利弥は、意外に子供っぽい。
一緒に過ごした数日間で感じたことである。
季節は夏の終わりから秋の中旬へと変化していた。


 利弥は寡黙で生真面目そうな外見ではあるが、けして無口というわけでもない。
抑揚なく喋ることも多く威圧的にも感じるのだが、意外にお茶目で、ふとした瞬間に悪戯を思いついては菜月を驚かせた。
それに、世話好きというその言葉も嘘ではなかったようで、菜月の足のギブスがとれ、松葉杖で歩けるようになると、菜月が自分のことは自分でやろうとするから世話ができなくて残念だ、とふてくされていた。


 菜月が口にださなくとも、利弥に不眠症のことがバレるのは早かった。
隠し通せると思っていたのだが、どうやら悪夢を見ている時はいつも苦しそうなうめき声をあげているらしい。
初めて菜月が魘されているのを見た時、あまりに苦しそうにしているから、発作かなにかと思ってひどく焦ったぞ…と利弥は不眠症を黙っていた菜月を叱った。

バレてからというもの、利弥は夜に菜月がちゃんと寝ているか見回るようになったようで、菜月が魘されていれば手を繋いだりそのまま抱きしめて朝まで同じ布団で過ごすようにもなった。

なんで、同じ布団で寝てるんだ…?と初めのうちは恥ずかしくて抗議したのだが、利弥いわく、「菜月の方が離さなかった」らしい。寝ている間のことなので無自覚なのだが、悪夢を見ているときの菜月は、利弥が近くによると、その身体にしがみついて離さないんだそうだ。
利弥も無理に菜月を起こすことなく、そのまま一緒の布団で眠ってしまうらしい。
あくまで、利弥の話なので本当の話なのかは定かではないが…。


『弟が甘えてきたみたいで、懐かしい気持ちになったよ』
『弟…利弥さん、弟さんいたんですか?』
『ああ。君と違って甘やかせてくれない弟が一応な…。私としては、気にかかる弟でついつい構ってしまうんだが、それがあいつにとっては"うざい"らしい…』
『もしかして、弟さんを甘やかすことができなくて、俺を代わりにしていたりします?』
『さぁ…どうかな?』



だんだんと、自分の生活が利弥で染まっていく。
ぎゅっと抱きしめられたり支えられると、どうしようもなく気持ちが高揚してしまう。
染まりたくないと思っているのに、このままでいたいと思う自分もいた。



「利弥さんって、意外に子供っぽいんですね」
「はは…、今頃気づいたのか?」
「はい、今頃気づきました」


一緒に暮らして数ヶ月もたつと、菜月は利弥に対して日下さん呼びから利弥さん呼びへと変化した。
利弥に対する言葉も砕けたものになり、敬語はいまだに抜けきれていないものの、かなり彼に対して心打ち解けたものとなった。
冗談を言い合う日も少なくない。

 一緒にいても、緊張はなくなったし、彼が側にいると安心する自分もいた。

もちろん、世話を焼かれて心苦しい思いもあったけれど、それ以上に彼が隣にいられることが嬉しくて。 他人と一緒にいるとすぐに恐縮してしまい、ストレスに感じることもあったのに、利弥の隣は不思議と居心地もよかった。
彼が、どんなに反抗しても怒ることがない甘えられる存在だからだろうか?
なんの見返りもなく側にいてくれる、その存在に、惹かれているからなのか。


 利弥が休みの日は、リビングでのんびりとソファに座りながら過ごすことが多い。
リビングにあるソファは、3人がけの黒のソファで、食事や仕事意外のときは、利弥はソファで座って寛いでいた。

「まぁ、プライベートくらいは、私も肩の力を抜いて子供っぽくいたい気持ちもあるしな…。菜月とゆっくりとしていたい」

お気に入りのソファに身を沈めて、隣に菜月を座らせた利弥は、たまの休みに羽を広げリラックスしているようだった。


「ゆっくりと…ですか。
でも、俺の世話していて疲れませんか」
「全然。これが、ウルサいガキなら、疲れるだろうけどな。
菜月は…静かだし、聞き分けがいいから。一緒にいるとほっとするよ。
最近は社内でもいろいろあってな…、こうして家でのんびりとできる時間に、正直癒されているよ」
「そう…。利弥さん、毎日忙しそうだもんね」



 利弥の会社は、主にネットで通信販売や電子機器制作を行っているようで、この不況で喘いでいる現代では、珍しく黒字を出している企業らしい。
細かなサービスや気配りがされていて、受注・配送までわかりやすく、安価で長持ちする商品は、口コミで広まり、主婦層やパソコンを使うサラリーマン層に人気を博している。


テレビにも何本かCMを打ち出すほどで、電子機器部門に至っては、テレビで見ない日がない人気のアイドルや、有名カメラマンを使って大々的にCMを出していた。


「社長といっても、ほとんどおかざりみたいなもんなんだ。
私の他にも、同じような仕事をできるやつは会社に何人もいる。替えの聞くお飾り社長ってやつだ」

「でも、やっぱり忙しいでしょ。
家にもそんなに帰ってこないし。帰ってきてもすれ違いだし…。あんまり顔みないし…。それに、たまに溜息ついているし。なんか思い詰めているようだし…」

「ん?なんだ?
そんなこといって、寂しいのか?私が家に帰らないと」

「それは…」

寂しい。
はっきりいって、凄く寂しく感じてしまう。

広い部屋に一人っきりでいると、置いていかれたような寂しさがある。
飼い主の帰りをまつ犬の気持ちはこんな感じなのだろう。
利弥が側にいると安心できて、側にいないといつになったら帰ってくれるのか不安に押しつぶされる。


菜月は所在なげに、瞳を揺らす。
寂しがっている、そんな女々しい自分を気づかれたくなくて、ソファにあるくたびれたウサギの縫いぐるみを胸に抱いて、そんなんじゃありません…と視線を落とした。


「私はいつも菜月の寝顔を見ているから、毎日会っているつもりでいたが…そうか、寂しいのか。そうかそうか」
「違います。ただ、もうちょっと、家で休んだ方がいいんじゃないかな…って、そう思っただけです。利弥さん仕事、しすぎだから」
「私を心配して?いい子だなぁ、菜月は…。心配して、寂しかったんだろう?」
「そ、それは…」

にこにこ、いや、にやにやか。
ニヤニヤしている利弥を見ていると、素直に寂しいというのもなんだかしゃくで。

「部屋が寒いから。
こんな広い部屋で待っていると寒くて。
だ、だから利弥さんがいてくれたら、少しはあったかいかなってそう思っただけだから!」
菜月は早口で、そうまくし立てた。


「寒い…か…。確かに最近、少し肌寒くなってきたな。暖房もう少しあげるか?というか、菜月私がいないとき遠慮して暖房きってないだろうな?」

(一人の時なんて、つけてないよ…。
寒かったら何枚も服何枚も着るくらいで)
利弥の尋問に、ぎくりと冷や汗を流しながら「ちゃんとつけてるよ…」と嘯く。

「そうか…」
「ちゃんとご飯も食べてるし…それに、ちゃんと寝てるし…」
「もう夜は魘されてないのか?」
「う、うん…」

もう大丈夫だよといえば、利弥はそうか、といって菜月の右腕に視線を落とした。
視線の先の右腕は、事故で一番損傷がひどくまだギブスがとれていなかった。


「あんなに大怪我だったのに、足はギブスがとれて…もう松葉杖つけたら家の中くらいは歩けるんだな…菜月は。
時期にこの右手も治るだろうな…」
「う、うん…」
「そしたら…」

利弥はなにか言い掛けて、口を閉ざした。

「利弥さん?」
「い、いや…。
この右手が治ったら、もう菜月の頭を洗えないのは寂しいな…と思っただけだ」
「…っ」

菜月の左手はもう完治しているため、食事などは利き手ではない左手で行っているものの、一部左手でやることが困難な作業もある。身体は自分で洗えるものの、頭などは、利弥に洗って貰っていた。
性器が見えぬよう毎回タオルを巻いているものの、やはり気恥ずかしい思いはある。


「恥ずかしそうにしている菜月を見るのも楽しかったのにな…」
利弥の言葉に菜月の顔が赫らむ。


「右手もそのうち治ります。
だから、そのうち利弥さんが、甲斐甲斐しくせわしなくてもよくなりますから!」
「そうか…それは、残念だな…」
「そうです…そしたら…!」

右手が自由になって、身体が自由に動くことになったら。
そしたら、もう自分は利弥にとって用済みになるのではないか。

保護しなくてもよくなった自分は、世話好きの利弥からしたら、ただ邪魔なだけじゃないだろうか。

別の自分を必要とする人間を保護しようとするのではないだろうか。
もっと甘やかすことができる、素直に甘えてくれる可愛らしい人間を保護するのではないか。

そう考えたら、ぎゅうっと胸がなにかに鷲掴みされたように、痛んだ。


『私の大切な人も、車の事故で死んでしまったんだ。
同じように、車にひかれ…』
『ずっと、俺を支えてくれたのに。

あの事故のせいで、あいつは死んでしまった。
志半ばで…死んでしまったんだ…』
『“俺”にはあいつだけだったのに…
あいつだけしか、いなかったのに…。
あいつは、“俺”をおいて死んでしまった。
“俺”をおいてあいつは…』

あくまで、菜月は利弥にとっては変わりにすぎない。
死んでしまった人の変わり。

『君が死んで悲しむ人なんていないのか?
君がここまで育ててくれた、君を愛してくれた人に、死にたいなんて顔向けできるのか…
死んで…残された人のことを考えられないのか!』

『 君が…私の大切な人と同じように、笑って花が好きだといったから。
死んでしまったあいつと同じように、私に微笑んだから。

君があいつに…似ていたから。
あいつと、そっくりだったから。

君が車にひかれ宙を舞ったとき、私は君とあいつを重ね、また失う恐怖におびえてしまった。
君に生きてほしいと、願ってしまった。だから…』

(俺は…利弥さんが保護した野良猫みたいな、存在なだけで…。
利弥さんの、大事な人の代わり…。ただの代用品に過ぎない)


死んでしまったらしい利弥の大事な人。
それから、事故の日、車にあった紫の花束。

それらの人物が利弥にとっては、とても大事な人であり、菜月は利弥にとってただのペットである。
寂しさを埋めるだけの、身代わりのような存在にすぎない。

(なんだろう…胸が痛いな…。
なんで、こんなに痛いのかな…。代わりでいいって、そんなの承知で利弥さんに世話になることになったのに)

沈み込み塞いだ菜月に対し、利弥は「菜月…?」と顔をのぞきこんだ。


「花…」
「ん?」
「あの日の花束、あげられたんですか…。あの紫の花束」
「ん?ああ、渡せたよ。“あいつ”に…。
そうだ、菜月の足が治ったら、あの花屋にいこうか?」
「花屋に?」
「花が欲しいといっていただろう?君が好きな花がないかもしれないが、それでもよければ…」
「おれ…に?」
「ああ。
あ、こういうのはサプライズで渡したほうがよかったか?」

利弥の言葉に、「ううん」と菜月は首を振り 「すっごく楽しみです」と笑顔を浮かべた。



  
百万回の愛してるを君に