「…まだなにか…」
「い、いえ。すみません。えっと…」

声をかけられて、菜月は慌てて、視線を逸らす。


「…花…?」

視線を逸らした先。
車の助手席には、マフィアのような外見の男には、不似合いの花束がぽつん、とおいてあった。

紫一色で統一された、綺麗な花束である。
ラベンダーの花束かとも思ったが、よくよく注意してみると、ラベンダーではなく、別の種類の華のようであった。


「綺麗なお花ですね…。
このお花が匂ったのかな…」
「花の匂いですか。
そうかもしれないですね」
「ほんと、綺麗な花だな…」

紫の色とりどりの花束に、ほぅ…と恍惚のため息をこぼし、花束の美しさに釘付けになった。


思わず見入ってしまうほど、その花束は、綺麗にまとめられている。
1本1本の花々が綺麗に咲いており、ラッピングも花のよさを際だたせるように丁寧に包装されている。

愛情込められて育てられた花々をセンスよくまとめた、花束は、貰う人のことをよく考えて作られているようだった。
花もその人の思いを答えるように、ひっそりとそこに存在していた。


「そんなに珍しいですか…?この花が」
「あ、すいません。じろじろ見ちゃって…」
「いや…。別に…。
減るものではないし…」

男は助手席にあった花束を手にとると、そのまま自身の膝の上に乗せた。


「ただ…、そんなにじっと見るほど綺麗でしょうか。
この花は」

男は花束に視線をやったまま、どこか淡々と言葉を続ける。


「なんだか…とても、見ていて悲しくなりませんか?
紫一色の花束は…。
色のない、寒々しい冬の景色のようだ」
「え…?」
「いや…」

なんでもありません、と、男はそのまま口を閉ざした。


(そんなに気に入ってないのかな。
こんなにきれいなのに…)

紫一色でまとめられて、確かに華やかさはないものの、それぞれの花が互いの良さを殺さずに、美しく彩られている。

ひとつひとつ、それぞれ互いの良さを引き立たせるように、花々はまとめられていた。
地味といえば地味ではあるが、控えめで凛としており、そっと咲く花々は、見ているものの気持ちを落ち着かせた。

薔薇のような派手さはない。しかし、落ち着いた花が好きな人間には、とても好まれる花束なのではないだろうか。


「綺麗ですよ…とっても…」
菜月は、にこりと笑い、視線を花束にやる。



「最近は、花を見る機会も減ったから…。
久しぶりにこんな綺麗な花、見ました。
ありがとうございます」
「そうですか…」

「素敵な花束ですよ…。
ひとつひとつの花が喧嘩しないで、お互いを尊重するように共存している。
花も組み合わせによっては、互いのよさを殺し合う組み合わせもあるけど、この花束にはそれがないっていうか…。

他の綺麗な花々に混じっちゃうと、消えてしまいそうな、地味に感じてしまうような花々ですけど。

小さい花も綺麗に咲いた花も、それぞれ自分の役割を理解しているみたいに、花束をまとめているっていうか…。
荒れた気持ちを落ち着かせてくれるような、そんな花々ですよね。
地味でもしっかりと生きている、健気にも咲いている気がして…俺はすごい好きです。この花束。
すごい、気持ちが込められていて…。
って、すいません、いい言葉が浮かばなくって…」


言葉ではうまく表現できない。
でも、控えめに咲くその花々は、派手な花よりも地味であるが、一生懸命咲いており美しかった。


 菜月は、花束を見つめながら、最近は花をみて綺麗だと思う余裕もなかったな…と多忙な生活を振り返る。
働いているガソリンスタンドのすぐ近くには、公園があり、通勤にはいつも公園を横切る。
公園には四季折々の花が咲いているのだが、多忙からか、最近はそんな花々を注意して見ることもなかった。

四季折々の花はいつもそばで咲いていたというのに、綺麗だと、足を止めることもなく過ぎ去っていた。


「誰かにあげられるんですか?」
「ああ…まぁ…」

菜月の言葉に、男は曖昧に言葉を濁した。
彼女だろうか?

 スーツを着た男に花束というのは、トレンディードラマのようである。しかし、花のチョイスがしっくりこない。
派手な薔薇などではなく、色とりどりの花束でもなく、紫一色の花束。

ラベンダーなど、有名な花ならば、贈り物の類だろうか、と推測できるが、視線にうつる花々はラベンダーではない。

男が紫の花が好きなのだろうか?
それとも、花束を渡す相手が好きなのだろうか?

どんな思いで、この花束を渡すのだろう。
告白?
それとも、お見舞い?
一度気になりだすと、初めてあった相手だというのに、どんどんと妄想が広がっていった。


「いいなぁ…。こんな綺麗な花束もらえて…。
きっと喜びますよ、その人」
「こんな紫一色の地味な花束でも…ですか?」

男の唇が、皮肉を含んだように、弓なりを描いた。


「え?」
「いや…、失礼。気分を悪くしましたか?
でもこの花束、そんなに好きじゃないのでね…。
こんなこというと、花と花束を作った人間に大変失礼なんですが…私は君のように、この花束を綺麗だと思えなくて…」


君のように、綺麗だと思えなくて…と、男は声のトーンを落として言葉を続ける。


「なんでしょうね…とても悲しい気がしたんです」
「悲しい…?」
「ええ。美しいと思う前に、ただ悲しかった。
おかしいでしょう、ただの花に悲しいだなんて…。

でも、私にはこの花束が美しいとは思えなかったんです。
ただ、悲しかった。
ただの花なのに…な…」

おかしな話だろう?と男は、視線を落とす。
寂しそうな男の口調に、菜月は黙って耳を傾けた。

「君がいうように、この花は綺麗なんだろう。
店員も言っていたよ。最高の出来ですよ…と。
是非あなたの大切な人にあげてください、きっと喜びますから…といわれたよ。


でも、私には、そうは感じなかった。
ただ…渡された瞬間に、途方もない悲しみ沸き上がって好きになれなかった。
せっかくの花束なのに。
あいつを思って作って貰った、あいつが好きな花々なのに」


男はふっと、ひとつ肩で息をつき、

「花なんて、らしくないもの買うものじゃないな…」

と、ひとりごちた。


「こんなことで悩むなんて柄じゃない…。
自分でもそう思っているんだ。

あいつのことになると、私はどうも考えなくてもいいことまで考えてしまう…。
たかが花のことなのに。
こんな悲しい思いがする花、あいつに渡してもいいものか…って、正直迷っているんです」
「悲しい思い…ですか?」
「ああ」

肯定する男の顔は、暗く、どこか泣いてしまいそうだった。


「こんな風に感じるのは私がおかしいのかもしれない。
でも、渡していいものか…悩んでしまっているんだ。
相手も私と同じように悲しい気持ちを抱いたりはしないかと…、不安になるんだ。
君は花をみてそんな風に感じたことないかい?」
「俺はそんな風には感じないけど…。
綺麗な花だなぁ…としか」
「どうして…か。
もしかしたら、私が“欠陥人間”で、人間失格だからかも、しれないな…」
「欠陥人間…?」

男の言葉に驚き反芻する。
欠陥人間は、菜月がよく自身を表す言葉に使っている言葉である。

 スーツと外車が似合う、俳優のように絵になる男なのに、何故菜月と同じように己を欠陥品なんて思ってしまうんだろうか。

「あ、あの…」
「君は、こんな花束、貰ったらうれしいか?」

疑問を口にする前に男は、穏やかなゆっくりとした口調で、菜月に尋ねた。



「こんな紫一色で寒々しくて、派手さもない花でも?
すぐ散ってあっけなく朽ちてしまう花々でも?」

たとえば、明日散る命でさえも、綺麗といえるのか?
それでも君はこの花束を貰ってうれしいのか?と男は、畳みかけるように菜月に尋ねた。


「こんな花、すぐに散ってしまうのに。
綺麗な瞬間なんて一瞬しかなくて、すぐに散ってしまうのに。
一瞬だけしかない…
枯れたら処理も面倒なだけの花をもらって、嬉しいものだろうか…」
「……」
「こんなもの、いつかは散ってしまうのに…な…」

男の言葉は、花に対して否定的であった。
確かに花束は紫一色しかなくて、寒々しく感じるかもしれない。
アクセントもなくて、地味な花々にみえる。
けれど、男がどれだけ咎めた台詞を言おうと、菜月の目には色の調和のとれたその花束は、とても綺麗に映った。


「俺は、うれしいですよ…」

問いかけられた言葉に、菜月は小さく微笑む。


「地味な花でも…、すぐ散ってしまう花でも、うれしいです。
誰かの思いのこもった花束って、やっぱりうれしいです。
たとえすぐ散ってしまう花でも。
明日枯れてしまっても。
一生懸命誰かの為に、その一瞬一瞬を咲いている…そんな気がして。

誰かの為に花を咲かせる、その一瞬にすべてをかける、そんな生き方って潔くて。
誰かに綺麗だといわれるために、花を咲かせる…俺はそんな花、すきですね…」

花を見つめ、ふと、思い出す。
花が、大好きだった人のことを。



《なぁ、菜月。
俺な、いつか、花屋になろうかなーって思うんだ。
今は…ちょっと無理なんだけどさ。
チャラチャラした俺が、柄じゃねぇけどさ…。

でも、思うだけなら自由だろ?

え?なんで、花屋か…って?
そりゃ、花が好きだからだよ。
花ってさ、健気で綺麗じゃん。

道ばたに咲いた雑草とかさ、寒くても暑くても花を咲かせて…さ。
誰かに踏まれても、大雨でも嵐の日でも、耐えて花を咲かせる。

誰かを笑顔にすることができる。
花ってもっとも身近に感じる芸術品だと思うんだよね。一瞬の輝きの。

だからさ、俺、将来そういう花を、もっとも綺麗に咲かせる人になりてぇの。
“綺麗”を間近でみたいんだよね》



 菜月をかばって死んだお兄さんも、花が好きであった。
菜月が花好きなのは、お兄さんの影響もあるかもしれない。

なにをみても無感動で、なにを思わなかった菜月に、お兄さんは色々な花を持ってきてくれた。
綺麗なものは見ているだけで癒されるし、いい気分になるだろ…?なんて笑いながら、何本も何本も沢山の種類の花を持ってきてくれた。

こんなにも綺麗な世界があるんだよ…といっているように、飽きず何本も何本も。

気がつけば、菜月はお兄さんを思い出すように男に対して語っていた。


「俺、花が好きで…特に桜が好きなんです。
春がきた!って感じがするから…。
花いっぱいの春がきたって…」
「春…」
「春になって、桜がいっぱいな道を歩くと、なんだか、舞い落ちる桜の花びらに祝福される気分になるんですよね…。

だから、俺桜が好きで、桜がさく春が好きなんです。
なにもやるきがないときも…逃げ出したくなったときも花をみると、少し落ち着くんです。
すっごくイヤになったときも、逃げ出したくなったときも…」


いつか、必ず、春がくる。
木々は枯れ、落ち葉は落ち、寒々しい冬はくる。

寒くて、苦しくて、冷たくて。
もうダメだと倒れそうになっても。
泣きたくて、嫌になって、逃げだしてくなって。
それでも、いつか必ず、春がくる。


よく、お兄さんが菜月を励ます時に言っていた言葉である。
最近は、休む暇もなく、久しく忘れてしまっていたが。


「花はいつだって一生懸命生きていて、誰かの為に咲いていて…。
俺が悲しくてもつらくても、変わらず綺麗な花を見せてくれる。
綺麗でしょ…って堂々としている。
ただ咲いているだけなのに…笑顔をくれるんです。

なにに恥じることなく、臆することなく。
たとえ、明日散ってしまっても。
散るその瞬間まで、頑張って生きている

誰かを笑顔にするためだけに咲いている花を見ていたら、俺も、もう少し頑張ることができるかな…って。
ちょっとだけ、やる気がでるんです。
ほんのちょっと…気休め程度ですけど…。
だから、俺、花が好きなんです」

でも、最近は忙しくて花をみる余裕もなかったんですけどね…、と、つけたし、菜月は頭をかきながら、へらりと笑った。


「…なんて、たいそうなこといっても、俺自身は全然ダメダメで。
いつも、へましてばかりで、へこたれているんですけどね…。
ほんと、俺ダメ人間で…。こんな俺なんて、そこらへんに咲いている花にも負けてしまいそうです」

はは…と菜月は、乾いた笑いをした後、
「あの、この花ってなんの花ですか?」と男に花の名を尋ねた。


「竜胆とホトトギスとクジャクソウですよ…」
「へぇ…」

花の名前を言われても、菜月は竜胆《リンドウ》くらいしか、ぴんとこなかった。


「あいつが…好きな華なんです。紫の花々は。
落ち着くそうですよ…。
派手なあいつのイメージじゃないですけどね。
見た目に反して、結構ナイーブだから


今日は、これからこの花束を渡すやつに会うので…。
本当は、花なんて買うつもりなかったんですけどね…」

男はそういって、サングラスを外し、花に視線をむけた。



サングラスの下にあったのは、細長い鋭利な瞳だった。
冷淡にもみえるほどの、鋭い瞳。
けれど、一瞬、花に視線を向けたときだけ、その瞳は慈愛めいた優しい瞳になった。


(…すっごい…優しそうな目…)
花をみる愛おしげな視線に、男は花を渡す相手のことを凄く想っているんだろうな…と推測する。
自分が悲しく感じたからって、わざわざ買った花束を渡そうか迷うくらいだ。
相手のことをそれほど、深く思っているんだろう。

(そんな人がいて…羨ましいな…。
きっと、この人に似合いの綺麗な人なんだろうな…。
この花束が似合う、控えめな、綺麗な人…)

羨ましいな…と思うと同時に、菜月は少し悲しくなった。
自分はこんな花束、もらえることなど一生ありそうになかったから。
欠陥人間、といっても、男には花束をあげる相手がいる。
その分、幸せなんじゃないかと思うのだ。
誰かを愛せる分、たった一人の自分よりも。
こんな欠落したなにももたない自分なんかよりも。

(欠陥なんかじゃない。
俺なんかより、全然…。俺は…、こんな花のように誇った生き方もできない、駄目人間だから…)


「おかしな話をしてしまったな…。
すまない。
君が給油する間、タバコを吸いたいんだが…」
「あ、はい…どうぞ…」

菜月の返事をきき、男が車から降りた。
車から降りると、長い足が露わになった。

小柄な菜月に比べ、男はゆうに10センチ以上高いだろう。


日本人離れした、無駄な肉のない八頭身。
スマートで落ち着きのある大人の男。
非の打ち所もないくらい、完璧に見える男。

(どこをどうとっても完璧に見える人っているんだ…。
俺となんて比べ物にならないくらい、かっこいいな…)

菜月は、男と自分の違いに、急に恥ずかしさと劣等感を感じ俯いた。

花の匂いがする男。
かたや、ガソリンの匂いがする自分。
長身でモデルのような体躯の、スーツの似合う男。
かたや、ガソリンスタンドで働く汚れがしみついた自分。

女性を前にしても、仕事での恥ずかしさなんて感じたことはない。
しかし、初めて会った男の、それも極上といっていい男に対し、菜月はどうしようもない気恥ずかしさを感じた。


「あの…終わったら、声、かけますので…!
あちらのスペースでおまちください」
「ああ…」

菜月の言葉を受けて、男は案内されたスペースへ歩いていく。
男が煙草をふかしながら一服している間、菜月はガソリンを入れ、満タンになったのを確認すると車を布で丁寧にふいた。

数分かけて車を清掃しおえると、休憩所で煙草をふかしている男に、洗車が終わったことを告げに男のもとへ走る。


(これを返せばもうおわり…か…)

男と離れがたい気持ちになり、これで別れる事を残念に思う自分がいた。

綺麗な花束を見せてくれたからだろうか。
それとも、欠陥人形、といった男の言葉が気になるからか…。

引きずられる思いのまま、男のもとへ駆け出したとき、
一台のトラックが、猛スピードで、ガソリンスタンドに…菜月がたっているほうへ突っ込んできた。
急スピードで走ってきたため、菜月は動くことができず、訪れるだろう衝撃に、ぎゅっと目をつむる。

(かっちゃん…)

ああ、俺、ひかれちゃうんだ。
かっちゃんと、同じように。
…かっちゃん。
死んだら…かっちゃんにあえるかな?
ダメ人間な俺を、また叱ってくれるかな?


どん、と凄い衝撃と痛みがして、身体が宙に投げ出される。
次の瞬間、菜月の意識は途絶えた。



  
百万回の愛してるを君に