ルッテ・クラウンの王城。
今日も民の暮らしとは裏腹に、城では統治者・バハロが華やかな遊宴を開いていた。
集まる招待客は、貧困であえぐ民と比例するように豪華な衣装で己を飾り立てており、皆、恰幅かっぷくもいい。
薄い布っきれの民に比べ、城に集まっているものたちは高価なシルクを何十にも重ねた豪華な衣装であった。

きっと飢えなど知らぬだろう。
皆、裕福そうな身なりに、ふっくらとした体つきをしている。

こうしている間にも下々の民は貧困に喘いでいたりやむなく悪事を手に出しているものもいるというのに、集まった招待客にはそういった悲壮感はまったく見受けられない。

町の人間は、明日生きていけるかもわからぬ、悲痛な面もちをしているのに対し、この城にいるものたちはまるで別の世界にいるかのように、その顔は違っている。
皆、にこやかに微笑んだり談笑をしながら、その場の雰囲気を楽しんでいるようだった。

たった一人を除いて。


「シャルル…。こっちへくるんだ…」

掠れ嗄れた声で、王城の王座に座っていた年老いた男は、隅の方で、この華やかな場で所在なげに佇んでいた青年を手招いた。

真っ白な白髪。そして、手には杖を携えている。
腰は90度に曲がり、目はぎょろぎょろとしており、皮膚はくしゃくしゃで、粉を吹いている。

この白髪交じりのしゃがれた声の老人こそ、この国の統治者・バハロであった。


水気のない肌に、しゃがれた声と背筋の曲がったその様は、一見ただの老人に見えるのだが、瞳だけはぞっとするほどに冷たい。
人を人とも思っていないような、冷酷な視線は、老人の姿であるのに、見るものに恐怖を抱かせる。
なにも喋っていないときも、おどおろしい威圧感のようなものもあった。
その瞳に優しさなどひとかけらもない。
ただただ、感じる感情は、恐怖のみである。
年老いた老人。
その杖を携えた姿は老人そのものであるというのに…。
言いしれぬ禍々しさが、統治者・バハロにはあった。


バハロの言葉に青年はこくりと静かに頷くと、青年は表情を変えずにゆっくりとバハロに近づいていった。

 シャラ…、と、青年が歩くたびに足首につけられた足輪の装飾品の擦れ合わさる音があたりに鳴り響く。それまで騒がしかった場内は、シャラ…と音が聞こえた瞬間に静まりかえった。

シャラシャラ…と装飾品が奏でる音に集まる視線。

青年が歩き出した途端、城にいた客人たちは、青年に視線をやり、着飾られた姿を目にほう…と、感嘆の声をあげた。
その美しさに目を奪われるものもいれば、欲情しあらぬ空想をし、不躾な視線を寄越す者もいた。

 青年は、まるでガラス細工のように繊細そうで触ったら壊れてしまいそうな儚さを帯びている。

 色素の薄い金色の肩まで伸びる髪、そしてドレスから覗く細い手足。
きめ細かな白い肌に、高い鼻梁に薄い唇。
青い海のように澄んだ瞳は、感情の色がみえず、まるで意識のない人形の様でもあった。

今も不躾な視線を一心に浴びているのに、その表情は変わらず能面のようだった。

本当に彼は人間なのだろうか…?
綺麗で、なのに、妖艶で…。
彼は人間ではなく本当は、妖精のたぐいなのではないだろうか。
客人たちは、想い想いに青年を見つめている。

客人たちが視線奪われたように、じっと、不躾に青年に視線をよこすのも無理はない。
それほど実際にみる青年は瞳奪われるほどに透明感があり、幻想的で秀麗であった。
また、統治者・バハロと同じくらい、青年はこの国では名の通った人物であった。
下々の民にとって、その美しさに見惚れ、やさしさに時に救われ、強さに憧れる…そんな人物だった。数年前、ルッテ・クラウンがまだ平和な国であったときは。


美しいこの青年の名は、シャルル・シズド・ラージェ。芸術品のように美しいシャルルの通り名は、麗しき神に愛された人魚といわれていた。
元は、このルッテ・クラウン国の第三王子でもある。
そして、今はバハロお気に入りの性奴隷であった。

 シャルルのほかに、今この国には元王族は1人としていない。両親も、兄も幼かった弟も皆、このバハロに殺されてしまった。
シャルルが見ている、目の前で。

 シャルルよりうんと幼く、純粋無垢に笑顔を浮かべ、剣なんて持ったこともない弟すらも。バハロは躊躇なく、その小さな身体を無数のやりで串刺しにした。
シャルルがどれだけ懇願しても、いうことも聞かずに。

バハロは残忍であり、抜け目がない。
幼いものですら、躊躇なく殺す。
どれだけ泣いて縋ろうとも。

では、何故シャルルの弟が殺されシャルルは生きているのか。
もちろん、シャルルのその美しい容姿をバハロが気に入ったのもあるが、それ以外にも理由がある。それは、シャルルが神に愛された人魚であるからだ。
神に愛された人魚…それは、どんなものより高価な宝すら霞んでしまうほどの高貴であり神に等しい貴重な存在。

このルッテ・クラウンは海に囲まれた国であり、昔から王族の中には稀に海の神の加護を受けたものが生まれた。
海の加護を受けたものは、普通の人間とは異なる力を持って生まれる。その力は様々で、神に愛されていれば愛されているほど、その力は強いらしい。加護を受けて生まれたものは、皆美しい容姿をしており、髪は輝くような艶やかな金色で目は海の色のように青いものときまっていた。
シャルルの二人の兄の髪の色は黒で、弟は茶色で神の加護を引き継いだのは兄弟の中でシャルルだけだった。
そもそも、海の加護をひくものが王族の中に生まれることがあるといっても、それは本当に稀で、シャルルの前の加護を持つものはおよそ150年以上も前の人物であった。

海の加護を持つ者、それすなわち人魚の血を引くものとされるのだが、シャルルは人魚のように優雅に水の中を泳ぐこともできない。また、昔の文献で人魚は海を操る力と海の神の言葉を聞ける能力を持っているはずなのだが、シャルルは28になった今でも、その力が目覚めることはなかった。


シャルル自身、海を操ることも神の声を聴くこともできない自分は到底神の加護がある人魚であるはずがない…と、幼き頃から思っている。

 海も泳げない、海を操ることも神の声も聴くこともできない…普通に泳ぐこともできず、海より山を駆け巡っているほうが好きな自分が、海の神の加護があるとは到底思えなかったのだ。

でも、海を操ることや神の声が聴けなくても、シャルルが普通の人間とまったく同じというわけでもなかった。

シャルルの瞳から流した涙は不思議なことにしばらくたつと、真っ白な真珠へと変わる。売れば大層高くなる美しい真珠だ。
涙が真珠へ変わるのも、また人魚の特徴であった。
 
 涙が真珠に変わらなければ、ほかの人間と同じであるのに、泣いて滴としてシャルルの瞳から落ちれば必ず真珠に代わってしまう。
普通の人間と同じようにいたいと思っていたシャルルは、真珠の涙を零したくなくて、子供のころから必要以上になかない、感情の起伏が少ない人間であろうとしていた。
家族以外には、自身に踏み込むことができないよう、強固な見えない壁を貼っているようだった。
他人と違うと知られることが、幼いころのシャルルにとっては何よりも不快感をもたらしていた。
そんな強固な壁すらも壊して、シャルルのもとに来る人間が、たった一人だけいたけれど。


シャルルは海の神から加護される存在、力はいつか目覚めるだろう…と両親たちも楽観視していたのだが…、平和だったルッテ・クラウンに悲劇は突然やってきた。
百万回の愛してるを君に