二日続けてW彼Wを燃やす夢を見た。目を開くと雨の匂いがして、また予報が外れたのかもしれないと思った。シーツのなかで火を熾しにくい天候なら今日は止めておこうかと迷う。決めた日を変えたくはなかった。でも今日でなくてもいい。一昨晩、あのひとが電話をくれたから。


「──先週の贈り物は無事に届いた?」
尋ねられて、ええ、と答えた。それからパリストンはなにげない話をした。愛用している整髪料のストックが切れたけれど同じものを探しても中々みつからないだとか、わたしも顔と名前だけは知っている審査部の誰々と会食した店のパテが旨かったから、今度キミも連れて行きたいだとか。
いつもするようにくるくるとコードを指に絡めて喋っているのかもしれないと、想像しながら相槌を打っていた。彼は相変わらず忙しくてこちらに戻るにはまだ数週間かかると言う。

彼は電話を通じてなんでも遠慮なくわたしに聞く。
今どこにいるのか、なにをしていたのか、どのようにしていたのか、誰と過ごしたのか。なにを読んだのか。なにを考えたのか。なにを食べたか。あの映画は観るつもりか、キミが観るならボクも観る。もうシャワーを浴びたか。先に電話した日から今日まで泣いたことがあったか。まだ自分の体を懐かしいと思うか。
わたしはいつもそのままに事実を答えた。
今は庭にいる、ここにしかいない鳥を見ていた、捕えるつもりもなくただ見ていた、カフェで隣に座った老婆と二十分ほどお喋りをした。鳥が描かれた画集の解説を読んだ。あなたのことを考えた。夜はなにも食べなかった。あの映画はたぶん観ない。シャワーはさっき浴びたけれど、途中から冷水になったから悲鳴を上げた。一度だけ泣いた。あなたの体を恋しいと思う。あなたのことも。
彼は喜んだ。少しも遠慮のない喜びだった。長いこと電話でしか繋がっていないから、余計そう感じるのかもしれない。

電話が切れてから数分だけ嬉しかった。……審査部の誰々というのは、あのひとかもしれないと思い出すまでは。協会本部へはほとんど寄りつかなかったから彼女の名前はうろ覚えだった。ただ綺麗なひとだったことだけが鮮やかに頭に残っている。その美味しいパテを食べている間は、二人きりだったのかと聞けなかった。


あのひとから電話が来た日にはカレンダーの数字を塗り潰すことにしている。明け方の寝室でインクだけが黒々としていた。嬉しい日。だから忘れないように数字が見えなくなるまで塗り潰す。新しい贈り物のことを考える。
彼が次にこの家を訪れるまでに数週間かかると、数週間前にも言っていた。本当に帰ってくるつもりがあるのか分からない。ここ数ヶ月のあいだ彼は多忙を極めていて、そのせいだと口では言うけれど、以前よりも帰宅する間隔は空いてきている。炎天が岩を焼くように嫉妬と不安がわたしを焼いた。雨が降ったとしてもやっぱり今日が良いと思った。少し立ち眩んだ。喪服に着替えた。

母屋と同じく、鳥籠に似た形をした離れの重い扉を全身で押すように開けた。直径十メートル程の円形の室内に光が届き、夥しい数の空の止まり木がわたしを迎えた。その中の十数本に鳥類剥製が止まっている。カラスや鳩など身近な鳥も優れたバードハンターが一生かけて探しあてた鳥もある。大方が希少な鳥の剥製だった。それらは写真かなにかで生の一瞬を捉えられたように微動だにせず、どの顔も慎ましく収まるべきところに収まっていた。
値段や希少さの多寡によらず全ての剥製は生物分類体系にしたがって並列されていたけれど、中央に据えられた大きな金籠の中にある止まり木に、王様のように飾られている剥製があった。そこにはいつも最も愛着を感じる一羽を入れている。今はW彼Wがそうだった。
その黒い猛禽はカラスに似ていた。しかし胸の模様や赤い大きな嘴がありふれた鳥ではないことを示している。この鳥はホウセキフラシドリと呼ばれ、特定の条件を満たす鉱山の崖に棲み、金属を食べ、ごくまれに砂金や純度の高い水晶などを空から降らせる。
捕獲は不可能と言われるほど珍しい品種なことに加えて、処理を手がけた剥製師も天才的な技巧をみせていた。コンディションは完璧に近い。学術的な価値の高さも計り知れない。あらゆる鳥類剥製蒐集家や生物学者が血眼でW彼Wを探している事を知っていた。もしわたしがこれを所有していることを知られれば、最低でも百人のコレクターに言い値で買うと縋られるだろうし、それが叶わないなら盗み殺してでも奪おうと本気で考える人間も少なくないはずだった。神品といわれる剥製があるなら、正しくこれのことだった。そしてW彼Wはパリストンからの贈り物だった。


燃えている。
湿った暗い庭は明け方の青を含んでいた。闇然とした木陰に火は似合わないと思いながら、腕に抱いた剥製を芝生に置いた。庭の中央だけが黒く摺鉢状に爛れている。パリストンの一挙一動でふくらませた不安のために、ここで何羽を焼いただろう。焼くのはいつも彼から贈られた品だった。着火剤をばらばら落とす。できる限りゆっくりと燃えるように、庭樹の太枝を手斧で割って、生木を組む。この樹からはもうずいぶん枝を落としてしまった。遠くない日にわたしの悋気で倒れるだろう。失われた剥製たちと同じように。組んだ木の中心にそっとW彼Wを据える。マッチを擦って火口にふれあわせる。かつて生きていた鳥の黒く小さな頭に向けてそれを落とす。長く燃えていた。


ハンターとして生きることをやめたのは、パリストンに望まれたからだった。彼は危険だからという理由でわたしが自然の中へ深く踏み込むことに難色を示した。わたしは自然そのものというよりは鳥の姿やからだの仕組みが好きだったから、深く考えずにバードハンターとしての活動を止めた。それは彼と恋人同士でいる限られた期間だけの一時的な休止のつもりだったし、それまでは少し働きすぎていたから、しばらくのあいだゆっくりしようと思っていたのだ。
恋人はわたしが彼の意見を聞き入れて、生きた鳥を追うことをやめ、剥製を集めるようになったことを喜んだ。

パリストンは、コレクターに転じた後のわたしとも連絡を取り続けてくれていた仲間のハンターを嫌った。そのひとにはとても無視できないような犯罪歴があるとまことしやかにうそぶいた。わたしはその話を信じなかったけれど、メールの履歴をチェックされたときにそのひとの名前があると決まってあの弁舌で苛まれるので、結局は疎遠にしてしまった。また彼はわたしが自分にまつわる権力闘争に巻き込まれることを危惧して、クルックという尊敬するトップハンターとの接触も止めるように言われた。彼らは必ず権力の渦を纏うからだと。
そして恋人が最も嫌ったのはわたしの家族と親しい友人だった。パリストンは、彼らはわたしをコントロールしようとしている、嫉妬して、力を抑え込もうとして、敵視している。そういうくだらない話を、暗に明に幾度となく繰り返した。わたしは帰途やカフェやシーツのなかで真剣にその話を繰り返す彼を見ているうちに、病的な嫉妬深さからくる妄想としか思っていなかったその筋書きを、だんだん現実なのではないかと思い込み始めた。なぜなら彼はわたしよりずっと賢かったし、初めて会った時から今まで、恐ろしくなる程の愛情を向けていてくれたから。そういう人がわたしの大切なものを致命的に損なうような嘘をつく理由が見当たらなかった。

彼は初めて会った日にわたしに告白して、それ以来、冗談では済まないようなやり方で付き纏った。合鍵をつくられて真っ暗な自宅の中で帰りを待たれたり、わたしをパリストンの側に留める為だけに作ったというポストに就かされそうになった。彼は単に愛を語るだけでなく行動してみせた。間違いなく仕事以外の時間の全てをわたしに充てていた。出会って二ヶ月も経たないうちに「ボクが世界で一番ナマエさんを愛してる。ボクほど深くキミを愛せる人間は存在しない」と真顔で言い放った。わたしの愛を乞う姿は凄まじさすら感じさせた。まるで次に会った一人の女性に一生を懸けて執着すると決意したタイミングで、わたしと出会ったかのようだった。
恋愛に酔いたいのか、わたしが彼に恋する過程を見て楽しみたいのか、と思っていたけれど、これ程に時間と手間をかけてくれるのなら、少なくとも好かれているのだろうと思った。
時間を置いてわたしも彼を好きになった。正確には彼の好意を喜ばしく思っただけのことを、恋の始まりだと勘違いしていた。
その愛の対象になったのが何故わたしだったのかは、今でもわからないままだ。

周りの人たちはパリストンを警戒するようにと物柔らかに告げてくれた。でもその頃にはもう、愚かにもわたしは彼の甘い睦みごとと歪んだ筋書きを受け容れ始めていた。前よりも神経質になり、集まりを避け、誘いを断るようになった。人が変わったわたしに周りは困惑して、心配のために頻繁に会いにきたり、少し距離を置いたり、半ば無理矢理にパリストンから引き離そうとすらした。そして、その愛情からくる行為はますますパリストンの筋書きを真実らしく感じさせ、わたしを慄かせた。気づけばあらゆる絆がこなごなになっていた。

彼は楽器でも奏でるようにあざやかな手つきで、まずは仕事から、次に仲間から、最後に友人と家族から──全ての繋がりからわたしを切り離してしまった。だんだん彼と死んだ鳥たちしかいなくなっていく世界に頬ずりをした。パリストンを責めてはいない。共にいる人を選んだのは誰でもなくわたしだった。あの笑顔や困り顔で下されるやさしい命令をきいていく内に、わたしは自分を追い詰めて、気づけば彼以外には誰のことも信じなくなっていた。

この家に来るまでの数年間、わたしはパリストンからときどき不愉快になる程おおげさに慈しまれていた。彼はわたしの幸福をなによりも優先すると勝手に誓いを立てて、この多様な鳥を抱えた肥沃な国で、死ぬまで静かに二人暮らそうと誘いかけた。わたしはそのあまりにも罠めいて魅力的な話を受け入れてしまった。健やかな懐疑はとうの昔に失っていた。そしてわたしたちはこの古式ゆかしく美しい家を購入し、広い庭の離れに全ての剥製を飾り、この国の市民権を得た。

直後、パリストンはなんの兆しもなくわたしを孤独に突き落とした。


火に閉じ籠めて 後編


火に閉じ籠めて 前編

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