——ブブーーッッ!!


「う、生まれた…………!」

インターハイの季節。高校バスケットの決勝戦がリアルタイムで流れていたテレビの向こうから、試合終了を知らせるブザーが鳴ったと同時に私は思わず声を漏らした。

「……生まれた、やだ、生まれたよ……」
「あ? なにが生まれたんだよ」
「聞いて寿!生まれた!とうとう生まれたの!」
「だから、何がって聞いてんだろーがよ」

はしゃぐ私をよそに寿はぶすっとそう言う。寿のアパートにて、私は携帯電話を両手で持ちながらいつにもなくご機嫌だ。

「私の尊敬してるインフルエンサー!そのひとが無事に第二子を出産したんだよっ!」
「……、へぇ」

きょとんとした寿が息を吐くように相づちを打つ。私はそんな寿にお構いなしにだーっとことの経緯を説明する。

「もうほんとにね、ぎりぎりまで性別わからなくってね?陣痛も弱いのが毎日ちらちら来ててね」
「お、おぅ……」
「やばい!って病院行くたびおさまっちゃったりしてね?もうほんっとーに大変だったんだよ!」
「……ふぅん」
「生まれるときちょっと肩が引っ掛かっちゃったみたいなんだけど、一時間ふんばって無事生まれたってSNSに書いてんのっ!」
「ははーん……だからお前さっきから携帯にかじりついてたのかよ、決勝戦もろくに見ねーで」
「そーいうことっ!え、見てたよ?試合は。」

いやーよかった、よかった!と声高らかに言えば寿は鼻で笑っていた。その彼女とは実際に会ったこともないけれど、私の行きつけの美容院の常連さんで、SNSでフォロワーを死ぬほど抱えている今どきのインフルエンサーだった。お洒落で綺麗で、私の最近の推しだったりする。

ここ数日、検診に行っては仮入院、検診、仮入院のくりかえしで、本人も焦らすのが好きな子だって綴ってたけど、いちファンである私自身もだいぶ焦らされたものだ。でも、今日、朝方六時半。『無事生まれました』と、SNSに写真つきで報告があったのだ。


「あー、自分のことみたいに嬉しいよもうー!」

私は寿のベッドにダイブする。寿のベッドのスプリングはよく跳ねるからお気に入り。それにマットもすごくふかふかなのだ。タオルケットもふわふわで柔らかいし。きっとこれ、寿のお母さんが持たせてくれた物だろうな。

「オイ名前!ベッドにダイブすんなって言ってんだろ!一階に響くんだっての」
「ひひ!にゃーっ」

寿が私をつかまえようとするから私は急いでタオルケットを豪快にバサッと捲りその中にもぐる。

「なァにがにゃーだ、にゃーじゃねーよバーカ」
「うははっ」

私と同じように寿もふわふわのタオルケットの中に潜り込んで来たから今日は追い出すことはせずに素直に抱き付いて、二人でごろごろしてみる。

「ねぇ、ひーくん」
「なっ——!やめろっ、その呼び方」
「ひーくん」
「ぐっ……な、なんだよ」

私は甘えたいときだけ寿のお母さんの昔の呼び名で「ひーくん」なんて呼ぶことがある。ふだんは照れくさいから、普通に寿、と呼んでいる。

って言っても、過去にこの呼び名で呼んだのは、今日を入れて物心ついた頃から片手で数えるくらいだ。私がひーくんって言ったから私が甘えモードなんだって寿はわかってるんだと思うけどね。

「痛いんだろうね……赤ちゃん産むの」
「だろうな。つったって、男の俺にはよくわかんねーけどな」
「たまに、テレビとか見るとやってるよねー、24時間テレビとかでさ?産まれる瞬間のやつ」
「見んのか、お前そーいう番組」
「え、どーいう意味?」
「いや、別に深い意味はねえけどよ……」

……まあ、確かに私も、たまたまやってたときに見たりするくらいだけどさ。

「すごいアンアン唸ってさ、お父さんと子供も、一緒に立ち会ってたりしてさぁー」
「……うんうんじゃねえの、どちらかと言えば。喘いでどーすんだよ、名前じゃあるめぇし」
「ほんと、いつも一言多いよね」
「ふはっ、それは悪かったな」
「……まあ、そか。ウンウン唸ってさぁー?何かすごいよねぇ……」
「まあ、強烈だろうな……男には無理だろ」

寿は無意識に私の頭を撫でた。ふとこの大きな手で赤ちゃんを抱きかかえる姿を想像してドキッとする。

「でもさ、そんなに痛い思いしてまで、相手との子供を産みたいっていうさ、その……。」
「……? その、なに?」
「まさに……愛だよね。」
「はっ、言うと思った。そーいう臭せぇこと」
「……」

たしかに。我ながら、くさいこといったなぁと、ちょっと恥ずかしくなる。

「まあ、そーだな、愛かもな。」
「私もそんな経験するのかなぁ、いつか……。」
「あ? いつかって、なんだよ」
「え?」
「俺じゃねーのか?その相手」

……。

途端に口を噤んだ私の頭を撫でていた寿の手が、ピタリと止まった。彼はあからさまに眉を歪めて眉間に皺を作る。私はさっと視線を逸らしてみたりする。

「うぉーい」
「……」
「聞いてんのかー?」

寿は私の顔の前で手を小さく振った。相変わらず指が長くて綺麗な手だこと。食べちゃおっかな、その指。……だめだめ、今はそういうシチュエーションじゃないから!……でも、さっきの……

「なあ、無言になるなっつの」
「……え。」
「お前のそのアホヅラ、ほんっと腹立つぜ」
「ハハハー、彼女に言うかね、アホヅラなんて」
「どう見たってアホヅラだろーが」

もぞっと身動ぎして寿の拘束から逃れようとしたけれども、まぁ、布団の中だから身動きはとりづらいわけで、逆に寿の私を抱き締めている腕に、さらに力が加わってもっと距離を縮められてしまった。

「……思考回路はショート寸前」
「今すぐーあいたいよー……って、違げーだろ」
「泣きたくーなるよなーむんないっ、電話もーできないーみーんないっ」
「……ったく、話逸らすなよなァー」
「……」

……だってだって今はmoon nightでもmid nightでもないもん。今日は寿が珍しくオフの日。湘北バスケ部は昨日インターハイから帰宅したばかりで練習が休みだったらしい。それでもって、まだ昼間だもん。


「——よしっ! 起き、る。」
「オイこら。逃げんな、煽り魔。」

起きようとした身体を、がっしりとつかまれる。そのせいでさっきよりも一段と距離が近くなってしまった。

「……なぁ、名前。答えろよ」
「だ、だってあれじゃ、プロポ……」

言いかけた口を閉じる。口に出してしまえば絶対の事実になってしまいそうだったから——。

「……プ? あ?なんだって?」
「……」
「言えよ」
「……、」
「……ふーん。あっそ」

寿は見切りをつけたように溜め息をつくと私たちを覆っていたタオルケットをバサッとひんむいた。久しぶりの自然の明かりに目が眩しい。そして寿はむくっと身体を起こすと、ぽつりと呟く。

「……ハァ、まだ言わねえ気か?」
「……」
「へえ。じゃあ強制的に……」
「……?」
「子孫残すか」
「——!?」

言って、にやっと寿は笑う。待って、わ、わたし以上に台詞がくさいんですけど、って!

「な、何でそうなるの!あ、何で私に跨るー!」
「うるせーな。やりたくなったんだよ、なんか」
「そ、そんなのやだ!こんな流れで子供作るなんて絶対にやだ!しかも、なんかって何?!」
「……どうどう、落ち着け。痛くしねーから」

寿はまるで馬でもあやすみたいに私の上に覆いかぶさり、私のTシャツの中にさっと手を滑らせてくる。

「だいたいみんなに何て言うの!バカにされる!やっぱデキ婚≠ゥって一生言われるー!!」
「あー!!うっせーな、ったく!」
「いやいや!ぜったいにイヤー!!」

足をバタバタと動かして抵抗する私に寿が大きく溜め息を吐き、身体をようやく私から離してくれた。

ベッドの上であぐらをかく寿にならって私も身体を起こせば、寿はニヤリと口角を吊り上げて私に詰め寄って来る。私が寿の肩を押し返して精一杯反論すると、ぴたり、と動きの止まるひーくん、いや、幼馴染、いや……元鞘に戻った現、彼氏。

「……じゃあ、いつならいいんだよ?」
「そ、れは……」

顔が熱い。こんなことになる予定なかったのに。ただ私は、自分の好きなインフルエンサーの長男誕生をお祝いしたかっただけなのに。なんで子供を作るとか、急にこんな糞真面目に——。

「名前」
「……はい。」
「それは? なんだよ」
「——、」

寿の短い前髪が私の額に触れる。それほど距離が近い。死ぬ——顔熱い、息が止まっちゃうって!

「ほれ、言って見ろよ」
「……っ」
「それは? ん?」
「……け、……っ」
「なんだ……け≠チて」
「け、——結婚してからっ……ひゃ!」

絞り出すように私がつぶやいたあと寿の腕が私を掴んだ。つかまれた私の身体は、またすぐに寿に組み敷かれるかたちとなり、再度、私は身動きがとれなくなった。

「名前ン中で、俺と名前は結婚する予定なんだな?」
「——! なにそれ、言ってないっ」
「じゃー、子孫を残すのはそれまで待っててやらねぇとなー?」
「は、はぁ!?」

ほんとにそんなこと言ってないのに、寿は勝手にずんずん話を進めていく。こやつ、職場……湘北高校でもこうなんだろうか。騙されるなよ、我が母校、湘北の生徒諸君よ!この人はこういうひとなんだぞ!!

「それとも、したくねーの?」
「なっ、なにが、」
「俺と結婚。」
「——、」


——ひどい。寿の、いじわる……。そんなのいちいち聞かなくたって、わかってるくせに。

……母校、湘北の生徒諸君よ、この人はこういうひとなんだよ。ほんと、騙されないでね。


「——し、したいよ……!」

どんな痛みにも耐えられる、貴方のためになら。そんな恋愛を、いつか じゃなくて。ひーくん、じゃなくて……寿とするの、わたしは。

——そう、物心ついたときから願ってた。


「はっはっはっ!とうとう言ったな!」
「なっ……!」
「待ってたぜ、名前からのその言葉をよ」
「は、はめたなー!もうやだ寿のバカ!」
「あーあ、録音しときゃよかったぜ」
「ぐっ……」

寿は顔を赤くして押し黙る私をよそに、なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべて私の左手に自身の手を重ねた。

絡まった指と指。寿は慈悲の眼差しを私に向けると、私の薬指にちゅ、とわざとらしくリップ音を立ててキスをした。


——さあ、そんな恋愛、

あなたと二人でまた・・、はじめよっか。










 見たいのはのつづき。



(ちなみにさ、何人欲しいの?寿は)
(あー、ひとり。それで充分だな。)
(え!意外。野球チームがーとか言いそうなのに)
(バーカ、取り合うこっちの身にもなってみろ)
(取り合う? なにを?)
(名前に決まってんだろ普通に分かんだろーが)
(……普通に分かんないよ、バカ……)

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