寿に気持ちを伝えられた日。いつもと変わらぬ帰り道、彼は正面を、私は横を流れる海をそれぞれ顔を背けあうようにして、並んで歩いた。

だが彼は、握った私の手を放さなかった。しかも恋人繋ぎ≠ナ——。胸が詰まって言葉がなにも出なかった。

家まで送ってもらって、部屋に入って、ベッドにうつ伏せに倒れこんで……『名前、』とくちびるを小さく動かした、彼の表情を思い出す。


 『 好きだ。』


密やかな低い声。意志的な強い瞳。寿は緊張すると不機嫌そうにも見えるけど、そのぶん瞳に表情が出やすいと思う。それとも私が昔から彼をよく観察しているから、わかってしまうのだろうか。はたから見れば怪訝そうな表情が、彼の気持ちにぎゅっと重力を感じさせた瞬間——。


『 名前、俺と付き合ってくれ 』


「………!!」

かあ、とひとりでに赤面してしまう。シーツをもみくちゃにして、脚をバタバタさせて、そうしてしまうくらい恥ずかしいのに、寿のことばかりが脳裏に駆け巡る。

好きか嫌いか、と言われたら大好きだし、頼りにしているし、尊敬もしているし……でも、まさかこんなに、掻き乱されることになるなんて……。

好きと言われたから好きになったわけではない。もともと好きだったし、でも、なんだか自分の気持ちは浮ついて薄っぺらく感じる——寿の言葉の重みと、あの、真面目な眼差しに比べてみれば。


「……あれ?」

待てよ。わたし、返事、したっけ……?

いつも通りの二人だったはずなのに、好きだって言われて——私は恥ずかしいのと驚きと嬉しいのとで、感情処理が追いつかず、呆然としていた、と思う。

寿と私は立ち止まって向かい合って立っていた。とても近い距離だった。くだらない話をする距離ではなく、あれは、確実に、恋愛の話をする距離だった——。

街灯の灯りが、見上げた彼の肩越しにキラキラ光っていて、眩しかった。彼の影が私の体に掛かっていた。影があたたかく感じたのは、寿の体温が私にも伝わっていたからなのかもしれない。

向かい合った顔の間に、ため息と、感情と、緊張が、閉じ込められているようだった。まばたきをするだけで、すべてが崩れてしまいそうだった。思い出すだけで、心臓がひく、となる。


『 私を、寿の彼女にしてください 』


そう伝えた……と思ったけれど声に出して言っていなかったのではないか。どうだっけ……?言ったっけ?……言って、ないかも。

「……。」

寿……、どう思っているだろう。私の好意が伝わっていなかったら……彼の真っ直ぐで素直な心を傷つけてしまったのではないだろうか。いやいやそのあとはずっと手を握られていたし……でも私は、放心していて握りかえせていなかったかも。だけど彼は仮にも年上で、いくらなんでもそんなことで傷つきはしまい。だって、今までは、ただの幼馴染≠セったわけだし。

いずれにせよ、改めて伝えたほうがいいよ、ね?寿はちゃんと心を見せてくれたのだから。私だけが受け身でいるの不誠実だ。なるべく早く。でもどうしたら……。


うまく考えることができず、呆然としていると、携帯のバイブが、ガタガタと激しく鳴り響いた。スクールバッグの中で何かとぶつかっているらしい。取り上げて画面を見たとき——『新着メール一件』という文字に、思わず携帯を落っことしそうになる。


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  🕑 6/** 22:07
  FROM 三井 寿
  件名 Re:Re:Re:
  本文

  帰り遅くなっちまって悪かった。
  明日も朝練で早く出る。

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まるで、寿が目の前にいて、口に出してそう言ったみたいなメールだ。彼が、こう言っている姿が目に浮かぶ。何回も何回も液晶の無機質な文字を繰り返し読んで、ため息をついた。

一度に色んなことが起きすぎた。ゆうべの今頃はテレビを観ながら呑気に眉毛の手入れなんてしていたのに。まるきり、生活が一変したような気分だった。でも……私がゆうべの自分に戻ることはもうできないのだ。

とにかく返事をしなければならない。すぐに返信画面を呼び出して……お礼の言葉を返して、絵文字……絵文字はどうしよう。寿と番号を交換してから今日まで、くだらないメールしかしたことがなかったし、寿相手に気の利いた絵文字なんて使ったことがない。てか、ないのも寂しいけど……

まあいいか。我ながら当たり障りないメールだなと思いながら、返信、っと……。

——送信完了。


とりあえず……、顔を洗って歯でも磨こうかな。いつのまにか私はまたベッドに倒れこんでいた。メールを送ってからさして時間は経っていない。私は手を顔に当てて、くちびるを噛んだ。

「……、」

何度も思い出す。見慣れた風景、夜——ふわりと舞って来た潮の匂いが混じった夜風と共に、顔を上げたときあれ、と思った。なんだか様子が違うって。

いつもみたいに揶揄われて「毎日バスケ見に来て誰か目当てでもいんのかよ?」なんて言われて、そして、いつのまにか距離が近くて、抱き締められて、告白されて、それで……

——キスされた。私にとってはそれがファーストキスだった……妄想じゃない。まだくちびるに、その感触と、温度が残っている。


「あわわわわわ……ッ」

枕に顔を押し付けて、バタバタして、疲れてまたぐったりと放心する。

顔が近づいてきたときに、私は一度、顔をすこし背けた。そのまま受け入れたら、心臓が持たない気がしたからだ。寿の鼻筋が私の鼻筋に重なったとき、——だめ、——逃げられない、と脚が震えた。

(あんなに、やわらかいんだ……)

優しくて……しっとりしていて、あたたかくて、慈しむようで、……。胸が苦しくなる。

すこしだけ汗の匂いがしたけど、それに混じって鼻を突いた男性用の汗拭きシートの爽やかな香り。それ以外、全て包みこむように、愛しい感触だった。

私の頬を覆う手、そのあとに、そっと私を抱き寄せる腕、顔と体の体温、全部、大切にしてくれているとわかるような、とけてしまいそうな……、気持ちいいものだった。なのに、気持ちよすぎて胸が苦しかった。

切ないような、泣きたくなるような、逃げ出したくなるような……。一生に一度だけなのではないか……そう予感させる、特別な瞬間に思われて。


寿は、そうっとくちびるを離して、私の顔を眺めた。呆然としている私に、彼が、苦笑いしたのを覚えている。うつむいて、「大目に見ろよな」と言われて、また彼の腕に引き寄せられて、抱き締められた。

そのまま腕を緩めない寿に、電車遅れちゃうよ?と言うと、ちぇ、と、名残惜しそうに体を離して歩き出す寿の姿を思い出す。


そう。思い返してみれば、私、本当に全部受け身だった。なんにも反応していない。人形みたいにじっとしているだけだった。とんでもなく失礼なことをしていると認識した途端、血の気が引いていく。

どうしよう。くちびるを噛みながら、早くなんとか伝えなくちゃ……と気が急いた。でも、電話はちょっと……急に自宅を訪ねるわけにもいかないし……。でも——なにもしないよりは。


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  🕑 6/** 22:47
  FROM 名字 名前
  件名 Re:Re:Re:Re:
  本文

  続けざまゴメン!
  まだ、起きてる?

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と送信して、目を閉じる。まだ起きているというメールが返ってきたら電話してしまおう。そして明日また、一緒に帰る約束をして、それで……

だが、突如として鳴ったのは、メールではなく、着信の合図だった。液晶画面には、三井寿≠フ文字。通話ボタンを押して、そっと耳に当てる。しん、という無音の音が聞こえた。緊張する。


『——名前?俺だ。いま、大丈夫か』
「うん、私は大丈夫だけど。今、自分の部屋?」
『ああ。丁度、風呂あがったとこだ』
「そか、あの……さ、今日も送ってもらって……ありがとう、ね」
『何だよ改まって。方向一緒だろうが、どうせ』
「ど、どうせ……まあ、そうだけど」
『……あ、いやっ!まあ、その……好きでやってること、だし、よ。俺が。』

尻すぼみする声がなんだか可愛いなと思う。電話で聞くと、寿の声は、いつもより幼いんだなぁ。携帯同士の相性がとてもいいのか環境の音が鮮明に聞こえてくる。

電話の向こう、寿がフローリングの床を歩いている気配がする。やがて立ち止まって、ベッドなのか、やわらかいところに腰を下ろしたようだった。しゅる、というの音がしたのは、彼が首からタオルを解いたからだろう。そんな彼の姿を想像して胸が熱くなる。だけど表情は思い描けない。彼の感情が、電話ではまったく伝わらないから。


「……電話してもらって、嬉しい。ありがとう」
『や、全然。つか俺も声、聴きたかったし、な』

くす、と掠れて、笑った息遣いがした。彼独特の人懐っこい笑みを思い浮かべる。さっきベッドで彼の言葉や、体温や、くちびるを反芻して、赤くなっていた気持ちがよみがえった。

「あの……私さ、ちゃんと自分の気持ち、言ってなかったんじゃないかなって、思って……さ。」
『あ? なんだ、気持ちって』
「その、ほら。さっきの……」
『……ッ』

寿が何かを飲んでいたのか、ブッと吹き出す音がした。どっくん、どっくん、どっくんと心臓がうるさい。まさか寿に聞こえているはずがないだろうけど、でも、たぶん、私の緊張は彼にも届いているだろうと思う。

「あの……寿のこと、わたしも、好き……だよ」
『……』
「わたしを……、寿の彼女に、してください。」

口に出して、はっきり伝えると、いままでずっと長いこと、秘めていたような気がした。解放しただけで、とてもとても、抱えきれないものを抱えていたのだなあと思う。とても好きなことを自覚した。だからこんなに、苦しかったのだ。


『あ、あの……よ、』
「は、はい?!」
『それ、さっきも……聞いたぜ』
「え、」

まさかの返答に愕然として言葉に詰まる。言ってたのか、やっぱり。なんて恥ずかしいこと……!わたし無駄に二回も告白しちゃったじゃん……!

『……でも、』
「——! なっ、なに?」
『そのー、……好きっつーのは、今はじめて言われたから、まあ……』
「……」
『サンキューな、名前。』

すう、と息を吸う音。落ち着いたなめらかな声。寿がどんな顔をしているのかが気になる。だけどたぶん、優しい目をしているだろう。そんな気がする。

ああ……、わがままでも勝手でも、いますぐ寿に会いたいな。寝て目が覚めたら、すぐに会えるのにね。でも、会いたいなんて、言えないよなあ。


「言うの忘れちゃってたかと思ってさ、ゴメン。でも、わかってくれてるとは思ったんだ、わたしの気持ち」
『ああ、まあな……そうじゃなかったら、引っぱたかれると思ったしよ。ずっと好きでいてくれてんだろうなーとは期待してた』
「えー?ずっと? なに、ずっとって」
『ええ? ずっとだろ、物心ついた頃から』
「すっごい自信だね。尊敬するよ。なんか緊張して言いそびれちゃったかなーって……帰ってきてから思ったの、言ってないかもって」
『へえ、気にしてくれてたのか。でもなんだ……嬉しいぜ、二回も聞けて』

ふ、と。寿の笑った呼吸音が、はっきりと聞こえた。彼の笑みも脳裏に過る。あの控えめで、照れてるときに見せる、はにかんだ笑顔が。


『……会いてえ、な。』
「え——、」

聞き間違いかと思われるほど、小さな声だった。私の脳内がそう勝手に変換したのかもしれないけれど、たしかにいま、電話の向こうから会いたい≠ニ聞こえた気がした。なんだ、同じ想いだったのか……。嬉しいな。うん、私も会いたいよ。

『名前、まだ時間大丈夫か?』
「あ……うん。 寿は?」
『ああ。俺もまだ起きてるよ』
「そっか。じゃあ……昔話でも、する?」
『ふは、そうだな。 ああー、そうだ、小学生のときよ——』


メールがくるとときめいて、側にいるといとしくて、笑ってくれると嬉しくて。

これからはそんな密かな想いを、ひとり胸に秘めておかなくても、思いっきり、全面に出していいってことだよね?

堂々と、面と向かって、大好きだよ、って伝えていいってことだよね。

誰かを愛すって、口で言うほど簡単じゃない。だけど人を愛すって、きっと頭で考えてるほど難しくない。だって、いま耳に響く愛する彼の笑い声を聞くだけで、心から愛おしいって思えるから。


まだ、あと、もうすこしだけでいい。
このまま、寿と繋がっていたい——。

今夜はきっと、眠れないね。










 囁くに甘やかな 密談 を。



(おーい、名前ー。)
(……)
(ハァ、寝落ちしてんなよな、切るぞー?電話)
(……むにゃむにゃ、フハハハ)
(どんな夢見てんだよ、ったく)
(……むぅ、……。)
(……好きだぜ、俺が名前を幸せにしてやる。)
(……ぐぅ、……ぐぅ……)
(おやすみ、名前。また明日な。)


※『 Way to Love/唐沢美帆 』を題材に。

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