み立ててきたことで完成に近づいていた。
あと数日、集中してやれば、完成するだろう。
同じような色と形のピースが多い難しいパズルだったので、完成までに数ヶ月を要したが、ようやくあるべき形に戻るのだ。
見えなかったビジョンがここにきて、ようやく形になる気がした。


話があるから
その日、珍しく小牧の方から連絡を受けた菜月は、バイトを切り上げ、待ち合わせのカフェへ向かっていた。
小牧からの連絡なんて、知り合ってから片手ほどもなかった。
いつも菜月がメールで誘い、それに小牧がのってくるというのがほとんどで、あとは事前に連絡することなどなく、無理矢理押しかけたりが多かった。

菜月が喫茶店にいくと、いつもは遅い小牧が先に席に座って待っていた。
長い足を組み肘をつきながら、難しそうな顔で書類に目を通している。
真剣なその表情に、仕事の書類でも見ているんだろうか…と危惧しながら小牧に近づくと、小牧は菜月の気配に気づいて視線をあげた。

「すいません、遅れました…」
「んーん、時間前だよ。今日は俺が早くきただけだから」

座ってと、小牧に着席を促され、菜月は小牧の正面に腰を下ろす。
小牧の表情は、いつもの陽気な雰囲気はなく、気落ちしている。
今にもため息をついてしまいそうな雰囲気に、なにかあったのかと疑問に思うものの、なんと聞いていいのかわからなくて。

結局

「元気ないですね」
菜月の口から出たのは、そんなありふれた言葉だった。

「なにかありましたか?」
菜月が尋ねると小牧は弱々しく口端をあげて、「菜月くんこそ」と返す。

「あいつに、ひどいことされているだろう」
小牧が菜月の手を取り袖を捲ると、手首には縛られた痕が残っていた。
ここだけではなく、服で見えない部分にも沢山痕を残されている。
日に日に酷くなる行為に、増え続ける痕。
最初は薄かった傷痕も、今ではくっきりと見えるほど。

「傷になってる」
「ごめんなさい…」
「なにがごめんなの。君があやまることじゃないよ。
あやまるのはあいつ。
ほんとに、オトナのくせに」
「オトナのくせに、ですか」
「君も我慢強いね…あんな傍若無人な男に、色々されて。
辛くない?」
「いいえ。俺ってけっこう打たれ強いのかな。
そりゃ、つらくないっていえばうそになりますけど。慣れちゃったのかな。
今はもう流されるがまま、やられるがままですね」

菜月だって、なにもただ黙ってやられていたわけではない。
ベッドに押し倒した利弥と説得しようと、抵抗や反発も試みた。
それらはいまに至るまで無駄に終わってきちんとした話し合いもできないまま、抱かれてしまっている。

「だんだんこうやって感覚が麻痺していくんですかね…。今は自分が悲しいと思うよりも、こうすることでしか自分を保つことができない利弥さんのほうが可哀想だなって。利弥さんもそろそろ、わかっているんじゃないかな。こんな行為復讐になんかならないって。意味のない行為だって。最近の利弥さんを見ているとそう思うんです。利弥さん自身も、この復讐を苦しんでいるんじゃないかって。
なんて、楽天的かもしれないけれど」


「楽天的…か。
それにしても出会った時と違って、菜月君、いい顔するようになったじゃない。
出会ったときは、俺を前に威嚇しかできなかったわんちゃんなのに。今は利弥に虐められてもそんなこと言えちゃうんだから」
「はは…。俺も成長したんですかね…」

小牧の言葉に、菜月ははにかんだ笑みを浮かべた。
利弥に変えられたのは、身体だけじゃない。
この"復讐"で菜月の心も変化したようだ。


「バイト先の店長も言ってました。変わったね…って。

” 君は春に憧れて、憧れを描いて、春という存在を前に、すべてから逃げ出しているようだった。
春が好きだといって。他から目を背けている様だった。

夢を描いて理想を追い続け現実を見ないというのかな。
君は、春という思い出を胸にすべてを諦めている様だった。
ずっと春という綺麗な思い出から抜け出すことなく、時間を止めているようだったよ。
全てから逃げ出して…ね”
そんな風に言われました。
今にして思うと、俺はたしかに逃げていたと思います。
かっちゃんの幻想に、逃げていたんです。
楽しい思い出だけに、逃げて現実を見ようとしなかった。
温かな、春という思い出に逃げていたんです。俺は冷たい寒さから目を背けてた。困難からすべて逃げ出して、それでいい。自分はこれでいい、って今の自分の現状に我慢して満足したふりをしていたんです」
「春か…」
「かっちゃんとの楽しい思い出だけに浸って、心のシャッターを閉じて、時間を止まらせていたんだと思います。
ただ過ぎていくだけの日々を過ごしていたんです。
なにも感じず、なにを思うことない、なにもない毎日を過ごしていたんです。
漠然と、将来に不安を抱きながら。
自分はなにもできない、ダメ人間だ、なんて思いながら一歩も動こうとしなかった。


そんな俺に、また春という存在を教えてくれたのは、利弥さんでした。
利弥さんがいたから、春を前に心待ちにするみたいに利弥さんの帰りを待てた。利弥さんがいたから、春の桜が散るあのさみしさを、切ない気持ちを知ることができたと思うんです。

なにも自慢できることのない俺が、この人のために自分は頑張れるって、そう思わせてくれた。壊れたパズルを1から組み立てようって思えた。

利弥さんがいたから、春だけじゃなく冬も好きになれたんです。寒い日は二人で寄り添えばあったかいって。春だけじゃない、冬も、夏も、秋だって、どの季節だって素敵だって。
利弥さんは、俺の心に冷たく残ってしまった雪をとかしてくれた、春だったんです」

「君を変えたのが君を恨んでいる利弥だとはね…」

小牧は皮肉まじりにいうと珈琲カップに手を伸ばした。



  
百万回の愛してるを君に