君と一緒の貧血症状


 昼食は、陸奥守からの前に自宅で食べた油揚げのようなヤツを食べたい、とおねだりを貰ったため、パンを作った際に余った材料でピザ生地を作成した。油揚げに狐属性の子達が反応を示したが、華麗にスルーして、ピザの具を乗せる作業を短刀たちと大いに楽しんだ。何種類か具材やソースの味を変えて出来上がったピザ各種は、男士達の舌を満足させるに値したらしく、朝食に続きこれまた綺麗に完食してもらった。
 そんなほのぼのとした昼食を経て、八つ時前。自分達が作ったものも主に食べてもらいたい、というお料理上手な子達からの要望を受け、おやつ作りはいつものメンバーである小豆長光を始めとしたお菓子作りも得意な子達に委ねるとした。
 いやいや問題はそこではなく。平野が淹れてくれたお茶を啜りつつ、大広間の柱にかけられた時計を見遣る。時間的におやつをいただいたらお暇したいのだが、さてどう切り出すべきか。脳内で様々なシミュレーションを立てていれば、ドスッとすぐ隣に誰かが腰を降ろす音と、腰と肩に軽い衝撃が襲ってくる。思考の沼に沈んでいた意識を隣へと戻せば、不満気な様子でジッと此方を覗き込んでくる、自称無骨な刀の子。

 「…どうしたの?」
 「さっきからチラチラと時計ばっかり見やがって。もしかして帰るつもりなのかよ。」
 「あー…うーん…そう、だね。明日も仕事だし、そろそろお暇しようかな?とは思ってた、かな。」
 「お暇だぁ?まるで他人の家みてぇな言い方しやがって。此処はアンタの本丸だろうが。」
 「いやまあ、うん。そうなんだけど、」
 「けど?」
 「あー…こっちは職場?で、ほら、自宅は向こう、的な…」
 「…ふーん。」

 ジトっとした眼で半ば睨み付けるような視線を送ってくる黒橡の刀——同田貫正国に、何とか納得してもらえるいい言葉は無いだろうか、と思考を巡らせるも、私の数少ない語彙力ではどれも満足に値しないような気がして言葉に詰まる。取り合えずこっちも大事だけど、向こうも大事だから帰って良いかな、というお伺いは、更に鋭くなった目付きによって黙殺された。あ、ダメって事ですね。
 何でそんなにあっちが良いんだよ。長い時間暮らした場所だから愛着もあるし。俺等との付き合いだって短くねぇだろ。そんな感じで理由を述べても、仰る通りです、と言わんばかり内容で論破されてしまい、また言葉に詰まる。チラッと座卓に頬杖をついて、ぶすっとした顔をする正国へと眼を向ければ、さっさと此処に居ると絶対ぇ逃がさねぇ認めろからなというような視線を返されてしまった。一に戦、二に戦、三四も戦で五に戦であったはずの正国でこの反応。
 もしや私がいないと出陣出来ないと考えたのか、と向こうに行っても変わらず出陣は頼むつもりだよ、と説明してみたが、ンなことは分かってる。今までがそうだったしな、とそっけなく返された。つまり私の在中の有無が出陣に関係しない事を理解しているということだ。なんてこった。いよいよもってこれは帰るのが難しいのではないか。

 「そもそも、その『帰る』って言葉が気に食わねぇ。近侍様のいう通りじゃねぇが、アンタの帰る場所は、本丸此処じゃねぇのかよ。」
 「いや、まあ…でもほら、仕事もあるし、さ。」
 「こんのすけの話じゃ、政府の方で手ぇ回してくれるって聞いたが?」
 「…今の仕事を、止めたいわけじゃないし。これまで通り、二足の草鞋的な感じで——」
 「これまで通り?」

 それまで拗ねたような、不貞腐れたような声音が強かった正国の声が、途端に色を無くしたように冷え切る。言葉を誤った。地雷を踏んだ、そんな危機感を本能的に感じ、咄嗟に視線を彼へと戻す。玉蜀黍色の双眸がギラリと光ったのは、見間違いではないだろう。
 今更これまで通りが通用すると思ってんのか。アンタは自分の意志で此処本丸に帰って来たんだろうが。ずっと主のいない本丸として解らせてきたって言うのに、アンタは何の前触れもなくその存在を見せた。それだというのに、今までどおりが罷り通る 主がいない事は許されるわけがねぇだろ。淡々と、しかし圧倒的なプレッシャーを含ませた声音でそう告げる眼前の彼は、正しく同田貫正国そのものであった。
 物に意志が宿るということ。刀が人の身を得るということ。付喪神というもの———その本質をむざむざと見せ付けられたような心地で、冷や汗が止まらない。そうだ、今この眼前にいる存在は、私の周囲に常に意識を向け、眼を向け、糸を張り巡らせている彼等は、紛う事無くなのだ。

 「もう一度だけ聞くぜ。何処に帰るって?」
 「…っ、此処本丸、が。私の、在るべき処帰る場所、です…。」
 「ああ。そうだな。」

 満足そうに弧を描いた口許と、愉しそうに細められた双眸が、再度ギラリと鈍い光を反射させたような気がした。



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 昼食時とは違い、少しだけ表情を強張らせている黎都を見て、山鳥毛はふと、視線を彼女の対面に座る黒橡色の打刀へと移す。気心が知れた槍と一緒に、八つ時に小豆長光を始めとした者達から振舞われた苺大福を頬張っているが、その双眸は一切の隙も無く黎都小鳥を見つめている。———いや、この場合、見張っているという表現の方が妥当か。
 子細は不明だが、恐らく彼女黎都は、この黒橡色同田貫打刀正国の逆鱗に触れた。地雷を踏み貫いた、と言っても良い。そして彼女もそれを痛感した。だからこそ、表面上はこれまで通りを装いながらも、僅かな委縮を見せているのだ。そこまで察したところで、湯のみに入った緑茶を一口啜った山鳥毛は、ふむ、と内心で独り言ちる。

 ———帰る戻る道を、閉ざされたか。

 察し、納得したところで山鳥毛は、どうこうと動くつもりはない。それは、この場にいるすべての刀剣男士付喪神が思うところだろう。そもそも、帰る場所在るべき処など無いのだ。本丸此処以外、何処にも。彼女は審神者あるじなのだ。その霊力でもって付喪神である彼刀剣男士等を降ろしたのだ。その時点で、彼女の宿命みちは決まっており、またその身で、その言葉で、その霊力で一心に愛して赦してしまったのだから。
 八百万の神と称される存在は元来、人の子が好きだ。その通り名の通り、万物ありとあらゆるものに宿る意志として、人の子から愛され敬われてきたのだから。愛されれば愛する。大事にされれば大事にする。欲しがれば欲しがる。神と人は鏡写しのようなものだ。
 そうしてこの人の子黎都は、審神者あるじとして一等深く 刀剣男士 付喪神を愛してしまった。可愛いと、愛しいと、胸中だろうと言葉にしてしまい意志を持ってしまった。だから同じだけ、否それ以上に、はこの人の子あるじを大切に慈しみ愛するのだ。

 ———ようやく、巣へと戻ってきたか。小鳥よ。

 たとえその内なる心に、畏怖が宿ったとしても構わない。諦念を帯びたとしても何の問題も無い。それらすべてを持って我々はただ一人の小鳥人の子を愛することを約束しよう。何故ならばこれは、謂わば自業自得。何百万、何千万、何億といる有象無象の蟻の献身人の子に応える神はいないと思っている、彼女の落ち度。唯の神であるならば、あるいはその通りだったのかもしれない。されど、我等は刀剣男士付喪神。何百万、何千万、何億と在る有象無象の蟻の献身人の想いから生まれた存在。愛情執着は、他のどの存在よりも深く重いのだ。
 巣に戻って来たのならば、あとは鳥籠の蓋を閉じてしまえば良い。そうすれば小鳥は永遠に我々の手の中。愛し、愛され、愛しみ、永久にずっと共に在れば良い。ドロリと熱で蕩けた視線を黎都へと向ける山鳥毛は、ゴクリと一つ、咽喉を鳴らしてうっそりと嗤った。