少し掠れて、楽しい時はほんのちょっと上擦ったりなんかする。時折思いついたように鼻歌を歌うときなんかは頭ひとつ分くらい高く喉を開くところがとても好きだ。私の名前を殊更優しく呼ぶ声が好き。怪訝そうに、嗜めるように呼ぶ声が好き。本当に、心から苦しそうに縋るように呼ぶ声が、好きだ。
「あ?あー、今帰った。昨日の報告書?わーってるよ、今日出すって。っは、信用なくて草。期限は守ってんだろーが」
ふ、と目を覚まして、すっかり見慣れた天井にぼやけた頭で息を吐く。身体を起こすと、横たわった内臓がずるりと落ちるのがわかる。人一人分すっかり空いたままのベッドの横に徐に手を添わせて、冷たいままの布を掴んだ。
「無茶?してねーよ、怪我もねえって、大丈夫だっての。あーはいはい、わかったから、んじゃまた起きたらアジトに顔出すわ。おう、お前もあんま無理すんなよ――っと」
ぺたりと裸足のままの私の足音に、彼がぱ、と振り返る。揺れた髪の端から水滴が少し垂れて、ほんのり血の匂いがした。ロウさんが口だけで悪いな、と形を作って、軽く私に手を振る。「ん、ああ別に、こっちの話。じゃ、切るわ、ほな」そう言って携帯を切ると、ソファに放ってこちらを見やる。
「悪い、起こした?」
「いえ……」
「ごめんけど今から風呂だけ入ってくるわ。そのまま寝ててくれれば後で行くよ」
そういうロウさんの手のひらが、不自然に遠ざかる。汚れたままの着物を解いて、立ち去ろうとする、そのその向いた背中を、───殆ど反射的に掴んでいた。
「……ニル?」
「怪我、した、でしょ」
形のいい吊り目がすっと細まる。探るように動いて、それから、心なしか切なそうに緩まった。
「してねえよ、いらん心配すんな」
「嘘、私たしかにとっても鈍いけど、でも、こんなのわかります」
血の匂いも、不自然な距離も、誤魔化すように愛想がいいのも、もういい加減よくわかっていた。不器用なひとだから、構われるのも悩まれるのも嫌がる。己で傷付かれるのがすこぶる苦手なひとだ。自分が傷つくことは少しも厭わず、あっさりと損切りしてしまうくせに、泣きそうなほどに優しく接するこのひとが、たまらなく苦しくてたまらなく憎らしい。お願い、と呟いた私に諦めたように深い溜息をついて、ロウさんが私の指先を探った。
「こういうのはお前、誤魔化されといてくれよ」
するりと着物の端を解いて、肩から滑り落ちる。一文字に入った刀傷が痛々しい。古傷の多い身体の真ん中にいっとう爛れた赤い傷は、既に塞がりかけてはいるものの、白狼をもってしてでも深く血が滲んでいる。ばか、こんなもの隠して、どうやって、どうするつもりだったの。言いたい文句は山ほどあるのに、思うように言葉が出てこないまま、小さくぎゅっと眉根を寄せる。
「とりあえず止血しますから!」
ばたばたと箪笥をひっくり返して、包帯やら何やら、手当たり次第に取り出して、いっぱいに抱えて、薬師がまるで笑わせる有様だった。それでも、処置は人並み以上にはできるはずだ。私が薬師でよかった、と心から思った。こういう時に自信を持って動ける人間でよかった、慌てるだけにならないだけの経験があって、よかった。
「痛かったら言ってくださいね、締めますからね」
ぐるりと背中に包帯を回して、きつく力を込める。う、と少し眉を寄せたロウさんが私を仰ぎ見る。
「痛え」
「却下です!」
「却下ならいうなよ……」
流石は白狼だ、少し締めればだらだらと垂れていた血はすっかり治って、癒着し始めた傷に慎重に消毒液を塗る。「なあ、つか、いらねえって。すぐ治る、どうせ」少しいつもよりも茶化すように、明るくそう言ったロウさんが私に視線を寄越す。「な、ほら、流石ロウさん!かっこいい!とかでいいから───」そこで口を注ぐんで、そっと彼の瞳が丸く見開いた。
「……泣きすぎだろ」
「……泣きますよう、そりゃ」
「…………悪かったよ。……そっち包帯巻いてくれる?」
くしゃ、と髪を撫でて、ロウさんがゆるく笑った。痛いくせに、あやすみたいな真似をされたくなくて、強く被りを振ると困ったように眉を下げる。泣くなよ、お前が泣くと弱いんだよ、頼むよ。私よりもずっと低い温度の手のひらが私を撫でる。骨からずっと優しいひとのくせに、尚更優しくしようとするのが苦しくて、そっとその手に縋った。たかが人間の私だから、それ以上にもそれ以下になれなくて、それでも私を好きだと言ってくれるこのひとを、どうにかしてひとりにしたくなくて、そういう矛盾を抱えて、強く愛している。