——2月14日。聖・バレンタインデー。今年は誰にあげようかなと広げたポムポムプリンのシステム手帳に拙い文字で友人たちの名前を順に書き連ねていく。
 彩子、晴子ちゃん、リョータくんを含むバスケ部員と桜木軍団。赤木先輩と木暮先輩は、部活を引退してしまったし、もしもそのふたりに渡すとなると残りの一人、元カレのあの人が仲間外れになってしまうだろうと思って三年生への分は数として省いた。あとはお父さんと担任の先生、それから安西先生の分も用意するかと先に書いていた安西先生の名前に丸印をつける。
 いまの時代は手作りなんかよりも出来上がりの物のほうが、見た目もお財布的にも優秀だったりする。なので、バレンタイン三日前の日曜日まで悩んだ末、結局全員の分は手作りではなく出来合いの物を買うことにしてその日、街に繰り出して人数分のラッピング済みのチョコを購入した。

 たかがバレンタイン。それを渡すか渡さないかと悩んでいるだけなのにこうして私を弱くする。今までの二人を思い返すとキリがないくらいに、私のこの胸は、今でもまだ、寿でいっぱいだ。
 今日までにたくさん流した涙も寿を想う切ない恋心。「好き」と言うたったそれだけの気持ちで動いた、私の大きな片思い——。


 そうして迎えたバレンタイン当日の今日。私は教室に入るや否や彩子とリョータくんにチョコを手渡した。安田くんの姿はなかったから、部活の時にでも渡すことにしよう。

「はいこれ、友チョコです」
「え!!ありがとう名前ちゃん!!」
「ありがとう、名前!」

 彩子はこう見えて男っぽいところがあるから「私アンタと晴子ちゃんの分考えてなかったわ」なんて、面食らって申し訳ないというように情けない顔をしていた。そんな彩子でも、しっかりとリョータくんだけには個別で準備していたらしく今朝それを渡していた姿を確認してから私はリョータくんに手渡した。彩子を差し置いてっていうのは、ちょっと気が引けたので。
 そんなこんなで、学校内もバレンタイン一色。朝の時間、授業と授業のあいだ、または昼休みに放課後。生徒同士が呼び出したり、呼び出されたり。そんな風物詩ともいえる光景に、私も自然と頬が緩んだ。——ただひとつ。どうしても笑顔で乗り切れない案件が一件あった。

「宮城くん!三井先輩きょう部活来る?」
「宮城、三井先輩のとこ行く予定ある?」
「宮城くん、三井先輩のこと呼び出して欲しいんだけど」

 授業が終わるたび、そのすべての授業を、ほぼ眠って過ごしていた机に突っ伏しているリョータくんの席に、可愛くラッピングされた小包を手に持った女子たちが、来ること来ること……はじめこそ自分宛なのかと目をキラキラと輝かせていたリョータくん。しかし授業も中盤になってくると寄って来る女の子たちにぎょっとした顔をしてみたりもはや後半の昼休み頃には女子が自分のもとに来るたびに怪訝そうな表情すら浮かべる始末。
 最初は挙動不審にも「わ、わかった、伝えておく」とか「ほ、放課後ならいるんじゃね?教室に」とか丁寧に受け答えしていたけれど、最後のあたりは「ハイハイ」や「渡しておく」とか慣れた感じでソレを受け取って自分の部活専用のスポーツバッグに仕舞い込むその姿を見て彩子は笑っていた。

 最近では、あまり顔を出さなくなったバスケ部見学。今日はちゃんとした理由を肩書に添えていた私は放課後久しぶりにバスケ部員に会いに行くため、彩子と一緒に体育館に向かった。彩子と晴子ちゃんの着替えを待って三人で体育館に入ったとき私の目に飛び込んで来たのは、私たち女子を待っていたかのようにちらちらとこちらを見やるバスケ部員の姿だ。全員見るからにそわそわしている雰囲気がまるわかりで、何だか滑稽だった。しかし、そんなことを気にも止めていない晴子ちゃんが大きな袋からラッピングされた小包を取り出して、それぞれ部員に渡しはじめると体育館にいつもの声とは異なるちょっとトーンのあがった黄色い男子生徒の声が飛び交った。

「彩子はあげないの?」

 部員達に手渡している晴子ちゃんの様子を体育館の入り口に立ち腰に手を当てて眺めていた彩子に向かって私は聞いてみた。彼女は「ええ?わたし?」と、少し驚いたように聞き返してくる。

「晴子ちゃんと相談して一緒に買いに行ったからねー」

「あれは私からって意味も含まれてんのよ」なんてウインクしてみせるが、ふと私は思った。あ、じゃあリョータくんだけ、やっぱり特別だったんだなって。それをはっきりと口に出してしまえば桜木くんと同様にハリセンで叩かれかねないので私は「ふうん」と聞き流し、ちらとリョータくんを見やる。リョータくんは晴子ちゃんから受け取ったチョコを手に桜木くんらとはしゃいでいた。チョコもらえれば、誰でもいいのかな結局は……なんて考えていたそのとき、いつもの軍団の声が後方からした。

「花道のヤツ浮かれてんなー」

 そう言った野間くんに次いで高宮くんが「ギリっぎりのギリなのに」と揶揄い口調で付け加える。反射的に私と彩子が振り返ってみれば彩子は溜め息まじりに言った。

「やっと来たわね、そろい組」

 私と彩子の隣に桜木軍団の四人が立って並ぶと水戸くんが桜木くんを見ながら言う。

「なんてったって人生初のチョコだもんなー花道にとっては」

 眉を下げて言った水戸くんはそれでも楽し気に桜木くんと晴子ちゃんの姿を、まるで親みたいな視線で眺めていた。そんな軍団の気配に気づいたらしい晴子ちゃんが「あっ!洋平くんたちっ!」と太陽みたいな笑顔でこちらに駆け寄ってくる。晴子ちゃんは当たり前に「はいっ!」と軍団にも小包を手渡しはじめた。それに対して一番最初に声をあげたのは、大楠くんだった。

「えっ!俺たちのもあるのか!!」
「まあー、アンタたちもバスケ部の部員みたいなもんだからねえ」
「そーよぅ!」

 言いながら晴子ちゃんが順番に手渡す中、私達を横切るように受け取ったチョコを部室に置きに行くらしい部員たちに対し彩子が「ちゃんと帰ってから食べなさいよ、あんたたち!」と注意を促していた。その言葉にも嬉しそうにチョコを胸に抱えていた一年生が「ハイ!」や「わかってます!」と返しながら、背中に音符を背負って部室に向かって行った。
 その姿を目で追っていた刹那、ふいにパチンと水戸くんと目が合って思わずニコリと微笑んでみればなぜか水戸くんは困ったように眉をさげる。そのまま間もなくしてキャプテンのリョータくんの掛け声と共に、いつも通り練習が開始された。見学している傍らで私が「あ、そうそう」と言って手に持っていた紙袋から小包を取り出し、隣にだらしなく座っていた桜木軍団に友チョコを差し出す。

「え!!マジ?!」

 抑揚つけて反応してくれた野間くんを筆頭に、水戸くん以外の全員がしっかりとリアクションを取ってくれる。それでもやっぱり、十五歳。リーゼントや金髪、パンチパーマの後輩は、私からのそれを受け取ると微かに頬を染めて喜んでくれていた。用意した甲斐があったなとホッと胸を撫で下ろす。

「残念ながら手作ってはいないけどね?」
「ぜんぜん構わねーぜ!」

 大楠くんが「サンキューな!」と、付け加えて言って、野間くんや高宮くんと、楽しそうに中を開けて目を輝かせていた。それを横目に「ハイ、水戸くんの分」と言って水戸くんに手渡したとき水戸くんがちょっと首を横に傾げてやっぱり困ったような顔をしながら「あら、悪いね。気遣わせて」と言う。その表情と彼の口から放たれた感謝にも似た言葉のミスマッチ具合に思わず噴き出してしまう。そんな私に水戸くんが、なぜかひとつ溜め息をつくと私の手に持たれている紙袋に視線を落としながら言った。

「これで、全部?」
「え?」
「本命は?」

「あるんだろ?」と、やっぱり目敏く突っ込んできてまたしても困ったみたいな顔をする水戸くんからなぜか目を逸らせなかった私。が、先に視線を解いたのは水戸くんだった。チラと視線を流川くんと喧嘩しつつボールを追って叫んでいる桜木くんに向けて、ぽつりと呟いた。

「今年だけだぜ?渡せんのは」

 反応に困って言いよどむ私が目を泳がせた先、水戸くんと私の背後で、晴れた空の真下、二人の男女の姿が目の端に入った。私が目を凝らしているのを追うように、水戸くんも顔を背後へと振り向かせる。私の位置からでは、倉庫が邪魔をして見えなかったけれど水戸くんの位置からは、はっきりとその生徒が見えたようで水戸くんが一瞬、ほんの一瞬だけ眉間を寄せた。次いで「すっげー風」と言って私の肩をそっと体育館の中へと押しやる。

「えっ?風……?」
「うん、風強いから。ほら、スカート」

 言って私の制服のスカートを遠慮がちに指差して「捲れたら困るだろ」と、やっぱり眉をさげて困った顔をする。私が「ああ。ありがと……」と素直に感謝をのべると水戸くんが「さて、バイト行かねーと」と、体育館の正面に掛けられている時計を見て言った。
「じゃ、俺帰るぞ」と、座ってバスケを見学しながら、さっそく貰ったチョコを食べている残りの軍団に言えば、みな揃って手をあげながら、水戸くんを見送る姿勢を取る。それを聞き捨てて踵を返した水戸くん。隙のない動作でスタスタと歩いて行ってしまう水戸くんを見ながら、私は紙袋の中からもう一つ箱を手に取って残りが入った袋は隣で座っていた大楠くんに差し出した。

「ごめん!これ、みんなに休憩のとき渡して!」

 私の行動に、大楠くんたちがぎょっとして私を見上げたけど紙袋の中身をチラ見した大楠くんが私の勢いに圧倒されたのか「わ、わかった」と、返してくれたのを合図に私が「帰るね!」と言い置いてその場を後にした。私は急いで水戸くんのあとを追い、その背中を見つけた瞬間に後ろから声を掛けた。

「水戸くん!!」

 少し先で立ち止まり振り返った水戸くん。真横ではグラウンドで声を張る野球部やサッカー部の声が聞こえる。
 私が水戸くんの目の前まで行って立ち止まったとき「なに?」と、きょとんとして、聞いてくる水戸くんに私は手に持っていた箱を「これっ」とぐっと差し出した。頭の上にクエスチョンを浮かべる彼に、さらにぐっと腕を伸ばして水戸くんを真っ直ぐに見ながら言った。

「あげる」
「……へ?いや、さっきもらったぜ?」

 少し動揺しているふうな水戸くんに私がさらにぐっと腕を伸ばしたら、水戸くんの胸辺りにその箱があたって傍から見れば無理やりバレンタインの品物を押し付けているように見えるかも知れないと思った。けれど頭の片隅でそんなことを考えつつも私は言葉を続ける。

「あの……お礼」
「お礼?」
「色々と……助けてもらってるから、水戸くんには特に……」
「……。」

 下校中の生徒達がちらちらとこちらを見やる。それを見かねた水戸くんが参ったなという感じで困った顔をした。私はハッと我に返る。今自分はすさまじく水戸くんに迷惑をかけているという事に。これではまるで、好きな相手にあげる勇気がなかったから近くにいた友人に無理やり押し付けているみたいだ。と言うか実際そうなんだけど。
 寿と別れてからの私は、ずっとこんな調子だ。相手の事も考えずに先に行動を起こしてしまう。精神がとことんブレブレなんだなぁと改めて実感したら思わず小さく溜め息が出てしまった。そうして、ぽつり「……ごめん」と呟いた。

「えっ?」
「やっぱ……なんでもないや」
「……」
「ほんと、ごめんね……水戸くん。引き留めて」

 私は伸ばしていた腕を引っ込めて、水戸くんを横切ると、そのまま学校の正門めがけて走った。「——ちょ、名前さん!そっち行っちゃだめだ!」と水戸くんが振り返って叫んだであろう声を聞き捨てて、全速力で走って正門を出た先で私の目に映ったもの。それは——湘北の女子生徒と寿が……

「……。」

 見えた光景に思わず立ち止まった私に一足遅く水戸くんが背後から腕を伸ばして引いてくれたけど、もう遅い。もう見てしまった。寿と——女子生徒が、肩を並べて歩いている姿を。
 もしも彼女が寿の新しい恋人だったら……私は聞いてみたい。寿に「好き」だと言われることがどんなに幸せか——。

「……」
「……ハア〜」

 と、水戸くんの今度こそ本格的に参ったと言いたげについた溜め息が横から聞こえる。痛くないけど、しっかりと掴まれた腕、私を掴んでいない方のあまった手で、頬をぽりぽりと掻く水戸くんの姿を目の端に映して。ああ、私——やっぱり、恋の仕方をどこかで間違えたのかもしれないな。

「大丈夫……、か?」

 寿に惹かれて寿に恋をして。好きだから、好きのまま突っ走った。でも、寿はどんなに追いかけても遠くなるばかり。こんな私の気持ち……寿は気づいていないんだろうな。
 会いたくて、ただそれだけで永遠に寿のことを待てる気がしてた。だけどやっぱり昔≠フ私達にはもう、戻れない。たとえ寿が戻って来ても、私はもう、戻れないよ——好きな気持ちはいまも同じなのに……。

「……ッ」
「……名前さん、」

 好きなのに捨てるしかない恋をするなんて——だけど悔しいほど、寿がこんなに愛おしい。寿のそばにいたい。どんな形でもいいから。
 叶わない恋だと知っているから気持ちはもっと熱く強くなって、哀しくなっていく。

「……け、……て」
「え……?」


 ねえ、この苦しみから——


「……、て——」
「……、」


 誰か、わたしを………


「助けて……」


 ぽつりと零した私の言葉と頬をつたう涙。そのとき寿がふいに足を止めてこちらを振り向いた。と、同時に私の視界が翳った。鼻を通るタバコのにおいと、私の背中に回された腕——。
 目の前が真っ暗で、でも躊躇いを残して回されたその腕が私を包んでくれている。なんだか不思議な感覚だった。私を覆うように私の視界をさえぎってくれた彼は、傍から見たら私を抱きしめているようで、でも体は触れていない。腕は微かに触れている。私の背にも彼の手は回されている。それでも私の知っている抱きしめる≠ニは少し違うこの感じ。だって体は触れているようで触れていないんだもん。だから、それでわかったの。いま水戸くんは私に好意を抱いてこんな事をしているんじゃないんだってことを。見るな、って。今は見ないほうがいいよって言ってくれてるんだって。だけどそのお陰で私は、目の前に広がっていた絶望から目を背けることができた。また助けられちゃったね。ありがとう、水戸くん——。

 どのくらいの時間そうしていたかは覚えていない。ただ次に気付いた時には視界が明るくなってもちろん、もう寿の姿はなくて。私と少し距離をあけて向かい合った水戸くんが、何事もなかったかのように私の目の前に立っていた。

「やっぱ、もらおっかな」
「え?」
「さっきの?……箱」

 言いながらやっぱり水戸くんは、眉をハの字にさげて困った顔をして笑う。そんな彼に私も、「どうぞ、捨てるつもりだったヤツだけど」と、他のそれとは少し違うラッピングをされた本命チョコ≠、そっと水戸くんの手のひらの上へと乗せた。





 —


 湘北から自宅に帰るために使ういつもと変わらぬ通学路。同級生と別れた俺が駅のホームで電車を待っていると、先ほど湘北の校門の前で見えた後輩の後ろ姿、その本人が少し距離をあけて俺の横に立った。

「水戸……」
「やぁ。」

 付け加えて「どーも」と中腰になりながら言って額に軽く手をあて敬礼するみたいな仕種をしてみせた生意気な後輩のそんな姿に「あ!」と声をあげて、先の言葉を続けた。

「お前、校門の前でイチャついてんじゃねーよ」
「へっ?」
「さっき見たぜ?」

「湘北の奴か?一年?」とニヤニヤしながら聞く俺に一瞬目を見開かせた水戸。それでもすぐに、いつもの表情に戻って姿勢をこちらに向けると、ポケットに両手を突っ込んで俺の質問には答えず「そっちこそ」と、呟いた。

「あ?」
「女子と下校?俺も見たぜ一緒に歩いていく姿」

「あと、体育館裏でチョコもらってるとこ。みっちーも隅に置けないねぇ」と付け加えられ、ややあって「ああ」と、少し先を言い淀んだ俺を真っ直ぐに見据えていた水戸。それに反射的に俺も奴のほうへと身体を向け「なんかもらってよ……、コレ」と言って手に持っていた紙袋を、ひょいと掲げて見せた。

「へえ......一個じゃ、なさそうだな」

 息を吐くように言った水戸の言葉に自分の手に持っていた紙袋を俺はチラと見やり「帰りに下駄箱に勝手に入ってたんだよ」とやや口を尖らせて言ったが、水戸はなぜか遠くを見るみたいにして目を細めた。

「邪魔くせーから、全部一個の袋に入れた」
「ハハ、なるほど」

 俺はズズッと人差し指で鼻をすすって、正面に向き直った。横目に奴を見てみれば、俺と同様に正面に身体が向き直っていた。

「さっき、同級生に外で渡されてよ……で、一緒に帰らねーかって言われちまって……」
「うん」
「なんか……断ったら気まずいじゃねえか」
「そう……?」
「だって、駅まで同じ方向みてぇだったしな」
「ああ、たしかに……」

 水戸は続けて「それは断ったあと気まずいな」と情けなく言って浅く笑う。そして少しの沈黙をおいて、水戸がハーっと白い息を吐いて空を見上げながら言った。

「彼女かと思った」
「え?」

 俺が思わず水戸の方を見やると水戸もゆっくりと俺の方に顔を向ける。なぜか気まずくてすぐに視線を足下へと落とし込んでぼそりと言い返す。

「……彼女なんか、作んねえよ」
「……」
「もう、そーいうの……興味ねえ」
「……」


 ………。

 さっきから上手いこと言い訳を述べているふうな先輩のその言葉に思わず、名前さん意外には興味ねぇ——だろ?と言いそうになった口を噤んで俺は小さく鼻で笑った。

「あー、寒みィ……」
「……」
「そー言や水戸、こっちの電車乗ってんのか?」
「……」
「会ったことねえよな、いまま——」
「みっちー」

 相手の言葉をさえぎって名を呼べば一瞬驚いたように目を見開かせた、喧嘩の弱い元ヤンキーの先輩は「……ンだよ」とまた口を尖らせて不機嫌そうに聞き返してくる。

「コレ、あんたのだよ」

 言って俺が差し出したのはさっき一個上の先輩から受け取った箱。体育館で俺らにくれた物よりもちょっと大きくて包み紙も豪勢でそんでもってたぶん中身は俺の経験則だが、たぶん今日この日のために、唯一彼女が手作った<сc——。

「……は?」
「捨ててあったぜ?」
「あ?捨ててあったァ?何を、誰が?どこに?」
「見たの、捨ててるとこ」

 へっ?と困惑しているような先輩の姿に思わず溜め息を小さくついた俺。わかってくれよ、今の説明でさ。なんて思ってもう一度軽く息を吐く。鈍感なんだか天然なんだか知らないけどこれじゃまるで、野郎の俺が同性の先輩にバレンタインのチョコでも渡しているみたいじゃん。まったく。

「よく、バスケ部見学に来てたさ……」
「……」
「一個上の、女の先輩がさ」

 みっちーがゴクンと生唾を呑んだであろう仕種がその表情に面白いくらいにばっちり出ていて。ほんとアンタ、不良似合ってなかったよって言いそうになった言葉は飲み込んで俺は先を続ける。

「俺らももらったのー、バスケ部への義理チョコついでに」
「……」
「けど、それとは完全に違ったからさ?大きさも包み紙も」

 俺が言い終えたあとじっと俺の手に持っている小さな箱に視線を落としていた彼は、ゆっくりと瞬きをしたあと間もなくして、俺の手からそれを引き抜いた。
 刹那、みっちーが自分の手に持っていた紙袋に視線を向けながら「——コレ」と、言う。怪訝な顔をしてその紙袋と本人の顔を交互に見やれば眉間に皺を作った彼があたかも迷惑そうに言った。

「名前書いてなかったり、書いてても知らねえ奴だったりしてよ」
「……へえ」
「そもそも俺、チョコ嫌いなんだよな甘すぎて」

「俺、菓子はクッキーとかしか食わねーからな」となぜか意気揚々と付け加えて言ったその言葉でこれも俺の経験則だが、さっき彼女から受け取った箱が、異様に軽かったことの理由がわかった。ずっしり重いチョコレート≠ニは異なる物——それこそ、クッキーとかそんな感じの重さだったな、って。

「それ全部受け取ったの?」
「だから受け取ったんじゃねえって!勝手に…」

 その先の言葉を飲み込んだ彼は「ハア」と本当に、心底困ってるふうに溜め息をついてみせる。俺が場の空気を和ませようと「でもまぁ、よかったな、豊作で」と軽口を叩いても彼の機嫌は直るどころか舌打ちをした挙句、こう吐き捨てた。

「いや……いらねぇモン貰ってもな……」
「ハハ。いらねーもん、か」
「……」
「……」
「……。——これ、いただきます」

 みっちーは弱りきったような情けない顔をしながら言って、俺から取り返した箱を照れたようにすこし翳して見せた。次いで俺に向かって「ん」と、紙袋を持っていた腕をぐっと伸ばしてくる。その仕種がさっきグランド横で一個上の先輩からされた光景と重なって見えて思わず噴き出しそうになったが、咳払いで誤魔化した。

「コレもらう代わりに、こっちはお前が食え」
「え」

 困惑している俺をよそに早く受け取れと言わんばかりに「ほれ」と、腕を伸ばして唇を尖らせる二個上の——かつて俺から散々殴られて更生したエセ不良。

「俺はコレ一個で、腹いっぱいだ」

 少しの沈黙。ふいに目を逸らして言った元ヤンの二個上の先輩に面食らって俺は伸ばされたその手にぶら下がっている可愛らしい紙袋を、そっと受け取った。
 そのときみっちーの乗る電車が到着したようであたりまえに乗り込もうとする刹那「水戸、乗らねーのか?」と、とぼけた顔で聞いてくるから、こっちも、あたりまえのように返した。

「俺、次の電車だから」

 一瞬斜め上を見やって、なにか考えているふうだったみっちーは「ふうん、じゃあな」とあっさり返して、やっぱり何も考えていなかったみたいで電車内の奥へと入って行った。電車が発車してなんとなくそれを見送ったあと俺は「はあ」と、少し大きめの溜め息をつく。
 俺の乗る電車は反対側なんだよなぁ。花道以外の奴にこうして世話を焼いてる俺っていったい。しかも因縁の相手。まぁ、それにしても俺はこれ一個で腹いっぱい——ってさ。それ本人に言ったら、めちゃくちゃカッコいいのにな。

 やれやれとホームの階段に戻ろうと歩き出した俺は、ほぼ無理やりに近いかたちで渡された可愛らしい紙袋を再度チラ見して最後には思わず心の声が、無意識にも出てしまっていた。

「ほんと、俺に言ってどーすんのよ……」って。










 知ってるよ、好き だってこと。



(実は俺もチョコ、食えないんだよなぁ……。)


※『 NAO/HY 』を題材に。

 Back / Top