我が校、湘北高校では学年やクラスによって、委員会の実行委員を数名選出しなければならないという決まりがあった。内申書に響くとか、その委員会の担当の先生に気に入られるためにとか、そんな理由が大半らしいので、委員を決めるときには自ら立候補する人も多い。結局は皆、内申書のためだろうと思う。
それでもやっぱり現実は、人数が足りていないとかいう理由で、勝手に先生に指名されるというオチが待っている。しかも、部活動に所属している者はそれを待逃れるという謎の暗黙のルールが存在し、私たちのように帰宅部の連中が最終的に空いた枠に選ばれるのだ。そして、現在二年生の私と一年生の水戸くんは、勝手に先生から指名された側のメンバーだった。
不定期で開かれる委員会の打ち合わせ。基本的には、委員会の担当の先生のクラスで行われる。私の担当、球技大会実行委員会の先生は三年二組の先生だった。なので放課後、わざわざ三年生の校舎まで出向いたというわけだが。
委員会の最中に他の生徒が隣の三年一組のクラスでは、何の委員会が集まっているのかと先生に尋ねると先生は廊下に出てチラッと一組の教室を確認してから「保健委員会だな」と言った。
委員会の集まりが解散したあと教室を出ると、見慣れた後ろ姿を見つけたので私からその背中に声を掛ける。
「水戸くん!」
彼はぴたりと立ち止まり、ゆっくりとした動作で振り返った。その一年生の彼、水戸くんは不審そうな顔つきで私を見る。え……目つきこわっ。と思ったのも束の間、水戸くんは声を掛けた相手が私だと分かった瞬間にその殺気立った切れ長の瞳を大きく見開いて、へらりと笑って見せた。
「名前さんじゃん」
「うんっ」
私はコクンと一つ頷いた。「委員会?」と聞きながら水戸くんの横に並ぶと自然と二人で廊下を歩くかたちになる。
「そう、保健委員」
「ええ?水戸くんが?」
「なァにその言い方、侵害だなー」
ハハと両手をポケットに入れていた水戸くんが歩きながら少し屈むように笑って軽やかに言う。「だって『クラスの傷病者の引率や介護に当たり幅広く健康管理に努めます』って活動内容でしょー?」と、私は手に持っていたA4サイズのプリントの束を眺めながら「水戸くんが保健委員か」と付け加えて呟けば、水戸くんはやっぱり眉毛を下げて浅く笑う。
「だから、それ侵害」
「ごめんごめん。てか毎回渡されるよね他の委員活動のレポート用紙。これ処分に困るんだよね」
「あァ、紙の無駄だよな」
そう言う水戸くんの手には特になにも持たれていなかったので配られた用紙をそのまま三年一組の教室に置いてきたとか、その類なのだろうなと察する。そんなんで務まるんか、一年七組の保健委員は……とは、彼の名誉のためにも言わないでおこうと口を噤んだ。
「三井〜っ!!」
突如、背後から聞き慣れた名前を呼ぶ女子生徒らしき声が聞こえてきて、ビクッと肩を揺らした私に水戸くんがチラと視線を向けて来る。
水戸くんは私と肩を並べながら歩みは止めず、それでも反射的なのか、後ろを振り返っていた。しかし水戸くんはすぐに首を正面に戻すと、そのまま何事も無かったかのように、会話を続けてくれた。
「バスケもう観に来ねーの?花道、会いたがってるぜ?」
「え?私に?」
「ああ、名前さんよいしょすんの上手だからな」
「晴子ちゃんだけで満足しなよね、欲張りめ」
「ハハ、それ本人に言ってやって」
水戸くんとこうして楽しく話している最中でも聞きたくないのに無意識に後ろの会話を耳に入れてしまう。他の事を考えて紛らわそうとすればするほど話の内容を解読しようとする私の脳みそ。
「三井〜、カラオケ行こうよ〜」
「ああ?バカ野郎、俺は部活あるんだっつーの」
「え?もう引退したでしょ?」
「顔出すんだよ……カラダなまるから」
「えー付き合い悪いわぁ、せっかくクラスのみんなと馴染めてきたのにぃー」
「はあ?……もういいか?俺、部活行くぞ?」
「えぇー」
私だってクラスメイトの男子と話すことなんてよくある。彼が同じようにクラスの皆と話すことくらい日常茶飯事なことなのだ。別れたいまでもいちいち気にしていたら身が持たない。
「……あ」
私が突然立ち止まったのにならって水戸くんも「ん?」と足を止める。そして不思議そうに私の顔を覗き込んできた。
「ペンケース、忘れて来ちゃった……」
「あー、二組に?」
う、うん……と言いながら、私がその場に立ち尽くしていると水戸くんがややあって「俺、取りに行ってやろうか?」と、明るい口調で言った。思わず水戸くんを見やる私に水戸くんは眉をさげて「戻るの嫌だろ?」なんて、さらっとイケメン発言をかます。
「……ううん」
「ん?」
「水戸くんのイケメン発言に反省して自分で取りに行きます」
言ってくるりと踵を返して視線を自分の足元に落としながら三年二組の教室に向かう私の横に、すぐ人影が追い掛けてきた。それに気付いて横を見ればさっきまで一緒に廊下を歩いていた人物、水戸くんだった。
「ん?どしたの?」
「変な輩がいたら困るだろー」
「え?」
「ホラ、こないだの靴棚での奴らみたいな」
「雨の日のさ?」と水戸くんは正面を向いたままやっぱり困ったような顔で言って笑う。水戸くんアリガト、とぽつり言えば「いーえ」と軽く返してくる水戸くん。そのまま水戸くんと一緒に三年三組の教室の前、廊下のど真ん中で未だ話し込んでいる見慣れた長身の男子生徒と、そのクラスメイトらしき女子生徒の横を通り過ぎる。そうして三年二組の教室に「失礼します」と言って入り、さっき座った席の机の上に置き去りになっていた自分のペンケースをそっと手に取る。すぐに失礼しました、と教室を出た先——水戸くんが廊下の壁に寄り掛かるようにして立っていた。私と水戸くんのあいだを憚る廊下を堀田先輩達が通り過ぎて行く。そのとき堀田先輩が水戸くんに気付いたらしく「オゥ」と言って、片手を翳してみれば、水戸くんは「どーも」と、そのままの姿勢で頭を一瞬だけ小さく下げた。堀田先輩たちが去ったのを見送って、私が水戸くんの元まで歩いて行く。
「ごめんね?ちゃんとあったよ」
「よかったね。じゃ、戻りましょっか」
「うん」
今度は、さっきとは逆の方向に向かって二人で歩みを進める。三年一組の教室の角を曲がると、すぐに階段があって、ちょうど一個目の踊り場を歩いていた元彼を発見した。彼は私と水戸くんの姿を一瞥したものの冷たい目つきですぐにさっと視線を逸らした。
——私のことをなんとも思っていない目。私の気持ちなんか微塵も気づかない目。それでもいいけど、知ってるけど、そんなの。でも、やっぱり少しだけ……辛い——。
私が小さく溜め息を吐いて、水戸くんより先に階段を降りはじめると水戸くんも少し遅れて後から着いて来た。私の足が速かったのか、寿の足が遅かったのかは分からない。気付けばすぐ目の前に愛おしい大きな背中があった。
話しかけるいわれもないので、特になにもせず私はそのまま寿を後ろから追い抜いた。それでも背中に突き刺さる視線はきっと気のせいじゃないんだろうなぁ、と思う。間もなくして背後からは同じく寿を追い抜いたであろう、水戸くんの声が聞こえた。
「みっちー、お疲れ」
「……、ああ」
——冷たい声。心底めんどくさそうな……声。もう嫌なんだろうな私のことなんか。普通に学校生活を送っていても目に付いてしまう、私の存在なんかきっと……寿にとっては、うんざりなんだろうな。てめえ俺の前に現れんじゃねーよ、って感じかな。三年の校舎に来るんじゃねーよって。俺はもうてめえなんかどーでもいいんだよ、って感じ?
そんなことをぐちゃぐちゃと考えていたら階段の最後の一段というところで私の内靴がつっかえ派手に前のめりになって、踊り場に膝を着いた。
「痛……った、」
あぁ、ダメだ。泣きそう。なんかもうヤダな。恥ずかしいし間抜けだし、どん臭いし膝は痛いしひとりだけ悲しくて馬鹿みたいだし……。
背後から水戸くんの「大丈夫か?!」と階段に響く声が聞こえた。何だか振り向く気力もなくて「大丈夫」と情けない声で呟き、立ち上がろうとした、そのとき——サッ、と目の前に大きな手が差し出されて視界が翳った。
……待って、これ——水戸くんの手じゃ、ないよね?どうしよう……動けない。
私はその手の差出人を確認するよりも先に背後にいた、水戸くんに視線を向ける。水戸くんは、右手で階段の手すりを持ったまま、驚いたような表情を浮かべて「あっ」と言いたげに、少し口を開けて固まっている。それを確認して、ようやくゆっくりと手を差し伸べてくれた相手を見上げることに成功。予想通り、そこにはやっぱり、少しめんどくさそうに、顔を背けながら手を差し出している寿の姿があった。
「……ンだよ、早く立てよ」
「……ッ」
「お前はシンデレラかっつーの……」
そのままの体勢でしばらく沈黙が続く。痺れを切らした寿が「つかまねーのかよ」と不機嫌そうに小さく吐き捨ててその手を引っ込めようとした仕草が目の端に見えた。私はそれを見て勢いよく彼の手を引っ張る。ぎょっとして私を見る寿と、背後からは「あらら」と水戸くんの呆れたような声が聞こえた。寿に補助してもらって私はそれを支えにようやく、ぐいっと立ち上がる。寿が思いっきり引っ張ってくれたお陰なのかなんなのか、寿との距離が一瞬でぐんと縮まった。寿も距離を開けようとしないし私もその距離を保ったままで俯く。そして、互いの手は未だ繋がれたままで。
「……膝、怪我してんじゃねーのか」
私の手を掴んだままの寿が、私の膝を覗き込むようにして、すこしだけ屈む体勢を取った。
「保健室行った方がいいぜ。——水戸、」
言って水戸くんを見た寿に水戸くんは面食らったように咄嗟に敬語で「ハイ」と返していた。
「おまえ、保健室連れてってやれよ」なんて言う寿に対し当たり前に水戸くんが「え——俺が?」と素っ頓狂な声を発する。水戸くんの言葉の裏に「アンタがそのまま連れてってやれよ」という、念が込められているのは馬鹿な私でも今なら感じ取れた。
「あ?お前、保健委員だろ?」
まさかの続く言葉に私も思わず寿を見上げる。え……こんな状況のときに急に優等生ぶる感じ?育ちよすぎでしょ、元不良(リョータくん曰く)だったくせして……真面目かよ。アホなの?天然なの?委員会とかそんな今このシチュエーションで、わざわざ役目をまっとうさせなくてもいいでしょうが。そんなんさぁ、寿が連れてってよ……
「……そーだけど。え、なんで知ってんの?」
「ああ?さっき一組でやってただろ、委員会」
水戸くんは「あ、ああ……」と困ったように、何度か頷いていた。寿は「俺のクラスでも保健委員のヤツが一組行ってたから知ってんだよ」とかなんとかブツブツとつぶやている。てか、あのねセンパイ=Bそろそろ、その手……離してくれませんでしょうか。心臓が止まってしまいそうですので……そう言おうかどうしようか悩んでいた刹那、掴まれていた腕を更にぐっと引き寄せられた。思わず、うおっと声をあげてしまう。気付けば至近距離に寿の顔がある。寿は、硬直している私を無視して眉間に皺を寄せると唇をじゃっかん尖らせて言った。
「ドジばっか踏んでっと、そのうち死ぬぞ?」
「……ハ、ハイ」
私の弱々しい返事を聞いた寿はその凶悪な顔を解いて「マヌケ」と笑って私から距離を取ると、ようやくそっと繋がれていた手を離した。
ずっとあたたかかった温もりが、一瞬で外気に晒されてひやっとする。寿は「じゃーな」と言い置いて片手を挙げてみせるとそのまま先に階段を降りて行った。
嵐のような瞬間だった。取り残された私と水戸くんはしばらく無言のままで立ち尽くしていた。
誰も知らない強いこの想いは何度も消えかけて何度でも蘇る。この胸の痛みは、寿への愛の証。
このまま時だけがまた過ぎていく。今日こそ、伝えようって決めたのに……。だからちゃんと、伝えなくちゃ。
「あっ……ありがとうっ……!」
程なくして私は上ずった声で寿のいなくなった階段に向かって叫ぶ。「もうさすがに聞こえねーんじゃねえの」と、水戸くんの笑って言った声が階段に響いて、寿の降りて行く姿を見つめていた私が今度はパッと水戸くんのほうを見やる。
「あっ、でも。聞こえたかも、名前さんの声」
「え……?」
「……あの人になら、な?」
「この階段響くしなァ」と付け加えてゆっくりと階段を降りてきた水戸くんが、私の隣に立つ。
「じゃっ、保健室行こっか」
水戸くんその言葉に、私が放心状態のまま水戸くんをチラ見すると水戸くんは眉をハの字に下げて、私の耳元で囁いた。
「我が校の、シンデレラさんっ」
そんなおとぎ話の王子様みたいな台詞に一気に赤面した私が思いっきり水戸くんの背中をバシンッ!と叩く。けれど水戸くんは飄々として「全然痛くありませんっ」と言って、ポケットに両手を突っ込み階段を先に颯爽と降りて行った。
赤面のまま私が、ブツブツと小言をつきながら水戸くんのあとを追ったけれどしばらく水戸くんの楽し気な笑い声が湘北高校の階段にこだましていた。
誰にも 渡したくなかった からで、
(0時の鐘の音に焦ったシンデレラは——)
(——ッッ?!)
(階段に硝子の靴を落としてしまう。あれってさ)
(み、水戸くん!怒るよ!?)
(シンデレラがわざと落としたって、知ってた?)
(え……)
(筆箱、わざと置いてきたのかと思ってさ)
(う、うるさいなぁ……)
(ハハっ)
※『YOU…feat.仲宗根泉/加藤ミリヤ』を題材に
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