03

 私と同じく異世界から迷い込んだ少女———基ユウちゃんが、モノクロコートを羽織った美丈夫———基デイヴィス・クルーウェル先生とトレイン先生と共にこの学園長室に訪れたのは、異世界から連れ去れ、右も左も常識すらもわからない状況で、襤褸屋というのも烏滸がましい程に朽ち果てた廃墟に押し込められ、生活用品はおろか無一文状態で、風雨にさらされた状況下に放っておかれた事への抗議、らしい。辛うじて夕飯は学園長ことディア・クロウリーが用意した軽食を摂る事が出来たそうだが、廃墟内に備え付けられた(もはや放置されたが正しい)家具類は、大半が朽ち果て、ベッドもマットレスから薄っぺらい毛布まで黴や埃に塗れ、水道、ガス、電気に至るまで最悪な状態だったのだという。
 流石にこのままでは迷子一日目にして体調を崩しかねない、と危機感を抱いたユウちゃんが、学園長へ援助を求めるべく周囲を放浪(彼女曰く散策)していたところに、偶々通りかかった教師二名が事情を聴いて怒髪天。現在に至るらしい。

 「そも、このワンダーランドの男として、レディをあんな廃墟同然の襤褸屋に押し込めるとは、どういう了見だ!」
 「で、ですから…その辺も後々調整していこうかと…当面は、清掃魔法などで凌いで頂いてですね…?」
 「彼女には魔力が一切無いというのに、どのようにして清掃魔法を使えと?」
 「そ、そそそれは…!」
 「…はぁぁあ。つまり、貴様は現状の問題から周囲の目を誤魔化す事ばかりに気を取られ、彼女が魔力の一切ない事も、それに対するサポートや十分な説明すら忘れ去ったという事か。余程死にたいようだな?」
 「ヒェッ、い、いえいえ…決して忘れていたとか、そういう事ではなく…」
 「言い訳は良い。さっさとあの襤褸屋を人が住める状態にまで修繕しろ。当然家具から日用品、その他諸経費すべて貴様の個人マネーから出すんだな。責任者ならば、そのくらい当然の事だろう。」
 「ええっ!?」
 「この駄犬が!ただでさえ未成年のか弱いレディを親元どころか世界レベルで攫ってしまっている現状なんだぞ!本来であれば、然るべき機関に報告の上、適切な処置を行われるところを、彼女の恩情により箝口令が赦されているんだ。それに伴う対価を払うのは当然の義務だろうが!」
 「万が一に備え、戸籍も用意しろ。便宜上、我々教員の誰かの養子に入ってもらうことになるが、構わないかね?」
 「はい!あ、学園長先生以外でお願いします!」
 「そんな!?」
 「安心しろ。あの男にはATM以外の役割を与えるつもりはない。年齢差などを考慮すれば、私がベストだとは思うが…。これでも三人の娘を育てた経験もある。どうかね?」
 「トレイン先生がよろしければ、お願いします!」
 「こちらから提案している以上、断る事はないさ。では、早急に手続きを済ませよう。」
 「無知な仔犬と言えど、スマホやパソコンといったネット環境が無いのは堪えるだろう。スキンケアやメイク用品、洋服等も必要なはずだ。街に連れてやるのがベストではあるが、厳しい現状、悪いがサムの店で我慢してくれ。」
 「最低限の生活を行う上で必要なもの以外も、甘えちゃっていいんですか…?」
 「スキンケア用品もメイク用品も服も、すべて最低限必要不可欠な品々だろう。遠慮する事はない。ブランドものであろうが好きなだけ揃えると良い。」

 先程から短い悲鳴や呻き声を上げるしかない学園長を他所に、トントン拍子で進んでいく会話を横で黙って聞いていると、不意にクルーウェル先生が此方に視線を向けた。お前も彼女と同じ境遇なのだろう。一緒にサムの店で色々と見繕ってこい、とユウちゃんに比べ大分おざなりではあるが、許可を頂けたので、有難く彼女と共に学園長室を後にする。重厚なドアを閉めると同時、背後から聞こえてきた本日二度目の汚い悲鳴をBGMに、早速サムの店と呼ばれた購買部へと足を進めた。


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 いつの間に話が伝わっていたのか、ユウちゃんと共に店内へと足を踏み入れたと同時に、カウンターに立つMr. Sことサムさんに手招きされ、一面に広がるカタログを進められるがままパラパラとページを捲っていく。一学園の購買部でインテリア用品から日用品、衣料品に食品まで選り取り見取りな事には驚いたが、そのすべて支払いは学園長行きだと話が済んでいるようなので、特に気にすることなく候補をピックアップしていく。サニタリー関連の品については、別紙封筒に入れて注文すれば誰の目にも商品が触れられないまま購入出来る、という説明を聞きながら、その注文用紙をユウちゃんにのみ手渡す事から、どうやら学園関係者は私を男と判断しているのだと察する。まあ、外見もどっちつかずだし、実際サニタリー用品が必要になる身体ではないので、気にせず他の品々を検分していく。
 サニタリー用品を始め、性差による品々の説明等を店主から受ける度、ユウちゃんが此方へと視線を僅かに送ってきたが、年頃の女の子ともなれば、購入品が見られないとはいえ、そういった品を購入する姿を見られる事に対しても羞恥を覚えるものか、と結論付けて、敢えて聞こえないフリ、気付かぬフリを通した。

 「明日にはすべて寮に届くって、魔法って本当便利ですねぇ。」
 「そうだね。」
 「そういえばリツさんって、サバナクロー寮ですよね?お部屋は個室ですか?」
 「いや。二人部屋だった。どうして?」
 「いえ…えっと、」
 「うん?」
 「あの、間違っていたら、ごめんなさい。リツさんって女性…ですか?」
 「…どうしてそう思ったの?」
 「物腰とか、話し方とか…うーん、女性的って言ったら齟齬があるんですけど、何となく…?あ、あれです。女の勘!」

 だから、サニタリー用品とか下着とか、私ばかり優遇されているのが気になって。申し訳なさそうに眉根を下げて此方の様子を伺う姿に、なかなか鋭いところもあるのか、と意外な印象を持ちながらも、周囲を確認した上で足を止める。購買部から彼女が住まうオンボロ寮への帰路、生徒達は既に皆各寮へと戻っているため人気は全くない。
 少し、世間話をしようか。私の言葉に何かを察したのだろう。彼女は真剣な面持ちで一つ頷いてから、黙って此方の言葉の続きを待った。

 「私には、所謂性別の違いというものがあまりないんだ。」
 「…イワちゃんみたいな感じです?」
 「イワちゃん?」
 「あ、えっとイワンコフ…あの、ホルホルの実の…」
 「ああ、革命軍の。そうか。麦わらの一味の冒険譚となれば、当然、父親が身を置く革命軍についても描写があってもおかしくない。答えは、どちらかと言えば否、かな。悪魔の実の能力は関係なくて、生まれながらにどちらでもあって、どちらでもない、といった感じなんだ。」
 「性同一性障害、みたいな感じですか…?」
 「さあ、どうだろう。これを病気だと思ったことはないが、まあ正常な目で見れば私は確かに異形である事に違いはない。咽喉仏も目立ち、筋肉の付き方もどちらかと言えば男性的だ。しかし髭が生えるほどの体毛は濃くなく、男性器は存在しない。」
 「生理も来ない?」
 「ああ。生殖器はどちらかと言えば女性寄りだが、胎はなく子を孕むこともない。しかし精子を作る機能もない。胸も乳房はなく母乳も出ない。」
 「…、」
 「まあ、そういうわけだから。男でもなく女でもない。」

 この話を知っているのは、向こうの世界でもただ一人。まあ成り行きでバレたというのが正しいが、他人に話す事のないこの話を彼女にしたのは、全く世界の異なる住人———つまり、彼女もまたある意味異形だから、だろうか。真っすぐに見やった視線の先、少し下にある大きな相貌は、驚きを露にするように見開かれていたが、そこに軽蔑や侮蔑といった、否定的な色は見えない。ああ、そうか。私がこの話をこの子にしたのは、きっと。

 「ごめんなさい。私、すごく無神経なこと言っちゃいましたね…。」
 「はは。いいよ。気にしていない。寧ろ聞いてくれてありがとう。」
 「いえ。あの、私にそんな話してよかったんですか?あ、勿論誰かに言うつもりなんてないですけど!」
 「貴女がそういう人だから、きっと話そうと思えたんだよ。」
 「そう…?」
 「この話を聞いても、気味悪がる事も否定的になる事も無く、かと言って無意味に過剰にもならず。あくまでとして受け入れてくれる。多様性のある、貴女だから。」
 「あ、はい!だって、すべてひっくるめてリツさんでしょう?」

 なんてことの無いように笑う彼女が、眩くて。ああ、嗚呼。生みの親ですら受け入れられなかった異形を、個性として受け入れてくれる人が、いるなんて。
 友達になりませんか。異世界トリップした者同士、そしてある意味で女同士。差し出した手が振り払われない事は簡単に予想出来たが、何の躊躇いもなく頷いて握り返してくれた事に安堵していた。