02

 大体最高責任者というのは、一番外れの最上階にいるもの。その予想は見事当たったようで、荘厳なドアの上には学園長室とプレートが嵌められていた。ノックをし、室内からの応答を聴いて重々しいドアを開く。そこには例の汚い悲鳴を上げていたペストマスクの男が、これまたアンティークとしてかなり価値があるだろうデスクに向かって腰を下ろしていた。

 「おや?どうかなさいましたか?」
 「…貴殿に幾つか確認したい事があります。」
 「何でしょう?」
 「此処は何所で、何の目的で私を連れてきた?」
 「…はい?」
 「自宅への侵入に察知出来なかった事に対して、自身に対する不甲斐なさもあるが、それ以上に私をこんな所へ拉致して一体何が目的だ?位の高い幹部連中ならともかく、一介の中間管理職ポジションでしかない私を攫ったところで、身代金なんぞ鐚一文望めないと思うが…いや、この際理由などどうでもいい。即刻元の場所へと帰してもらおうか。」
 「ちょ、ちょっと待ってください!?一体何を仰っているんですか!?そもそも私、拉致なんてそんな非人道的なこと行っていませんよ!?」

 慌てるように席を立つペストマスクの男———ドアプレートが正しければ学園長———は、その様子から嘘を言っているようには見えない。しかし実際問題として今此処に私がいる以上、自宅から誘拐されたのは拭いようのない事実である。
 昨晩は自宅で床に就いたこと、それから気付けば例の大鏡のある広間で意識を取り戻した事を説明し、これが誘拐、拉致でなければ何なのか、と問い詰めれば、何か思い至る事があったようで、学園長は、もしや、と顎に手を当ててブツブツと、独り言にしては大きすぎる呟きを溢した。

 「まさか、彼女だけでなく、もう一人異世界から迷い込んだとでも??そんな馬鹿な。ただでさえ前代未聞、この百年一度もあり得なかった不祥事が立て続いたというのに…」
 「貴様の不祥事も予想外もどうでも良い。いいから元の島への経路と交通費を出せ。」
 「サラッと金を要求してきますね、アナタ!?」

 早く帰らねばあの面倒でおっかない上司が煩いのだ。大体、勝手に拉致してきた(推定)加害者に対して、被害者である此方が遠慮だの配慮だのをしてやる義理はない。グダグダと何かを言い連ねる男へ、早々に堪忍袋の緒が切れた私は、一見鳥の羽のようにも見えるマントを引っ掴んで、足払いをして相手の体勢を崩し、そのまま床へと叩きつける。アイタァッ、という悲鳴など知った事じゃない。反撃を受ける前に相手の手足の自由を奪い、いつの間にか着用していたローブの胸ポケットに入っていた万年筆を首元へと突き付けた。
 ヒェ、という小さな悲鳴を最後に、大人しく震えて固まる男へ、敢えて覇気を隠さず睨みつければ、ペン先を突き付けた男の喉元がゴクリと鳴る。余程の大馬鹿野郎でない限り、此方の本気具合を感じ取るだろう。

 「これが最終通告だ。さっさと元の島へと帰せ。」
 「そ、そう仰られてもですね…、私だって、何が何だか…っ」
 「御託は良い。」
 「ヒェッ」

 少しだけペン先を柔い喉元へと食い込ませれば、男は慌てたようにボロボロと早口に言葉を紡ぐ。要点を纏めると、此処は賢者の島という離島に位置する、ナイトレイヴンカレッジという魔法養成学校であること、全寮制の男子校で、今日は入学資格のある新入生を闇の鏡によって馬車で迎えに行き、あの大広間へと集う入学式であったこと、私ともう一人の少女は、何らかの原因でその移転に巻き込まれたのではないか、ということ。因みにその原因も理由も全くの不明。何ともまあポンコツ極まりない回答である。しかしその声音、表情(ペストマスクでよく見えないが)、仕草などから偽りがあるようには思えない。
 そもそも、賢者の島という地名に聞き覚えが無いどころか、魔法養成学校という訳の分からない単語まで出てきた。眼下の男曰く、恐らく此処は私にとって異世界に相当する、とのことだが、そんな理屈が罷り通るのはSF小説の中だけだろう。しかしこの男が悪魔の実の能力者とは言えず、互いの現状を擦り合わせると、どうしても最後はこの非現実的な答えへと導かれてしまうのもまた事実。
 ご理解頂けたら、そのペンを下ろして退いていただけると助かります。震えながら溢された嘆きに、とりあえずペンは一旦退くかと首元から僅かに離したタイミングで、重厚な両開きのドアが大きな音を立てながら開かれる。次いで、クロウリィィィィィッという怒声と共に、モノクロの毛皮のコートを羽織った美丈夫と、赤いコートを羽織った中年の男性が一人の少女を連れて部屋へと雪崩れ込んできた。

 「貴様、いったいどういうつも、り、だ…?」
 「…これはいったいどういう状況かね?」
 「クルーウェル先生!トレイン先生!助けてください!!」
 「そこのサバナクロー生。何故クロウリーに跨っている?」
 「…少し聞きたい事を尋ねていただけです。」
 「…わざわざ跨ってかね?」

 突然の訪問者に気を削がれ、大人しくペンを下げてクロウリーと呼ばれた学園長の上から退く。瞬時に飛び起きてデスクの蔭へと隠れる男を見送り、乱入者である三名へと視線を向ければ、訝し気な様子の二名と呆気に取られて固まる者が一名。
 全寮制の男子校にどう見ても少女と呼べる生徒が一人。つまり先程の説明に上がったもう一人の異邦人が、彼女なのだろう。未だ呆気に取られるその子へと近付き、警戒を露にする二名を他所に、こんばんは、と声をかける。外は気付けば夕闇に染まり始めていたのだ。

 「突然申し訳ない。いくつか質問させていただいても?」
 「あ、はい…!」
 「聞くところによると、貴女も突然此処に拉致されたらしいけれど、」
 「拉致ではありません!!」
 「貴女は何所から来たんだい?直前の出来事を覚えていたりする?」
 「え、えっと…夜に普通に寝て、それから…気づいたら、棺?の中で寝ていて、あ、来る途中に、黒い馬車みたいな…なんかそんな感じのをチラッとみたような…?」
 「…成程。因みに貴女はどちらの出身だろうか。どの海だったか、でも構わない。」
 「う、うみ…?ええと、出身は日本で、海で言うと…太平洋とか、大西洋とか??」
 「たいへいよう、たいせいよう…どちらも聞き覚えが無いな…」
 「あの、そういうあなたは…?」
 「失礼。新世界のとある島から来たんだ。出身はイーストブルー。これでも海兵だから、民間の貴女を無下に扱うつもりは毛頭ないよ。」
 「新世界…イーストブルーって、あの、ワンピースの…?」
 「おや、ひとつなぎの大宝それは知っているの?」
 「えっと、人気漫画のやつです、よね…?」

 かみ合いそうでかみ合わない。そんな印象を受ける問答に、私も彼女も首を傾げるばかり。そんな私達を静観していた一人が、目力の強い相貌を鋭くさせながら、未だデスクの蔭に隠れる男へともう一度喝を入れる。どういうことか説明しろ、クロウリー!その喝と共に手にしていた赤い鞭の先端が輝き、光が一直線にデスクの奥へと放たれる。ヒギャ、と汚い小さな悲鳴と共に物陰から引きずり出されたクロウリーと呼ばれる男の首には、光の首輪嵌められており、まるでリードを強く引っ張られた犬のように床へと転がされた。
 何の能力か、驚愕で固まる私を他所に、対面する彼女は少し眼を輝かせながら、すごい、これが魔法ですね、と歓声に近い声を上げる。魔法。先ほども上がった謎のワード。悪魔の実の能力者に近しい異能というべきか。

 「どうもこうもありません…私にも何が何だか…ただ一つ言えるのは、彼もまた彼女と同じく闇の鏡の選定に巻き込まれてしまった可能性が高い、という事です…!」
 「一人だけでも大問題だというのに、二人もだと!?一体どんな管理を行っていれば、そんな大不祥事を起こせるんだ!」
 「私に言われましても…っ!」
 「闇の鏡は古来このナイトレイヴンカレッジにて保管されてきた、謂わばアーティファクトのようなもの!その魔道具が起こした不祥事となれば、当然その責任を担うのは、この学園の最高責任者である貴様だろう!」

 手持ちの鞭を撓らせて正論を告げるモノクロコートの男性と、鞭で打たれながらも未だ弁解を続けようとする学園長を他所に、意識をこちらに向けた少女が、そういえば、と徐に口を開いた。
 海兵さんという事は、何処かの支部に所属されているんですか?それとも海軍本部に?小首を傾げながら、無防備にこちらの内情をある程度知っている発言をする彼女は、その見た目、また警戒心の皆無から、恐らく全く争いや略奪を経験したことのない無垢な少女なのだろう。この世界がどういったところなのか、まだ判断材料に欠けるが、向こうの世界でこの警戒心の無さは、命取りとも言える。つまり彼女は、私が生まれ育ったあの世界の住人でもないという事。もっとずっと平和で穏やかな生活を送っていたに違いない。

 「もともと所属はイーストブルーのローグタウンだったのだけれど、色々あって、現在はG5支部に所属しているよ。」
 「ローグタウンにG5支部…え、ってことは、もしかしてケムリンの部下!?」
 「…驚いた。彼を知っているのか。それに、その呼び名という事は、麦わらの一味についても割と詳しい様子だね?」
 「あ、えっと…」
 「すまない。そう怯えないで。確か、人気漫画、と言っていたか。貴女の世界には、私の世界を漫画にした作品があるのかな。」
 「はい…その漫画が、麦わら海賊団を主人公として、彼等の冒険譚?を描いた作品ですね。だから、彼等と関わりのある人物や組織、地域なんかを知っている…という感じです。」
 「なるほど。」
 「あの、自分で言うのも何ですが…驚いたり、怪しんだりしませんか?自分が育った世界が創作だ、なんて言われて…」
 「まあ、驚きはある。けれど、今こうして全く知らない未知の世界にいるし、何よりも『世界』を定義付けるものは何もない。常時雷が落ちる島もあれば、空の上に浮かぶ島もある。私が生まれ育った世界はそんなところだ。所謂、何が起きても可笑しくないというやつだね。」
 「な、なるほど…!」

 平行世界や異世界トリップなど、それこそ創作そのものである。今までの自分であればそれを鵜呑みに信じる事はしなかったが、しかし今此処に自分がこうして存在すること、またこの世界の住人でも、ましてや此方の世界の住人でもなさそうな、無垢で柔和な少女が眼前にいる。それだけで、平行世界も異世界トリップも、必ずしも空想上の産物でしかないとは言い切れなくなったのだ。信じがたくとも、今目の前でこうして現実に起こっている以上、受け入れるべき考え方であり、またそれが真理なのだろう。
 私達のそんな会話をずっと傍で静観していた中年男性は、ふむ、と何かを考えるような仕草を見せてから、此方も幾つか質問を良いかね、と軽く挙手をしてから発言をした。

 「海軍、すなわちどこかの国の軍部に君は所属しているそうだが、未成年の徴兵も行っているのかね?」
 「正確には国ではなく世界単位の軍部です。未成年の徴兵も、本人が志願をすれば、十五歳以上であれば入隊資格を得られます。因みに、この学園の生徒に紛れ込んでしまった手前、信じ難いかもしれませんが、私はとうに成人しています。」
 「…すまない。随分と若く見えたものだから勘違いをしていたようで。失礼だが年齢を聞いても?」
 「今年で二十九になります。」
 「「二十九!?」」

 声を揃えて驚きを露にする中年男性と少女の姿に、まあそう思われても仕方ないか、と内心納得する。何故か生まれつき身体が男女どっちつかずの機能を持ち、顔面も所謂童顔というか年齢不詳とされがちな顔つきなのである。初対面と年齢や性別の話をする度に通る道であるため、今更それに対して忌避感があるわけではないが。
 大人っぽい雰囲気だったので年上だとは思ったけれど、まさかそんなに年上だとは思わなかったです。純粋な感想を溢す少女に小さく苦笑を溢し、咳払い一つを溢して話題を変えた男性は、更に口を開いた。

 「世界規模というのは、国際連合などの軍部という事だろうか?」
 「いえ。連合部隊というわけではありません。政府も軍も世界単位、というだけで。」
 「大きさは異なるけれど、広大な海に多くの島々があって、大陸というものが無いので、国単位の統治が左程多くないんだと思います。だから世界の均衡を保つ存在として政などを行う組織も、治安維持を行う組織もすべて世界単位…っていう感じであっていますかね?」
 「そうだね。国が無いわけではないけれど、あくまでその島の領主というだけで、その権力は近隣の島々までには及ばない。そもそも近隣の島というのが船で数日かかる程度には離れているし、当然ながら外交がメインとなる以上、各国の法律は外部の人間には意味をなさない…治外法権である以上、そのすべてを統括する組織、治安維持隊が必要となる。そういうことです。」
 「ほう…聞けば聞くほど此方の世界とは異なる点が多く興味深い。しかし世界で統制しなければならぬほど、各国———この場合各島、というべきか。争いごとが絶えない情勢なのかね?」
 「国として王制が敷かれている島は、割と一握りです。多くは各村や町の長がいる程度で、治安維持の殆どは海軍が担っています。そして海軍という名の通り、此方の世界の海域は平和とは言い難いですね。なんせ大海賊時代、と呼称されるほどに世界は海賊で溢れかえっていますから。」
 「海賊!?…いや、そう言えば君の世界の漫画も、とある海賊団の冒険譚と言っていたね。なるほど。一所に留まらない海の荒くれ者達を鎮めるには、各国の法律や軍事力では到底適わない。だからこそ生まれた世界の治安維持部隊という事か。」
 「簡単に言えばそんな感じです。」

 興味深そうに頷く男性は、この世界の歴史———つまり魔法史の研究を長年行っている学者であり、この学園でも魔法史を中心に所謂文系科目を主に担当しているらしい。名はモーゼス・トレイン。そこまで聞いて、そういえばこの場にいる誰とも自己紹介を済ませていなかった事を思い出した。