なんて怖いんだろう、独りを生きるって——。ずっと、ずっと話してたよね。卒業して離れ離れになっても会おうねって、約束もしたよね。

 『自身ある?』
 『なにが?』
 『中距離、恋愛?』

 って言っても、あなたはいつもぼやかして。
 そうやって私はなんだか複雑な気持ちのまま、最後には私から別れを告げて終わった初恋——。
 また会えたらいいな、そう思うんだけど考えとは真逆のことをいつも私は喋ってる。生きてたらいいことあるよね。そう周りには言いながらも、生きてるような心地がしないんだ。

 ねぇ……あなたは今日を、楽しんでいますか?あなたは今、なにをしてるんだろう。私が言った事だし、こうなる事は予測できていたのに手を掴もうとすればするほどどこかへと行ってしまう。あのときに、あなたがいる事で救われていたことに気づいていたら、どれだけ今は変わっていたのかな。
 でも、不安を埋めるために繋がるだけならもう嫌なんだ。こうなることなんか気づいていたのに私は弱く脆い、どうしようもない——幸せになりたい。愛を見た私のままでずっといたい。けれど戻ることはないんだ。それでも、震えるほど好きだったことを、後悔はしたくない。もう一度だけ抱きしめられたかった日々に、ありがとうを伝えたい。

 もう一度笑えますように。綺麗なまま終わりにしよう。明日を生きよう——さようなら。





 *


 
 25歳、夏
― 25歳、夏 ―



「違うだろ。それは違う。お前の言うことは一貫し過ぎてるんだよ、いつも」

 なぜか、藤真さんとの会話はいつも痴話喧嘩のようなものになってしまう。ただ一緒に晩御飯を食べていただけの話なのに。

「他の目線も必要だとは思わないのか?」
「でっ、でも!私の目から見るだけじゃなくて、みんなの目から見てもおかしいって言ってるんだよ。ほら、ニュースとかでも出てるじゃん」
「……出た。その絶対に引かない精神。」

 私は、いつもここで「むっ……」と押し黙る。いつものパターンだ。彼と晩御飯を共にする際、時間はいつも決まって22時を過ぎる。彼が多忙でそれは仕方がないことだし特に不満にも思っていない。ただ、その時間となればゴールデンタイムはとうに過ぎていて、何となくでかけている彼のマンションに備え付けてある70型のテレビで見るものと言えばニュース番組くらいしかないというだけ。それでニュースの内容をこうして無駄に討論する羽目になるのだ。
 近年は暗いニュースばかりで、それを見ていた私が何かに疑問を持って口を開けば、きまって口喧嘩みたいな流れになる。今日はずっと、世界の一部で勃発している、戦争についての特集を見ていてこうなった。そもそも私がいなければテレビなんて見ないくせになんで70型のテレビなんて買ったんだろうと不思議に思う。お付き合いする前からあったから自分で求めて買った物なんだろうけど。藤真さんって本当に謎に包まれた人だ。

 彼は一貫した考え方が苦手なようで、よくこうして説教みたいな展開に発展する。たぶん私は、もっと色んなことを見たり聞いたりして、一つの答えを、導き出したいのかもしれないと思った。

「国家っていうのは、一元的にならざるを得ないんだよ。不満なんか出るのがあたり前だろ?」
「……もし、そうだとしてもこうやって苦しんでいる人がいるなら、助けてあげるべきだよ」
「……ハァ。」

 と、溜め息を吐かれれば、私は何も言い返せない。知ってる。正論なんて言われなくても分かってる。じゃあ、全部救えっていうのか?そんなのバカげてる。間違ってる……そう言いたげな彼の表情。そうなりたくないから私は、こうして先の言葉を飲み込んでは口を噤むのだ。

「……仮に、それを変えたせいで不幸をこうむる人もいるんだよ」
「変えたいって思うんだからいいじゃんそれで」
「なんでお前は間違ってるのに気づかないんだ」
「私は、間違いを正そうとしてるだけ」
「……。」


 結局話は大体なぁなぁになる。そりゃそうだよね、一貫した答えなんて彼は求めていないから。別に私を否定したいわけではないのだろうことは理解している。むしろそういう私の性格を好きで一緒にいてくれている事もわかっている。でも、毎回こういう流れになってしまうのは、ちょっとなぁ、って本人には口が裂けても言えないけど。


 *


「おやすみ」
「ん、おやすみなさい」

 彼一人では大きすぎるベッドに一人横たわって考える。こうして彼のマンションへ泊まることはあれど、一緒にベッドに入ることは片手で数える程度だった。彼は私が眠りについた後でもリビングでパソコンと睨めっこをしているからだ。どうやら今日も、一緒に眠りにつくことはなさそう。仮に一緒に寝たときだって、朝は私がまだ眠っているうちにマンションを出てしまうし、これって一緒のベッドで寝ている意味、あるのかな?とも思うが世の中に存在するカップルの数だけ、それぞれに違った付き合い方があるのだから、今では大方理解して受け入れている。私と彼の付き合い方はコレなんだろうな、って。そもそも私の中の真剣な恋愛と言ったら、の比較対象が、あの——古くからの幼馴染しかいないわけで……そんな、若すぎた青春時代の恋愛と比べられても藤真さんが困るだけだろう。だから言わないし聞かないし何も求めない。
 青い春を共に過ごした幼馴染の彼は、あの実家前でお姫様だっこをしてあげた可愛らしい婚約者と一緒に、同じベッドで眠りにつくのだろうか。
 何の悩みもなく、毎日気持ちの良い朝を迎えてくれていればいいな……。

「はぁ……」

 重く長い溜め息が無意識のうちに漏れていた。うまくいかないなぁ。世の中ってもっと、安直に考えたらいいのかな。よくわかんないや。何だかちょっと、疲れちゃったかも。


 *


「なんかさぁ……アンタの考え方って、とっても窮屈じゃない?」
「……そう?」

 次のおかわりは何を飲もうかな、と思ったところで彩子からふと、そんなことを言われた。私は彩子に先日起こった藤真さんとの会話のやりとりを相談してみたのだ。どちらが間違っているとかそういうのを聞きたかったんじゃない。私の考えって変かな?という、客観的な意見を聞いてみたかった、ただそれだけのこと。
 彩子の言う通り確かに窮屈なような気もする。全部をいい物だって、なんとかして変えたいってそう思うのはそんなに悪いことなのかな。むしろ無難でいいじゃないかとも思うのだけれど。

「まぁ……潰れないようにね?」

 思いがけず労いの言葉を投げかけられて苦笑した私は、また小さく溜め息をついた。何かアクションを起こしたら誰かが不幸を被るらしい。そう彼——藤真さんが言っていたから。別にそんな、大げさな事を言ってるつもりはないんだけどな。

「私は、普通に静かに暮らしていたいだけなの」
「そうなの?でも、刺激的な方が面白くない?」
「平和主義なだけ……だってほらゲームとか推しの物とか貰えるだけで嬉しいじゃん?私は、そういうのだけがあればいいかなーって」
「ふーん。でもあんたゲームもしなけりゃ推してる物もないじゃないの。昔っからよね、アンタ」
「え?昔からって?」
「アンタの好きな物は昔から、たったひとつだけ・・・・・・・・だったでしょ?って、ことよ」
「——、」

 返す言葉がない。彩子が頬杖をついて、綺麗に笑っている。私は思わず、ふいっと顔を背けた。代わり映えのしない毎日。だけど逆に、今の私にとってそれは自らの希望通り普通に静かに暮らしているという事だ。でもそれって幸せなのかな。

「なにか見つけてみたら?趣味とか好きなもの」
「彩子はいいよね、バスケがあるから」
「何言ってんの、私なんて多趣味よ?ライブとか映画とか、たくさん行くようにしてるし、新しい出会いも進んで求めてるしね?」
「……リョータくんかわいそ」
「アンタももっと色んな人に触れ合って話して。そういうのが面白いんじゃないの?ほら、色んな人と話し合ってると結構楽しいものとか見つかるかもしれないし」
「んー......」

 それから結局私は答えを出せなかった。彩子の言ってる事は、よくわかる。確かに推し≠ニかそういうの私にはよくわかんないけど。そういうのに一貫してたら、楽しくなるかもしれないな。でも……どうなんだろう実際は。

『最近つまんない』
『生き甲斐だった推しが結婚発表しちゃった〜』
『色々動画とか新しい人たち出て来てるって!』

 と、このあいだ退職した会社の若い子たちが、よくそんなことを言っていたなぁ、と思い出す。まぁ分からないこともない。確かに楽しい事ってないもんね。でも、よく色んな人が一つのことに向き合えば楽しくなるとも言う。
 そう、高校時代バスケットをみんなで無我夢中で応援した、あの輝かしい瞬間みたいに——。





 26歳、夏
― 26歳、夏 ―



「あー暇ぁー。カラオケ行きたいなぁー」
「あ、合コン?それなら私も参加する!」
「カラオケって言ってんでしょ!なんで合コンになんのよっ」

 こうして今日もまた、青い春——もとい青春を謳歌する生徒達は新しい刺激を求めて、街に繰り出すのだ。俺はとにかくバスケ部の練習を終えて早く帰ってさっさと眠りにつきたい気分だけど。だってきっと彼女らはカラオケに行こうが合コンしようがまた明日も暇だって言うんだろうから。ここ最近、ずっと、こんなふうな同じ光景ばかり見ている気がする。

「ねえ、ミッチー!」
「……あ?」

 夏休みだって言うのにダラダラと補習を受けに来た二人の女子生徒の監視役をしていた俺に、机から身を乗り出して生徒が声をかけてくる。

「翔陽にさ、知り合いいるぅ?OBとかでさ!」
「……、なんで」

 俺は、教壇で書いていた日誌をパタンと閉じて鋭い視線を生徒らに送る。最近の俺は、とことんツイていないなあと思う。なんでよりによって、翔陽なんだよ。陵南とかにしとけよ近いんだし。

「いや実はさ、駅でナンパしてきた人が、翔陽の三年生だったのー!!あんな金持ち高校の人から目つけられちゃったの、嬉しくってさ」
「それ言うなら、あんな優等生学校にミッチーの知り合いがいるわけなくなーい?」
「……おい、それどーいう意味だ?ああン?」
「うそうそ、だって実際いないでしょーっ?」
「……知った顔はいる。でも、仲良くはねえ」

 無意識に語気が強まった挙句、不貞腐れているような声色になってしまった気はするが気にしない。だって、気にするほどこいつらが神経質じゃないってことを分かっているから。高校生なんてそんなもんだ。単純で自分の事しか考えてなくて
……素直。んで、純真無垢——。いいよな若いって。若いってだけで勝ち組な気がする。やばいな俺。おっさん世代に足突っ込んでるみてーだわ。

「あっそ。あ、ねえねえ!最近出てきたこの子の配信おもしろいよ!」
「そう?私あんま好きじゃなーい」

 ほれ見ろ、もうつぎの話題に入ってやがるし。俺の存在なんてないみたいな感じで、椅子に深く座り直して二人で携帯を見ながら話し込んでいる二人を流し見て俺は窓の外に視線を向けた。外は快晴。雲ひとつ無い青空だった。てか、さっさと補習終わらせろよな。この、問題児が。

「えー。色んな人と関わりがあって生き生きしてて、私は好きだなぁー」
「そーなんだ。ま、人の好みって色々だしね!」

 確かに。最近の世間の流行はSNSの生配信だか何だかってよく聞くわ。んで登録者がどうとか、これとこれが面白いとか。テレビしかり、生徒達しかり、俺の——婚約者しかり。まず、見た目がすげえもんな。なんか色々とカラフルで。あの、目がチカチカする感じ。……やべ、やっぱ俺おっさんかも。

「昨日も夜中にやってた生配信見てたの〜」
「へー、だからライン返してこなかったのか!」
「あはは、ごめんごめん!あーあ、面白かった」
「ふうん、そっか!あっ、てか。明日の厚木市の花火行くでしょ?」
「あーそうだそうだ、忘れてた。行く行くっ!」

 ……お?たしかに明日って、花火大会だったなそう言えば。何やら結構デカいのを上げるらしいってニュースでもやっていたし、面白いかもしれないな。なんて、教室の壁にかけられているカレンダーを見て思いに耽る。
 空へと打ち上がる花火。空って改めて考えるとすげーデケぇよな。……うっわぁ。人、クソほどいるじゃねーかよ絶対。屋台とか、あれ並んでも買えるものなさそうだよな。え、ダル……。

「……ほら!さっさと補習終わらせろー。帰って夏休み満喫してぇだろー?」

 パンパンと、手を叩く音が教室を擦り抜けて、誰もいない夏休みの校舎の廊下にまで響き渡る。生徒ら二人は「はいはい」「はーい。」とめんどくさそうにも返事を返して個々に机に向かい直しプリントに意識を集中させペンを走らせた。
 ……声、かけてみるか。花火大会行きたいか?って。自宅で待つ俺の婚約者、なまえに——


 *


 その日の夜、藤真さんと外食をしていたときに彩子からメッセージが届いた。ざっと内容を確認してそそくさと携帯を仕舞った私を不審に思ったらしい彼が「どうした?」と訊ねてくる。

「あ、その。彩子から」
「うん。なんだって?」
「……」
「ん?なんだよ」
「い、いや……花火大会、行くの?って。明日」
「花火大会?」

 どう見繕っても花火大会=藤真さんなんてありえないシチュエーションに思わず私は苦笑する。それでも一応、言い淀みながら「あ、厚木市の」と、ぽつりぽつりと言う。

「ほら、毎年この時期に花火大会あるじゃない?けっこう大規模なお祭り」
「……ああ。あったな、そう言えば」
「藤真さんと行かないの?って連絡だったの」
「……」

「行かない」と即答されそうでわざわざ説明する意味あったのかな、なんて思い私は素知らぬふりでまた箸を進めた。ややあった沈黙。何か会話を繋げようとネタを考えあぐねていたとき彼がぽつり「行くか」と、言った。箸を止めて顔をあげ、「え?」と私が彼を見ると彼はいつもと変わらぬ無表情でもう一度「行ってもいいぞ」と言った。

「で、でも……お仕事、大丈夫なの?」
「七時には現地に着けると思うよ。会場の最寄り駅で待ち合わせする感じになるけどな、それでもいいか?」
「う、うん……いや、なんか、嬉しい」
「嬉しい?」
「うん、意外だったから。花火大会ネタに乗って来るなんて……さ?」
「……だから、俺を何だと思ってるんだよ。俺だってイベント事に全く興味がないわけじゃないんだぞ?」
「はは、だよね」
 
「うん、楽しみにしてるねっ」と笑顔で返した私に彼は目を伏せて「うん」と短く呟いた。長くて柔らかそうなまつ毛が影になってしまって目の色すら窺えなかったので今の彼がどんな思いを馳せているのかは読み取れなかったが「うん」と返事をした声色がやや穏やかそうにも聞こえたから、嫌々ではなかったんだろうと安堵する。
 その日はお互い自分の家に帰ったが、私は案外浮かれていたらしく久しぶりにクローゼットから浴衣を取り出したりなんかしてハンガーに掛けたまま、しばらくそれを眺めていた。

「藤真さん……びっくりするかなぁ」

 明日、浴衣に似合いそうなヘアアクセとか、籠バッグを見に行こう。爪は今日の内に和風っぽい色に塗り直しておこうかな。
 こういうとき私はちゃんと、藤真さんに恋しているのだなと思って安心する。もうすぐこの人と私は結婚するのだ。好きで当たり前。ああ……、花火大会楽しみだなぁ。


 *


「ひさし、屋台に何か買いにいく?」
「おー。でもおまえ残して行けねえだろ。連れてくよ」
「ありがとう。車椅子でごめんね」
「いいって。屋台あっちだったよな?」
「たぶんね!あーあ、喉乾いた〜」
「よっしゃ。じゃあ買いに行くか」
「うんっ!」

 花火が目の前で見れるベストポジションはすでに満席といってもいいほど空きが無く一応ビニールシートなんかも持っては来たが車椅子から彼女を下ろして見るのも手間だよなと思い、彼女は車椅子のままで、自分は立ち見をすることにした。川沿いの土手の真ん中らへんにはビニールシートを敷いて花火が上がるのを今か今かと待ちわびている人達が見える。そんな光景を横目に俺たちはとりあえず屋台に向かうことにした。

「なんかいいよねぇ〜私こういう雰囲気好き」
「そうか、そりゃよかった。お、あっちにタコ焼きとかあるぜ。俺タコ焼き食いてーわ」
「ひさし、その前に私飲み物ほしい。水ぅー」
「へいへい。いま、ドリンク売ってるとこ捜してらぁ」

 初めて婚約者と見に来た花火大会。人の往来を歩いていても皆、それぞれに楽しんでるようだ。浴衣や甚平を着てる人が多いところを見るとやっぱり夏祭りや花火大会っていいよなぁなんて感慨深くなる。我ながら単純だ。

「高っ!!ぼったくりじゃねーかよ。やっぱ俺はいいわ。なまえの分だけ買うぜ」
「そう?じゃあ、さっさと買って早く戻ろ!」
「おぅ、そーだな」

 屋台で長い列に並んだというのに、結局彼女の飲み物だけを買う事となり、さっき見つけた特等席に戻ろうと、彼女の車椅子のグリップを握った俺はほんと祭りの屋台って高いよな、とぼんやり考えていた。別に買えないわけではないけれど、あんな観光地特有の高価格を見てしまったら買う気が失せる。そんなこと言ったらきっと幼馴染のアイツは「お祭りの醍醐味じゃん!」とか言って俺の分もさらっと買っておいてくれるんだろうなと、思わず自然と頬が緩んだ。買わないと啖呵を切っていたくせに、彼女の飲み物をがぶがぶ飲む俺を呆れたように見て「ほら、そう思って買っといたよ」なんて言って笑うんだ。たしかに水分は必要か必要じゃないかって聞かれたら必要なものだろうし。熱中症にでもなったら笑えないしな。あーあ、やっぱり自分の分も買ってくりゃよかったかな。

 さっき下見して見つけた立見席の場所に戻って来ると、すでに先客がいたらしく、浴衣姿の女とワイシャツスーツの男の姿が見えた。かなりいい場所を見つけたような気がしていたが、さすがに目敏い奴らもいるもんだなと溜め息をつく。隣の浴衣とスーツのカップルと少し距離を取り、柵の目の前に車椅子を停める。そんな彼女は、さっき買った飲み物をほぼ飲み干そうとしていた。どうやら俺には一口もくれる気はないらしい。まあ、いいけど。てか浴衣っていいよな。見返り美人ってやつか。別にこっち見返ってねーけど、と隣のカップルの浴衣の女を横目に、チラッと見やる。こいつは車椅子生活だから、浴衣を着たいなんて思わないと言っていた。若干の妬みもあるのだろうと思って「そうか」と相づちを打って終わった昨晩の晩飯時の会話。暑いだろうから、俺は甚平でも買って着るかとも考えたが実は甚平が苦手なことをそのときに気づいて断念した。不意に——幼少期に幼馴染が夏祭りのため浴衣姿で実家に俺を迎えに来た日のことを思い出し苦笑する。あのとき嫌がらずに甚平着りゃあよかったかな俺も。一人で浴衣を着てるの恥ずかしそうにしてたもんな。でも可愛かったな、アレ。

 立ち見席としてこの場所を選んだのは車椅子の安全を考慮してのことだった。けれど隣で座って飲み物をうまそうに飲んでいる彼女はそんなことまで俺が考えていたとは思うまい。……きっと、アイツなら「わざわざここを選んでくれたの?」なんて、訊き返してくれるんだろう。ドジなくせして気にしぃだから。そういうとこが好きだったけど。

「——暇だ。」

 思わず声に出して、ぼけっと空を眺める時間が出来てしまった。そんな俺の零した愚痴に左側で車椅子に座っていた彼女は「もうすぐだよっ!」と、上機嫌だ。ここ最近は空を見ることが少なくなったように思う。なぜだろう、やる事がありすぎるからかもしれない。本当はゆっくり話したい奴もすることもやりたいことも多いはずなのに。特に何と言ったわけではないが日々、日常に追われている気がする。いや、あえて自分で忙しくしているのかも、心を——余計なことを、考えないために。

「あー......」

 声にならない溜め息が出る。どっか……どっか誰も知らない別の場所へと行けたらいいのになぁなんて感傷的になってみたりする。なんだろう、病んでるのか、俺。
 スマホでも見っか、と携帯を取り出せばワンタップで明かりがつく。いい時代になったもんだ。高校時代なんてパカって開けてよ?メール問い合わせ≠ネんかしてみてよ。それを考えるとスマホが普及してから何かと助かっているかも、そう言えば。特にこんなときとかに。あと婚約者が、ぐちゃぐちゃ文句を垂れているときとか。昔は、携帯なんていじる暇もなく直接話したり行動したいタイプだったのに。人って変わるものだな。

「ぅおっ?!電波悪っ!……人が多いからだな」

 言ったあとスマホをポケットへと乱暴に仕舞いこんで再びぼけっと空を仰ぎ見る。今ここにいる人たち皆、実際は楽しんでいるのだろうか。笑い声に耳をすませば、まあ楽しんでるんだろうなぁとは思う。体力やばいな、若い奴らって。てか、楽しんでるってなんだろうか……いやもう、よくわかんねえ。どうでもいいか。

「……」
「……」

 ……ほんとに暇だ。会話も特に生まれないし。思わず「ヒマ」とまた愚痴をこぼしそうになったまさにそのとき——右隣で、距離をとって立っていたカップルの内の浴衣姿の彼女がクスっと笑った声が、俺の耳に優しく届いた。すぐさま一緒にいた男が不思議そうに「どうした?」と、言葉を返している。

「あ、いや……確かに花火待ちの時間って暇だよねって思ってさ。特に男性なんかはね」

 ……あ、いい声だな。聞いてて心地いい感じの俺の好きな声だ——。それでも自意識過剰みたいに彼女達の方を向く勇気は持ち合わせていなくてただただカップルの会話に聞き耳を立ててみる。

「なんかそんな会話が聞こえてきたからさ。私は好きな人と待つ時間なら楽しいと思う派だけど」
「ふーん。それって俺を、好きな人と認識してるってことか?」
「……なにそれ、なんか意地悪な言い方ー」
「はは、冗談だよ」

 やっぱり自意識過剰なんかじゃなくて俺の事を言っていたみたいだ。
 好きな人と待つ時間なら楽しい……か。俺も、そんな感性を持ち合わせてた時期があったような気もする。別に今の彼女が嫌いとかそういうわけじゃないけれど。そもそも結婚って、こんなもんなんじゃねーの?なんて思ってしまっている節がある。次第に慣れていって、いつの間にか最初の頃の初々しさとかは無くなって。お隣のカップルは最近くっついたとか、そんな感じなのだろう。はあ、羨ましい限りだぜまったく。

「なら打ちあがる前にさっき買ったタコ焼き食べるか?」
「あ、そうだね。ごめんね、持たせちゃって」
「いいよ。せっかく浴衣着て来てくれたんだから汚したら悪しな」
「おー、なんか今日優しい〜」
「なんだよ、いつも優しいだろ?」
「それはどうかなぁー」

 チッ、何だよ……仲良しカップルじゃねーか。なるほどな。サプライズで浴衣着てきたクチか。へぇーカワイイデスネー、いーですねーよかったですよ楽しそうで。このまま、花火の相乗効果で帰りはホテルにでも行って一発でけぇのぶちかますんだろどうせ。あーあーいいっすね、おまえら誰か知らんけど。どうぞ、俺の分までお幸せに。

「屋台混みすぎててもうめんどくさくなってコンビニ行こうとしてた人の言葉には聞こえません」
「仕方ないだろ?コンビニの方が手っ取り早いと思ったんだから」
「でも、買ってくれなくてもよかったのに」
「はは、誰だよ。タコ焼き屋の前で指銜えて見てたのは」
「……わ、わたし?」

 と言うか俺の話はどーした俺の話はよ。さっきまで、俺のこと見て笑ってたんじゃねーのかよ。別にいいけど。知らない奴らだし。俺なんてな、部活を終えてだな、急いで帰宅してそれから——

「じゃあ、藤真さんも一緒に食べよ!」
「俺はいいよ、名前だけ食べてくれ」


 ——え。


「それにしても、いい場所取れたな」
「うん、ラッキーだったね」


 聞き間違いで、あってほしいと願った。花火があがる前から俺の心臓がうるさいくらいにドクンドクンと勢いよく打ち鳴らしはじめる。しかし、それから横の二人もあまり話すこともなくなったのか、特に会話らしい会話はなかった。俺はとりあえずどうすることも出来ずに、また空を眺めるしかなかった。それでも一瞬だけ——ふと覗いてしまったその横顔。あの頃と変わらぬ笑顔のまま微笑んでいる彼女の姿を見て、思いがけず目頭が熱くなる。だって……花火に照らされた幼馴染の横顔が、とっても綺麗だったから。それは夜空に打ちあがる花火なんかよりも、格別に——。

 ——花火は、凄かった。なんだかふと死の危険のようなものを感じて少しだけ心が踊った。相変わらず俺の思考は歪んでいると思う。そういうものじゃないよな、花火ってよ。

 いつかはきっと、離れてくのは知っていたはずなのに、なんでこんなにも寂しいんだろう。すぐそばにいるのに。
 なんで信じるんだろう色あせた気持ちを。この手を離さず握ってくれたあの日を思い出して眠れない夜は、お前の香りがした。でも、本当の姿はどこかに隠されたままなんだ、いつも——。

 愛なんて知らなくて心が聞き分けてくれない。叶うならこのままもうどこにも行かないでくれ。明日なんか来ないで欲しい。ここで時間を止めて綺麗なまま記憶にしよう——。


 *


 ——花火は凄かった。夜空に咲いた花が散っていって一瞬の中で永遠に消えてしまった。儚くて寂しくて……ねぇ、消えないでと願ってしまう。
 なんだか不意にこの花火を、この街のどこかで彼も見ていてくれたらなあと思って少しだけ心が踊った。相変わらず相手のいる人に対して、同じ景色を見てくれていればいいなと願う私の思考は歪んでいると思う。そういうものじゃないよね、花火って。

 花火が終わり、人の往来が一気に押し寄せてくる。ドンっ!とぶつかって来た人を避けられず、履き慣れない下駄に思わず足を取られてよろける私を、気付けば車椅子を引いたお隣のカップル?ご夫婦?の男性が腕を引いて支えてくれていた。お陰様で転ぶことは待逃れたようだ。
「あ、すみません……」と顔を持ち上げて言うとなぜか勢いよく顔を背けれた。わっ背高いな、このお兄さん、と顔を背けられた驚きよりも思わずそっちに気を取られてしまっていた。

「や——。よかった、っす」
「……?」

 ずいぶんと声の小さな人だな。うまく聞き取れなかったので私は小首を傾げる。こんな大柄なのに消極的なんだろうか。腕を掴まれたときの勢いとか力強さは迫力あったのに。でも、どっちにしても暗がりで男性の顔を確認することは出来なかったので、私はそばにいたはずの藤真さんの姿をキョロキョロと探した。私が転びそうになった事なんか全く気付いてなかったらしい彼の先を歩いて行く後ろ姿を見つけた。足が早いのでその姿がどんどん遠ざかっていく。焦った私は急いでもう一度ぺこりと救出して下さった男性に頭をさげてから駆け足で藤真さんのあとを追った。


 *


 学校が夏休みに入ったとて、部活の顧問を請け負ってる身からすれば、休みという日はほとんど無いに等しい。そんな部活が午前で終わった昼下がりのある日、婚約者の彼女が友人とランチだったか買い物だったか、とりあえず出掛けたため、珍しく一人の休日となった。別に誰かが傍にいる生活にストレスを感じるタイプでもなかったが(人から言わせれば俺は寂しがり屋らしいから)案外、一人っていうのも悪くないかもと思ったりする。それだけ歳をとったのだろう。
 特にする事もないので、テレビをつけてみた。平日の日中ともあればどのチャンネルもたいして面白そうな番組はやっていなかった。ひとまず、何かの再放送らしいバライティー番組のチャンネルで手を止めリモコンをテーブルの上に置いた。なんとなくカーテンと窓も開け放ち、ソファーに寝転がって空をぼーっと眺めてみたりする。

「あー......」

 ゆっくりと瞼を閉じる——花火大会。思い出すのはすぐそばに聴こえた、癖のある笑い声。タコ焼きを美味そうに頬張っているであろう咀嚼音。視界に入り込む、割り箸を持つ手が見え隠れしているあの姿を、記憶の中に呼び起こす。

「……はぁ。」

 実家の前で、彼女と彼女の婚約者と鉢合わせになった。母親のお節介で、自宅の中に招き入れるという流れになって困惑したあの日のことを思い返す。海外に行くと言っていたから最後に日本の風物詩でも堪能しに来たのだろう。わざわざ地元近くの祭りに足を運ばなくたって都会ならもっと豪華で盛大な花火大会もあるだろうに。でも……元気そうでよかった。幸せそうに、笑ってくれていて安心した。……そう言えば向日葵の柄の浴衣を着てたな。いつ買ったんだろうか。にしても、すげえ似合ってた。なんだあいつセンスいいじゃねーかよ。やっぱり昔から変わらずイベント事は大切にしているらしい。
 彼女はあのイケすかない婚約者と一緒のベッドで眠りについたりするのだろうか。なんの悩みもなく、毎日気持ちの良い朝を迎えてくれていればいいな、なんて思う。藤真に見せるためにどれにしようかと浴衣や服を悩んでいたであろう姿や、着付け終わったあとの満足気な表情を想像した。俺は、そっと目を開ける。

「ふぅ……そろそろなんか新しいことでも始めてみっかな」

 そう思ったけれど新しいものってなんだろう。新しいものとか流行り物には疎い方なので、特にこれと言って思いつかないし知らない。今流行のSNSとか動画とか、そういう類の事で新しいものを見る事はさすがの俺でもできるのだろうけど。やっぱりめんどくさいなと思ってしまうのが本音だった。

「んー......分かんねぇ」


 ……ああ。また、会いてえなぁ……。


「……新しいことってなかなかねーよな」

 面白いことって何だっけ。前まではバスケ以外にも楽しい事とか、そういうのがあったはずなんだけれども。そんな辛気臭く、くだらないことを考えていたらいつの間にか、眠っていたらしい。突如スマホの着信音が室内に鳴り響いて叩き起こされてイラッとした。気怠く起き上がりソファーに座り直したあとテーブルの上に投げ捨ててあったスマホを手に取り相手も確認せずにその着信に出る。

「……もしもし」
「三井サン?オレオレ。なにしてた?」
「……、オレオレ詐欺は間に合ってるんで」
「ねー。いーよ、そのめんどくさいくだり」
「……チッ」

 たしかに相手を確認はせずに電話に出たがすぐに声でわかった。電話をかけてきた犯人は言わずもがな生意気な高校時代の後輩——宮城だった。一度スマホを耳から離して表示されている時計を見れば18時を回ったところだった。そろそろ、婚約者から迎えに来てと連絡が入る頃だろう。

「はぁー......なんだよ、なんの用だ」
「……大丈夫?なんかあったの?」
「ん……や、なんもねーよ」
「そっか」

 なんだか、しんみりしたみたいな空気になってしまい面食らう。そのとき点けっぱなしになっていたテレビから音楽番組が流れてきて「では當山みれいさんでsayonara≠ナす、どうぞ」なんていう女性アナウンサーの声に耳を貸す。なんとなくの流れで、テレビにふと視線を向けた。


 ♪いつから二人こうなっちゃったんだろう
  電波の悪いフリ 気まずいとき出る癖
  「久々会えて嬉しい」なんて
  少しでも誤魔化せば この先を変えられる
  そんな気がして トボけて返したの

  来るはずない返事を
  待ちながら開くアルバム
  記念日に重ねた右手 輝く指輪
  いつまでも繋いでいたかった

  さよなら さよなら
  聞きたくはない まだ
  二度とない「好きだよ」を
  期待しちゃってる ただ

  春の桜だって 夏の花火だって
  君以外 誰ともみたくないから

  ごめんね ごめんね
  ちゃんと言えてたら
  素直に全てを 伝えられてたら
  秋の楓だって 冬の雪だって隣で
  笑いあえてたのかな♪



 ヤベぇ、とハッとして我に返る。確実にさっきよりももっとしんみりしたみたいな空気になってしまい、何か言葉を繋ごうとした瞬間、宮城の「げ、失恋ソングなんて聴いてんの三井サン」という心底げんなりしたような声がスマホの向こう側から聞こえてきてギョッとする。それでも平然を装っていつものように「……あ?」と返した。

「聴くんだね、そーいうの。意外」
「勝手に流れてきたんだよ、テレビ点けっぱなしだったから」

 宮城が少し間を置いて「ふーん」と何やら意味ありげに相づちを打つ。俺はそれに、当たり前に小さく舌を打ち鳴らしてソファーに深く腰を沈め背もたれにだらしなく寄っかかった。


 ♪「先にフラれるのは絶対俺だろう」だなんて話
  どうして あの日したの
  永遠なんてない 当たり前なのに
  二人は 変わらないと信じてた

  さよなら さよなら
  聞きたくはないまだ
  二度とない「好きだよ」を
  期待しちゃってる ただ

  春の桜だって 夏の花火だって
  君以外 誰ともみたくないから

  ごめんね ごめんね
  ちゃんと言えてたら
  バカだね今更 後悔ばかりだ
  秋の楓だって 冬の雪だって
  隣で笑いあってたかったな♪



 ……たしかに、馬鹿なのは俺かもしれねぇな。
 情けなくも偶然流れてきた音楽に感傷的になったりして思わず溜め息が零れる。また宮城に揶揄われそうだったので俺はテーブルからリモコンを取ってテレビを消した。

「——や、最近楽しいもんなくてよぉ。何か始めようかと思ってかれこれ数時間ぼーっとしてた」
「え!暇人……んー、そう?楽しい事なんていっぱいあると思うけどなぁ」
「……まあな。たしかに生きてれば楽しいこともあるよな」
「そーねー。あるっしょ、絶対」
「あぁ、うん……」

 とりあえず今あるものは全て消すことにしてもいいかもしれないな、って選択肢も考えてみる。けど生憎俺には大切なものしか思い浮かばない。家族、友人、仕事、湘北、バスケ。あとは俺の、秘めたる想いとか。そういうのは消せないよな、って秒で諦めた。そしてまたスマホを耳に当てたままで今度はソファーに寝転んでみたりする。

「——なあ、宮城」
「はい?」
「空ってよぉ……広いよなぁ」
「はっ?」
「この上にあるもの、消せねえかなぁ……」
「……」

 ちょっと自分でもよくわからない事を言ってるのは分かってるけど。分かっているんだけど……そんな言葉がふと声に出て漏れてきただけの話。

「……うぉ!桜木の野郎、すげーイメチェンしてんじゃねーか」
「ねえ、電話スピーカーにしながら、後輩のSNSチェックすんのやめてくんない?」
「剃り込み入れたのか、これ何て書いてんだ?」
「あーそれね、チームのロゴだってさ」
「ふはっ、あいつらしー」


 ……楽しんでんだなぁ、みんな。


「あー、死にてぇなぁ」
「……ねえ。まじで、だいじょぶそ?」
「おー」

 本当には死なないけど。だって、多分オレは、いざとなったら絶対にひよっちまうだろうから。あの——いま電話の向こうにいるこいつを屋上で殴ろうとした、あの瞬間のように。

「んー......」
「……三井サン。まじ、なんなの?」
「んー......なんもねぇよなぁ本当に」

 世界にはたくさんのものが溢れてるにも関わらず、なんでそんなこと思ってしまうんだろうか。人間って面倒くさい生き物だ。いや……俺だけがめんどくさい人間なのかもしれないけれど。

「僕、修行僧みたいなことしてっか?」

 はっはっはと笑ってみても宮城は困惑しているばかりだった。でも客観的に見たらそうかもしれなくもないよなぁとか思う。そう言えばコイツ、何で電話をしてきたんだろうか。ま、いっか。

「ぅお、月でっけえ!!」
「わお、びっくりしたー。もーぅ急に大声出さないでよね」

 月がでかい。だから……だから何だって言うんだろうか。まぁ、いいか。でけえもんはでけえんだから。

「こうゆー景色がよ、最高にいいんだよなぁ」
「うーん、まあ綺麗だよねツキは」
「おいおい、それどーいう意味かわかって言ってんのか、宮城」
「知ってるよ。べつに三井サンに向けて言ったんじゃねーっての」
「ふはは!俺だって野郎はお断りでぃ」


 ああ……うん。こういうことなのかもしれないな、楽しいって。相手は生意気な後輩でもこんなことを話しているのだって楽しい≠チて部類に入るのかも。わかんねーけど。


「会いてえなぁ……」
「んー?だれに?」
「え?……内緒。」
「はぁ……?」


 やっぱ、絶対に会いたくねえなぁ、
 もう……あいつには。


「戻りてぇなぁ……過去に。」
「……。」

 それは本当にそう思う。絶対に不可能だとわかっているから執拗に願うのかもしれないけれど。人間って、ほんとに愚かなものだ。

「——三井サン、あのさ」
「……さって俺は風呂入るぞ。じゃーな、宮城」
「あっ!ちょ——」

 俺は宮城との通話を切った。ふうと息をはき、ふと未だ開け放たれている窓の外に見える大きな月を見る。宮城、まじで何のようだったんだろうか。でも、どーでもいいや、もう。
 導かれるようにバルコニーに出てみれば、夏の夜風が頬を撫でた。今のままでいいんだ。今の、ままで。ああ、空って消せねぇかなぁ……絶対に消える事はないんだろうけど。科学の先生にでも聞いてみようか。

 愛した数だけ涙があるのなら、もう二度と恋になんて落ちたくはないと思っていた。けど、心配しなくてももう俺は他人と恋に落ちることはないらしいから。そういう感情が気付いたら無くなっていたから。
 花火大会の帰り道、その角を曲がるまで振り向かないで欲しいと願った。そして遠くなる背中にそっと、さよならを告げた。もしも振り向いて、優し気に目尻を下げて微笑まれたもんなら、また好きになってしまうって、恋に落ちてしまうって確信があったから。
 それでもほんとは振りむいて俺の名前を呼んでほしかったんだ。ほんとはずっと、ぎゅっと抱きしめたかった。

 願ってももう届かない想いとは知っていても、それでも、震えるほど好きだった事を後悔はしたくない。会いたくて、抱きしめ合った日々にありがとうを言うよ。ここで時間を止めて綺麗なまま終わりにしよう。

 明日を、生きよう——。










 になっても、愛してる。



(ほんとはずっともっと、いられると思ってた。)


※『 Farewell/Superfly 』を題材に
※Lyric by『恋花火/CHIHIRO』『sayonara/當山みれい』

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