もう悲しくならない世界(4/4)
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そう言えば——名前の元婚約者、藤真のことやこれから先、実家に住んだままでいるのかとか……アイツのこと、何も知らねえな、俺。なんなら地元に戻って来てから俺と連絡を取ったり会っていないときは何をしてるのかすら。
「……? どうしたの、寿?」
「……え?」
「他の味に変える?」
「……あ、い……いや。ちょっと気になることがあってな。考え事してたわ」
柄にもなくアイスクリーム屋なんかにいる俺。そのディスプレイの真ん前でぼーっとしていた俺に対し、不思議そうにも問いかけてくる名前。今日のデートは名前の希望で街に買い物に来ていた。
「え? なにが気になるの?」
「いや、大したことじゃねえんだけどよ、名前って普段は何してんのかなーって」
「普段? そうだなあ……今はね、資格取りに行ったりしてるの」
アイスの注文を終えて、待ち合いの椅子に向かう彼女の後を追う。
「へえ。次の仕事関係のか?」
「まあ、うん。そんな感じ」
「ふうん、」
「それから最近は一日中してることがあるかな」
「あ? なんだよ」
「ちょっと、言うの恥ずかしいけどね」
「どれ、言ってみろ?ぜーってえ笑わねえから」
「ほんとかなー?」
「ああ、笑ったら町内逆立ち一周してやらあ」
名前は俺からさっと目を逸らしながら、ちょいちょいと俺の耳を自分に寄せるよう手招きする。それに従って彼女のほうへと耳を持って行けば……。
「寿のことを考えてんの……」
「——!」
『コーンおふたつお待たせいたしました〜』
「あ、はーい!」
目をぱちくりと瞬かせて赤面している俺を置き去りに、名前は駆け足でレジの方へと向かう。
……。
『おい、この目の上のタンコブ三井サン!』
「……!」
『あんな天使のような元彼女、まあ今はイマカノに返上したのかも知んねーけど。そんな彼女に対して元婚約者のことだの、先走ってこれから先の住居だの聞こうなんてアンタ何様のつもりだよ?』
「……」
『アンタはそれでも血の通った人間か?おい、コラ聞いてんのか、三井サンッ——うわっ!』
俺はその邪悪な邪念を取っ払うように手をブン!と振りかざした。そうだ……名前といるときくらいアイツの過去とかこれから先の見えない未来を考えるのはやめよう。
駆け引きや計算なんてもんは一切捨てて、心から誠実に名前と恋愛をするんだ。そう、高校時代の頃のように——。
俺が恋愛経験ゼロ(に、等しい)だろうと、変な拗らせ方してやべえ人間に成り下がっていようと何だろうとコイツとまた、共に歩んで行きてえから……そのために全部��整理�≠オたんじゃねえか!
「——はい、寿のぶん」
「あ、おう……サンキュ」
「そう言えば、さっきの話の続きだけど。」
名前がまた、俺の隣の席に座る。
「私も気になることがあってさ……」
「あン? なに?」
「寿のいま、好きなものってなに?」
「名前。」
「あ、いや……! そういうんじゃなくてさ」
俺の迷いのない瞬時の返しに一気に顔を赤らめた彼女がブンブンと手を振る。
——なんなんだ、この尋常じゃねえ可愛さは。俺の幼馴染はこんなに可愛かったか……?
世間体だのなんだの全部抜きにして今すぐ手に持ってるそのアイスのほうじゃなくて、コイツを食べちまいてえ気分だ。
「……じゃあ、名前の好きなもんは?」
「私っ? 私かあ、うーん……」
「……」
「アイスクリームかな、このいちご味の」
「……なんだよ、俺よりアイスのほうが好きなのかよ?」
「あっ、それは……。いちご味対、寿ならもちろん寿だけどさ?」
「……」
「いちご・チョコ・バニラ味対、寿なら……悩んじゃ——」
彼女の言葉をさえぎって俺は名前の腰をぐいっと自身に寄せる。
「いったい、何を悩むって?」
「だから……っ、 ヒック!」
「だから?」
驚いて出てしまったであろう彼女のしゃっくり。それを気にする素振りも見せないで、俺は顔を寄せて行く。
店の中、目の前が全面ガラス張りになっているのもお構いなしに俺は名前に顔をどんどんと近づける。
「だっ、だから……寿が急に引っ張るから……、ヒック、……ヒック!」
「……」
「もう……、寿のせいだよ」
「ハッ、……人のせいにすんな。」
名前は顔を真っ赤にしたままアイスの持っていない方の手で自身の口元を抑える。
「俺が——」
「……? ヒック、」
「今すぐしゃっくりを止める方法、教えてやろうか?」
「……な、なに……?ヒック、……ヒック……」
彼女の腰に回していない方の俺の手を、優しくそっと名前の頬に添える。
——このときの、彼女とキスをした瞬間が、いまでも昨日のことのように鮮明に蘇る。
聞こえるくらいうるさい心臓の音。触れた柔らかい肌と、頬をくすぐる睫毛。あの、高校時代に校舎や部室で隠れてキスをした初夏の太陽の日差しと似たような、温かい日。口の中に広がる、アイスクリームの味。
体にかかる重圧や、他人の視線なんて少しも感じないくらい……とてつもなく、大きな幸福——。
「……」
「……」
大好きな、別れてからもずっと、もう一度見つめて欲しかった#名前の瞳がいま目の前にあって。その綺麗な瞳の煌めきが俺に容赦なく降り注がれている。
「……どうだ? 止まっただろ?」
「……」
「しゃっくり。」
「……ッ、もう! 知らないっ!」
固まったままでいた名前がまた一気に赤面して俺から体を離す。アイスを持ったままの手に溶けかけたアイスの雫が垂れているのが、またなんとも色っぽくて。
「お、口元にアイス付いてんぞ?」
「え? どこ?」
容赦なく顔面に軽いキスをお見舞いすれば「ストップストップ!」と、頬っぺたをべしっと叩かれた。
「本当についてたんだって」
「嘘つかないで、こんのヘンタイ!」
ああ……俺いま、
めちゃくちゃ、幸せだ——。
—
「なんだあ? 宮城から着信だな」
「リョータくん?」
そのあと、散歩をしながら昼時にバルコニーのある店でランチを食っていた。
「まあ、こいつは後回しでいいだろ。勝手に脳内降臨してくるような悪魔だしな」
「ええ、悪魔? なにそれ。」
「それより、ちょっとこっち見て見ろよ」
「え——」
——カシャッ!
「ちょ!盗撮っ! 勝手に撮らないでよ!」
「いいじゃねえか。俺のアルバムむさ苦しいのしかねえんだよ」
——カシャ、カシャッ!
「……」
「……え、何?何でそんな険しい顔してんの?」
「……」
「どうしたの? 写り悪かった?」
「……俺の機種が古すぎんだな、きっと。このカメラだと名前の美貌が上手く撮れねえ」
俺が真面目腐って言えばストローでちょろちょろと食後のコーヒーを飲んでいた名前がブッと吹き出した。
「汚ったね!おま、もっとこう品よくだな」
「ごめ、待って……ちょっと、見せてよ!」
言って俺から携帯電話を取り上げてアルバムの中身を見る名前。
「えー、ちゃんと撮れてるよ?なんなら実物より綺麗に」
「はあ?なに言ってんだよ、実物のほうが千倍は可愛いっつーの」
「いんや、今の技術の写真のほうがいい」
「実物の方がいいに決まってんだろ」
「写真のほうが……」
「実物。」
「……さて、この甘い空気はいつまで続くかな」
名前は呆れたようにも降参したよにも、へらっと笑って溜め息と一緒に微笑んでみせた。
「寿、きっと間もなくすれば私のこと苔にするからなあ、絶対」
「あ? なんだよソレ」
「最初だけだよ。花束くれてー可愛いね、綺麗だね、好きだよーなんて言ってくれるのはっ」
両手でテーブルに頬杖をついて俺を見る名前に俺も片方の手で頬杖をついたあとフッとひとつ笑って言った。
「そんなことねえよ、」
「えっ?」
「もうこれからは意地もプライドも捨てて、お前には思ったこと全部包み隠さず口にするって決めてんの」
「……」
余った手で名前の前髪を愛でるように触りながら言えば、くすぐったそうに目を瞑った名前がきれいに笑った。
ずっと、
この穏やかで幸せな日々が続いてくれるなら
俺はもう……
なにもいらない——。
その日の夜、車で彼女を実家まで送り届けた。車を路肩に停めてハザードランプを付ける。
「あーあ、離れんのが名残り惜しいぜ……」
「寿も家に着いたら連絡して? それに明後日も会う予定でしょ?」
「明後日なんて遠すぎだっつーの」
くちびるを尖らせて言った俺の目の前に、ふわりと彼女の香りが漂った。気付いた頃には触れるだけのキスをお見舞いされたあげく、じゃっかん頬を赤らめた名前が俺を見ている。マジ目に毒。いや、麻薬。や……媚薬!
「……明後日まで、待てるよね?」
「……、」
——無理。
「じゃあね、帰り道気を付けて」
「あ、ああ……。着いたら連絡する」
手を振る名前が自宅に入って行く。冗談抜きに彼女の周りがきらきらと輝いて見える気がする。
……ああ、マジでこんなに幸せでいいのか?明日、世界が破滅するとかじゃねえよな……?何か、大事なことを見逃しているような気分ではあるけれど、幸せすぎて今はただ——何も考えずにこの気分を噛みしめていたい。
——ターンタッタターンタラン……!
「……!」
誰だ?!この甘い時間を邪魔する奴は、オラ!!……あ、もしかして名前か?家の中に入ったよ、もう淋しくなって電話しちゃったーとかそんな感じか?
……ったく、どうしようもねーなぁ。なんだよ可愛い奴だな。どれ……って……なんだよ、名前じゃなくて宮城かよっ!チッ、悪魔め……。
俺は通話を開始して相手がもしもしと言う前に不機嫌にも矢継ぎ早に言い放つ。
「あ? 俺いま幸せに浸ってるから急用じゃねえなら切るぞ」
『でしょーね。って、いやいや!一応言っとこうと思ったんスよ』
「は? なんだよ、五秒で済ませろ」
『うぜェ……あ、いや。今日駅前のアイス屋さんに名前ちゃんと居たでしょ?』
「うぜえって聞こえてたぞ。 あ?ああ、いた。なんで知ってんだよ?」
『チューすんなら、人目に隠れてしてくださいねっ、もう大人なんだから!って忠告♪』
「ンなっ!!?」
「じゃーね♪」と無遠慮に切られた電話。携帯画面を呆然と眺めている俺が、いま気付いたこと。ずっと何か、大事なことを見逃しているような気分だった訳の真相だ。
どうやら、名前と恋愛するには高校時代も今でも変わらずに……悪魔や天使と言う名の、俺たちの大切な仲間が、周りをうろついているらしいという真実——。
やっぱり
プライバシー
がない世界。
(また世話になんのか、あの悪魔と天使に……)
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