人間でないので、人間のように愛してやれない。
一緒に添い遂げることは決してしてくれない女だが、同時に共に同じ時間の流れで歳をとってやることもできない。彼女ばかりが死に近づいて、彼女がようやく生を終える頃でさえ、己はまだ白狼の中ではずっと若輩者だ。それでもいいと思って選んでいる。それでもこのたった数十年を、俺だけを選んでいてくれるなら、残りの数百年をかけて愛してやってもいいと思っている。
───それが、ニルも同じであると、これまで信じて疑ったことはない。およそ人間らしい恋愛を彼女がこれから先できないであろうことに気がついたのは、その細っこくて簡単に折れそうな薬指にまるで人間の真似事のように指輪を嵌めてやった時だった。
「入るぞー……」
軽くノックをして戸を引くと、開いたままの窓から冷たい冬の始まりの匂いがした。寒いから夏か春にしようと言ったのに、冬の初めがいいと言って聞かなかった妙に頑固な彼女に付き合って、秋も暮れ、少し肌寒くなってきたこの時期に、それも外で式をやるのだから、インドアからしてみればたまったものではない。寒いって騒いでも知らねえからな、と釘を刺したことを気にしているのか、これまで一度も寒いと言わなかったニルがゆるりと振り返る。淡い裾の端が、少し揺れた。
「え、ええ〜!ロウさんかっこいいです好き〜!」
「おい、待て、逆だろ」
振り返るなり、目をまんまるにして口を覆ったニルに毒気を抜かれて思わず苦笑する。散々悩んで付き合わされたドレスを着て、そうしていれば少しは様になった。「締め上げられてくるしいです」と腰のあたりをさするあたりはいつものニルで、なんとなしにしょうがないような気持ちになりながら、はしゃいで崩れた前髪に手を伸ばす。
「せっかくやってもらってんのに暴れんなよ」
「ちょっとかっこよすぎて目眩してきましたあ……」
「意味わからん……」
そういう目の端は本当にうっすらと赤らんでいて、すっかり見慣れた反応だのに、やけに気恥ずかしくなって目を逸らした。そもそもこんな、人を呼ぶような真似も、人に見られるような真似も何もかも苦手だ。やる気なんか少しもなかったし、そんなものは人間だけがやると思っていた。とうとうやきが回ってしまったか、よっぽどこの女に弱いかのどちらかで、明らかに後者であるのが自分でもわかっているので居心地が悪い。期待するような瞳を見下ろして、頬に触れる。ニルが薄く、待つようにこちらを見つめた。
「………馬子にも衣装やね」
「……ええ!?ひどくないですかあ!?」
「どんな顔で見てんだよ、ニルのくせに生意気」
は、と鼻で笑って馬鹿にしてやるとニルがきゃんと喚いて眉を垂れる。白っこくてなよい頬を指の背で擦ると、すっかり懐いた顔で擦り寄ってくる。にへ、と崩れた笑顔でこちらを見た彼女にため息をついて、くるりと背中を向けさせた。
「ほら、しっかりしろ、始まるぞ」
「なんか緊張して胃が出てきそうになってます……」
「なんでだよ」
「だってまさか、ロウさんがこんな、」
口を注ぐんで、何か物言いたげな瞳がすっと己を仰ぎ見た。なに、と言うと珍しく歯切れの悪そうにしながら、だって、と続ける。「結婚式しようなんて言い出した時は熱でも出たかと思いました……」垂れた睫毛の隙間が、ほんの少しだけ潤んでいた。
「泣くのはえーよ、ばか」
「な、なんかだって、絶対嫌なのにわたしのためにやってくれてますよねえ……?」
「うるせえ、思ってもそういうのは口にすんな」
戸惑うニルの目元をちょっとだけ拭ってやって、高い天井を仰ぎ見た。今日まで散々勝手に感動して勝手に泣いてきたくせに、当日にまで結局泣くのでこれはこれでやり甲斐がありすぎるのも困りものだった。そっとその骨ばった肩に手を置く。人間の体温が、くるしいほど生暖かくて、それが妙に嬉しいような切ないような気持ちになった。
「苗字とかは変えてやれねえけど」
「……?」
「俺は、お前が笑うなら、できることはなんだってするよ」
思っていたよりも、はっきりと声になって、自分でも驚いた。今にも振り返りそうな身体をぐっと押し込めて、肩口に額を押し付ける。曲げた背中の身長差が、少し痛かった。
「馬鹿みてえに人呼んで式してもいい、わけわかんねえスーツでも着物でも着てやる」
「ロウさん、」
「お前のためなら、別に面倒なことは、それほど面倒じゃない」
言い切って、息を吐いた。柄でもないことを言うと普段使わない筋肉を使ったような気になって、浅く呼吸を繰り返す。我慢が効かなくなった腕の中の喧しい女が、喧しいままの動きで振り返って、飛びついた。痛えよ、馬鹿。受け止めると、耳の横でぐすぐずと泣いている。泣いたり笑ったり、忙しい人間だ。その生き物らしくて、わかりやすくて、そのくせ面倒なところが好きだった。
「おーい、泣いたら意味なくね?何してる?」
「なんでそんな、かっこいいんですかあ〜……」
「お前が俺のこと好きすぎるからだろそれは」
「ロウさんだってこんなの、私のこと好きじゃないですかこれじゃあ!」
呻いたニルがやり場のない感情と戦うように眉根をぎゅっと寄せてこちらを上目に睨む。だからずっとそう言ってるだろ、と思ったが、そこまでは言ってやらなかった。そんなもん自分で考えろ、馬鹿。
滲んだ涙を慌てて拭うニルの横顔を見つめながら、ふと首をかしげる。忙しない花嫁姿に声をかけると、ニルが不思議そうに振り返った。
「つかお前、なんでこんな寒い時期にこだわってた?」
長い睫毛がゆっくり当たり前のように瞬いて、ゆるく口の端が丸く声を描く。
「だってロウさん、冬生まれでしょ!」