「ミッチーさよならー!」
「ミッチーまったね〜!!」
「おう、雨降ってっから気ィ付けて帰れよー」
「はーいっ!! キャー!ゲリラ豪雨〜!!」

蒸し暑さが一挙に霧散するような豪快な雨が降りそそぐ中、夏休み中の部活動を終えた生徒たちがそれでも楽し気に校外を走って行く。そんな生徒の姿を眺めていた俺の背後から、「ミッチー」と声が掛かった。振り向くとそこには我がバスケ部の3Pシューターが立っていた。

「おう、彼女待ってんのか?テニス部も終わったみてーだぞ」

「この雨だしなあ…」とつぶやく俺の横に並んだそいつがぽつりとこぼす。

「ミッチー、こないださ……」
「あ? なに?どーした?」
「俺の親に見つかっちまって、その……ヤッてるとこ」

気まずそうにもぼそぼそ言う彼の台詞にぎょっとする。自然と顔が歪んでしまいそれを見たそいつがあからさまに俺から視線を逸らした。

「あのなあ……そーいうのは保健室の先生とかに相談……」
「ミッチーにしか言えないって!こんな話……」

徐々に語尾が窄まっていく彼に俺はフッと笑みをこぼして、そのうな垂れた肩にポンと手を置く。

「で?バレて? どうしたって?」

俺がまた正面を向き直っていつもの調子で会話を続けたことに安心したのか、彼もハアと溜め息を吐いたあと先を続けた。

「もう家に呼ぶなって言われちまってさ……付き合ってんのはいいけど、そーいうのはなんかダメとかなんとか……」
「まあ、親御さんの気持ちも分からなくもねえけどな、お前んちの親、厳しーだろ?付き合ってんの認めてもらってんなら言う事聞いといたほうがいいぜ」
「……ミッチーは?どうだった?高校ン頃」
「俺っ?!俺ぁ……」

まさかの変化球の質問に一瞬、押し黙ってしまう。高校ン頃どうだったとざっくり聞かれても、いろいろありすぎてすぐには言葉が出て来ない。

「まあ、ぼちぼち。互いの親も顔知ってたしなぁ家が近けーつーのもあって」
「え、普通にヤルのも了承してもらってたの?」
「あのなあ、俺のそんな過去聞いてどーすんだよなんの解決にもなんねーだろうが」
「違うくて!……もしミッチーが同じこと言われたら、どうしてたのかな、って」

話しやすいとは言えそんなことを教え子に相談されるとは夢にも思ってなかった俺は少し面食らってしまう。でも真剣に人生の絶望だとでも言わんばかりのそいつに適当なアドバイスをするのはなんだか気が引けた。あーあ、いいな、青春って。


「俺がもし言われてたら守ってたよ、親の言う事は。しかも俺らは男だしな、そういうのしっかり守ったほうが相手も大切にしてもらってるって、信頼度増すんじゃねーのか?……知らねえけど」
「……そうかな?」
「ただしちゃんと相手に言うこったな。どーして手ぇ、出さなくなったかは」
「うん、やっぱそうだよなあ……」
「俺はそーいうの、のらりくらり誤魔化して何回も喧嘩したからなあ……なんでもしっかり言ったほうがいいぜ、俺の経験上」
「はは!やっぱミッチーもしっかり青春してたんじゃん!」
「バッカ、そりゃあ思春期だもんよ。好きな奴に触れたくもなんのっ!残念だが誰でも通る道だ」
「……うん、わかった。ありがとうミッチー」

そう言われた時、ぱたぱたと駆け寄って来る足音に二人で振り返ると奴の彼女が慌ただしくこちらに向かって来る姿が見えた。

「なんだぁ、ミッチーと待ってたの?ごめんね、キャプテンと打合せしててさ」
「いいよ、傘ある?俺、持って来てるよ」
「やったー!忘れてきたの、じゃあ入れてもらおっかなぁー」

コクンと頷いたバスケ部の点取り屋は、バサッと少し大きめのビニール傘を開く。それに当たり前に一緒に入り込む彼女の姿がなぜか過去の名前の姿とリンクした。


「相合傘して帰れよー、ちゃんと手ぇ繋いで!」
「ミッチー、セクハラ〜!じゃね、ミッチー!」
「ミッチー、ありがとうっ!明日の練習もまた、ご指導よろしくお願いします!」

「おぅ」と軽く手を挙げて二人を見送った。何だか感慨深いものがあった。みんなこうして青春を謳歌して大人になっていくんだろうな、と。俺もそんなことを考えられるほど、大人になったってことだな。

なにもない当たり前の日常が一番大切だと気付けないくらいにこいつらはまだ子供かも知れないけれど、二度と高校時代の今は戻ってこないから、とにかく泣きながら悩みながら笑って楽しく過ごして欲しいなと、いち教師として、一人の大人として切に思った。


「あーあ、傘なんて持ってねーぞ……」

自分でそんな言葉を漏らしておいてまたふと昔の記憶が蘇って来る。自分もいま楽し気に雨の中に突っ込んでいく湘北高校の生徒と同じ歳だった時の夏休み序盤、この状況と似たようなシチュエーションに出くわしたことを思い出す。





 18歳 夏
― 18歳 夏 ―


長かった梅雨も明けが報じられ湿気ゼロ、雲一つないカラカラの快晴だった今日。そんな日に誰が夕方から雷雨だなんて思っただろうか。

「おいおい、傘なんて持ってねーぞ……」

暗黒の夜空を目に、彼女の隣でしてやられた顔でぼやくのは三年になって更生してバスケ部に復帰した、中学MVPの功績を持つ俺、三井寿。

「同じく、」と隣でため息をつきながら返すのは幼馴染にして彼女になった名前。どうして俺たちがこうなっているのかと言うと、至極簡単な話でただ世界史の成績がズタボロな俺が世界史の先生から指名補習を受けていたというわけだ。

世間ではやっと夏休みに入ったばっかりの週明けの月曜日だった。どうしても俺の部活が終わってからの補習になるため、夕方から始まって部活を見学に来ていた名前を同じ教室で待たせて、こうして夜に終わるのだ。

「しゃーねーな、駅まで走っか……」
「え?それはないんじゃない?」
「あン?うるせぇな、いーんだよ、俺はもう帰りてぇの早く!寝てぇの、早く!」
「それは分かるよ?そうじゃなくて。こんな雨の中帰ったら寿が風邪引くんじゃないかと思って」
「は?!」
「それは駄目でしょ。大事な大会前にさ。」

無人の昇降口。隣に立つ名前が俺を見上げながらそう言うと俺は少しうろたえた。そしてガシガシと無造作に頭を掻く。

「じゃあどうすんだよ、止むまで待つのか?」
「小降りになるのを待つ」
「いつになんだよそれよー!無理!もう7時過ぎてんだぞ、俺ら電車で20分もかかんだぞ!?」
「どってことないって」
「あるわ!俺はもうヘトヘトなの!寝てぇの!」
「……ねえ寿、声でかい……。」

ぐっ、と押し黙ったあと、悪かったなっ!と隣でギャーギャー騒ぐのは、湘北を代表するバスケットボール部のシューターの俺だ。名前は耳の穴に耳栓替わりに突っ込んでいた指を外す。

「じゃあ寿は帰りなよ。でも寿が風邪引いても、私のせいじゃないからね?」

名前が言うと俺はバッと振り向き「名前は?」と焦ったふうに聞いた。

「だから、小降りになるまで待つってば」
「だっ、だぁぁっめだ!」
「はぁ……?」

俺は名前の両肩をガシッと掴みながら頭を勢いよく横に振る。彼女が眉をしかめると、俺は意を決したように名前の腕を取り、この土砂降りの雨の中を全速力で走り出した。

「——っ、寿っ!?」
「……っ!」

確かこの雨は……近年こう名付けられた。そう、ゲリラ豪雨。暴力的な水の雫が俺たちを叩き付ける。痛いほどに。

「ひさ、しっ……!」
「……、」

こんな豪雨の中、傘をささない俺たちには『気の毒』——そんな視線が突き刺さる。視界がハッキリしないのにそんなものだけは肌で感じた。でも前を行く俺に引かれる彼女の腕だけが、しっかりとここにはあった。

最寄り駅の軒下に入り込んだとき俺が手を掴んだまま、くるっと振り向く。

「名前っ」
「なに、つか、お互いやばいビショビショ……」

息切れを隠せない名前に俺はそこで急になぜか言葉をなくしたように詰まった。

「寿?」

名前が俺を覗き込むと俺はパッと目を反らす。また覗き込んでくるので、また反らした。名前は少しムッとしてまだ離れない手首を掴む俺の手をパシッと払いのけた。

「……もう」
「あ……、」

すると俺はハッと気づいたように名前を見た。彼女は「え?」と眉をしかませる。

「わ、悪ィ、無理に走らせてよ……で、でも……そーじゃねえんだ」
「え、違うの?なにが?」
「……」
「……なに?」

俺は目線を泳がせる。名前はもういい一度、長身の俺を下から見上げた。今度は目は反らさなかった。かわりにあるのは——罰が悪そうに顔を赤くする、中学MVPから成長した自分の姿で。


「狙ったわけじゃねぇ、けどよ……」
「ん……?」
「……っ、透けてん、だよっ……!」
「え、」
「さっきから……ずっと……!」

小さな声で悔しそうに俺は呟いて彼女の体を引き寄せた。びしょ濡れなお互いの衣服が触れ合う。

「ねえ……見て見ぬふりくらい、してよね」
「うるせぇ!お前のだから無理なンだよっ」

彼女はすこし熱い俺の腕の中でくすりと笑った。だから「笑ってんじゃねえ!」と俺はまた拗ねたように声をあげる。

「遅いから送る!」
「まだ7時半だよ、しかも家近いじゃん」
「いいから!そんな状態のお前、ほっとけるわけねーだろ!バカかよっ」
「バカではないけど、油断はしたよね、アハハ」
「……ったく。」

あーあ。すこしでも長く一緒にいてえって、言えばいいのにな。どうしてこうも素直になれないのか……ほとほと自分に呆れる。


「寿ってさぁ」
「ああン!?」
「どんだけ私のこと好きなの、うける」
「ぐっ……、ほっとけよっ」

そう言って綺麗に笑うから、また俺は術中にはまるというルーティンだ。もういいけどよ、ほんとにどんだけ好きなんだよってくらいに、こいつを想っていることは、紛れもない事実だから。








あのとき、白に黒チェックって!ああああヤベェ俺の理性!なんて頭を沸かせていたときのことを思い出し思わず苦笑する。青かったなあ、俺も。

そして最近は、天気予報でときどき雨≠ニ表示されると、「折り畳み傘持たなくていいの?」と玄関で首を傾げる最愛の人のことを思う。

「大丈夫だろ」という、根拠のない自信でそれを交わすたび、呆れたように笑う名前の顔がかわいいのなんのって。あの顔を見たくて折りたたみ傘を持たないと言っても過言ではない……って、俺やっぱり、ベタ惚れじゃねーかよ。


「はあ〜あ、ダッセ。」

首を振りながら自分自身に溜め息をついたとき、バスケ部専用のジャージのポケットに入れっぱなしになっている、携帯電話のバイブレーションが震えた。






メッセージを開いて、思わず顔が綻んでしまう。タイミング見てというのは校舎に自分が入っていっては俺に迷惑がかかると思っての配慮だろう。

一個目の横断歩道とは、校舎を出て少し行った先にある横断歩道のことだ。あそこは以前、名前が俺に隠れてここへ来た際、バスケ部の赤頭を助けてくれたあと彼女がいた場所だ。昼休みの時間を利用して探しに行ったとき見つけた場所。

あのときはお互いに婚約者がいるとかそんなのは頭の中になくて、ただただ俺に会いに来てくれたという事実だけが嬉しくて、必死になって走って見つけたんだ。

自分が来たことを隠す遠慮がちな性格も昔から変わってなくて胸が締め付けられたな。そんな名前が今では俺の配偶者、奥さんだという事実もまた信じられないが、あーあ、好きだな、と思う。普段は照れくさくて天の邪鬼なことばかりしてしまうけれど、本当に心からこいつを愛していると日々、実感する。



そう返してすぐに既読マークが付く。返事がこない様子をみるとすぐにこちらに向かって歩き出したことを悟る。部活動入り口の軒下で止みそうにない雨を見上げて俺は両手をジャージのズボンのポケットに収めた。


「ミッチー、傘ねえのか?」

不意に背後から声をかけられて、ぎょっとする。そこには俺の教え子、バスケ部の残っていたらしいレギュラーメンバーとマネージャーが突っ立っていた。声をかけてきたのは今、過去の脳内再生をしていた赤坊主の問題児だ。

「てっ、てめーら!まっだ残ってたのか!?」
「おう、雨すげーから部室で待機してたんだ」
「あ、ああ……そうなのか。ちょっと雨弱まったぞ、さっさと帰れ」
「なんだそれ、じゃあミッチーも一緒に帰ろうぜどーせ駅まで一緒じゃねえか」
「——! おっ、俺はいいんだよっ!俺のことは気にしなくていいからお前らは……」
「こんにちわー!!!」

俺の言葉をさえぎり、赤坊主を筆頭に挨拶と共に俺の背後に向かって頭をさげるバスケ部員。礼儀正しいな、そういうとこ誇りだぜ……って!なに呑気に感心してんだ!と、我に返り俺も勢いよく振り返った先には……

「こ、……こんにちは……」

勢いに根負けしそうな声で挨拶返しをする、俺の愛する妻、名前の姿だった——。


結局この俺があの場を切り抜けられるわけもなく自分の奥さんだと生徒に紹介をし、案の定それに盛り上がった奴らと一緒に駅まで向かうはめになった。名前から受け取ったビニール傘を差して、あれこれと質問をされる名前に、ちょっと罰が悪そうにみんなの一歩後ろから着いて行く俺。

名前の左手の薬指には俺と永遠の愛を誓い合った結晶の結婚指輪。そして今でも右手の薬指には過去にクリスマスプレゼントとして送ったファッションリングがはめられている。

自分が学生のときもこうしてバスケ部員と一緒に下校したよな、なんて思い出して気まずくも懐かしくて幸せな溜め息が無意識に出てしまう。

「ミッチーの奥さんもインターハイ応援来てくださいよー!」
「はっはっは!この天才の全国デビューをぜひ目に焼き付けてください!」
「そっかあ。じゃあ応援行っちゃおうかなあ」
「湘北の応援ベンチでぜひ一緒に声援送ってくださいねっ!」
「あ、応援団も行くんだもんね?気合い入りまくりだ!私たちの時は応援団なんてなかったから」
「そうなんですかっ!?いま湘北の応援団、全国でも有名なんですよ〜」
「えー!見に行く見に行くっ!楽しみっ」

……いやオイオイ待て、勝手に話を進めんなよ。名前も名前で社交辞令にしたってンなこと言ったらこいつら期待すんだろうが。しゃーねえなぁ、あいつの分もチケット手配しとくか。そーいや徳男も観に来てえとか言ってたな。よし、当日、名前のことはあいつに任せるとして……

なんて考えを巡らせていると、駅に到着したらしく教え子たちは名前にのみ「さよならー」と丁寧に挨拶を投げて個々に帰路につく。いや!俺には挨拶ねーのかよっ!おまえたちのなっ、そーいうとこだよっ、まったくよ!


「寿、」
「……あ?」
「わたしたちも帰ろう?」

軽い足取りで自分たちが乗り込む電車の方へ向かう名前のあとを追う。隣に並んだとき、やけに機嫌のいい名前の表情を見て、いろいろと考えてたことがどうでもよくなった。

「駅まで走っかと思ってた」
「え?それはダメだよ」
「あン?仕方ねーだろ、傘ねーんだから。俺は帰りてぇの早く、名前の待つ家に一秒でも早く帰りてーんだって」
「それは分かるよ?そうじゃなくて。こんな雨の中帰ったら寿が風邪引いちゃうでしょー。だから毎回持って来てあげるよ、傘」
「は?!」
「わざと傘を持って行かない、困った旦那さんのためにねっ」

その言葉に自然と彼女の手を握ったとき、安定で100点満点の笑みを投げられて、ああ、好きだなとまたも胸いっぱいに思ったことは、やっぱり、悔しいから言ってやらない。

いいことも、悪いことも。悩んだことも、立ち止まったことも、名前との数々の思い出ばかりが増えて行くけれど、それでも昔から今も変わらず、どんなことがあっても、ずっと側にいたいと強く思う。

まあ、名前には絶対に言ってやらねーけどな。










 ぼくはいつだってきみの


(なあ、今日は透けてねえの?)
(はい? なんのこと?)
(白に黒チェックのブラ)
(……そんなの私、持ってないけど)
(はあ?!着けてただろ!高校ンとき!)
(……ねえ寿、声でかい……。)
(スンマセン。)


※『 点描の唄/Mrs. GREEN APPLE 』を題材に。

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