伝えたい事がこんなにあるのに

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     湘北高校に転校して来てから迎えた、初めての年越し。そして、初めての冬休みが開けた。
     放課後、部活開始までのわずかな時間に教室で三人、いつものように他愛も無い会話をしていたときのこと。「あっ、そうそうコレ」と彩子が、何かを思い出したようにスクールバッグの中から二枚の紙切れを取り出した。

    「なに?彩ちゃん」
    「なにそれ、彩子」

     息をつく間もなく返した私とリョータくんに「これライブのチケットなのよね」と人さし指と中指にその長方形のチケットを挟んでピラピラと振りながら、私たちの目の前に翳してみせる。

    「うおっ!これっ!入手困難なんだよ彩ちゃん!すっげえ〜!!」
    「あー、あれだ!『愛する二人のあいうえお♪』って、歌ってる人たち!」
    「えっ?彩ちゃん、これどーしたの?」

     聞けば彩子は従兄弟にライブ関係者がいるとかなんとかでちょうど二枚譲り受けたらしかった。彩子の血筋、恐るべし、だ。

    「でもこの日、バスケ部は練習試合なのよねー」
    「……あ、ホントだ。うわー行きたかったぁ〜」

     心底残念そうに机に身を投げるリョータくん。彩子がそれをチラ見したあと「で、」と言って、私の顔をぐいっと覗き込む。「アンタに、あ・げ・るっ☆」と言った後は、はい、出ましたぁ〜ウインク。いや、って言うか、あげるって言ったって……二枚じゃん。誰と行けっての。
     そのとき「宮城いるかー?」と低く気怠そうな聞き慣れた声が生徒の少なくなった教室内に響き渡った。あえて反応はせず、もはや無理やりに近いかたちで彩子から手渡されたチケットに視線を落としている私をよそに、机に突っ伏して文句を垂れていたリョータくんが体を起こし、やや不服そうな面持ちで「三井サンだ」と言った。つかつかとこちらに向かってくる足音がどんどん大きくなってくる。そうして彩子の隣に立ったであろうその声の主。と、言うことは、私の座っている椅子の真横に立っているということになる。現にチラと足元に視線を移せば、長い足が二本、目の端に見えた。私がゆっくり顔を向けると彼とがっちり目が合う。目が合うや否やすこし驚いたように目を見開いた彼は気まずそうにも一応「よぅ」と挨拶を投げ掛けてくれた。

    「うん。」

     小さく短い返事を返してまたチケットに視線を落としたとき寿がリョータくんに借りた雑誌かなんかを手渡していた。すぐに用事を済ませてさっさと教室を出て行こうとする彼を「あっ!待って!」と呼び止めたのは先ほど無理やり私にチケットを持たせた彩子だった。寿は教室の入り口に向かう足をぴたっと止めて、少しかったるそうに「あ?」と、こちらを振り返る。彩子は「ちょっとちょっと」と手招きをしている。寿は丁寧にもそれに従ってまたこちらに戻って来た。

    「なんだよ?」

     彩子は「あのですねぇ、これ」と言ってさっき自分で私に手渡したくせして私の手の中からチケットを取り上げると、今度はピラピラと寿の目の前でそれを振ってみせる。

    「あ?……お。ライブのチケットじゃねーかよ」
    「そうなんですよぉ」
    「へえ、よく取れたな。いま人気の奴らだろ?」

     寿は感心したようにその二枚の紙切れを彩子の手からすーっと取り上げチケットを眺めている。

    「バスケ部がその日、練習試合なんですよー」
    「ふーん」
    「名前と一緒に行ってきちゃってください」
    「ああ、わかっ……………、はっ?」

     本当に「はっ?」と、そのまま文字を顔に書いたような表情で寿が彩子を見やる。リョータくんも「行けねーもんは仕方ねェもんなァー。まっ、楽しんで来てくださいねっ」と、さっきまで試合の日程変更できないかなぁーとか練習試合サボろっかな、とまで言っていたくせにさらっとそんな事を言う始末。私と寿が二人を凝視している中、彩子は、素知らぬふりで「あっ、リョータ!」と言って、教室の前方に掛けられている掛け時計を指差す。

    「私たち、もう練習行きますので」
    「三井サン、名前ちゃん。感想待ってるよー!」

     さっさと身支度を済ませ、仲睦まじくも教室を出て行った彩子とリョータくん。そうして、置き去りの私と寿。そのまましばらく沈黙が流れたけれど、その沈黙を破ってくれたのは、やっぱり、元カレ——寿だった。

    「行くか?」
    「え」

     私が教室の扉から寿に視線を戻すと彼は後頭部に手を当てながら目を逸らして「もらったモンはしょーがねーよな」と、ボソボソ言った。

    「……うん、もったいないよね」
    「せっかくだから二人で行くか?」

     そう言ってゆっくりと視線をまた、私のほうに向けた寿の目は、心なしか柔らかかった。素直にそれに「うん」と返してみれば「土曜だしな」と寿が手に持ったチケットを眺めて言う。

    「……ねえ」
    「ん?」
    「………友達としてだけど、二人で行こうね」

     私は、精一杯の笑顔を向けてそう言い置いた。ひとえにそれは——寿に気を遣わせたくなかったからだ。彼は、ややあってから複雑そうな顔をしつつもやっぱり「ああ」と、すぐに優し気な柔らかい声色で相づちを打ってくれた。
     ……が、結局。そのライブには、一緒に行けなかったという結末が待っている。
     
     ライブの前日、私が高熱をあげてしまい朦朧とした意識の中で『明日行けそうにないごめん』とメールを送った。しかしそれに対して待てど暮らせど返事は返ってこなかった。熱が下がったら、待ち合わせ場所に決めていたライブ会場近くの駅まで行くつもりで迎えた当日、やはり熱が下がらず、なんなら悪化していて私から連絡もまともに出来なかった、というオチ。
     あの二枚のライブのチケットがどうなったのかとか結局、誰かと行ったのかとか。いろんなことを考えたけれど直接謝りに行く勇気もなく、そのまま寿たちの卒業式を迎えてしまった。最後までちゃんと謝れなかったことを今でも悔いている。





     —


     卒業式が終わり外で寿に話しかけたとき、寿を目の前にしたら伝えたかった事が一気に吹っ飛んで、頭が真っ白になってしまった。ライブのことしかり、今までたくさん寿には謝らなければならないことが、私には山積みで——。
    「卒業おめでとう」と、その一言を言うだけで、いっぱいいっぱいだった。思い出したら、きりがないほどに私は、後悔の念に蝕まられている。

     そして、季節は巡り卒業生を送り出した私たちは四月を迎えて、高校三年生になった。——さぁ頑張ろう。私は私を、やり直すんだ。まっさらになって、やり直すの。
     なんだかんだ言ってもやっぱり学校はいいなと思う。変わらないでいてくれる友達が、たくさんこうして側にいる。私の大好きな場所だ。大丈夫頑張れる——。
     しかし進級してまもなく、新入生の入学式の日。そんな身勝手で愚かな私に、制裁が下されるのだった。

     入学式の片づけを言い渡されたバスケ部員は、片付け終了後に少しだけミーティングと軽く汗を流して、その日は早くに部活を終えたのだが……バスケ部見学の途中で、私が体育館から一番近い女子トイレに向かったときのこと。用を足して、手を洗っていた刹那——ピシャン!と顔に何かが当たった気がした。え……なに?と、一瞬なにが起きたのか本当に分からなかった。え、私…顔が濡れてるんですけど……?!

    「あっ、名字さんごっめーん!かかったぁ?」

     チラと横を見れば去年の秋くらいからバスケ部の見学に来ていた同級生の女子ふたり組だった。「ハンカチ忘れちゃってさあ〜」とか「ちょっとやりすぎ!」とか……「わざとじゃないんだよ?マジごめーん」なんて言ってキャッキャと笑っている二人に対して私は、すかさずハンカチを差し出す。

    「あ……じゃあこのハンカチ、使っていいよ?」
    「……は?」

     驚愕しながらもとりあえずでそれを受け取った彼女が「あ……ありがとう」と、低い声で言う。私も、受け取ってくれたことに安堵していたが、次の瞬間、そのハンカチをぐちゃぐちゃと丸めてトイレの床にポイッと捨てられた。次いで、ハンカチを投げ捨てた子が言い放った。

    「鈍感かよっ!」
    「え……?」
    「なぁーにが��湘北高校の名物カップル�≠諱I 調子乗ってんじゃねーよ!」
    「……」
    「三井先輩の次は水戸洋平かよっ!」

     そう私に浴びせて二人は女子トイレのドアをバンッ!と開け放つ。「三井先輩かっわいそ〜!」と叫んだ声が閑散としていた廊下に響き渡った。彼女達がパタパタと笑いながら廊下を走って行く音を聞き捨てながら私はその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。そうして私は思わずハッと鼻先で笑った。

    「ほんっと……まるでシンデレラみたい」


     ——鈍感かよっ
     ——なぁーにが湘北高校の名物カップルよ!
       調子乗ってんじゃねーよ!


     私は不意に、水戸くんと三年生の校舎で、寿を階段で見つけたときのことを思う。あのときの、あの冷たい目。寿も、そう思ったの?私のこと、いいかげんな奴だって……。
     切ないんじゃない。ただ——やり場のないこの気持ちが寿に届いてほしいだけ。笑って、いつも笑って本当の気持ちを隠してきた。心の奥が見えないように、本音すら隠してきたのに。

     膝を抱えてうずくまる私の背後でジャーと水道の流れる音がした。私が体育座りのまま顔を上げて振り返ってみると——そこには湘北バスケ部のジャージを羽織った晴子ちゃんの姿。彼女は私のハンカチを洗ってくれているようだった。

    「バスケ部の部室の窓辺に、干しておきましょ?名前さんっ」
    「……晴子ちゃん」
    「あそこなら、日当たりがいいからすぐに乾くわよぅ!」

     いつもと変わらぬその太陽みたいな晴子ちゃんの笑顔に私も自然と笑顔を返して大きく頷いた。
     そのまま一緒にバスケ部の部室に行くと晴子ちゃんが私のハンカチを窓辺に干してくれた。そよそよと、心地よい風がここまで入ってくる。
     ここは——寿の居た、彼にとってはたくさんの思い出がつまった聖地だな、と思った。

    「私、流川くんに告白する勇気がないんです」
    「え?」

     ハンカチを干したあと窓辺の手すりに手を付いて空を眺めていた晴子ちゃんが唐突にそんなことを呟いたので、私は当たり前に目を見開かせる。

    「私は、名前さんみたいに強くないから……」
    「……」
    「流川くんに振られちゃったら、今までみたいに振舞うなんて出来なくなっちゃうわ。だから叶わなくてもいいんです、私の、この……恋は——」
    「晴子ちゃん……」
    「夢でいいんです。その夢を励みにしていられれば、どんな事でも、頑張れる気がするからっ!」

     ……待って。ちょっと……待って。私も、同じようなことを想ってなかった?
     嫌いで別れたわけじゃなかった。好きだったから、寿のこと。好きになりすぎて苦しかったから——寿がずっとバスケットが出来ますようにって願ったのも、寿を完璧に失わずに済むギリギリの手段だったから。
     水戸くんや流川くんの姿を見つけたら、迷わず声をかけたのだって、すこしでも彼の大切にしていた物に、触れて居たかったから——。


     ——三井先輩の次は水戸洋平かよっ!

     ——三井先輩かっわいそ〜!


     みんなが変わらず優しくしてくれる事に甘えてたから。私は水戸くんやリョータくん。彩子や、晴子ちゃんに、バスケ部のみんなに……寿が大切にしていたはずのみんなの優しさに、逃げていただけだったんだよね——。


     —


    「強いんじゃなくて……ずるいんだよ」

     その日、バスケ部の練習が終わった帰り道で、彩子にそう告げたとき、彩子はやっぱり、しょうがないわねぇって顔をして言った。

    「自分の気持ちに嘘がつけないだけよ」
    「……」
    「それがアンタのいいところよ」

     強くなんか——なれなくてもいい。誰に、どう思われてもいい。でも寿だけは……寿だけには、いつも私の正直な気持ちを知っていて欲しいと、いまになってもこうして身勝手に思っている。
     ほんとうは分かって欲しかったの。わたしから別れを告げた、本当の理由を。
     やっぱり私……寿じゃないと、だめなの——。止まらないよ、この気持ち。簡単に消せないよ。


     私は、彩子と別れてからそのまま、自宅に近い海に足を運んだ。寿との思い出の場所だ。潮風にあたりながら、自然と流れ落ちる涙を拭うこともせずに、ただ真っ直ぐに水平線を見つめる。
     ここでこうして待ち続けていたら、また私を、抱きしめてくれる?好きだなんて言葉、言わなくてもいいから……。一生聞けなくてもいいから。また私を抱きしめて、キスしてくれる?寿と恋人同士になれた、星が降る、あの日みたいに——。

     刹那、ザザッ……と砂を踏む音がした。思わず体がビクンと硬直する。ゆっくりとこっちに向かってくる、その足音。真横に人影が立ったとき、その相手が望み通りの相手ではないことを知った私は思わず自嘲する。そして横に顔を向けて笑顔で目の前にいる、彼の名を囁いた。

    「リョータくん——」
    「へへ、やっほー!」

     片手を後頭部に添えて申し訳なさそうに猫背になったリョータくんの肩を思わず弱い力でポンと押しやればリョータくんは「イテ」と痛くもないのに、大袈裟に痛がるフリをした。そのまましばらくリョータくんと海辺に座って話をした。わざわざ私の自宅に晴子ちゃんが干してくれていたハンカチを届けてくれたらしい。おおむね女子トイレでの出来事は晴子ちゃんから聞いたのだろう。特にそれには触れてこなかったリョータくんだけれど、なんだか話す口調が、いつもよりもさらに柔らかかったから、全部聞いたのだろうと察したのだ。
     そのあと一番近くのバス停までリョータくんを見送るため、一緒にバス停に向かった。到着したバスにリョータくんが乗り込んで、こちらを振り返る。

    「じゃ、俺は帰りまーす」
    「うん。リョータくん、いろいろありがとうね」
    「ううん!てかオレ、なんもしてねーしねっ!」
    「いや、心配ばっかりかけちゃって……さ」
    「……」

     俯いて言った私をじっと見据えているであろうリョータくんの視線を痛いほどに感じる。彼は、何度も口を開きかけて何かを言い淀んでいるみたいだった。ややあって言いにくそうに彼が言葉を発する。

    「……名前ちゃん……、実は……」
    「……ん?」

     私がリョータくんを見やれば、リョータくんは苦渋の表情を浮かべて、バスの乗り口の手すりを持っていた手に、ぐっと力を込めた。

    「三井サンには、口止めされてたんだけど……」

     そのとき、空気を読まないバスの運転手がプップ!とクラクションを鳴らして「お客さん、乗らないの?」と、やや苛立ち気味に早口で言う。

    「……、リョータくん……?」
    「……ッ、すんません、行っちゃって大丈夫ス」

     言ってリョータくんがバスから降りた。すぐにプシューと扉が閉まってバスが発車する。それをなんとなく見送ったあと、辺りは波の音が微かに聞こえるだけで私たちのあいだはシン、と静まり返っていた。そうしてぽつり、彼が言った。

    「三井サンさ……」
    「……」
    「やりなおしてえ、って……言ってたんだよ?」
    「……え」
     
     彼のその言葉に、いままで聞こえていたはずの波の音さえも消え去った気がした。トクン、トクン、と自分の心臓の音が早くなっていく。
     
    「去年のクリスマスに三井サンが練習に顔出しに来たとき名前ちゃんと別れたこと聞いたんだ」
    「……」
    「でも三井サン、やり直したいって……名前ちゃんともう一度やり直したいって、そう言ってた」
    「……、」
    「でね?初詣ンとき、三井サン見かけて声かけたんだよ。そんときさ……」


     —— 去年の大晦日。


     名前ちゃんと三井サン以外が全員揃う中、初詣に出向いた俺達は屋台なんかで飯を食ったりして仲間内で年越しを過ごしていた。彩ちゃんと一緒に歩いていた時、ふと見慣れた後ろ姿を発見して彩ちゃんにひとこと言い置き、俺はその人の元へと駆け足で向かった。

    「三井サン!」

     ゆっくりと振り返った彼は俺の顔を見て不機嫌そうに眉を寄せる。それでもすぐに口角を吊り上げてニヤリと笑うと、「おう、おめえらも来てたのか」と、言った。

    「うん。そっちは?」
    「あー、来るつもりなかったんだけどよ……徳男たちに誘われちまってな」

     あからさまに、めんどくさそうな感じでそんなことを言って、なぜか都合悪そうに後頭部を掻く先輩の姿に、ふーんと相槌を打てば「まあ、もうすぐ帰るけど」と、言い置いた三井サン。

    「え?お参りして行かねーの?」
    「……ああ、別になにもお願いしてぇこともねーしな」
    「えっ!願い事ねーんスか?一個も?」
    「…………。あ、あるけど」

     少し言いよどんだあとに俺から視線を逸らして三井サンはそうぽつりと呟く。しかしフッと自嘲するみたいにして、「10円で神頼みっつーのも情けねえから……やめとくわ」と言った。
     すぐに三井サンの願い事が何なのか分かった。けど、その言葉には何も返せずに俺が手に持っていたタコ焼きを差し出せば、目を一瞬大きく見開いてすぐにその目を細めた後「腹へってねーよ」と言いながらもそっとそれを受け取ってくれた。そのままなんとなく二人で長い階段の下段に腰を下ろし無言のまましばらく過ごした。ガヤガヤと騒がしい道行く人の声を聞いていると真横に座っていた三井サンがぽつぽつと低い声で話し出す。

    「俺、名前は何があっても結局、俺についてくる気がして甘えてたんだよな」
    「……」
    「クリスマスイブの日、あいつ『もうその手を離して』って、涙いっぱい溜めて言ったのに」
    「……ん」
    「俺、家に戻ってからも、ずっと心のどっかで、名前が戻ってきてくれること、期待しててよ」
    「……ん。」
    「……最低だよな」

     自分を戒めるみたいに溜め息混じりに三井サンはそう吐き捨てて、また小さく、鼻先で笑った。俺は、掛けてあげる言葉が見つからなかった。

    「もう何言ってもアイツには、嘘か言い訳にしか聞こえねーだろうからな、そのまま別れるしかなかったけどよ……」
    「……」
    「こないだ俺んちに置きっぱなしだった荷物取りにきたときに恨み言ひとつも言わねーで、自分で全部持てるって笑いかけてくるアイツの笑顔見てたら——」
    「……」
    「やっぱりやり直してえって……心底思った」
    「——、」


     ——三井サン。





     ―


     寿と再会したあの頃は幸せだった。色んな事がいっぱいあった。不安だらけで泣いたりもしたけどそれでも私は湘北高校に来てよかったと思う。隣にはいつも、寿がいたから——。
     一緒にいられるということがそれだけで何にも勝る価値があるんだって今とっても、身にしみて感じている。

     私とリョータくんは、バス停のガードレールに腰を預けていた。背後からは潮の香りが私とリョータくんを追い越して行く。

    「別れたって聞いた日の夜、俺なんとなくわかったんだ。名前ちゃんが別れを切り出した理由」

     え…?と、思わずリョータくんを見た私。彼はゆっくりと私に視線を向けて優しげに眉を下げると「三井サンのためでしょ?」と、言った。

    「自分が受験の足かせになりたくないって言う」
    「……うん」

     リョータくんは正面に向き直って先を続ける。

    「だから俺、三井サンに言いそうになっちゃってそのこと。けど俺が言おうとしたとたんに待ったを掛けられちまってさ」
    「……」
    「自分自身の問題だから、自分で解決してえって言い切るもんだから。俺も勝手に言ってさ?余計にこじれちまうよりはいいかなって考え直した」

     リョータくんは俯き加減で残念そうに、時たま溜め息をつきながらも話し続けてくれた。ややあった沈黙、彼がぽつり「でも——いま思えば三井サン……」と呟く。

    「どうしたら名前ちゃんの気持ちを取り戻せるかわかんなくて苦しんでたんじゃねーかなって」

     波の音がやけに大きく聞こえた。悲しいとか、寂しいとか気まずいとかいうわけじゃないのに、なんだか胸がギュッと誰かにつかまれたみたいに苦しくなる。
     悲しいけれど、これが今の二人の現実なのだ。それでも私は、寿と出会ってしまったから——。

    「年明けにさ、委員会かなんかで三年の校舎行ったっしょ?」
    「あーうん、行ったような気がする」
    「水戸と一緒にいたって……水戸と付き合ってるらしいって噂なってて」
    「え……そうだったの?」
    「うん。俺、気になってさ、三井サンにその日の練習の帰り際に、改まって話しかけたんだけど、無視されちゃってさぁー?」
    「……そう」
    「あの人、昔っから傷つく事があるたびに一人で心閉ざして来たせいもあるかもなんだけど。あーいう反応、ときどきすんだよなぁ」

     寿——あのときの階段での冷たい目。私を責めていたわけじゃなかったってこと?
     あの目。あれは、傷ついた寿の��サミシイ�≠フサインだったんだ……。

    「三井サンさ、バスケ失ってから取り戻したくても取り戻せない苦しみめっちゃ味わってたと思うんだ。それと似てたのかもって、思ったりする」
    「……似てたって?」
    「水戸がさ、……」

     リョータくんは水戸くんの名前を出したあと、すこしだけ眉間に皺を寄せた。そうして、何かを思い返すみたいにして、遠くを見る。彼の言葉を待っていると「アイツが——」と密やかにリョータくんが言葉を紡ぐ。

    「三井サンのこと、成敗したんだ……三井サンが体育館に殴り込みに来たとき」
    「え——」
    「その相手が……もう取り戻すことの出来ねえ、名前ちゃんと付き合ってるなんてさ……」
    「……」
    「かなりダメージっつーか……耐えらんなかっただろうなって思うんだよね」

     リョータくんは「俺も三井サンだったら、死にたくなるくらい、キツイかも……なんてね」と、小さく言い置いた。
     私……別れてから寿が卒業するまでのあいだ、寿に絶対してはいけないようなことばっかりしていたんだな。寿の心の傷口を抉るようなことを、しちゃってたってことだよね……無意識に。

    「でもさ、三井サンがバスケ部に復帰してすぐの頃に、名前ちゃんが湘北来てくれてさ?」
    「……」
    「一年の頃の、優しくて真っ直ぐな三井に戻って来た気がするって、木暮サン言ってたんだよ」
    「……」
    「名前ちゃんのおかげだね、本当ありがとう」

    「俺がお礼言うの何か変だけど」とリョータくんはポリポリと頬をひとさし指で掻いて面食らっている。そんな彼に反して私はたまらず「違うよ」と、歯を食いしばって語気を強めた。

    「違うのリョータくん……寿は……ッ、小さい頃から、出会ったときから優しかった、ずっと……優しかったもんッ」

     私はついに我慢していた感情を露わにして嗚咽しながらその場で剥き出しの感情のまま泣いた。リョータくんはやっぱり彩子みたいに仕方ないって顔をしながらずっと背中を擦ってくれていた。

    「名前ちゃん、ありあと」
    「……ッ」
    「三井サンを……愛してくれて、ありがとね」


     ——自分が一番わかっていたはずだったのに。寿はずっと優しいって。なのに私は寿を苦しめて傷つけて、求めてばっかりで、本当にごめんね。
     ごめんね、寿……許して。戻って来て。戻って来てよ寿。そしてもう一度、ちゃんとはじめからやり直そうよ——。私、好きだから。寿を好きだからこそ、ずっとここで待ってるから。
     完璧に守ってほしいわけじゃない。今度からは一緒に乗り越えていきたいの。

     好きなものをただ好きだとなんの意地も見栄もなく真っ直ぐに素直に、言えればよかったのに。
     私が寿に対する愛はきっと——私の手を握ってくれた、あの日から始まったの。きっと寿と私は出会うべくして出会ったって、そう思っていてもいいですか。

     今でもあなたが、愛おしすぎて苦しいよ——。










     瞬く間に 君 は遠く。



    ( 望んだのは、私だから。)



    ※『伝えたい事がこんなあるのに/INFINITY16welcomez若旦那&JAY'ED』を題材に
    ※ Lyric by『 Fortune/HY 』

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