降谷はその日、部下の風見に呼ばれ本庁に来ていた。

「降谷さん、すみません。お忙しいなか来ていただいて」
「いや、構わないさ。わざわざ本庁に呼ぶなんて、よほどのことなんだろう?」
「はい。実は先日、協力者と接触するために神奈川へ向かったのですが、そのときに妙な話を聞きました」
「神奈川……ああ、湘南新宿トレインの扉の窓に息を吹きかけてもらったときか」
「そうです。そう言えば、あれは一体何の捜査だったんで……いえ、話が脱線しましたね。すみません」

 降谷のにっこりとした笑顔の圧に負けたのか、風見は湘南新宿トレインでの話を切り上げて軽く咳払いをした。

「その妙な話と言うのは、神奈川で相当数の失踪者が出ていることと、変死体が相次いで発見されていることです」
「失踪者と変死体?」
「はい、気になって本庁に戻った後に調べてみたんです。これが概要をまとめたものと捜査資料になるんですが、その変死体の状態が正直、人の領分を外れていると言いますか……本件に関しては警察内部でも情報制限がかかっており、もちろんマスコミにも伏せられています」

 降谷は、風見の言葉に怪訝な顔をしながら渡された資料を手に取った。

 概要記録――今年、九月。
 神奈川県川崎市の映画館キネマシネマにて、上映終了後に里桜高校に通う男子学生三名の変死体を従業員が発見。死因は頭部変形による脳圧上昇と呼吸麻痺。

 また、事件の数日後に同市の地下水路が陥落し、瓦礫の下から人と思わしき変死体を複数発見。のちに、ここ最近の失踪者のDNA型と一致。

 その翌日、映画館での関係者と思われる吉野順平の自宅から実母、吉野凪の遺体が見つかる。吉野凪の遺体は腰から下が欠損しており、現場には目視で確認可能な血痕は残っていなかった。

 吉野凪遺体発見と同日、里桜高校の全校集会で生徒が倒れ吉野順平を含む四名の死亡を確認。
 これらの事件は関連性があるものとして捜査中。捜査停止命令により、本件の捜査は終了とする。

 最後の一文を目にした降谷が眉根を寄せながらページを進めると、現場写真が視界に飛び込んできた。そこには人の顔の鼻から上が二股に分かれて伸びていたり、そもそも人の形をなしておらず四足歩行をするような生き物に変えられた姿があった。また、手のひらサイズの干からびたミイラのようなものや、逆に大きく肥えて三メートルほどある巨漢になっているものなど、とても言葉では言い表しにくい状態のものばかりだった。

「何なんだこれは……!?」

 今まで数々の事件を見てきた降谷でも、これほどのものは見たことがない。風見から『人の領分を外れている』という言葉が出るのも納得だ。

「――君はもしかして、この事件に組織が関係していると?」
「……はい。人をこのような異形にするなど普通では考えられませんし、その方法も自分には考えつきません。しかし組織でなら何か実験と称して人をこのような姿に変えてしまう、そんな可能性があるのではないかと思いまして。なので降谷さんの意見を伺えればと……」
「……確かに組織は優秀な医者を集めラボで何かを作らせていた。だが、それが何なのかはまだ僕でも探りきれていない。――しかし、これほどのことが可能なのか……?」

 あまりにも非現実的な有様に、降谷は自分の前髪をくしゃりとかき乱す。非現実的ではあるが、事実としてこのような事件が起こっている。

「解剖の結果は? 何か薬物が検出されたりしているのか?」
「結果はこちらなのですが、薬物は検出されていません」

 風見から見せてもらった資料には、概要記録と同じように『頭部変形による脳圧上昇と呼吸麻痺』と書かれているが、他の大部分が黒塗りされており、ほとんど読めない状態になっている。

「……この解剖場所として記載がある『東京都立呪術高等専門学校』とは何だ?」
「私立の宗教系の学校らしいのですが……」
「私立? 資料には都立と書かれているが、そもそもなぜそんな場所で解剖を?」
「すみません、まだそこまでは……」
「まぁ、いい。僕の方でも組織に探りをいれてみる。風見は『東京都立呪術高等専門学校』について調べてくれ」
「学校の方を、ですか?」
「ああ。この事件は不可解すぎるが、すべての解剖が『東京都立呪術高等専門学校』で行われているのもおかしな話だ。君は別の切り口から調べてほしい」
 
 私立と都立。表向きの情報と内部資料の齟齬。そして、この『東京都立呪術高等専門学校』に対して降谷は引っかかりを覚えたのだ。
 
「頼んだぞ、風見」
「わかりました」

 そんなやり取りがあってから数週間経つが、組織と関連付くような情報は手に入らなかった。風見の報告では、その間も被害者が増えており、その解剖はまたも『東京都立呪術高等専門学校』で行われていた。
 しかし風見の調査によって、解剖資料に記載されていたとおり、その学校が都立であり公費で運用されていることの裏付けが取れた。
 表向きは私立の宗教系学校。なぜ宗教校の名を借りて遺体の解剖をしているのか。それ以上の情報は、厳重な隠蔽がされているのか出てこない。調べれば調べるほど、その存在はきな臭さを増していく。

 全容が掴めないまま、さらに日にちだけが過ぎた。
 その間の降谷は、ここ数ヶ月ずっと追っていた組織内の密売人の情報をやっと掴み、バーボンとして接触し逮捕に向けての対応に追われていた。

 そんなある日――。
 風見から事件の連絡があった。場所は杯戸町の杯戸港にある倉庫だ。
 現場に駆けつけた降谷は、風見に案内されて規制線を潜り抜けようとする。すると、見張りの警官が声をかけてきた。

「あ、待って下さい! 今は別の所属の方が現場にいらしてるので……」
「目暮警部たちか? 会うのはまずいな」

 降谷が低く呟くと、風見が警官に向かって威圧的に話しかけた。
 
「公安部を優先させて、そっちは遠慮するように伝えろ」
「え、それは困りますよ!」
「降谷さん、自分が先に行って中を確認してきます」
「ああ」

 警官の言い分を無視した風見が中に入り、降谷は規制線の外で彼の帰りを待つ。外にいれば目暮たちに会っても誤魔化しが利くからだ。そもそも、普段から小五郎やコナンたちは当然のように現場にいるのだ。もし降谷がいたところで疑問を持たない可能性も高いが、念のためだ。

「降谷さん、目暮警部ら捜査一課の人たちはいませんでした。鑑識も、もう撤収するそうです」
「そうか、なら大丈夫だな」

 降谷は改めて規制線を潜り抜け、倉庫内の現場に向かう。
 広い倉庫内にぽつんと横たわる遺体。以前見た資料と同じように頭部が変形しており、もはや元の顔がどうだったのかすらわからない。
 今まで公安警察として様々な遺体を見てきた降谷だが、目の前に広がるあまりの異質さに恐怖さえ感じる。

「……身元はわかっているのか?」
「はい、身分証を持っていたそうです。照会はこれからですが、記載してあった名前は――」

 風見から告げられた名前を聞いた降谷は、目を見開いた。その名前は組織内の密売人で、降谷がずっと追っていた人物だったからだ。
 急いで顔を確認するが、鼻から上が二股に分かれて絡み合い、目の位置が左右逆になっている。バーボンとして接触し顔も知っているはずなのに、至近距離で見ても同一人物とは思えない。

 降谷は遺体の服の袖を捲った。
 右手の手首に蛇の尾が巻きつき、腕まで這うように上っていく刺青。この刺青が、組織の密売人で間違いないことを知らせる。

「……風見が睨んだとおり、組織の犯行かもしれないな」
「何か確信できることがあったんですか?」
「ああ、この刺青を見ろ。これは僕が追っていた密売人の腕にもあった。馬鹿正直に身分証を携帯しているのは疑わしいが、組織の後ろ盾があって油断していたのかもしれないな」
「しかし殺されてしまったということは……」
「何かミスを犯したか、組織にとって不要な存在と判断されたのか……。僕は奴の関係者をもう一度洗ってみる。君は周辺の防犯カメラから手がかりを……」
「降谷さん?」

 降谷が不自然に言葉を止めたため、風見が聞き返す。降谷は人差し指を口にあて、静かにするようにサインを送った。耳を澄ますと、複数の足音が近付いてくる。

 倉庫内に入って来たのは、上下黒のスーツを着た細身で頬がこけている男性。そして、その隣にタブレット端末に視線を落としたまま歩く女性がいた。

「ねぇ、これって――」

 女性が隣にいる男性に話しかけるため、タブレットから視線を外す。その目が降谷を捉え、二人の目が合う。その瞬間、降谷の脳が警鐘を鳴らし全身の細胞が警戒態勢に入った。女性は歩いているだけなのに、まるで獲物を前にした捕食者のように一点の隙もない。畏怖さえ感じさせる強烈な存在感に、降谷は目を逸らすことができなかった。
 警戒をした降谷の足に力が入り、靴と地面が擦れる音が静寂を破る。

「――伊地知、何か戻ったら知らない人たちがいるんだけど理由聞いてる?」
「いえ、何の連絡も来ていませんが……。上に確認してみますか?」
「うーん。被害者が何かの事件の関係者だったのかもしれないし、私たちはパパッと終わらせて帰ろうか。せっかくこっちまで来たんだし、何かお土産買って帰ろうよ。隣町に最近人気の喫茶店があるって野薔薇が教えてくれたんだ。皆のはテイクアウトにして、伊地知は私と喫茶店デートしようよ」
「デートなんて私には恐れ多いですよ!」
「えー、どっちにしろ一緒に帰るんだから付き合ってよ。伊地知を車に残して私一人でお店に入るなんて性格悪い人みたいじゃん。悟のわがままで色々疲れてるだろうし、甘いもの食べてゆっくりしよ?」
「世那さん……! ありがとうございます!」

 到底事件現場ではしないような会話をしながら、二人組の男女が遺体へ近付く。男性の方は降谷たちにペコッと会釈をしたが、女性はまるで誰もいないかのように気にもかけない。
 
「この人も硝子のところで見たのと同じ残穢だ。真人だっけ? あいつで間違いないね。神奈川県からこっちに来てる」
「学長に連絡しておきます」
「うん。あと、東京全体に対して警戒を高めるようにもね。里桜高校の帳の件もあるし、真人の裏には呪詛師がいる可能性が高い。悟を襲った特級呪霊たちも関係してそうだし、何かやらかすつもりなのかも」
「呪詛師と未登録の特級呪霊が最低でも三体ですか……このレベルが徒党を組んでいるとなると恐ろしいですね」
「これ以上、被害が広がる前に食い止めないと。伊地知、ここ最近の行方不明者が増えてないかって確認できる? 七海の話ではストックを作って戦ってたらしいし……ホント胸くそ悪い」
「確認しておきます」

 降谷にはよくわからない単語がいくつかあったが、彼女は間違いなく『神奈川県』と『里桜高校』と言っていた。そして話す内容からして『真人』という人物が密売人をこのような姿にしたことは理解した。この二人から話を聞く必要がある。
 降谷は風見にアイコンタクトを送った。

「警視庁公安部の風見です。失礼ですが、あなた方は?」
「私たちは呪術高専のものです。所轄の警察から依頼があり、立ち入りの許可もあります」

 呪術高専――。
 男性が発したその言葉に、降谷と風見は顔をしかめた。


***


 伊地知はその日、警察から変死体調査の依頼を受けた。杯戸町の杯戸港にある倉庫で変死体が見つかったらしく、一級呪術師の化野世那と一緒に現場に向かうことになった。
 警察の所見を聞くと神奈川県での事件に似ていたため、七海一級呪術師を派遣したかったのだが、あいにく別の任務で他県に行っている。もし変死体の原因が神奈川県のものと同じであれば、相手は未登録の特級呪霊の可能性がある。特級呪術師は出払っており、一級呪術師でも派遣できるのが埼玉県での任務が終わったばかりの世那しかいなかった。

「ごめんね伊地知、ちょっと遅くなっちゃった」
「いえ、こちらこそ任務終わりに急にお願いしてすみません。疲れてませんか?」
「大丈夫だよ〜、ありがとう」

 帰宅中の彼女を車でピックアップし、杯戸町にある杯戸港の倉庫へと急ぐ。

「私が来るの遅かったから、先に鑑識の人たちが入ってるんだっけ?」
「はい。杯戸町は事件が多いそうで、私たちの到着まで待てないと言われまして……申し訳ありません」
「伊地知のせいじゃないよ。仕事が立て込んでるのなら、待ってる時間がもったいないと思うのも仕方のないことだしね。それで、詳細を聞いてもいい?」

 伊地知は事件の情報を共有するため、世那にタブレット端末を渡す。そして口頭で警察の所見と神奈川県での事件のことを伝えた。

「ああ。遺体の数が多すぎるってことで、硝子の仕事を手伝ったから覚えてるよ。それに七海や学長、悟からも報告をもらったしね。でも特級呪霊か……面倒なことにならないといいんだけど」

 世那の表情が険しくなったところで、伊地知が車を停めた。

「世那さん、到着しました。ここが現場です」
「ここ……呪いがいるね」
「十年前ですが、この倉庫で殺人事件があったようです。また数ヶ月前にも事件があったようで……」
「へぇ、でもその割には呪いが強くないね」
「数ヶ月前の事件の日は、年に一回しかない二隻の客船が揃う日で、多くの方がそれを見物するために集まっていたそうです」
「なるほど。図らずも正の感情が集まったわけだ」

 伊地知が規制線の外で見張りをしている警官に声をかけると、中に通された。倉庫内では鑑識の人たちが撤収作業をしており、現場に現れた世那や伊地知のことを不思議そうな表情で見てくる。普段は鑑識が入る前に呪術師が現場を確認するうえ、呪術高専と繋がりのある警察関係者は一握りだ。
 世那はじろじろ見てくる視線を無視し、横たわる遺体に近付き手を合わせて合掌をした。

「先に呪いの方から祓おう。鑑識の人たちが襲われても困るしね」
「わかりました」
「今は……倉庫の外かな」

 二人は倉庫の裏口から外に出る。
 人気のない倉庫の裏側に、蠅頭ようとうより少し大きいくらいの呪霊がいた。

「三級程度の呪霊ですね。帳を下ろしますか?」
「いや、すぐに終わるからいいよ。他に呪いの気配はないし、人が来ないかだけ見てて」
「わかりました」

 世那が指に呪力を込め、呪霊にデコピンをする。中指で勢いよく弾かれた呪霊は、奇声を発しながら消滅していった。

「伊地知、終わったよ〜」
「お疲れ様です。さすがですね、一瞬でした」
「念のため定期的に“窓”の人たちの巡回をお願いできるかな? 今回の事件で呪いが吹き溜まる可能性もあるし」
「わかりました。巡回区域に追加しておきます」
「うん、よろしくね」

 倉庫内に戻りながら世那は伊地知からタブレットを借り、三級呪霊の祓除記録や“窓”の巡回の件を入力する。後の細かい調整は伊地知に任せるしかないのだが、今のうちに入力しておけば彼の事後処理が多少はスムーズになるだろう。

 入力が終わった世那がタブレットを返却しようとしたとき、気になる文章が目に映り込んだ。それについて聞こうと伊地知に声をかけたのだが、視線を感じた世那は言葉を切った。

 遺体のそばにいる金髪の男性と目が合う。彼は警戒した様子で世那を見ているが、世那は興味なさげに視線を外した。

「――伊地知、何か戻ったら知らない人たちがいるんだけど理由聞いてる?」
「いえ、何の連絡も来ていませんが……。上に確認してみますか?」

 世那たちが現場にいるのを警戒しているということは、呪術高専に依頼してきた所轄の警察とは別の所属の可能性が高い。そして、わざわざ別の所属の人が現場まで来ている――これだけで彼らの属する組織が絞られてくる。
 世那は、警察の組織図を思い浮かべてある程度の見当をつける。厚生労働省の捜査官の線もあるが、ただ、どちらだとしても面倒くさいことになりそうだ。
 そんな厄介事の気配を察知した世那は、彼らに関わらないことにした。早く任務を終わらせるに限る。そうと決まれば、世那は任務が終わった後のご褒美について伊地知と約束を取り付けた。世那も休む間もなく連続の任務で疲れているが、伊地知の疲れようも相当だ。

 遺体の残穢を調べると、予想通り未登録の特級呪霊『真人』で間違いなかった。七海と虎杖が致命傷を与えていたはずだが、すでに回復しているとみていいだろう。遺体の状態は神奈川県のものと同様だが、内部がどうなっているかはここでは調べられない。
 
 里桜高校の帳は真人のものだった。呪霊であるはずの真人が帳を下ろしたということは、呪詛師と繋がっているということだ。
 それに、五条を襲った特級呪霊も呪詛師と組んでいる可能性が高い。そう本人が言っていたのだ。未登録の特級呪霊が短期間のうちに複数体現れるのもおかしな話で、これは恐らく偶然ではない。真人の裏で糸を引いている呪詛師と、五条が言う呪詛師は同一人物の可能性が高い。
 そしてこの状況――。
 真人と呪詛師、そして他の特級呪霊までもが東京都に来ているのだ。ことを起こすためと考えた方が自然だ。
 
 これからのことに頭を悩ませながらも、任務が終わった世那は足早に立ち去ろうとした。しかし、面倒は世那たちを見逃してくれなかった。

「警視庁公安部の風見です。失礼ですがあなた方は?」
「私たちは呪術高専のものです。所轄の警察から依頼があり、立ち入りの許可もあります」

 伊地知が答えると、聞き覚えでもあるのか、男たちが顔をしかめたのだった。

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