邂逅

我を喚ぶのは誰ぞ…

暗き夜を照らすが如き、眩き心…

汝の力となりましょう…

我は−−−。

その光、絶やさぬよう…



「莉緒、起きなさい!」

 朝早くから母親の声が聞こえ、莉緒は布団の中をもぞもぞと動いて顔を出した。

「……おかーさん、何か言った?」
「起きなさいって言ってるのよ。今日はお出かけするんでしょう?」
「そうじゃなくて、光が何とかって……」
「光? 夢でも見てたんじゃないの?」
「夢……?」
「起きたのなら早く準備しなさい。お父さん待ってるわよ」
「はーい」

 気を抜けば再び閉じてしまいそうな目を擦りながらベッドから出る。デフォルメされたオールマイトの総柄パジャマを脱ぎながら、莉緒は先ほど聞こえた夢のことを考えていた。

 ――暗闇の中で聞こえた、懐かしい声。
 懐かしい――なぜそう思ったのか。その考えに疑問を抱いて着替えていた手が止まった。不思議そうに首をかしげて考え込んでいたが、自分を呼ぶ母親の声が聞こえてきたため急いで着替えリビングへと向かった。
 
 この日は莉緒の4歳の誕生日だった。彼女の“個性”が発現した日で、人生が変わった日でもある。
 どうしてこの懐かしい声の正体に気付かなかったのか、のちに後悔することになる。




「莉緒、おはよう。お誕生日おめでとう!」
「おはよう、お父さん。ありがとう!」
「今日はお祝いに莉緒のプレゼントを買いに行こうな」
「うん!!」

 誕生日と休日が重なり、家族三人で車で15分ほどの場所にあるショッピングモールを訪れた。
 ずっと欲しかったオールマイトグッズを買ってもらい、おいしい料理も食べた。子供向けのアトラクションで遊んで充分に満喫した後、この周辺では有名な洋菓子店で誕生日ケーキも買った。
 両手でケーキを持つ莉緒は満面の笑みをしており、遊び疲れを感じさせないほどだ。母親はそんな彼女の頭を優しく撫でながら帰宅を促す。早くケーキが食べたかった莉緒は素直に頷き、駐車場へと向かう両親の背中を追いかけた――その時のことだった。

 背後から空を割るような爆音が聞こえ、すぐにけたたましい叫び声が耳に入る。

ヴィランだ!!」
「逃げろ!!」

 どこからかそんな声が聞こえてくると、父親が莉緒を抱き締めて走り出した。その際に持っていたケーキが落ち、父親の肩越しにケーキが踏まれていくのが見えた。そして、その先には惨状が広がっていた。
 建物の瓦礫に押しつぶされている人、血を流している人、逃げ惑う人、泣いている人、大切な誰かを探している人――莉緒は恐怖で言葉を失うも、目を逸らすことができなかった。

 倒れていく人を見ながら、何故かその光景に既視感を覚えた。それを疑問に思う間もなく、締め付けられるような頭の痛みとともに思考に霧がかかり、意識が遠のいていった。
 

 見たことのない都会の街に莉緒は一人で佇んでいた。どこか懐かしさを感じる街並みを眺めながら、自分の目線がいつもより高いことに気付く。

 ――ここどこ? それに、体が成長してる?
 莉緒がそう思っていると、突然目の前の何もない空間から高校生くらいの男女7人のグループと黒い猫が現れた。莉緒と目が合うと驚いた表情で話しかけてくる。
 「良かった無事だったんだな」、「心配したのよ」など、気遣う言葉が投げかけられた。一部、『聖杯』やら『メメントス』といった莉緒の知らない単語が出てきて話についていけなかったが、どうやら彼らとは知り合い――それも親密な仲らしい。残念ながら、莉緒にその記憶はない。
 
 グループの一人である眼鏡をかけた青年が安心したような笑みで莉緒の頭を撫でる。不思議とそうされるのが当たり前のように感じて、その手を受け入れていた。
 彼の顔を仰ぎ見ていると、一滴の雨粒が莉緒の頬を伝う。彼が優しく拭ってくれたその雫は赤い色をしており、驚いて二人で顔を見合わせた。

 次第に激しさを増していく赤い雨が地面に広がり、そこから太く大きな骨のようなものが生える。街中の至る所から伸びていき、まるで街全体が恐竜の骨格標本のお腹に包まれているようだ。
 非現実的な光景が広がっているにもかかわらず、彼ら以外の人たちはこの異変に気付いていない。

 ――誰かの“個性”で夢でも見てるのかな?
 あまりの出来事に莉緒が困惑していると、グループのメンバーが次々と崩れ落ちるように倒れていく。
 ある人は驚いたように、ある人は悔しそうに、またある人は泣きながら。その体が透け、一人、また一人と消滅している。
 呆然として動けずにいると、最後の一人である眼鏡の彼の体が倒れ、天を仰いだ。空に伸ばしたその手が透き通り、消えようとしている。
 莉緒は咄嗟にその手を掴み、彼の名前を呼ぼうとした。



 ――彼は……誰?
 グシャッと音がして莉緒の意識が引き戻される。周りを見渡しても赤い雨や大きな骨、眼鏡の彼の姿はない。
 今のは夢だったのか。彼らは誰で、自分は何を言おうとしてたのか――考えれば考えるほど痛む頭はズキズキと脈を打ち、まるで警鐘を鳴らしているかのようだ。

 ――私は何かを忘れてる?
 頭を押さえ苦し気な声を漏らす。
 莉緒の様子がおかしいことに気付いたのか、父親が「大丈夫だからな、お父さんが絶対守るから」と走りながら頭を撫でた。その手の温かさが眼鏡の彼に似ており、何故か涙が出そうになった。
 抱きついていた手に力を込めると、父親は更に強く抱き締め返した。

 そういえば――と、莉緒は音がしたことを思い出し、父親の肩から少しだけ顔を出した。どうやら誰かが莉緒のケーキを踏んだ音のようだが、その足は踏んだ状態のまま動かない。不審に思い視線をあげる。

 そして、ヴィランと目が合ってしまった。

 ゾクッとした感覚が体中を駆け巡る。
 ヴィランが莉緒を見つめ、ニヤりと不敵に笑った次の瞬間、“それ”は目の前に移動していた。
 刹那、衝撃が体を襲う。
 莉緒はあまりの痛みに言葉を発することすら出来なかった。それでも苦しさに耐えながら目を開けると、その瞳には莉緒を守るように抱いたまま血だらけになっている父親の姿が映った。

「……莉緒、怪我は、ないか?」

 父親は自身の方が重傷にもかかわらず、心配そうに莉緒に声をかける。その問いに小さく頷くと、それを見た父親は「……良かった」と安心したような顔を見せ、そのまま意識を失った。

「お、お父さん……? ねぇ、お父さん! 目を開けてよっ!」

 何度呼びかけても動かない。父親の頭から血が流れ、地面に広がっていくのを見て莉緒は息を呑んだ。

「あなた! 莉緒!」
「お、お母さん! お父さんが……っ!」

 吹き飛ばされた二人の元へ駆け付けた母親は、泣きじゃくる莉緒を抱き締めた。そして自身の夫の姿を見て言葉を失っているようだ。
 母親は身震いする手で父親にそっと触れた後、目を瞑った。深呼吸をしながらゆっくりと開いた瞳には、一人の親として覚悟を決めた――そんな表情があった。

「莉緒、よく聞いて。まだ走れるよね? 私がヴィランを引き付けている間に先に逃げなさい」
「でも!!」
「大丈夫、ちゃんとお父さんと一緒に逃げるわ」
「やだ! 私もお母さんとお父さんと一緒がいい!」
「莉緒、お願い。お母さんの言うことを聞いて」
「いや、いやだ……!」
「莉緒、行って!」

 背中を押して母親は逃げるように促す。それでも渋る様子を見せた莉緒に対し、先程よりも強い口調で「走って!」と急き立てる。莉緒は涙を流しながらも深く頷くと走り出した。
 その遠ざかっていく背中を見つめ、母親は笑顔をつくり震える声で呟いた。

「……莉緒、お誕生日おめでとう」

 微かに聞こえた母親の声に莉緒の心が波立つ。
 今ここで逃げると、もう二度と両親と会えなくなる――そんな予感がした。
 地響きや破壊音、人々の叫び泣く声が不安を更に煽っていく。止まってはいけない、振り返ってはいけないと分かっていても、そうしてしまう体を止めることができなかった。

 恐る恐る振り返った視線の先では、母親が“個性”を使って応戦していた。瓦礫を利用して建物を造り出すと、ヴィランの行く手を阻み建物内に閉じ込めている。
 初めて見た母親の“個性”に驚きながらも、『これなら救かるかもしれない』と莉緒は思った。
 しかし、ヴィランはその剛腕で建物を砕き速い動きで距離を詰めると腕を振り上げた。母親の体が空高く舞い上がり、その体は父親に折り重なるように落ちる。
 凍り付いたように動けなくなった莉緒を見てヴィランは嬉しそうに笑い、二人にとどめを刺そうと再び腕を振り上げた。

「もう、やめてっ……もうやめてよ!」

 声を振り絞り叫んだ瞬間、音が消えた。今まで聞こえていた悲鳴も喧騒も、何もかもが莉緒の耳には届かない。
 ほんの一瞬の出来事のはずなのに、目の前で起こっていることがスローモーションに見えた。

 瞳に溜まった涙で両親の姿が霞む。こぼれ落ちる涙に呼応するように、情景が思い浮かんだ。
 莉緒を庇った父親、無事だと伝えた時の安心したような顔、母親の覚悟を決めたような表情と震える声――心臓に、脳に、体中に、両親の姿が溢れていく。

 ――私はあの表情を知っている
 でも、どこで……?

 ――私はあの時も守りたいと思った
 誰を……?

 ――私は−−−と一緒に
 −−−って?


“我を喚ぶのは誰ぞ…”


 何も聞こえていないはずなのに、その声だけが莉緒に届いた。
 頭が割れるように痛み、脳内に映像が流れ込む。あまりの情報量についていけず、頭を押さえて蹲った。

 精神暴走事件、パレス、怪盗団、改心、メメントス、聖杯。
 4歳になった“莉緒”は体験したことがないもの、でも4歳ではない“莉緒”が経験したもの。

 仲間、信頼、記憶、絶望――そして、希望。


“我は−−−。”


 莉緒の記憶が眼鏡の彼との出来事で埋め尽くされていく。彼とその仲間、何があったのか、自分が“何者”だったのか――すべてを思い出した。
 その途端、頭の中に流れていた映像とともに痛みが消え意識が鮮明になる。
 音が戻り、時間が動き出すと莉緒は駆け出していた。

 ヴィランの前に躍り出ると、両親に抱きついて強く目を瞑った。そして心の底から叫んだ。自分と一緒に戦ってくれたあの懐かしい名前を。

「救けて――カグヤ!!」

 莉緒の周りが光り輝き、風が吹き荒れる。弾かれるような音とともにヴィランの唸り声が聞こえた。
 来るはずの衝撃が来ずゆっくりと目を開けると、そこには莉緒を守るように分厚いガラスのような盾がそびえ立っており、その盾に弾かれたヴィランは後方へと吹っ飛び気絶していた。
 莉緒の傍らには赤い服を身に纏い、十二単の羽織、うさぎの耳をもつ天人――過去、何度も救けてくれた最初のペルソナ。

「……カグヤ」


“やっと喚んでくれましたね…

いつの世も暗き夜を照らすが如き、眩き心…

再び汝の力となりましょう…

我はカグヤ。

その光、絶やさぬよう…”


 カグヤは光の粒子となって莉緒の体の中に入っていった。
 両親は無事だったのか、早く声をかけてあげないと――残照を見つめながら莉緒はそう思った。
 しかし体は動かず、意識はそこで途切れた。




 目を覚ましたのはあれから二週間後のことだった。「事件のショックに体が耐えきれなかったのだろう」と医師は言った。
 莉緒本人は事件のことに加え、発現した“個性”と思い出した記憶のせいでキャパオーバーしてしまったのではないか、と思っていた。
 
 “東京”という街のとある場所で怪盗団のリーダーであるジョーカーに救けられ、自身もそのメンバーとしてパレスに侵入しシャドウと戦っていたこと。

 ここが違う世界だということにはすぐに気づいた。あの世界には“個性”という概念がないし、そもそも莉緒は彼らと同じ年ごろで、4歳ではなかったのだから。それに、顔立ちは今の年齢に合わせて幼くなっただけだが、髪の色や瞳の色は以前と違っていた。

 これは転生というものなのか、皆はどうしたのか、自分は役目を果たし終えたのか――この世界に至るまでの経緯だけが思い出せずに戸惑っていたが、ゆっくり考える時間はなかった。目を覚ました後すぐに警察の事情聴取が行われたからだ。
 莉緒が寝ている間はヴィランが倒れていた詳細が分からず、捜査が進まなかったらしい。まだ体調が万全ではないなかで矢継ぎ早に聞かれたが、体を気遣ってくれた若い警官がいたのが幸いだった。

 “個性:ペルソナ”
 カグヤには物理反射という自動効果スキルがある。ヴィランが攻撃してきた際、莉緒たちを守るように現れた分厚い透明の盾はそのスキルによるものだ。そのためヴィラン自身に攻撃がはね返り、それにより倒れたことになる。

 両親に会えたのはそれから更に5日後だった。
 目を覚ました時、両親はそばにいなかった。莉緒がそのことを医師や看護師たちに聞いても「すぐに会える」と言うだけだった。
 何となく気付いてはいた。ただ、こうして両親を目の前にすると、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。

 病室に並んだ真っ白なベッド。
 莉緒に笑いかけてくれたあの笑顔はなく、二人とも眠っている。
 規則正しく鳴る無機質な電子音だけが静かな部屋に響く。でもそれは、両親が生きている証だった。
 
 『病院に運び込まれた当初は命も危なかった。今は落ち着いているが、脳にダメージが残っておりいつ目が覚めるのかわからない』――4歳になったばかりの子どもに聞かせるには難しく酷な内容だった。以前のままなら理解できなかっただろう。でも“今の莉緒”は理解できたし、理解してしまった。
 虚ろな目で医師の話を聞く莉緒を看護師たちは心配そうに見ていた。

 ――私はどうしたらよかった? どうすればお父さんやお母さんたちを救けることができたのかな? ねぇ、教えてよ、蓮……っ!
 両親の手を握っても握り返されることはない。眠り続ける二人を見ながら、莉緒は大粒の涙を流した。


 凝山地区ショッピングモール襲撃事件
 ――死者24人、重軽傷者47人

 建物の倒壊で下敷きになった人が多く、被害が拡大した。
 ヴィランはヒーローが到着する前に負傷気絶。その後、ヒーローの拘束によりタルタロスへ連行。
 警察の話によると子どもの目の前で親を殺し、快感を得るヴィランだったらしい。