クリスマス が間近に迫った頃。
クリスマスを一緒に過ごしたいと強請る菜月に、香月は当惑した。


「ごめん、大事な人との約束があるんだ」
「大事って、僕より大事」

仕事が忙しい恋人のように詰る菜月に、香月は苦笑いを浮かべる。
そこまで慕ってくれる菜月に嬉しい気持ちはあるものの、香月にはどうしても外せない先約があるようだった。


「決められないよ。
俺にとっては、どちらも比べられないくらい大事だから…」
「じゃあ、なんで僕と一緒にいられないの?」
「それは…」


駄々を捏ねる菜月に、香月はごめん…と宥める。
菜月も菜月で、初めて誰かと過ごせるクリスマスに浮かれていたので、少し我儘になっておりなかなか引き下がらなかった。
香月ならば絶対に断らないと思っての事だったのだろう。
絶対にイエスといってくれない香月に、菜月はしまいには、ふにゃ…と顔を崩し泣き出してしまった。


「菜月は、泣き虫だなぁ」
「泣き虫じゃないもん。泣いてないもん」
「はいはい。
よし、わかった。
菜月、プレゼントなにがほしい?
クリスマス…は無理だけど次の日買ってきてやるから。
クリスマスは先約が入っているけど、その次の日はお前にやる。
大サービスなんだからな」

香月は譲歩案として、クリスマスの翌日に改めでパーティをすることと、その時に菜月になにかプレゼントをあげるというのをだした。


「俺様の予定を奪うなんてとんでもないことなんだからな。な、だから菜月機嫌直せって」

香月の提案に、菜月はしばらく考え込んで
「じゃあ、僕がつんだお花、貰ってくれる?」と香月に強請った。

「花…」
おちゃらけていた香月の表情から、笑顔が消える。
構わず、菜月は続けた。

「僕、やっぱりかっちゃんにお花あげたいから。
だから、クリスマスプレゼントは、かっちゃんにお花を渡せるようになりたいんだ」

菜月なりに、香月が花を受け取らない理由を考えての提案なのだろう。
今度は香月がしばらくの間、沈黙し考え込む。


「…そっか。わかった、俺も男だ。
クリスマスプレゼント、な。いいぞ」

26日は、1日遅れだけど2人でクリスマスパーティーしよう。
とびっきり楽しい二人っきりの思い出にしような。

そうクリスマスの日に約束した。


一人のクリスマス。
菜月は一人クリスマスパーティの準備をしながら香月と過ごせるクリスマスの代わりの日を心待ちにしていたのだ。
しかし、クリスマスが終わった翌日にやってきた香月に笑顔はなかった。
香月はボロボロと涙をこぼしながら、悲痛な面持ちで菜月の家にやってきたのだった。


「かっちゃん?どうしたの…なんで、ないてるよ…なにが」

ただならぬ様子の香月に、菜月は慌ててかけよった。

「かっちゃん…、具合悪い…」
「やっぱり、やり直しなんて無理だったんだ。
お前が、夢なんか見せるから、だから…。こんな…」

菜月の言葉をさえぎって、香月は唐突に出迎えにきた菜月の首をしめた。突然のことに困惑し見つめる菜月に香月は唇を歪め、荒い呼吸で指先に力をこめる。
香月の目は血走り、興奮しているようだった。

「かっちゃ…」
「許さないんだよ…、許せないんだよ…」

悲しく落とされた言葉は、悲痛に濡れていた。
両手で顔を隠し、膝を抱えながら、泣いていた。
フルフルと小刻みに震えながら、嗚咽を交えて。


「かっ…ちゃ…」
「菜月、俺は、オマエガ…−嫌いだよ…。
お前なんて、ほんとは、嫌いなんだよ。

だって、お前は…オマエハ…、

おまえは…ーーーーおまえは…」

菜月の細い首筋を締め上げながら、香月は叫ぶ。

「ーーー俺が復讐しないといけないやつだから。
俺はお前が、嫌いなんだよ。
のうのうと生きている、俺のすべてを奪ったお前が嫌いなんだ。
お前にわかるか?
生まれた瞬間に捨てられた気持ちが。

母さんに首を絞められ、恐ろしいものをみるような目で見られた俺の気持ちが。
いらないと、反乱狂になって、拒否された気持ちが。
存在してはいけない、人間の気持ちが。
お前にはわからないだろう?
なにも知らず、のうのうと生きてきたお前にはわからないんだ。


すべてが否定され続けて、愛情もわからなくなった、こんな俺の気持ちなんて、お前には、わかるはずないんだ。

せめて、息子として…。
そう思って自分を捨てた父親のもとにあいにいって、すでに俺の代わりにお前がいて俺は息子としても生きていけなくなった。
お前がいたから、俺は最後の居場所までなくしたんだよ。

実の兄と父に身体を求められて、堕ちていく様を嘲笑う、こんな俺の気持ちなんてわかりっこ、ないんだ…。
生まれてはいけない人間の気持ちなんて、お前にはわからないんだ。
いつだって真っ暗で寒さしかしらない人間の気持ちなんて…」

ぽたりと、菜月の頬に香月の涙が落ちた。
幾重にも落ちていく滴。
ざあざあ、と雨音が落ちる音が遠くのほうから聞こえてくる。
香月はまるで菜月に抱えているものすべてを吐露するように、ぎゅうっと首をしめ続ける。
身体の小さな菜月では抵抗もできず。
菜月の息が段々と細くなっていく。


「か…っちゃ…ん…」
「俺は…」
「つら…いの…?苦し…の?」
「だから、俺は。おまえなんか…」
「大丈夫…だ…よ」
「……っ」
顔を真っ赤にさせながら、菜月は言葉を途切れ途切れに大丈夫、と続ける。へらり、と口元に笑みを浮かべて。


「だ…じょ…ぶ。
きっと、すぐ…あったかくなるよ…。」

菜月は首を絞めている香月の冷たい手に手を伸ばした。
そっと、香月の手に触れる。
触れた瞬間香月は、びくりと大きく身体を跳ねさせた。

「かっちゃ…が…すきなおはな、いっぱいみれる…はるが…くる…よ」

だから、大丈夫。きっと、大丈夫だよ。
そういうと、菜月はカクりと意識を手放した。


 菜月が目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。
ベッドに寝かされた菜月が目を覚ますと、ベッドの近くに座っていた香月はほっと安堵の息をついた。
香月は菜月が眠っている間ずっと手を握っており、菜月が起きた時もその手は震えていた。
 
「かっちゃん?」
「玄関で、待ってたのか?俺の帰りを。
馬鹿だな、ちゃんと帰るっていってただろ」
「いつものかっちゃんだ」

先程の表情とは打って変わって柔らかな笑みを浮かべる香月に、菜月はわあわあと泣きながらぎゅっと抱き着く。
香月もまた、抱き着く菜月を抱きしめて
「ごめんな、怖がらせて…ごめんな…」菜月に何度も詫びた。


 12月26日。
菜月と香月は約束通り、二人きりのクリスマスパーティをした。
菜月は香月に野山で咲いていた花を贈り、香月は約束を守り、その花を受け取ってくれた。

「なぁ、なつき…、冬はさ、いつ終わると思う?
俺はね…たぶん…
誰かを好きになった瞬間に、春は訪れると思うんだ」

花を受け取った香月は、嬉しそうにそういった。


「なぁ、菜月。
お前は、俺の春だったんだぜ?
辛くて、苦しくて、自分のことが嫌になって…

もう死んでしまいたくなったとき、俺はお前にあったんだ
どうしようもなく、馬鹿で、愚かで、しょうもない俺に、温もりをくれたのはお前なんだぜ。
お前が、俺を救ってくれたんだ。お前が俺を、ただ一人の人間にしてくれたんだ
こんな俺にも春がくるって、教えてくれたんだ…。

いつか、必ず、春がくる。
季節は廻って春になるって…。
表情が氷のように固まった俺に教えてくれたのは、お前なんだ。
俺の存在を気づかせてくれたのは、お前だった」
「ぼく…?」
「そう。
俺は、お前を愛してる。ちゃんと、愛せるんだ。こんな俺でも…。
誰もいない…そんな自分が凄く寂しくて、心がさ、寒かったんだ。
誰のことも思えない、ただ辛い辛いと思えない、そんな弱い人間だった。

誰も愛せなくて、自分も愛せなくて。
それを誰にも知られないように、虚勢張って、自分をズタズタに傷つけていた。

苦しいのに苦しいといえなくて、寂しいのに寂しいといえなくて。
ただ、つまらないって。
こんな日常つまらない、って言うだけだった。
誰かを好きになると、好きになった分だけ馬鹿をみる。
ずっとそう思ってた。
好きになっても、自分が辛い目に合うだけだって。
失うことを思って苦しむだけだって。そう思ってた。
だから、誰も好きにならないでいた。
誰も愛しちゃいけない。誰も頼ってはいけないって…。だけど、今は…」


香月は菜月を抱きしめながら、やさしく笑う。
その顔は、いつかの公園で菜月を迎えに来たあの日のようにきれいだった。
今までのつきものが落ちたように香月のその笑みは、一切の曇りはない。
いつの間にか、降り出した雨は雪に変わっていた。


雨音は聞こえない。
代わりに、白い雪がちらついていた。
公園でみた桜のように、ひらりひらりと舞い遊ぶようにちらつく雪。


「なぁ、菜月。俺はお前を愛してるよ。
誰よりも、愛してる…。
だから…お前も、俺も、これから、自分らしく生きよう。
誰が何といっても、折れずにいられるような、嘘をつかない生き方をしよう。自由に、生きるんだ。
そうしたら、きっと未来は楽しいことだらけになるはずだから」
「たのしいこと?ほんと?」
「ああ。
だから、二人で、幸せになろう。
もし悲しくなった時は、俺はお前の傍によりそってやるから。
お前も、俺が駄目なときは俺のこと馬鹿だなって叱ってほしい。
きっと、明日は昨日より楽しいことが起こる。その次の日はもっと楽しいことが起こる。
そんなことを思いながら。
そして…誰よりも、幸せになるんだ。過去を忘れられるくらい」

ー一緒に、幸せになろう。

それが、あの日、12月26日に香月が菜月に言っていた言葉であった。


「リンドウの花言葉は…貴方の悲しみによりそう。
一つじゃなかったんだ」

完成したパズルを指でなぞりながら、菜月は目を閉じる。古い記憶は色あせる。
けれど、その記憶は偽りではなく過去にちゃんとあった出来事だと断言できる。


「そう…だったね。そうだったんだ。俺も、利弥さんも、大事なピースを見落としていたんだ。そして…」

瞼の裏に蘇る香月の顔。
菜月はゆっくりと目を開くと、机の上においてあった写真を手に取る。

「これが、真実なんだ」

写真の中の真実。
笑いあっている二人こそ、あの日にあったまぎれもない真実であった。


「誰に何と言われようと、これが俺の真実なんだ。
これが、俺が信じるかっちゃんなんだ。
復讐なんかじゃない。俺はかっちゃんに愛されていた。
実のお兄ちゃんのかっちゃんに、愛されていたんだ。
かっちゃんが俺に言ってくれた言葉が、おれのほんとなんだ…。
ねぇ、かっちゃん」

おれ、がんばるよ。約束したもんね。
菜月は写真に向かって一人そう呟いて、写真を胸にかきだいた。




  
百万回の愛してるを君に