「    」と「ただいま」

 莉緒は、雄英の敷地内に新たに建てられた寮を見上げる。
 ハイツアライアンス――今日からここが生活場所となるのだが、築三日とは思えないほど巨大な建物に呆然とする。ほんの一時間くらい前に轟の実家の立派さに驚いたばかりなのに、またすぐに同じような感覚を味わうとは思わなかった。

 莉緒は寮の入り口で待っていた相澤と合流し、寮生活の説明を受ける。
 このハイツアライアンスは、一クラスにつき一棟が丸ごと割り当てられているそうだ。二階以上は居住エリアとなっており、男女の生活スペースは左右で完全に分離されている。各フロアにつきそれぞれ四部屋ずつ。個室にはエアコンやトイレ、冷蔵庫、クローゼットが備え付けられているだけでなく、ベランダまで完備されているという贅沢空間だ。
 部屋割りは学校側が事前に決めており、莉緒の部屋は二階だった。この階の女子部屋の入居者は自分だけらしい。その事実を知って残念な気持ちになりつつも、相澤の後に続いて玄関を潜った。クラスメイトとの久しぶりの再会に、自然と心臓がどくどくと脈を打つ。

「おい、おまえら。全員集まっているか?」

 相澤が、共同スペースのソファに集まっていたA組メンバーに声をかける。
 相澤の背中から莉緒がひょっこり顔を覗かせると、皆は驚いたように目を見開いて固まった。そして次の瞬間、涙を浮かべながら一斉に飛び込んできた。

「莉緒ー!」
「莉緒さん!」
「莉緒ちゃん!」
「望月!」

 女性陣が真っ先に抱きついてきて莉緒の体が倒れかけるが、相澤が腕を伸ばして背中を支えてくれたため地面にぶつかることはなかった。
 男性陣も莉緒の周りに集まり、口々に声をかける。想像以上に心配をかけていたようで体調を気遣うような言葉が次々と投げかけられるが、もはや誰が何を言っているのか聞き取ることは難しい。

「本当に、本当に心配したんだからね!」
「また一緒に過ごせるようになって嬉しいわ!」
「莉緒さん、私、私……っ!」

 莉緒の肩を揺らす芦戸や、安堵したような笑みを浮かべる蛙吹。
 その傍らで、八百万は堪えきれなくなったかのように涙を溢れさせた。彼女は莉緒の救出に赴き、あの惨状を目の当たりにしていた。そのため、抱えていた想いも人一倍強かったのだろう。莉緒よりも随分と身長の高い八百万だが、その姿が今はとても小さく見える。
 莉緒はそんな八百万を優しく抱きしめると、彼女の頭を撫でた。そしてクラスメイトの顔を一人ずつ見てから、笑みを浮かべる。

「――みんな、ありがとう」




「……こんな感じかな?」
 
 ぽつりと呟き、莉緒は自宅と同じような北欧テイストに仕上げた部屋を見渡した。
 再会の余韻に浸る間もなく、相澤から「積もる話は後にしろ。荷物が届いてるから、まずは部屋を片付けろ」と言い渡されたのが少し前のこと。
 相澤に部屋まで案内され一人で黙々と作業を始めたのだが、大きめの家具は既に設置してもらっていたことと、荷物自体が少なかったこともあり思ったよりも早く片付くことになった。

 明るい木目の脚付き家具で揃えられたベッドや机、チェスト。そのナチュラルな空間に、アイボリーのカーテンが柔らかな陽光を取り込んで温かみを与えていた。ベッドの上にはイエローや大柄なデザインのクッションを置き、落ち着いた色合いの中で良いアクセントになっている。
 ベッド横の木製ハンガーラックには制服や部屋着用のケーブルニットカーディガン。ラックの下部にある棚にはラタンバスケットを並べ、その中に通学鞄と体操服などを入れている。
 そして最後の仕上げとして、チェストの上に写真立てをそっと置いた。

「……お父さん、お母さん、おばあちゃん」

 小学生や中学生の時の莉緒と祖母との写真。その隣には、三歳くらいの莉緒を抱き上げて笑う両親の写真も並んでいる。

 ――家を離れることになっちゃった……。
 一緒に過ごした思い出は覚えていなくても、両親の存在をいつも感じることができる場所だった。
 今後は寮でクラスメイトと一緒に過ごし、賑やかで寂しさを感じないくらい充実した毎日になりそうな予感がある。けれど、楽しい未来を想像すればするほど、胸の奥で空虚感が静かに燻っていく。この複雑な気持ちを、一体どこへ置いていけばいいのだろう。

 気づけば、写真立ての前で物思いにふけて立ち尽くしていた。どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 莉緒の意識は、ふいに鳴り響いたドアをノックする音で引き戻された。急いで返事をして慌ててドアを開けると、きれいなアイスグリーンの虹彩が莉緒の目に映り込んだ。

「……手伝えればと思ったんだが、遅かったか?」

 目の前に立つ人物が、気遣うような眼差しで莉緒を見ている。
 先ほどはクラスメイトに揉みくちゃにされていたのもあり、こうやってゆっくりと彼の姿を見るのは久しぶりな気がする。

「……轟くん」

 誰よりも会いたいと思っていた存在が、すぐそばにいる。

 ――ああ、本当に帰ってこれたんだ。
 轟の姿を目にした途端、その実感がじわりと胸に広がり涙が出そうになった。莉緒は込み上げてくるものを胸の奥へ押し込め、何でもないふりをして微笑む。
 
「ありがとう。でも荷物も少なかったから、もう――」

 もう大丈夫だよ――そう続けようとした言葉が止まった。
 視線が重なった瞬間、轟の瞳が揺らめいたように見えたからだ。何かを堪えるような彼の表情に、莉緒は息を呑む。
 刹那、唐突に腕を引かれて温かな胸の中に閉じ込められた。ドアが静かに閉まる音がしたが、それを気にする余裕はない。
 あまりに突然のことに莉緒が目を丸くしていると、さらに強く縋りつくように抱きしめられ、轟は苦しげな声で話し出す。

「……っ、良かった。無事で、本当に!」

 大きな体が震えている。
 それに気づいた莉緒は、我慢していたはずの涙が頬を伝うのを感じながら轟の背に手を回した。

「……轟くん。轟くん……っ! 救けに来てくれて、ありがとう……っ。私を、守ってくれてありがとう」

 『神野の悪夢』と呼ばれている、あの事件。
 当初は“個性”も封じられ、精神的にもギリギリの状態だった。轟や緑谷たちが来てくれて、どれだけ心が救われたか。

「違う……! 俺は、守れなかった。火傷だって、まだ痕が残ってるんだろ?」
「……うん。でも、リカバリーガールが時間をかけて治してくれるみたいだから大丈夫だよ」

 莉緒は『気にしないで』と言うつもりで、轟の背をポンポンと優しく叩く。

「俺がもっと強かったら、さらわれることもなかった。望月をあんな酷い目に遭わせることもなかった……っ」

 轟が消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にする。
 それを聞いた莉緒は体を少し離し、轟の表情を窺う。そして、伏せ目で唇を引き結ぶ彼の左頬へ、そっと手を伸ばした。

「……私のヒーローを、あなたが否定しないで」

 莉緒は、優しく説き伏せるように言葉を紡ぐ。

「あの時、轟くんが来てくれなかったら私は路地裏で倒れたままだったかもしれない」

 追っ手を攪乱する目的もあって別行動をしたのだが、それをせずにバアルのスキルを使って爆豪らの後押しをすることも考えた。だが、もうスキルは一回しか使えない気がしたのだ。そもそもが極限状態でSPが減っており、満足にスキルを使えるような状態ではなかったのもある。あの人数で逃げ切るには、一回きりでは心許ない。
 爆豪や緑谷たちには『大丈夫、無策なわけじゃない』と強気なことを言ったくせに、蓋を開けてみればこの有様だ。

「私は救われたし、守ってもらったよ。皆に会いたくて轟くんに会いたくて、だから私は帰ってこれたの。もし火傷痕が残っても私は気にしないよ。ヒーローは怪我が付き物だし、それに――」

 莉緒は、轟の左頬に残る火傷痕を指先でゆっくりとなぞる。その痕を愛おしく見つめながら、柔らかく目を細めた。

「轟くんとお揃いみたいじゃない?」

 轟の瞳が大きく見開かれ、息を呑む気配がした。
 言葉を失ったように莉緒を見つめていた轟だったが、その表情がゆっくりと崩れていく。
 次の瞬間、今にも泣きだしてしまいそうなほど顔をくしゃくしゃにした轟が、再び莉緒を強く抱きしめた。

「……っ、」

 轟の震える吐息とともに、小さな言葉が零れた。
 たった一言。それだけなのに、その響きは何よりも優しく、温かかった。
 莉緒は、耳元で聞こえてきた声にくすぐったい気持ちになりながら唇を開く。

「――ただいま、轟くん」

 ――ラヴェンツァに会って、今の自分ではない自分が蓮たちのそばにいるのを知って少しの寂しさはあった。でも、そのおかげで吹っ切れた気がする。彼らが何のしがらみもなく生きているのなら、それでいい。今も大切な仲間であることには変わりはないが、それでも自分はこの温もりの元に帰りたかった。だって私は、この世界で生きているのだから。
 莉緒の腕に力が入ると、轟の腕にもさらに力がこもる。自分に応えてくれる人がいることが、どうしようもなく嬉しい。

 お互いの温もりが溶け合い、いつの間にか時間の感覚さえ曖昧になっていた。
 轟が少し体を離すと、二人の前髪が触れて混じり合う。至近距離で見つめたまま轟が莉緒の横髪に触れ、撫でるような優しい手つきでそれを耳にかける。大きな手に吸い込まれるように、莉緒は自分の頬をぴったりと彼の手のひらにくっつけた。
 轟の手と莉緒の頬。手のひら越しに、じんわりとした温もりが伝わってくる。その気持ちよさに浸り、目を瞑った。

 ――轟くんが好き。
 本人にはまだ言えない、心の中での告白。
 いつか、この言葉を伝えるときは彼の優しい瞳を見つめながら言えたらいいな――そんなことを莉緒が考えていると、ドアの向こうから賑やかな話し声が迫っていることに気づいた。我に返った莉緒が、轟から少し離れたのと同時に部屋のドアがノックされ、返事をする間もなく開けられる。

「莉緒ー! 手伝いに来たよー!」
「望月、下着ならオイラが片付けてやるから安心しな!」
「部屋王の番外編だな。自然な流れで望月の部屋に入れるとか、やべーな!」
「力仕事なら俺に任せろ!」
「莉緒ちゃんの部屋、楽しみ〜」

 芦戸と峰田、上鳴、切島、葉隠たちがどかどかと遠慮なく部屋に入り込んできた。
 ほんの数秒前まで部屋を満たしていた静かで甘い空気は、一瞬にして吹き飛ばされる。二人きりだった空間に、さらに五人もなだれ込んできて部屋は急に手狭になった。
 
「……み、みんな手伝いにきてくれてありがとう。でも、ごめんね。もう終わっちゃって――」
「あー、轟! お前、何でいるんだよ!?」

 莉緒がどうにか紡いだ精一杯の言葉は、上鳴の声にかき消された。
 上鳴がビシッと突き出した指の先。そこには、静かに佇む轟がいた。それを見た峰田は、血相を変えて轟の元へと詰め寄っていく。
 
「抜け駆けなんてオイラ許さねぇぞ!」

 中指を立てて血走った目で轟を睨みつける峰田は、とてもヒーロー志望とは思えない風貌だ。
 
「え〜、二人で何してたの? 気になるー!」
「轟くん、いないと思ったら莉緒ちゃんの部屋にいたんだね!」
「わりぃ、俺ら邪魔したか?」
「莉緒の部屋モデルルームみたい!」
「本当だ〜、オシャレだね」
「よしクローゼットのチェックはオイラに任せろ」
「やめとけって峰田。開けた瞬間、凍るか燃えるかの未来しか見えねぇよ」
「二人で何してたのか聞きたい……けど聞きたくねぇ!」
「上鳴ブツブツうるさいよー?」

 五人がどんどん話すため、勢いに圧倒されて口を挟めない。
 莉緒の部屋は片付けが終わっていたため、手伝う必要がなくなった五人は楽しそうに部屋を物色していた。

「莉緒、片付け終わってたんなら一階に行こ!」
「一階は共同スペースで食堂とか談話スペースになってるんだ〜。皆、莉緒ちゃんが来るの待ってるよ」
「これでA組全員集合だからな。望月の退院祝いも兼ねてパーティーするんだよ! 早く行こうぜ」

 莉緒の両サイドは芦戸と葉隠がキープし、がっしり腕組みをされる。そして、上鳴を先頭にして有無を言わさぬ勢いで連行されていく。
 ずるずるとほぼ引きずられる最中、莉緒はちらっと後ろを振り返った。切島たちの後ろ、最後尾で轟がちゃんとついてきている。まだ轟と話したいことがあったのだが、しばらくはお預けになりそうだ。
 莉緒の視線に気づいた轟があまりにも優しそうな目をしていて――胸が、また高鳴るのだった。

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