轟くん家

 門の前に立った瞬間、莉緒の緊張感が高まる。
 突然、轟の実家に立ち寄ることになった現実に理解が追いつかない。
 なぜこんな展開になったのかはわからないが、一言くらい言ってくれれば心の準備ができたのに――莉緒はそんな軽い恨み言を抱きつつ、エンデヴァーの背中を追って屋根つきの立派な門を抜けた。
 
 ――ここが、轟くんの育った場所。
 莉緒が壮麗な家を呆然と見上げていると、重厚な格子戸がガラリと開いた。
 そこから現れたのは眼鏡をかけた女性だった。轟と同じような白い髪に赤毛が混じっており、優しげな雰囲気を纏っている。

「もう、お父さん! もっと早くに連絡をくれたらよかったのに!」
「すまん冬美。すぐ近くに来ていたんだ」
「それで私にお願いしたいことって――あれ?」

 冬美と呼ばれた女性は、エンデヴァーの大きな体で隠れるようになっていた莉緒の存在に気づいて小首を傾げた。莉緒はエンデヴァーの隣に並び、冬美と目を合わせる。

「初めまして、望月莉緒と申します。轟くん……焦凍くんのクラスメイトで、彼にはいつもお世話になっております。本日は炎司さんに個別警護をしていただいておりまして、突然の訪問となり申し訳ありません」

 突然だったこともあり、ベルベットルームで客人を相手にしているときのような硬い口調になってしまった。
 思った以上に轟家への訪問に緊張しているようだ。だが、膝を曲げて挨拶しそうになったのを踏みとどまったのだけは自分で自分を褒めてあげたい。お嬢様の八百万ならまだしも、普通の高校生はカーテシーをしない。
 
「あ、私は焦凍の姉の冬美です。お父さんが急に連れて来たんだろうし、気にしないでいいから楽に話して大丈夫――って、あなたが望月さん!?」

 急に冬美が距離を詰めてきて、莉緒の両肩を掴んだ。
 視界いっぱいに冬美の顔が迫り、あまりの近さに莉緒は驚きで目を丸くさせる。

「は、はい。私が望月ですが……?」
「本物だ、すごく可愛い。焦凍もやるじゃない!」
「えっと……?」
「あ、ごめんなさいビックリさせて。実は焦凍やお母さんからあなたの話を聞いてて、ずっと会ってみたいと思ってたの」
「え、そうなんですね」

 いったい轟は、家族に莉緒のどんな話をしているのか――特別だと思っている人の家族に気に入られたいと思うのは当然のことで、変な話をされていないか心配になる。ちなみにエンデヴァーに対しては今さら感というか、取り繕うような顔をすでに持っていない。職場体験での初対面時に『エンデヴァーさんを踏み台にして、オールマイトを超える』と宣言したのだ。そんなことがありながらも、なんだかんだ良い関係を築けていると莉緒は自負している。
 そうしたことを考えていると、エンデヴァーが小さく咳払いをした。

「冬美。例の、お願いしたいことなんだが……望月、お前の家族のことは話しても大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫ですが……?」

 莉緒の家族の話と、エンデヴァーの頼みがどう繋がるのかわからずに首をかしげる。
 許可を得たエンデヴァーは、莉緒がヴィランに狙われていることや両親の状況、そして神野の件で今まで入院していたことなど話せる範囲でかいつまんで説明した。冬美は驚いたり悲しんだり、心配そうな表情をしたりと忙しそうだ。

「――それで寮生活で家を空ける間、望月の家の管理や清掃を冬美にお願いできればと思ったんだが……できるか?」
「もちろん、私にできることならやるわ!」
「え!? 待ってください! そんな申し訳ないお願いできないです!」
「冬美も仕事があって忙しいだろう。二ヶ月に一度くらいの頻度でいいんだが」
「それくらいなら別に大した負担でもないし大丈夫よ。家も近いみたいだしね」
「そうか、それならよかった。業者に頼むより冬美の方が信頼できるからな」
「あ、あの……!」

 莉緒が口を挟もうとするが、そんなことはお構いなしに当事者を無視して二人はどんどん話を進めていく。自分の家のことなのに置いてきぼりだ。

「望月さん、家のもので触られて困るものとかあったら教えて?」
「……いえ、特にそういったものはありませんが。えっと……」
「あ、念のため望月さんの連絡先を聞いてもいいかな? 掃除の前後に連絡したり、何か寮に送って欲しいものとかあれば言ってくれれば対応できるしね! 今、携帯持ってる?」
「はい、持ってます」
「じゃ、望月さんの――じゃなくて莉緒ちゃんでいいかな? 私のことも冬美って呼んで!」
「では、あの……冬美さんで。それで家のことなんですが、冬美さんにお願いするのは申し訳ないですし、学校側に外出許可をお願いして自分で行うので大丈夫ですよ?」

 冬美はなぜか快くエンデヴァーの提案を受け入れているが、さすがに今日初めて会った轟の姉にこんなことはお願いできない。仮に親しい関係だったとしても、雑用みたいなことを頼むのは気が引ける。
 そんな気持ちから莉緒は断りを入れたのだが、それに待ったをかけたのはエンデヴァーだ。
 
「イレイザーヘッドから聞いたが、今後は仮免取得に向けて訓練を行うそうだな。仮免を取ったらインターンで長期間他の地域に行くこともある。業者にお願いするにしてもヴィランがどこまで手を回してくるかわからん。信用できる業者はあるのか?」
「――っ! ありません……」

 エンデヴァーにそう言われ、莉緒はそこまで考えが行き届いていなかったことを痛感する。
 申し訳なさばかりが先に立って、自分の立場や周りの環境、それに付随する事柄を失念していた。
 こういった些細だと思われるようなことでも、敵側の動きやリスクを回避しようとする。そんなエンデヴァーの見識の広さや思慮深さに、積み上げてきた経験の厚みとヒーローとしての在り方を改めて感じずにはいられなかった。

「莉緒ちゃんが初めて会った私にお願いしにくい気持ちはわかるわ。でもね、私は莉緒ちゃんに感謝してて、会えるのを楽しみにしてたの。だから、私に恩返しをさせて欲しいな」
「……恩返し、ですか?」
 
 冬美がにっこりと笑いながら、両手で莉緒の手を握る。
 包み込むような手の温もりが、じんわりと伝わってくる。その温かさは、轟のものとよく似ていた。

「焦凍が変わったのは莉緒ちゃんや緑谷くんのおかげなの。焦凍が変わって、私たち家族も少しずつ良い方に変化していってるの。私、それがすごく嬉しくってお礼ができたらいいなって思ってたんだ。だから、莉緒ちゃんの助けになるなら私がやりたい」
「……お前はまだ子どもだ。素直に大人に頼れ」

 エンデヴァーは視線を逸らし、低く息を吐いてから続ける。
 
「……俺が言っても、説得力はないかも知れんがな」

 自虐気味に言われたその言葉に、莉緒は少しだけ目を見張る。
 変わったのは轟だけではない。エンデヴァーこの人も、また――。
 
「――ふふ。わかりました、よろしくお願いします」

 莉緒は、冬美とエンデヴァーの真摯な思いを受け止めた。
 ここまで言ってくれている二人の気持ちを無下にはできないし、断るのも野暮だろう。

「でも、一つだけ言わせてください。轟くんが変わったのは、彼本人が頑張ったからです。お母さんと会うの、凄く怖かったと思います。だけど、なりたい自分になるために、そしてお母さんのためにもちゃんと向き合った。私は、そんな轟くんのことを尊敬してます」
「莉緒ちゃん……」
「生意気なことを言ってすみません」
「そんなことないよ。……そうだよね、焦凍が頑張ったからだよね。莉緒ちゃんが焦凍のそばにいてくれてよかった。焦凍が莉緒ちゃんの話をよくする理由もわかったし、私も莉緒ちゃんのこと大好きになっちゃった」

 そう言って柔らかく笑う冬美。
 莉緒はその慈愛に満ちたような表情を見て、轟家は彼女によって支えられてきたことを悟る。冬美はきっと、今までずっと一人で踏ん張ってきたのだろう。家族がバラバラにならないように。

 ――轟くんの優しさは、きっと冬美さんがこうして繋いできたものなんだろうな……。
 ヒーローとはまた違った意味での強さ。それを肌で感じて、胸の奥が温かくなった。
 
 莉緒の承諾を得たことで、玄関先での押し問答はひとまず終わりを迎えた。
 冬美は「ごめんね、ここで話し込んじゃって! さ、中に入って!」と慌てたように言うと、莉緒を居間へと案内する。
 温かいお茶でもてなされ、ふっと肩の力が抜けて気持ちが落ち着いていく。そこで改めて、エンデヴァーと冬美が主導となり家の管理についての打ち合わせを済ませた。

「莉緒ちゃん、今回のこと以外でも色々と連絡してもいいかな? 莉緒ちゃんのことをもっと知りたいし、学校での焦凍のことも知りたいから」
「もちろんです。でも、念のため轟くんのことは本人にも確認してみますね」
「うん、ありがとう」
「冬美、何かあったら連絡してくれ。行くぞ、莉緒

 不意に名前を呼ばれ、莉緒は驚きで目を丸くした。
 それ以上に、当の本人であるエンデヴァーが一番驚いたような表情をしている。

「……冬美のが移ったな」
「ふふっ。私は名前で呼んで貰えたほうが嬉しいですよ」

 少し気恥ずかしそうなエンデヴァーと一緒に車へ乗り込み、雄英高校の前で降ろしてもらう。エンデヴァーと運転手にお礼と別れを告げ、車が見えなくなるまで見送ってから寮へ向かった。

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