不意打ちキスじゃ奪えない
表紙
目次
しおり
しおりを挟む
しおり一覧
1/84
次へ
学校が夏休みに入った土曜日の昼下がり——。バスケ部の練習は、本日、午後からの予定だ。
昨晩の電話で、一緒に練習に行こうと約束した私は(私は野次馬係だけど)先ほどからずっと、幼なじみ兼、彼氏(なお付き合って約三ヶ月目)の家の前で待っているのだが、なかなか姿を見せないその相手に私はやれやれと肩を落とした。
彼の部屋がある二階の窓付近をそっと見上げて「きっとまだ寝てるんだろうなあー」なんてつぶやきながら仕方ないと溜め息を吐いた私は三井宅のインターホンを鳴らした。
——ピーンポーン。
いつもだいたいは彼本人のぶっきら棒な返事が中から聞こえてくるのに今日は彼の母親の「あら名前ちゃん」という、よそ行きの声がした。
「ひさし、まだ寝てるのかも。部屋行って起こしてやって」
なんて、お使いを頼まれたがとりあえず二階にあがらせてもらい、その扉の前でひとつ深呼吸をした。コン、コン……コン。せっかちに荒々しくドンドンと叩きがちな私に「静かにノックしろよ」と以前部屋の主に怒られてそれ以来実行しているこの行為。しばらく待ってみたが、やはり中から返事は聞こえてこない。私はそのままドアノブに手をかける。ガチャリと開いたドアの先には案の定、予想通りの光景が目に入ってきた。
「……やっぱりね。まだ夢の中ですか。」
私はくすっと小さく微笑して彼が寝ているベッドのほうへと近付いていく。彼が横になっているベッド脇に座り、ベッドの縁に頬杖を突いてその寝顔を眺めていると私の顔は自然と優しく微笑んでしまう。相当疲れているのだろう。全く起きる気配を見せない幼馴染兼、彼氏の無防備な姿。
「試合続きだったからなあ……」
しばらくそうして寝顔を眺めていたがふと時計を見ると、もうお昼を過ぎるところだ。もうすぐバスケ部の練習開始の時間。可哀想だけれどこの疲れ果てた戦士を起こさなければならない。
「おーい、ひさしくーん。そろそろ起きないと、練習に遅刻しますよー?」
最初はすこし遠慮気味に声を掛けてみた。当然この程度で起きるはずもなくそりゃそうだよなと苦笑してから今度は肩を軽く揺すってみた。
「ねぇ寿。ほんとにもう起きて。起きないとマジで遅刻する」
「……スー、スー」
「……ねぇ、」
「……ん、……っ」
くぐもった声を発しただけでその目はまだ堅く閉じられていた。もうっと思わず頬を膨らまし、私は少し寝癖の付いた彼の短い前髪を、つんっと引っ張ってみる。それでもさっきのような曖昧な声を発するだけで、全く起きようとしなかった。
「……このまま起きないつもりなら悪戯しちゃうよ?いいのかぁ?」
茶化すように声を掛けるけれどやっぱりその目は閉じられたままだった。私は片肘で頬杖を突きながらもう片方の手で彼の鼻をむぎゅっと抓む。すると彼は苦しそうに顔を歪めるもののそれでもまだ眠りの世界から目覚めようとはしなかった。その後も頬を突付いたり、むぎゅっと抓ってみたり……。結局どんなことをしても起きそうにない彼に対し、私はどうしたもんかと頭を悩ませる。
「ここまでしても起きないなんて……、そんなに疲れてたの?」
寝ている相手にそう問い掛けたのと同時に私の指は無意識に彼の左顎にある傷跡を撫でていた。
「よく見るとこの傷跡……なんか色っぽいなあ」
そこまで口を衝いてハッとした。なっ、なにを口走ってるんだ私は!急激に上昇してくる自身の頬の熱。恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら彼を見下ろしてみると、先ほどまで普通に見れていた彼の顔が、やけに色気が増しているように見えてきた。どくんっどくんっと高鳴る鼓動と共に私はある衝動に駆られてしまった。
(キス、したい……なあ。)
恥ずかしいと思いながらも私の視線は彼の唇に釘付けになった。
「ね……ねぇ、ひさし……」
「……」
「いますぐ起きないと……」
「……」
「……、キス、しちゃうよ?」
小さく言って私はゆっくりと彼の顔面に近付いていった——。
——頭と身体がふわふわする。ここは……どこだ?しばらくぼーっとしていたらどこからか優しい声が聴こえてきた。
『ねぇ寿。ほんとにもう起きて。』
(……ん、名前、か……?)
『起きないとマジで遅刻する』
遅刻……?あぁ午後から練習だっけか。クソ、身体が重いぜ。そんなことを思ってたら、髪やら鼻やら頬やら。あらゆるところに柔らかな感触と共に痛みを感じる。ぅ……ヤメロ……、痛てぇだろーが。その痛みを払いのけようと腕を動かそうとしたけれどなぜか体が重くて上手く動かせらんねえ。
『ここまでしても起きないなんて……、そんなに疲れてたの?』
疲れてる……?確かにそうかもしれねえ。ここんとこ立て続けに試合だったからな。まるで遠いところから聴こえてくるみたいな幼馴染の声に、そう頭の中で反応しているとふと顎が優しく撫でられていることに気付く。や、ヤメロって……。く、くすぐってぇ……。
『よく見るとこの傷跡……なんか色っぽいなあ』
……あぁ?コイツ、いったいどんな
面
(
ツラ
)
してそんなこと言ってやがんだ?
気になった俺は、重い瞼を開けようと必死で。相手のいまの顔をどうしても見たいと必死で。
『ね……ねぇ、ひさし……今すぐ起きないと……キス、しちゃうよ?』
小さく聴こえたそんな誘惑の愛しい声。彼女が恥ずかしがっているのが目を閉じていてもわかった。そしてゆっくりと俺の視界が影のようなもので覆われるとその瞬間俺はニッと無意識に口端を上げた。
「……出来るもんならやってみやがれ」
あと数センチで唇同士が触れるというところで相手の動きはぴたっと止まる。
「(え。い、いまのって……)寝言……?」
ゆっくりと。私は、閉じていた自分の目を恐る恐る開けてみた。すると私の目に移った光景は、楽しそうに口角を上げた寿がゆっくりとその重そうな瞼を開けた瞬間だった。
ビックリしてまるで固まったまま動けずにいる彼女。そんな姿をしばらくぼーっと見つめていた俺だったが次第にその顔は完全に覚醒したものに変わっていく。今の状況にハッと我に返った相手が慌てて距離をとろうと身体を離そうとしたとき俺の左手が素早く彼女の腕へと伸びて、その細い腕をガシッとつかんだ。
「どこ行くんだよ」
「え、あ、……その」
「……キス、するんじゃなかったのか?」
「……っ!! やっ……起きて、たの……?」
恥ずかしさにかぁぁぁっと顔を真っ赤に染めていく彼女をこんなに近くで眺めているというのも悪くねーな。そんなふうに思いながら俺はつかんだままでいた彼女の腕をぐいっと引き寄せ強引に自分の身体の上を跨がせる。その突然の行動と今自分が俺の身体に跨って俺を見下ろしているというこの状況。相手の頭は多分パニック状態でこれ以上にないというくらいに顔はもちろんのこと、首までも真っ赤にしていた。
「いや、起きてたっつうか……頭は、起きてたんだけど、体が動かせなくてよ」
「……」
俺の言葉に彼女は何も返さなかった。顔を真っ赤に染めて、何をどう返していいのか分からずに目に涙を溜めている相手に俺の胸は柄にもなく、きゅんっと高鳴る。
「……で、いいのか? キスしなくて」
「……っ、ぁ、あれはっ、その……寿がなかなか起きないから……」
「……。この傷跡が色っぽい、じゃなかったっけ?」
左顎の傷跡を指でなぞってニッと笑みを浮かべる彼の顔は先ほどよりももっともっと色気が増して私はもう目の前がクラクラしてくる。この色気には勝てない。私は観念する他にどうすることも出来なかった。
俺に跨ったまま身体ごとゆっくりとその距離を縮めてくる恍惚の表情を浮かべる彼女に俺もまたそんな相手に見惚れていく。ゆっくりと口付けられた唇は熱くて呼吸するために開けられた彼女の口の隙間に、俺がすかさず舌を差し込んだ。
「ふっ……ンッ……」
逃げようとする彼女の舌を捕まえて絡めとると次第にそれが、ぎこちなく応えてくれる。そんな必死な様子が可愛くて愛しくて俺はくるっとその体勢を逆転させた。
寿から振る口づけに酔っていた私が今の状況に気付いたのは彼のキスが首元から鎖骨に移動した瞬間だった。
「や…っ、……ひ、ひさ、し……っ!」
「……ここまできたらもう、我慢できねえ」
言って、彼女の胸の膨らみに手を添える。その瞬間びくんっと体を揺らした彼女は、羞恥に涙を浮かべて俺を見上げた。
「……ンな顔されたらこっちは余計煽られるだけだっつの」
「そ、そんなこと……っ」
この行為を止める気なんて更々ない彼は、私の着ていたTシャツの裾をたくし上げて、その肌に直接触れた。ちょうど、そのときだった。
——ジリリリリリリッ!!
部屋中に鳴り響いた目覚まし時計の音に二人の体がパッと揺れた。ゆっくりと二人の視線が同時に少し離れたところにある目覚まし時計に注がれそしてなんとも言えない複雑な顔をして目の前の人に視線を戻す。そんなお互いの顔を見て二人は何かが弾けたようにプッと吹き出して笑った。
ひとしきり笑ってから寿はベッドから立ち上がり、いまだ鳴り響く目覚まし時計をオフにすると床に置いてあったクッションの上に乱暴にそれを投げ捨てた。
「……ったく、いいとこで邪魔しやがってよ」
「……もう。目覚まし時計に当たんないの。寿がこの時間にセットしたんでしょー?」
そう言った彼女は笑いながら乱れた衣服を直していた。ドキッとした俺はわざとらしくゴホンッと咳払いをする。その音で彼女が不意に俺を見やる。
「なぁ……さっきの続き……」
「ダメ。練習に遅刻してもいいの?」
「ぐっ……」
バスケを盾にされると俺は弱い。うぅっと唸り声を上げて諦めるしかないのだ。そんな俺を見てフフッと微笑み彼女はポンポンと俺の腕らへんを軽く叩く。
「ほら。早く用意しないと、本当に遅刻しちゃうよ?」
「……あーあー。わーってるよ。」
複雑な表情を浮かべ後頭部をガシガシと乱暴に掻きながら部屋をあとにした彼の背中を見送っていまだにベッドに座っている私はしばらくその場から動けずにいた。
「……マズイなぁ。どんどん寿のペースに流されてくよ」
はぁっと溜め息混じりに呟かれたそんな言葉はもちろん彼氏の耳に届くことはなかった。
俺は洗面所で顔を洗ってうがいをして……この元気になってしまった息子をどうしようかと頭を捻る。はああああーと大きく溜め息を付きながら二階へと上がる最中にリビングで誰かと電話していたらしい母親から「若いのに溜め息ついてるわ」と揶揄われる始末。
思わずチッと舌を打ち鳴らして先ほど寸止めを喰らわされた彼女のいる俺の部屋のドアを、勢いよく開けた。
キス
だけで
足りるかっつーんだよ!!
(……おい、名前)
(うわ!びっくりしたー。急に入ってこないで)
(練習終わったら、また家来るよな?)
(え……、いいよ?来ても。)
(よしっ!早く練習行こうぜ!!)
(盛りのついたサルめ……)
1/84
次へ
Back
/
Top