赤い色したお月さまが欲しいの


 万屋街に行こうよ。清光からの可愛いお誘いに頷いて、お出かけの準備を済ませてから玄関先へと向かえば、そこにはお誘いしてくれた清光以外にもう一つの影。彼よりも少し背丈が低いその後ろ姿は、ここ数日ですっかり見慣れたものだった。

 「あれ、肥前も一緒なの?」
 「いちゃ悪いかよ。」
 「いや別に…」
 「俺は主と二人でデートがしたかったのにぃ…」

 どうやら、お出掛けする事に気付いた肥前が乗り込んできたらしい。あからさまに頬を膨らませて不貞腐れる清光を宥めつつ、自宅から持ってきたパンプスを履いて戸口を開ける。短刀たちを中心に、お散歩を兼ねた本丸内の案内をしてもらった際、一度だけ訪れたゲート。どこかの本丸のような大掛かりの転送装置ではなく、武家屋敷や寺院などでよくみられる大きな門のようなそれは、歴史を感じさせるような外観に反し、現代っ子の私でも理解に中々及ばないハイテクさを兼ね備えたいる。
 設置された機械に承認コードを入力して開門すれば、目的の場所へと転送してくれる。イメージするなら動く城のあのドアだろうか。あれは絵柄をクルクルと回転させて行き先を指定していたが。慣れた手つきでゲートを操作する清光の手元を見遣りながら、それじゃあ出発、と気の抜けた可愛らしい号令に、お〜、と同じく緩い口調で返しながら開門した先へと足を踏み入れた。
 眩い光に一瞬目を閉じたが、直ぐに広がる景色に思わず感嘆の息が零れた。ノスタルジックな街並みというか、現代にも観光名所として残る宿場町のような、日本家屋が立ち並ぶここが万屋街と呼ばれるエリア。資材やお守りなどの必要物資を始め、日用品やちょっとした娯楽商品なんかも取り揃えているらしい。因みに、ゲームプレイ時に見ていたあの万屋の画面は、オンラインショップの商品ページだった。

 「すごい人だね…」
 「ここと政府本庁は各国に繋がっているからね。その分規模も大きくなるってわけ。」
 「なるほど。」

 清光に万屋街の説明や案内をしてもらいつつ、映画村のような、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような景色に感動を覚えながら進んでいたら、あまりにお上りさんのような言動となってしまったようで、擦れ違う(恐らく)他の審神者さんや刀剣男士たちから微笑ましい視線を浴びてしまった。新任審神者あるあるの光景らしい。
 前見て歩かないと転ぶよ、と心配性な清光によって手を繋いで歩く事になったため、余計に新人味が増してしまったらしく、初期刀かな、懐かしいね、なんて声もチラホラと聞こえてくる始末。審神者歴自体は数年レベルであるが、実際にこうした場に足を踏み入れたのは初めてだから致し方ない。何なら本丸も数日前からだし。

 「んで?どこ行くんだよ?」
 「…何でお前まで手ぇ繋ぐの。俺が繋いでいるからいらないよ。」
 「うっせぇな。俺の勝手だろ。」
 「はあ?だいたい勝手についてきたくせに———」
 「喧嘩しないの。」

 左手を清光に繋がれたかと思えば、右腕に寄り掛かるように抱き着いてきた肥前をちょっと可愛いとか思ってしまったのは内緒。食って掛かろうとする清光を再度宥めながら、肥前の言う通り目的地を聞いていなかったと、改めて何処へ行くのか尋ねれば、一緒にお出掛けしたかっただけで、特に行き先は決めていなかったとのこと。可愛いか。
 でも一緒にお茶屋さんには行きたいかも。そう言って、甘えるように上目遣いでおねだりする初期刀がこんなにも可愛い。何でも安定と一緒に行ったお茶屋さんで食べた和菓子が美味しかったそうで、ともいつか一緒に食べたいとかねてから願っていたらしい。

 「主は?行きたい処とかないの?」
 「うーん…ここって珈琲の取り扱いってある?」
 「あるよ。専門店も確かあったと思う。」
 「じゃあそこかな。珈琲飲みたい。」
 「オッケー!じゃあさっそく行こ!」

 朝食は豪華な和食だったので特にそんな欲求は無かったが、毎日珈琲を飲んでいる身としては、あの味がふと恋しくなってしまったのだ。家に帰って飲んでも良いんだけど、家に帰ろうとすると右隣の脇差くんや近侍の彼が途端にハイライト無くすから。
 可愛い笑顔で手を引いてくる清光に釣られるように、少し足を速めて通りを進めば、ふと視界の端に映り込んだ鮮やかな朱色の大門に、自然と視線がそちらへ向かう。鳥居と同じような色をしているが、フォルムは完全に開閉式の大門のそれは、他の建物とも少し毛色が違っているような気がした。

 「あそこは?」
 「あっちは、主には関係が無い場所。」
 「…?」
 「花街の入口。」
 「ちょっと、」
 「別に隠すことねぇだろ。まあ、アンタに関係ないってのは確かだけどな。」

 清光の含みのある言い方に首を傾げたが、続く肥前の言葉に納得する。元が刀とはいえ、現在は人の身である刀剣男士も顕現して長く人の営みを送れば、自然と三大欲求も湧く。そのための施設ということか。刀剣男士向けであるならば私に関係ないというのも頷ける。一人で納得していれば、何かを勘違いしたらしい二口が、途端に足を止めてじっと此方を見つめてきた。
 まさかとは思うが、行ってみようとか考えてねぇよな?審神者専用のお店もあるけど、主には不要の場所でしょ?さっきまでも嬉々とした笑顔はどうしたと言わんばかりの、ハイライトを消した真顔の二口の圧の強さよ。というか、審神者専用のお店もあるんだ。そらそうか。現代でもそういう水商売的なのはあったもんな。

 「どうしてもって言うなら、俺に言ってね。」
 「一緒に行ってくれるってこと?」
 「ちがう。俺が相手するから。」
 「…うん?」
 「勝手な事抜かしてんじゃねぇよ。」
 「だって俺初期刀だし?主の事をしっかりお世話する役割もあるし。」
 「アァ?」
 「いや、結構です。大丈夫です。はい。」

 最初こそ理解できなかった言葉の意味を察して、サラッと処理係として名乗りを上げる清光に溜息を溢しつつ、これ以上の掘り下げは結構、と早々に朱色の大門から眼を逸らした。安易な好奇心が要らぬ修羅場を生み出しそう。
 初期刀だからと言って、そこまでする必要は無いから。本来であればそう諫めるべきなのだろうが、相手をする、お世話する、と言った時の彼の眼が、とてもじゃないが義務や責務と言った類の色では無かったため、身の安全のためにもここはスルーすべきである。たとえ右隣の脇差から反論しろよオーラが出ていようとも。はい、この話は終わり。

 「チッ。」
 「珈琲ショップはあっち?」
 「うん。ねぇ主。俺本気だからね?」
 「早く行こう。清光も珈琲飲む?」
 「飲んだことないけど、美味しいなら飲んでみたいかも。それよりも主、」
 「その話は終わり。主命です。」
 「…ちぇ。でも本当にいつでも言ってくれて良いからね。」
 「テメェいい加減にしろよ。あとテメェだけじゃねぇからな。」

 喉の奥で低く唸る肥前の言葉には聞こえないフリ。やだ私ってばやっぱり刀に愛され過ぎでは…?



******

 清光の案内の下訪れた珈琲ショップで幾つか試飲をさせてもらい、気に入った豆を数種購入したら、沢山買ってくれたから、と気前のいい店員さんにドリッパーをおまけしてもらえた。現代のいつも買う店の珈琲よりも質の良い豆で、しかし値段は現代の店よりもお手頃価格。それだけでも良い買い物だったのに、加えておまけまで。
 何でも、刀剣男士との生活をしていると、彼等にとって馴染みの薄い珈琲や紅茶からは、自然と審神者たちも足が遠のいてしまうとか。だから売り上げも緑茶などに比べると低迷気味なんだとか。安くて質が良いだけに何と勿体ないことか。すべて飲み終えたらまた此処に買いに来よう。そう固く決意して店を後にした。
 それからまたフラフラとウインドウショッピングを楽しみ、元気な客引きや気前よく配られる試食や試飲なんかをちょくちょく楽しんでしばらく。歩き疲れを自覚する前に、面倒見のいい清光と肥前の申し立てにより、清光が行きたいと言っていたお茶屋さんへと足を運ぶ次第となった。

 「運良く席が空いて良かった。」
 「ほぼ満席だし、ラッキーだったね。」

 メニュー表と一緒に置かれた温かいほうじ茶を啜りつつ、写真や文章などで説明書きされたメニュー表へと視線を落とす。和喫茶と言うだけあって、抹茶や餡子を使った品が多い。主どれにする?という清光の言葉に、迷い中、と返しながらぺらぺらとページを捲っていく。
 あまり甘すぎるものは量が多くても胃凭れしてしまうし、ほどほどの甘さのものをほどほどの量で楽しみたい。先に決めた終えた清光は、抹茶クリームパフェで、肥前は欲張り和スイーツセットにしたらしい。和スイーツの定番であるあんみつやどら焼き、お団子などを何種類も楽しめる欲張りセットは魅力的だけど、如何せん量が多い。
 自分の胃と相談しつつ、ミニどら焼きセットに決めてから清光に注文を頼む。そう待つ事無く提供されたスイーツ各種は、落ち着いた色合いのお皿に綺麗に盛り付けられ、写真映えしそうなそれに自然と頬が綻ぶ。

 「主って普段甘いものは食べないの?」
 「ううん。食べるよ。寧ろ好きな方。」
 「そうなんだ。甘すぎるのはって言っていたから、ちょっと心配になったけど、平気なら良かった。」
 「甘すぎるのは嫌いってわけじゃないけど、量があまり食べられないんだ。胃凭れしちゃって。」
 「あ〜なるほどね。」
 「学生の時は、それこそビュッフェとかでいっぱい食べても全然平気だったのに。歳を取るのは嫌だね。」
 「歳っていうほどの年齢じゃないじゃん。」
 「そりゃあ、君たちから見たらそうだよ。」

 ほんのり甘いどら焼き生地に挟まれた、餡子やクリーム、苺や白玉と言ったバリエーションを楽しみつつ、無言で食べ進める肥前を見遣る。相変わらず良い食べっぷり。洋食にも忌避感が無かったみたいだし、今度はスイーツ系も簡単なものだけど作ってあげるのもいいかもしれない。
 主としたかったこと、一個叶って嬉しい。可愛い笑顔でパフェを頬張る清光を見ていたら、もっと色んなお願いや要望なんかも聞いてあげたいな、という気持ちが湧いてくる。主がいない本丸として寂しい思いをこの数年間味合わせてしまったらしいから。その感情に流されるまま開こうとした口は、しかしはたと思い出して慌てて閉ざす。
 何でも好きなお願いを叶えてあげるよ。したいこと全部一緒にしよう、なんて言ってしまったら最後。どんなおねだり無理難題が降って来るか分かったものじゃない。見た目や仕草が可愛くとも、愛すべき私の刀と言えど、先の会話然り、彼等は私よりもずっと年上の格上なのだ。少年のような見た目の短刀ですら、無知や無垢で罷り通る相手ではない。

 「主?」
 「ううん。美味しいね。」
 「…うん。そうだね。」

 また来ようね、という言葉を敢えて使わなかった私を思考をある程度察したのだろう。食べる手は止めずに此方をチラリと見遣ってくる肥前と、先程とは色の違う笑みを浮かべて眼を細める清光へは、気付かないフリを通しつつ、すっかり温くなってしまったほうじ茶を飲み干した。